こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

戦争を平和を考えたあの日

2023年06月11日 00時51分55秒 | 日記
ウクライナの反転攻勢が始まったとのニュース。
戦争に終わりの気配は全くない。
所詮傍観者でしかない私の無力感といったらどうだ。
20数年前に、
平和メッセージ公募で選ばれ、
招待された筑前で、大刀洗平和記念館に立ち寄った。
戦争と平和の何たるかを突き付けられた資料の数々。
それでも他人事にしか見ていなかった、
平和ボケのひとりなのを思い知らされたものだ。
その当時の原稿である。

『平和と戦争』
 ふる里加西市に保存された戦争遺跡がある。生まれ育ち今も生活の場であるふる里に暮らして六十六年。その存在を全く知らずにいた。     だだっ広い鶉野飛行場跡は、明石の免許試験所へ自動車免許を飛び入り受験のため、みんなの練習場だった。 
そんな身近に接していたその広場が、あの戦争中、戦闘機紫電や紫電改のテスト飛行に使われていたことを知る由もなかった。
まして、その紫電改が練習飛行中に鉄道事故を誘引し何人もの死傷者が出た負の歴史など知る筈がない。当時軍部も事故を隠していたとか。戦争にまつわる暗雲は田舎も例外なく覆っていたのだ。
 昨年、地元の高校PTAによる『ふるさと講座』の一環に『鶉野飛行場戦争遺跡めぐりウォーキング』が企画された。当時ウォーキングにはまっていたせいで、戦争遺跡めぐりを意識は皆無することなく参加した。
ところがただのウォーキングではなかった。歩いたコースは鶉野飛行場の周囲に点在する防空壕、弾薬置き場、地下指揮所、対空砲銃座…と戦争の歴史を如実に見せつける遺跡群だった。目の前にすると、今も漂う迫りくる重圧感に驚かされた。
「みなさんは、この鶉野飛行場から九州の鹿屋特攻基地を経て戦地へ赴き二度と戻ることはなかった特攻機の若き飛行機乗りが、何人もいたことをご存じだったでしょうか?」
 スタッフの問いかけに、参加者の誰もが無言だった。特攻という言葉自体ピンと来ない。最近映画やドラマでお目にかかった絵空事でしか捉えていなかった。
それが、こんな平和でのんびりした田園都市の一角に存在する飛行場から多くの若者たちが命を的にした戦果を求めて飛び立ったのだと言う。ショックだった。
 特攻機を操縦した若い飛行兵たちが書き遺した遺書は地下指揮所跡の煉瓦壁に貼られてあった。父母や妻子ども、兄弟姉妹、友人恋人にあてた別れの手紙。十代から三十代前半の飛行兵たちの悲壮な決意と、肉親への尽きない愛情が吐露されている。国のために死を余儀なくされた彼らの心情はいかばかりだったのだろうか。とても推し量れない。戦争はいつも不条理極まる犠牲を強いるのが当然なのだ。
 私の叔父もビルマ戦線で戦死した。盆に墓参するたび、その無念さを垣間見る。墓地の入り口に並んで建立されだ、名誉(?)の戦死者を偲ぶ慰霊墓碑の中に、叔父の墓碑銘もある。立派な石柱に刻み込まれた叔父の名前と戦死した戦地名、戦死の日時、年齢が…二十三歳…いくらなんでも若過ぎる。
いつもお参りしながら、叔父の無念さに胸を熱くする。生きていればなにかを成し遂げられたはずである。その無限の可能性は有無をいわさず奪われた。理不尽極まる戦争に腹が立って仕方がない。
手を合わせながら叔父に訊いてみる。(将来何をしたかったの?誰か好きな女の人いたの?)でも、墓碑に眠る叔父は何も答えてくれない。
 特攻隊飛行士たちの遺書に釘付けになりながら、ハッと気づいた。彼らは叔父以上に無念だったに違いない。生きる意志を捨てさせられ、敵を道連れにして死ぬことを命令された片道飛行だったのだ。
生を微塵も考えてはならない、ただただ死ぬことを目的にした飛行命令の冷酷無比、それが戦争の正体である。叔父以上の過酷な懊悩のうの中運命を避ける道は閉ざされ行くしかなかった悲惨さ。それが戦争なのだ。
 平和な現代に生きる私たちは、ともすれば戦火に散った多くの犠牲者たちの無念さを忘れている。あの戦争悲劇の上に生かされていることを忘れてしまっては、次の世代に平和をつなぐ役割を担えない。
 先般、国会で安保法案が通過した。野党は『
戦争法案』と主張する。ともあれ決まるまでの過程に納得できかねるものはあるが、決まった今は、その運用を注意深く見守る必要がある。
危険な方向に国が舵を取らぬように、みんなの平和意識を確固たるものにしなければならない。それが平和を感受する私たちに課せられた役目なのだ。
 鶉野飛行場滑走路跡沿いに設けられた平和祈念の碑苑を前に頭を垂れながら、思うことはひとつ。先人の間違いを二度と繰り返さない。平和は傍観者が手にすることは絶対ない。微力でもひとりひとりが平和への道筋を迷うことなく突き進むことで必須なのだ。
 歩いて巡った『ふる里加西の戦争遺跡』は、私に戦争の愚かしさと冷酷さとを再確認させてくれた。それは平和を考える最高の動機となってくれたのである。誰もが戦争と平和を直視するに違いない戦争遺跡の保存と公開は、遺跡をもつわが故郷の責務だと確信する。


