こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

源ちゃん甲斐犬親族会に参加する

2023年06月20日 02時05分52秒 | 日記
草刈りに追われっぱなしのここ数日。
そんな合間をぬって、
源ちゃんの親族が一堂に集う会に足を伸ばした。
数日前に下見した三田市の小野公園が会場。
京阪神や岡山から終結した甲斐犬は十数匹。
見事な虎毛を誇る(甲斐虎)ものもいれば、
大型犬に近い見事な体形のものも。
ちなみに我が家の源ちゃんは、
12キロちょっとと、
兄弟の中で一番小さい。
子犬を選ぶときに、
6匹の兄弟の中で、
押し出されてご飯にありつけないでいた、
黒い子犬を選んでしまったのは、
人見知りがひどかった子供時代を送った、
わが半生のなせる業だったかも。(苦笑)
甲斐犬が十数匹の交流シーンに、
愛犬と一緒に散歩に来られた人が、
「なんの集まりですか?」
と目を丸くされていたのが印象的だった。
なぜか兄弟の一匹と仲良くふれ合う姿に、
(わかるんだ、兄弟が)と感心させられた。
源ちゃんいつも以上にテンションが上がりっぱなしの一日で、
帰宅すると即座に小屋の中へ。(疲れたんだろう)
暑い日でもあったので、
暑さに弱い甲斐犬源ちゃんの疲れは、
想像以上のものがあるのだろうか。
夜中に新聞配達の人が来ても、
いつもの反応を少しも見せなかったのは当然のことだった。(ウン)
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きりない田舎暮らし

2023年06月19日 02時05分57秒 | 日記
とにかく暑い!
といって畑仕事は待ってくれない。
黒豆の苗が育ち過ぎ掛かっているので、
急いで畝づくりにミニ耕運機を用意。
少し前の雨続きで、
土壌は水を含んだので、
しばらく手を付けずに、
炎天下に委ねていたのだ。
なんとかかんとか耕せたものの、
蒸し暑さで汗まみれ。
黒豆の苗植え付けは明日に回すことにした。
作業がおわると、
ブルーシートを広げてゴロ~ン!
両手両足を突き出し、
まさに大の字状態で寝転がると、
体中の力を抜いて息抜きを試みた。
草刈りも予定していたが、
無理せず予定を未定に置き換えた。
ちょうど使い古しの風呂が運ばれて来た。
近くに住む大工さんの好意で手に入ったのである。
盛夏の渇水を考慮して探していたブツ。
設置は涼しくなった時を見計らってからだ。
農小屋まで運んだ。
屋根から樋で雨水をためようと思っている。

さあ、今日の畑仕事はこのぐらいと潔く片付けて帰宅。
シャワーでも浴びて一休みのつもりが、
そうは問屋が卸さない。
家の周囲と庭の草刈りが待っていた。

終わりのない田舎暮らしも、もう慣れっこである。(ウン)
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収穫、そして家族の笑顔

2023年06月18日 07時09分20秒 | 日記
きのうは「モルック体験会会2回目。
暑さも気にしないロフト広場での試み。
強い日差しは避けられたが、
それでも蒸し暑い。
すこし慣れたゲームプレーは、
滞りなくゲームオーバー。

午後は孫を引き連れた長女が来訪。
恒例の「父の日」
プレゼントの「夏ルック」を、
孫ふたりからの手渡しシーンの展開。
「父の日」ならず「じいちゃんの日」だ。(笑)
町暮らしの長女にと、
きのう朝収穫のズッキーニ、ニンジン、ニンニク、フキ、
数日前に収穫保存中の玉葱、ジャガイモも加えてお返しである。
最近孫らも野菜料理をうまいというようになったと聞いて、
生産者(?)としては嬉しい限り。
もちろん、親としてじいちゃんとしてどや顔になるのは避けられない。(大笑)
野菜は育てるだけでなく、
収穫と消費が大切なのである。
丁寧に扱ってくれる長女がありがたいと思う。


