こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

すいか

2021年07月21日 07時34分54秒 | 日記
スイカを収穫。
週末に娘一家と長男が帰って来る。
同居の末娘も彼をつ連れてくるかも知れない。
兄弟姉妹の顔合わせだ。
熟れ具合の確認をするための摘花である。
外面は合格と言ってもいい。
問題は中身。
ちょっと思案しながらの包丁入れ。
「パカッ」
スイカ太郎(?)誕生のハプニングはなかったが、
合格基準に達していた。
甘身も水分も文句なし。
子供らの里帰りの日には完熟する。

ちなみに末b娘の夕食メニューにも、
カットスイカを加えた。
初穫りスイカは娘の口にあったらしく、
一安心といったところである。

畑に残るスイカは12個、出番を待っている。

そうそう、
子供の頃も、
井戸につるし、冷やしたスイカが、
家族の絆を深めてくれたものだった。
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石臼で粉を挽く

2021年07月20日 03時26分00秒 | 日記
夜、源ちゃんと涼んでいると、
桜の木越しに月が見えた。
満月でなくても、
月の光は神秘的だ。
なんとなく、
そのあと、お好み焼きを作ってしまった。
15枚ほど焼いて終了。
冷凍保存にするつもりだ。
子供の頃、家でお好み焼きを食べた記憶がない。
代わりに流し焼きなるものを、
よく食べたのを覚えている。
小麦粉に砂糖を加えて溶いたのを焼くだけ。
それがおやつになった。
美味かったかわ微妙なところだが、
貧しい時代好き嫌いなど言ってられなかったものだ。
その小麦粉も家で挽いていた。
土間に挽き台が作られて、
石臼が重ねられておいてあった。
父が取っ手を掴んで回すと、
ゴリゴリと粉を作り出した。
はったい粉、きな粉、小麦粉……あらゆる粉ができた。
ソバやうどんもみんな両親の手作りだった。
石臼の上に豆や麦を入れたす役目が、
時々子供にも回ってきた。
はったい粉はできたハナから口にした。
すこし砂糖を加えたやつを湯に溶かし飲んだ。
甘いものに飢えた時代には、
こたえられなく美味かったものだ。
粉を口に頬張ってはむせにむせたのが忘れられない。

また小麦粉が値上げ待ったなしらしい。(ふぅ~)
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学校給食に憧れる

2021年07月19日 01時48分01秒 | 日記
深夜、急にその気になって、
アンゾンのプライムビデオを視聴。
父の日に末娘がプレゼントしてくれた
プライムビデオの無料視聴のおかげで、
時々思いつくと、チャンネルを合わせている。
今回は「劇場版おいしい給食」、
テレビでやっていたドラマを映画にしたものだ。
市原隼人さんが演じる先生に共感を覚えること多々だったが、こ
の映画のストーリーは、
学校給食が廃止へというちょっと切実なもの。
急に連絡が入ったので、まだ見終わらないままテレビを切った。
学校給食のない時代に育った僕には、
学校給食の味というものを知らないが、
実に魅力的に感じてしまう。
牛乳1本。
それが僕らの給食(?)だった。
前日に注文を取り、
頼んだ児童だけが飲んでいたっけ。
まだ紙パックのない時代、牛乳瓶だった。
透明フィルムの覆いを外し、紙蓋を爪でひっかけて取って飲んだ。
厚手の紙蓋がうまく外れるといいが、
皮がめくれるみたいに紙蓋が途中でめくれると、さあ大変。
飲むまで悪戦苦闘したものだ。(笑い)
暫くして前日注文する肝油が加わった。
だから学校給食の恩恵は得られずしまいだった。

わが家の食卓に学校給食の人気レシピを載せることも多くなったのは、
ドラマ「おいしい給食に感化されたからかも知れない。
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もはや夏バテ現象

2021年07月18日 11時05分08秒 | 日記
孫を連れて娘が家に立ち寄るというので、
夏野菜を収穫、
帰りに持たしてやることにした。
野菜を選びながら思わず笑ってしまった。
亡き母を想いだしたのだ。
しょっちゅう野菜を持ってきてくれる母。
アパートに一人住まい、
とてもじゃないが食べきれない量の野菜である。
しかも母は息子が必要とする野菜を選別などしなかった。
その日取れた野菜を無暗やたらに運んできてくれるのだ。
当時は山盛りの野菜を前にため息をついたものである。
親不孝にも母の思いやりにうんざりだった。
いま娘に持たせてやる野菜を選びながら、
今更ながら息子に
母ができる最大級の愛情を注いでくれていたんだと思い至る。

孫の好物のジャガイモの素揚げも作り、孫の笑顔を待ち望む。
もう少し大きくなれば、
いろんな料理で歓待してやれるのだが、
今はポテトフライを丁寧にちょうりするしかない。