 
 
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娘のこと

2023年06月11日 00時40分46秒 | 日記
今夕長女が孫を連れて来訪する。
父の日のプレゼントを持ってきてくれるらしい。
少し前にlineで「なにかほしいものある?」って訊いてくれた。
介護福祉士の彼女、根っからの優しさを持ち続けている。
赤ん坊の頃に病気で少し長く入院した体験もあり、
優しさはその体験から生まれたものなのかも知れない。
4人いる子供の中で、
彼女だけが、
親の誕生日や父・母の日を忘れずに必ず祝ってくれる。
もう何も欲しいものが浮かばないシニアの私だが、
プレゼントが嬉しくないはずはない。
ただ表に出して娘に感謝の言葉を返すのは面映ゆい性格。
「素直じゃないんだから」
妻の皮肉に何も言い返せない。(笑)
その愛する娘が数年前に受けた大手術。
もう心配でおろおろしっぱなしだったあの日のことは忘れない。

当時書き残した原稿をアップします。

『娘の危機に際し」』

「手術するのよ、あの子。全身麻酔だって…」
 夫に報告する声は不思議に冷静だった。
 昨年結婚した長女、この春、第一子を出産したばかりの娘が、手術すると決めた!
「そんなに悪かったのか、あいつは……」
 ショックを受けて狼狽える夫。無理もない。初孫をプレゼントしてくれた、最愛の孝行娘が、内視鏡手術を受ける。全身麻酔なのだ。
 初孫を連れて里帰りした娘が急に腹痛を訴え病院へ走った。胆のうに石が悪さをしたらしい。ずっと前から我慢していたせいで、胆のう炎寸前に悪化していた。
「できれば手術をお勧めします」
 医師は暗に手術しろと求めた。
「おかあさん。した方がいいよね?」
「そうね。あなたには大切な旦那さんと赤ちゃんがいるんだもんね。元気にならなくちゃ」
 娘は頷いた。決心したのが分かった。
 担当医師の説明を受ける娘に付き添った。
そこで、手術はさほど心配いらないが、全身麻酔が必要だと聞かされた。不安に襲われる。でも、本人はもっと怖いはず。そう思うと、自分の感情をころして娘を励ますだけだった。
「頑張るんだぞ。お父さんとお母さんは、ちゃんとここで待ってるから」「うん。赤ちゃん,、お願いね」
 わが子の心配をする娘は母親の顔になっていた。いつのまにか母親の強さを自分のものにしている。うん。これなら、絶対大丈夫!
「成功しました。これが切除部位と石です」
 医師が見せた石はずいぶん沢山あった。(手術してよかったんだ)それより娘が気になる。麻酔でまだ眠ったままである。
「大丈夫です。あとすこしで麻酔は覚めますので、病室に戻れます」と笑顔の先生。
 緊張しきっていた体の力がスーッと抜けた。思わず振り返った。夫と目があう。ワナワナと口元が震え、顔はクシャクシャだった「よかったね」「ああーああー」「ヒャハハハ」笑いたくてもままならない夫の手を握った。
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