『匂い?香り?』

また娘は鼻をクンクンやっている。食べる前の行事化しているのに気づいたのは少し前。
「なにか匂うか?」「別に。気にしないで」
 これという意図はないらしい。ただの癖と言っていいのかわからないが、料理を作った側の気分はよろしくない。
「気になるなら、はっきり言え」
 少し口調がきつくなった。
「ごめんね。ただ食べ物は、見た目と香りで決まるわ。お父さんの料理はすべて合格だよ。隠し味だって嗅ぎ分けられるんだから」
 ほっとした。定年退職するまで調理師。料理には自信とプライドがある。それをクンクンやられては憤慨して当然。相手が娘では爆発するのを抑えるしかなく、かなりストレスをためていたのは確か。その鬱積した気持ちを一変させてくれた「お父さんの料理はすべて合格」という最大の誉め言葉。
 洋食が専門だったせいで、家庭の料理番になった初期は、日々の献立に四苦八苦。毎日洋食では家族もうんざりする。当の料理番が洋食に不向きな高齢者の仲間入りをしている。
「みんな何が食いたい?」
 思い余って家族に尋ねた。
「家庭料理でしょ。日本人だもん」
 意外に一番若い娘のリクエストは家庭料理。中でも味噌汁は毎日食べたいという。飲むではなく食べる。具沢山の味噌汁をご所望だ。
「煮っころがしとか焼き魚なんかがいい」
 妻は当然のごとく家庭料理派。
「台所から漂ってくる味噌汁の匂い、最高!」
「サンマや塩サバを焼く匂いも、食欲をそそってくれるよ」
 似たもの母娘。もっと言えば洋食より和食がいい私を含めた似たもの家族なのである。
 初心に戻り、ネット頼りで家庭料理レシピを始めた。朝の台所から届く「コトコト」に味噌汁の匂い。朝餉の香りが家の中を満たす。
「幸せだな~最高だよ!」
 娘のクンクンは家庭料理番への賞賛なのだ。
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泳げない?泳がない?

2023年06月17日 02時47分40秒 | 日記
朝からかなりの蒸し暑さ。
ロフト広場でのラジオ体操、モルックも、
暑さを横目に、
それぞれのマイペースでやり終えた。
今日は「父の日」恒例、長女の来訪がある。
孫もやって来るが、
ビニールプールの用意をしてやるかなんて考えている。
暑くても孫らは「キャッキャッ」と水と戯れてくれる。
孫たちはスイミングにかよっているらしい。
父親が高校時代水泳部でバリバリやっていたとかで、
孫もかなり泳げるらしい。
そうなると夏が待ち遠しいらしい。(海が呼んでいるとか。笑)
全く泳げない私にはまず理解できない。
いかに泳ぐ機会から逃れたいと頭を巡らした夏の日々を思い出す。
それでも孫たちのために、
ビニールプールの用意は進んでやるしかない。

しかし、暑い~~!

少し前に書いた原稿に孫とじいちゃんのプール模様をアップ。

『プール遊び』
朝からかなり気温は高い。酷暑続きだから覚悟していても、今日は孫がやってくる特別な日なのにと困惑している。
 三歳になる孫娘は、おしゃまな口を利くようになった。ただ最近は、おじいちゃんよりおばあちゃんがいいらしい。「なんで?」と落胆するが、邪険にされても、やはり孫娘はかわいい。初孫なのである。
「プール用意しておいてやってね。向こうは家が狭いから、なかなか遊べないんだって」
 娘の嫁ぎ先は街なか。だだっ広い田舎の家と違い玄関のたたきが庭代わりである。プールを広げれば身動きもままならない。
 暑いのを理由に怠け心を起こしてしまうところだが、孫のためと想えば自然と体は動く。ふくらませれば二メートル近くなるビニール製のプールは、やけに余分な飾りがついている。本体がいっぱいになれば、飾りの部分へ空気は送られる。空気量はかなりなものだ。
「スー、スー」
 吹き込み口を咥えて息を吐き出す。そう簡単にふくらみはしない。すぐしんどくなるのは、加齢が影響しているのは確かだ。
「だらしないわね、また休憩してる。あの子が来るまでには、プールになるのかしら?」
 皮肉めいた妻の言葉に反論する気力はない。
飾りの部分を空気が満たし、ヒョコッと起き上がると安堵して、緊張が解けた。バケツ十杯以上の水をすぐ溜めなければ、孫の来訪に間に合わない。引っ張りだしたホースは井戸水の蛇口につないだ。田舎ならではの豊富に湧く井戸水。花木の水やりに重宝しているが、プールにはもってこいだ。節約になる。
 水がいっぱいになると、確かにプールが生まれた。手を浸すと(冷たい!)井戸水が「どんなもんだい!」とプールに波紋を広げた。
 孫を連れた娘が顔を見せたのは昼過ぎ。プールに水を満たしてから三時間はきつい日差しにさらされている。(朝の涼しいときに来いよ)胸の内でブツブツいうおじいちゃん。
「わぁー!プールや。入る入る!」
 孫の嬌声はおじいちゃんのむっつり顔を綻ばせた。水面に触れると、心配していた水の沸騰はなかった。井戸水の入れ足しで心地よい水温になる。
「じいちゃんも入ったら、喜ぶよ」
「いや、年寄りの冷や水いうがな。それにしわくちゃ爺の行水って、絵にならんやろ」
 意味不明な理由で、あっさり断った。
 実は泳ぎが大の苦手。自慢するわけじゃないが、カナヅチどころかハンマー、トンカチの域なのだ。娘や息子が小さいとき海やプールへ「一緒に行こう」せがまれては「お父さん、海水パンツ持ってないの」これまた意味不明なる理由を、妻が代弁してくれた。
 孫のプール遊びを見守るおじいちゃんは日傘を差しっぱなしである。額に滲む汗は、暑さに『じいちゃんの沽券』が加わっている。プールから飛んでくる孫娘の視線に頷くのを忘れないおじいちゃんは、とても幸せだった。
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思い出にまたしても浸ってしまった