畑で収穫も、
湿気と暑さに参ってしまう。
源ちゃんも暑さにへばっている様子だ。
甲斐の国がルーツの源ちゃん、
まだ1歳にならぬ初めての酷暑にとまどっているに違いない。(がんばれ)
そうエールを送る私もはや夏バテ気味である。
数年前までは夏の暑さをものともせず、
ウォーキングを楽しんでいたのがウソみたいである。
あのころ、
スペシャルドリンクのペットボトルを欠かせなかった。
腰のポシェットに2本は突っ込んでいたものだ。
紅茶を作り、酢を加えた単純な飲み物だが、
毎日1リットルは呑むようにしていた。いや、いまもそうしている。
血圧が高くなった時に、酢がいいと知人に聞いて以来、
一日60㏄摂取を目標に飲んでいる。
そのすぺしゃる(?)ドリンク、
コロナ以来のウォーキングに機会がなくなり、
飲む量はかなり減ってしまった。
運動不足が加わって、
これからの健康に不安が付きまとうこの頃なのだ。

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丈夫な歯とは無縁なわたし

2021年07月17日 08時31分22秒 | 日記
きのうは前歯4本の補修。
治療中は目をつぶったまま、
どんな風に補整されたか分かるべくもないが、
麻酔注射をされたぐらいだから、
かなり酷かったのだろう。
とはいえ、
まだまだ補整に耐え得る歯が
残っているのは確か。
ヘンな安堵を覚えた。
虫歯のファーストシーンはいつだっけ?
完全に記憶から削除されてしまっている。
ただ、すでに亡くなった一つ違いの兄が、
亡くなるまでに歯医者へ通った姿を見たことがない。
よほど歯性に恵まれていたのは間違いない。
それと比べれば、私の歯性は最悪と言っていいほど、
高校生の頃から、
嫌になるほど歯医者のはしごをしたのは覚えている。
今の歯医者さんに落ち着くまで
10か所以上巡ったと思う。(ふぅ~)
当時の田舎は貧しく、
子供が甘いものを口にできる機会は、
めったになかったものだ。
当然虫歯になる確率は少なかったと思うのだが、
いなかっぺの中でも
野生児に近い元気ものだった兄と、
物静かでお上品を気取っていたような私との間に
生まれた差と考えていいのかな。(笑)
家に戻る途中、畑に迂回、野菜の収穫を。
思い切ってすいかをひとつ(小型のもので15個ほどできている)を収穫。
インゲン、茄子、とまと、キューリ、ピーマン……と、大満足。

家では源ちゃんが待っていてくれた。
(どこ行ってたの?寂しかったんやん)
そんな感じの源ちゃんを抱きしめてやった。
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歯医者さん

2021年07月16日 08時53分16秒 | 日記
9時に歯医者さんの送迎車がやって来る。
歯も磨き、部分入れ歯も装着、用意万端である。
歯医者さんの日は、いつも気を遣う。
普段無精ヒゲはすこし伸びるまでほっておくが、
歯医者さんに行く前夜は、
髭は剃る、頭は洗う……とにかく念入りにやる。(笑)
一種の性格なのだ。
翌日にイベントでもなにか予定を控えると、
気が引き締まる。(普段はトロ~ン状態。笑)
時には寝られず徹夜なんてことも。

おっと、送迎車の来る時間だ。
おんもで待つことにするかな。

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ちょっと気分も晴れやかに

2021年07月15日 03時47分34秒 | 日記
晴れると暑い。
源ちゃんはそれでも元気に外へ飛び出した。
無理はない、
雨や雷に小屋で大人しく引っ込んでいたせいだ。(笑)
家の周囲の植木たちも、
なにか生き返ったような鮮やかに映えている。
私もつられたのか、実に気分がいい。
家の側の小川で、
近くの子供たちが水遊びをしている。
水鉄砲で水をかけあい「きゃ~きゃ~」やっている。
ずぶぬれになりながらも気持ちよさそうだ。
男の子は鉄砲類いが好きである。
子供の頃の私も、
兄や村の子供仲間たちと打ち合ったものだ。
勿論実弾ではない。(笑)
新聞紙を丸めたタマ、輪ゴム、水……、
色々あったが、
輪ゴムや新聞を丸めたタマは当たると、
やっぱり痛かったなあ。


昨夕は「ねひめ広場運営会議」定例会。
夏休みの企画はリズム体操。
そして親子で学ぶマネー教室も。
私も3企画のラフプランを提出。
会場と実施日が決定で、
私も準備にまた忙しくなりそうである。
暑さもコロナもほどほどにと願うばかりである。

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夏野菜

2021年07月14日 02時05分24秒 | 日記
夏野菜が次々と実をつけて、
毎日収穫でき始めた。
キュウリなど一日取り忘れると、
数倍も膨らむ始末。
ナスビ、キュウリ、ピーマン、シシトウ、オクラ……、
スイカも10数個転んでいる。
収穫すれば、
出来るだけ早く料理した方がいい。

