この春から仕事先を変えた娘。
勤務策に近い場所に引っ越すとかで、
農作業用の軽トラックを刈りていった。
またしても彼女の行動力に驚かされる。
子供の頃は私に似て、
酷く控えめな性格だった。
父親はいまも変わらぬ性格で、
中途半端な余生を送っているが、
彼女はまるで人が違ったように成長を見せてくれている。
自分の道は自分で求める彼女の姿に、
(やるやないか!)と感心するとともに、
もう父親の役目はないと、
ちょっぴり寂しくなるこの頃である。
娘との思い出を書いた原稿は、
30数年前のものだ。
『わが娘よ』
あの日をいまだに情けなく思い出す。先生の指名による順番で我が子を褒め合う、幼稚園の父親参観を締めくくる時間だった。
小さいころからひどい人見知りで、人前に立つのが苦痛だった。ドキドキしながら緊張を募らせ、順番が来ると体はガチガチ。足の震えは止まらず顔が赤くなった。声は裏返り、言いたいことが全く言えなくなる。それでも娘が隣に座る今日は、失敗して恥をかく情けない父親を演じたくなかった。
並ぶ順番に指名は進むが、私の名前は一向に呼ばれなかった。自然と顔が俯き、周囲をちらちら窺いながらも、名乗り出る勇気は出ない。(話さんでいいなら、それでええやんか)自問自答で自分を納得させる妙な努力をした。ふと娘に目をやると、口をへの字に曲げて耐えている。父親そっくりの気性で、人見知りする娘。順番を飛ばされて困惑している。そこに思いが至っても、だらしない父親は、目を逸らせて時が過ぎるのを待つだけだった。
「先生、すずみちゃん、順番まだだよ」
園児が声を上げなければ、そのまま何事もなく終わっていた。指摘された先生は慌てて平謝り、私と娘はようやく指名された。
その一件で、父親に似た娘の将来は決まったと思った。自分の意見が言えず損をしてきた父親と同じ人生を送る運命なのだと。
娘が家族を驚かせたのは稽古事選び。「ヴァイオリンをやる!」真剣な娘の希望は叶えた。
途中音を上げることなく、ヴァイオリンの腕を上げた娘は、高校受験でも親の意表を突いた。多くの友達と同じ地元の高校へ進むはずを、娘はものの見事にに覆した。一から新たな勉強に取り組み、音楽科がある難関県立高校を受験、あっさり合格を果たした。
まさか自分の娘がとの思いを行動ではねのけた娘。電車通学に二時間余りかかる高校を皆勤で通した。人見知りで小中と友達を作れなかったのに、高校生活は充実、友達も数人出来ていた。
「あいつ本当に僕の娘か?」
「私の娘でもあるのよ。ちゃんと成長してるわ。お父さんみたいに内弁慶で終わらなかったの、親は喜ばなくちゃ」
妻は喜ぶが、幼稚園の一件がまとわりつく。
親の予想をはるかに超えた、娘の成長だった。大学も就職も自分で決め、そして着実にに成果を積み重ねた。大学三回生の夏には、
「市役所の採用試験を受ける」
何気に言ってのけた娘。気負いも何もなく、冷静そのものだった。言葉を失ったのは私と妻。またしても娘に既定路線をひっくり返された。自分の将来を決めるのは自分。そうあるべきと信じて疑わなかったが、父親のネガティブすぎる性格をそっくり受け継いだとしか思えない娘が、前向きな行動を取れるとは意外過ぎた。とどのつまり見下していたといえるのかも知れない。まして市役所という超難関な職場への挑戦は、人脈のない親の目には暴挙としか映らなかった。
「大阪の会社に就職するよ。給料がいいから。向こうでマンション暮らしするつもり」
そう主張していた娘。上の兄弟たちは名古屋など都会で働いている。羨ましく思うのは仕方なかった。片田舎に残る選択肢は端からなかったのに、突如心変わりした娘。
「田舎の家に残るよ。お父さんやお母さんを二人きりにするなんて、到底考えられない」
都会で暮らす子供らは、盆正月もめったに帰らない。仕事が忙しく生活も充実している証拠だと諦めているが、一番下の娘に親を見捨てる打算はなかった。市役所に採用されたわけでもない段階から、娘の決意は固かった。
無謀に思える娘の挑戦は始まった。公務員試験のテキストをしこたま買い込んで猛勉強する。親が関与する余地はなかった。娘の本気度は百パーセントだった。ただただ見守るだけ、親の出番はなかった。
一次の学科試験は合格。問題は二次三次の二回行われる面接試験。人前で喋るのが苦手な娘に切り抜ける道はあるのか。
採用通知が届くと、晴れ晴れした顔で冗談口をたたく娘。
「面接官、おじさんばっかりだったし、気を使っちゃった」
助役を含むお偉いさんも、娘にはただのおじさんにしか見えないらしい。合格はやはり嬉しいのだ、はしゃぐ娘に思わず顔が綻んだ。
「やっぱり俺とは違う器だ。すごい娘だな」
「違うったら。そこがあなたにそっくりなの。ここはというときに全力投球できる人、私が選んだ人生のパートナーよ。すごい男なんだから。あの娘の中にも、そんなお父さんはしっかりと存在してるの。ちゃんと見てやって」
珍しくまともな妻の言葉が嬉しかった。娘に笑顔を向けると、笑顔がしっかりと返ってきた。確かに私の遺伝子はそこに現れている。父親譲りの笑顔、幸せな発見だった。(ありがとうな)胸の中で繰り返す感謝の声は、間違いなく娘に届くだろう。