2023年06月15日 02時19分02秒 | 日記
多可町加美への醤油探しの帰り道、
道沿いに懐かしい場所が目に入った。
今は「道の駅山田錦発祥のまち・多可」となっている。
「まちの駅・たか」と「おむすびキッチン夢蔵」の、
二つの施設は、
平日だというのに、えらく賑わっている。
しかも若い人が目立つ。
凄い変わりようだが、
杉原川にいたる、あでに広がるのは「オープンガーデン欅の森」は
20数年前の面影を色濃く残している。
紫陽花の花壇が見事だが、
あの頃末娘の興味は、
川で、虫や小動物を取ることだった。
目を離せない時間を送ったものだ。
夜勤明けで眠いはずが、
娘がはしゃぐ姿に、父親の役割を懸命に務めたのだ。
娘はもう20代半ば。
ついこの間結婚したばかり。
今年から播磨町の役場で仕事をしている。
もう父親の出番はなくなってしまった。(ホロッ)

あの頃は「ふるさと工房・夢蔵」だけで、
平日は人影があまりなかったのを覚えている。

思い出に浸る私をよそに、
妻は鹿肉料理をテークアウト、
「初めて食べる鹿肉だ~!」ってやっていた。(笑)
ちなみに私は名物の巻きずしを頂いた。
どうもシカやイノシシは食べる気にならない。
猪など私の生まれ育ったムラでは、
ムラの誰かがが食べたら、
ムラに禍が起きると言い伝えがある。
とにかくジビエは二の足を踏む私である。
日々畑を荒らすイノシシやシカの対策を考えるのが先だった。(ウン)
そうそう、夕食はあっさりと、
生コンニャクの刺身、いやあ美味かったなあ。(ウン、ウン、ウン)
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醤油を求めてひとっとび

2023年06月13日 22時15分46秒 | 日記
梅雨のせいで、
畑から水が引かない状態なので、
畑仕事は諦めて、
多可町加美へ車を飛ばした。
運転は最近の定番でドライバーは妻。
木樽仕込み国産有機醤油で知られる、
醸造蔵前付設の直営店が目的である。
「あれ?この醤油もアミノ酸や保存料など、
いっぱい使ってるよ」
妻が呟いたのを耳にしたわたし。
すぐ頭に浮かんだのは「A醤油」
イオンで地元の醤油を買ってるときに、
通りかかったお客さんに、
「この醤油もよさそうだけど、
多可にもいい醤油があるのよ。
今日も大阪から買いに来たの」
品のいい女性が、
かけてくれた言葉を覚えていたのだ。
確かに人気のある醤油だ。
その後あちこちのスーパーで、
買い物中によく耳にしたからだった。
その醤油の情報を妻に伝えると、
すぐ確かめに行く気になったらしい。
そして、
直営店に並ぶしょゆの中に、
国産の大豆と小麦粉と塩だけが原材料と表示された、
天然醸造国産丸大豆100%の、
「国産丸大豆醤油」を見つけた妻は大喜びで買い求めた。
直営店に陳列された加工品の数々は、
こだわりの魅力たっぷりなものばかり。
愉しくて何品か購入してしまった。
帰りは、
道の駅「山田錦発祥のまち・多可」に立ち寄るのだった。
併設の多可オープンガーデンは、
あの当時素朴な自然の庭だった。
20年ほど前に幼子だった末娘との、
育児で父親と娘の二人きりで、
遊びに何度も訪れた、
よき思い出がいっぱいの場所に立ち寄るのは、
感慨溢れるものとなった……!