深夜、
この時間が一番いい。
誰にも邪魔されないから、
好きなように料理できるのだ。
今夜は茄子が主役である。
勿論ほかの野菜も忘れることはない。
新鮮な野菜は複雑な調理は要らない。
焼く、煮る、揚げる、それも素揚げがいい。
てなわけで、なす、カボチャ、ジャガイモを順次素揚げ。
茄子は揚げびたしや、みそ味の揚げ煮に。
カボチャとジャガイモの素揚げは塩をパラパラ。
それを摘まみながら、料理を楽しんだ。

きょうプリンターの不具合を修理したので、
残る時間を使って新しい企画の、
企画の資料を作った。
明日のねひめ広場運営会議へもっていく予定である。
ちなみにここ数日の雨のせいで
お尻部分が腐り始めていたスイカを収穫していたが、
包丁を入れるとまだもう少し状態。
そこで身の部分だけを切り取って、
フードプロセッサーにかけた。
それを裏越ししたジュースを冷やしていたので一口。うまい!
砂糖はいれていなかったが、
あっさりしたスイカのジュースはほんのり甘みもあり、イケる。
全部飲んでしまったが、夜中のトイレが心配だ。(苦笑)
あと2時間で4時になる。
久しぶりに撮りためておいたビデオを見ることにしようっと。
頭の整理にはビデオ視聴が一番だから。(ウン)


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雷クワバラクワバラ

2021年07月13日 03時17分27秒 | 日記
雨の気配がなさそうなので朝から草刈りへ。
黒豆が元気よく育っているが、
雑草は雨と高温が重なり、
まさに大草原並み。
おやおやブルベリーも楽しそうだ。
草刈りをスタートさせて調子に乗ったころ、
いきなり前が降り出した。
飛んで帰ったのは言うまでもない。
昼過ぎに再び畑へ。
今度は源ちゃんも一緒だ。
囲った畑の中を好きなように遊ばせながら、
作業ができるようになったから安心だ。
収穫や手で草を抜いていると、
「何してんの?」とばかりにそばへ寄って来て、
しげしげとみている。(可愛い奴)
草刈りも調子が出始めたとき、
ゴロゴロ!
空も曇り、雷様のご到来である。
暫く様子を見ることにしたが、
一人だととてもそんな気持ちにならないのは確か。
根っからのオビンタレなのだ。
とんで帰りたいのを、
源ちゃんの存在が阻止する。
源ちゃんに話しかけ、抱っこしたりしながら、
我慢の子を決め込むのだ。
誰かと一緒なら雷もなんとか堪えられるのは、
大人になった証といっていい。(笑)
結局雨もぱらつき、
雷鳴も近くなってきたので、飛んで帰る羽目になったが……。

深夜またクッキング。
今回の食材はチキン、手羽先ともも、胸肉。
手羽先は甘辛く味付け、白ごまを振って完成。
ももは焼き鳥風の味付けで絡めた。
旨は切り分けて開き、
パン粉を漬けフライ用に仕上げた。
娘と妻のお弁当用である。
手羽先は例によって味見(?)、旨い!と自画自賛。(大笑)
クッキング終了は3時過ぎ。
時間があるのでパソコンに向かっている。
4時になったら寝る予定です。(おやすみなさい)

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どんぶり飯とらーめん

2021年07月12日 13時05分35秒 | 日記
昨日夜久しぶりにラーメンを作ってみた。
中華乾麺を好みの硬さにゆで、
ラーメンスープは秘密のレシピ。
ラーメンオタクの友人から伝授された。
昔通った加古川駅前のラーメン屋の味復活である。
翌日用に用意したものだが、
たまらず一杯食べてしまった。
ネギや青物はないが、
もやしがあったので、ガバッ!
いや~美味かったなあ。社会人になるまでは、
即席袋ラーメンが大好物。
其れさえあれば、
具も何もなくても完食。
主食がわりになる時さえあったなあ。
社会人になって加古川駅のラーメン屋台の味を知ってからは、
即席ラーメンとはさよ~なら。そして自分で作るようになったら、
もう病みつきである。
ちなみにラーメンがあれば他に何もいらない私と違って、
一つ違いの兄は絶対ご飯がなければおさまらないタイプだった。
農家だからコメだけは自家製でたっぷりあった。
確かに美味い米だったが、
兄はおかずがなくても丼に山盛りによそって食べていた。
唯一のおかずがわりが塩。
振りかけてバクバク!
マヨネーズが手に入るようになると、
クネクネプチュッと、マヨネーズ丼と化した。
丼飯の兄と、具なしラーメンをすすっていた私。
兄弟でかくも嗜好が違っていたんだ。
母親も毎日のご飯づくり、大変だっただろうと思ったが、
わが母にさほどこだわりはなかったらしい。
とにかく好きなものを
たらふく食べてくれれば安心といった、
そんな時代の母親だったのだ。(笑)
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