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ほ、ほ、ほ~たるこい~~♪

2023年06月12日 03時44分59秒 | 日記
雨が上がったのをチャンスと、
農業大学へ向かった。
有機栽培を学ぶ妻は、
公民館の講座と並行して、
農大で行われている、
県民のための特別講習を受講している。
その実習田に様子見である。
数日前には玉丘古墳の入り口傍にある、
公民館の方の実習田に足を向けていた。
勿論、私はただの同行者、
実習田で割り当てられた畝には、
夏野菜の苗が育っている。
雑草の始末と野菜苗の生育ぶりを
確認する妻は、
町育ちの農業初心者だが、
すっかり農業女子(?)然としている。
農家に生まれそだったわたしの感心が、
感動に変わるのも、
もうすぐかもしれない。

わが家の畑では、
収穫が続いている。
まだ有機農法が行き届かぬ圃場だけに、
化学肥料などたっぷりと与えている周辺の畑の、
収穫物とは比較するのもおこがましい出来だが、
それなりのものが収穫できたので嬉しい限りだ。
イチゴ、玉葱の後は、
キャベツ、ブロッコリー、ニンニク、
そしてジャガイモと続く。
ジャガイモは立派なもので、
周辺の畑で収穫されるものと遜色はない。
仕込んだぼかし肥料は、
徐々に効果を発揮しかかってきたように思う。

夜、玄関に出ると蛍が飛んだ。
そしてドアにくっ付いた。
すこし疲れたのだろう、光も消してしまった。
ゆっくり休んで、
また舞い上がればいいじゃないのと、
願いながら見やるわたしだった
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恩師

2023年06月12日 00時55分23秒 | 日記
深夜近電話のベルが鳴った。
思わず体が動きそうになる。
すぐ身を起こすのをやめた。
最近黒電話にかかってくるものはロクなものじゃない。
無視するようにしている。
ただ気が緩んでいるときは、
反射的に動いてしまう。
少し前までは必ず電話に出ていた。
当時は恩師がよくかけてきて下さっていた。
決まった時間ではなく早い遅いはなかった。
私の人生には欠かせない恩師の電話である。
時には間違いや迷惑電話なんてこともあったが、
恩師の電話だったらと、
必ずでてしまうという、
もはや習性になってしまっていた。
当時の先生はかなりのご高齢だったが、
わたしには昔と変わらぬイメージのままだった。
コロナが騒がしくなったころから先生の電話はぴたりと止まった。
90半ばの先生を心配して、
こちらから電話をしてみたが、
全くつながらなかった。
ひとり暮らしの先生の現状を教えてくれたのは、
古い友人だった。
高齢者施設に入られたという悲しい事情だった。
コロナで面会も叶わぬまま、
先生は逝去されたのである。
以来、電話に出るのを控えるようにするが、
いきなりの電話のベルには、
(先生!)と反応してしまうのだ。

その先生との最後の交流になった日々を記録した、
原稿がでてきた。
先生の面影を頭に浮かべながら読んでしまったのだ。


『恩師』

真夜中の電話。すぐ鳴り止む。もう一度鳴れば、迷わず受話器を取る。続けて二度呼び出しがあれば、迷惑電話ではない。
「もしもし、齋藤くん?」
 やっぱり先生だった。もう九十なのに、声は相変わらず若い。
「見たよ。頑張ってるじゃないの」
 新聞の投稿欄に私の名前があったらしい。高齢のいまも、毎日複数の新聞に目を通される先生。出会ったのは半世紀以上前。   
当時は小学校の先生。別に小学校で教えられたわけではない。社会人になってから遭遇した恩師である。
 高校を卒業後、就職した書店のお客さんだった先生。酷い人見知りだったが、店頭で働いていると、嫌でもお客さんと話をする。
「この本、読んでごらんよ。面白いから」
 先生がいきなり薦めた本は、井上ひさしの戯曲。小説やエッセーとは異質な戯曲、セリフで構成されていて、どうも読む気にならない。台詞ばかりはウンザリだが、働いていた書店のお得意さんの薦めである。ページを繰り一気に読んだ。どうしたことか、面白い!
「きみ、芝居をやってみないか?」
 戯曲に感動した直後で、頷いてしまった。
以来、先生主宰のアマチュア劇団で芝居作りに没頭。人見知りする性格なのに、よほど性が合ったのか、のめり込む一方だった。
「どこでもできるのが芝居。もう君の生きがいなのに。続けなかったたら絶対後悔するぞ」
 書店を辞め再就職で他市へ移る時、激励つきの念押しで送り出してくれた先生。
 先生の激励は効果があり、芝居作りを仕事と両立させ続けた。結局アマチュア劇団を旗揚げするほど、私の人生そのものになった。
「すごい、凄い!君の頑張りは花開いたな」
 旗揚げ公演に顔を見せた先生は我が事のように喜んだ。旗揚げに書いた初戯曲の上演、出来がいいはずはない。それでも満面笑みで褒めちぎる先生。褒められると嬉しい。調子に乗り、芝居作りに邁進した。
「君の戯曲、優しさがいっぱいだ。登場人物がいきいきと人間愛を訴えかけている。優しい君の性格だから、描けるんだ」
 先生の誉め言葉は私の人生最大の糧となる。 
芝居が生きがいになると、仕事もやりがいが生まれた。それでも永遠には続かない。四十年近いアマチュア劇団の活動に終止符を打つ時、先生はやはり笑顔で見送ってくれた。
「先生、昔と少しも変わってないなあ」
「そう見える?有難う。といっても声ぐらいじゃ、申し訳ないけどね」
 聞けば、三か月前にデンマークまで一人旅されたという先生。電話口で口あんぐり。
「君の活躍に負けてられないからね」
 予想もしない言葉だった。
「頑張る君と張り合うことが、今の僕には最高の幸せだよ」
恩師、いま私は迷うことなく言い切る。先生との一期一会、まだまだ続いていく。

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戦争を平和を考えたあの日

2023年06月11日 00時51分55秒 | 日記
ウクライナの反転攻勢が始まったとのニュース。
戦争に終わりの気配は全くない。
所詮傍観者でしかない私の無力感といったらどうだ。
20数年前に、
平和メッセージ公募で選ばれ、
招待された筑前で、大刀洗平和記念館に立ち寄った。
戦争と平和の何たるかを突き付けられた資料の数々。
それでも他人事にしか見ていなかった、
平和ボケのひとりなのを思い知らされたものだ。
その当時の原稿である。

『平和と戦争』
 ふる里加西市に保存された戦争遺跡がある。生まれ育ち今も生活の場であるふる里に暮らして六十六年。その存在を全く知らずにいた。     だだっ広い鶉野飛行場跡は、明石の免許試験所へ自動車免許を飛び入り受験のため、みんなの練習場だった。 
そんな身近に接していたその広場が、あの戦争中、戦闘機紫電や紫電改のテスト飛行に使われていたことを知る由もなかった。
まして、その紫電改が練習飛行中に鉄道事故を誘引し何人もの死傷者が出た負の歴史など知る筈がない。当時軍部も事故を隠していたとか。戦争にまつわる暗雲は田舎も例外なく覆っていたのだ。
 昨年、地元の高校PTAによる『ふるさと講座』の一環に『鶉野飛行場戦争遺跡めぐりウォーキング』が企画された。当時ウォーキングにはまっていたせいで、戦争遺跡めぐりを意識は皆無することなく参加した。
ところがただのウォーキングではなかった。歩いたコースは鶉野飛行場の周囲に点在する防空壕、弾薬置き場、地下指揮所、対空砲銃座…と戦争の歴史を如実に見せつける遺跡群だった。目の前にすると、今も漂う迫りくる重圧感に驚かされた。
「みなさんは、この鶉野飛行場から九州の鹿屋特攻基地を経て戦地へ赴き二度と戻ることはなかった特攻機の若き飛行機乗りが、何人もいたことをご存じだったでしょうか?」
 スタッフの問いかけに、参加者の誰もが無言だった。特攻という言葉自体ピンと来ない。最近映画やドラマでお目にかかった絵空事でしか捉えていなかった。
それが、こんな平和でのんびりした田園都市の一角に存在する飛行場から多くの若者たちが命を的にした戦果を求めて飛び立ったのだと言う。ショックだった。
 特攻機を操縦した若い飛行兵たちが書き遺した遺書は地下指揮所跡の煉瓦壁に貼られてあった。父母や妻子ども、兄弟姉妹、友人恋人にあてた別れの手紙。十代から三十代前半の飛行兵たちの悲壮な決意と、肉親への尽きない愛情が吐露されている。国のために死を余儀なくされた彼らの心情はいかばかりだったのだろうか。とても推し量れない。戦争はいつも不条理極まる犠牲を強いるのが当然なのだ。
 私の叔父もビルマ戦線で戦死した。盆に墓参するたび、その無念さを垣間見る。墓地の入り口に並んで建立されだ、名誉(?)の戦死者を偲ぶ慰霊墓碑の中に、叔父の墓碑銘もある。立派な石柱に刻み込まれた叔父の名前と戦死した戦地名、戦死の日時、年齢が…二十三歳…いくらなんでも若過ぎる。
いつもお参りしながら、叔父の無念さに胸を熱くする。生きていればなにかを成し遂げられたはずである。その無限の可能性は有無をいわさず奪われた。理不尽極まる戦争に腹が立って仕方がない。
手を合わせながら叔父に訊いてみる。(将来何をしたかったの?誰か好きな女の人いたの?)でも、墓碑に眠る叔父は何も答えてくれない。
 特攻隊飛行士たちの遺書に釘付けになりながら、ハッと気づいた。彼らは叔父以上に無念だったに違いない。生きる意志を捨てさせられ、敵を道連れにして死ぬことを命令された片道飛行だったのだ。
生を微塵も考えてはならない、ただただ死ぬことを目的にした飛行命令の冷酷無比、それが戦争の正体である。叔父以上の過酷な懊悩のうの中運命を避ける道は閉ざされ行くしかなかった悲惨さ。それが戦争なのだ。
 平和な現代に生きる私たちは、ともすれば戦火に散った多くの犠牲者たちの無念さを忘れている。あの戦争悲劇の上に生かされていることを忘れてしまっては、次の世代に平和をつなぐ役割を担えない。
 先般、国会で安保法案が通過した。野党は『
戦争法案』と主張する。ともあれ決まるまでの過程に納得できかねるものはあるが、決まった今は、その運用を注意深く見守る必要がある。
危険な方向に国が舵を取らぬように、みんなの平和意識を確固たるものにしなければならない。それが平和を感受する私たちに課せられた役目なのだ。
 鶉野飛行場滑走路跡沿いに設けられた平和祈念の碑苑を前に頭を垂れながら、思うことはひとつ。先人の間違いを二度と繰り返さない。平和は傍観者が手にすることは絶対ない。微力でもひとりひとりが平和への道筋を迷うことなく突き進むことで必須なのだ。
 歩いて巡った『ふる里加西の戦争遺跡』は、私に戦争の愚かしさと冷酷さとを再確認させてくれた。それは平和を考える最高の動機となってくれたのである。誰もが戦争と平和を直視するに違いない戦争遺跡の保存と公開は、遺跡をもつわが故郷の責務だと確信する。


 
 
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娘のこと

2023年06月11日 00時40分46秒 | 日記
今夕長女が孫を連れて来訪する。
父の日のプレゼントを持ってきてくれるらしい。
少し前にlineで「なにかほしいものある?」って訊いてくれた。
介護福祉士の彼女、根っからの優しさを持ち続けている。
赤ん坊の頃に病気で少し長く入院した体験もあり、
優しさはその体験から生まれたものなのかも知れない。
4人いる子供の中で、
彼女だけが、
親の誕生日や父・母の日を忘れずに必ず祝ってくれる。
もう何も欲しいものが浮かばないシニアの私だが、
プレゼントが嬉しくないはずはない。
ただ表に出して娘に感謝の言葉を返すのは面映ゆい性格。
「素直じゃないんだから」
妻の皮肉に何も言い返せない。(笑)
その愛する娘が数年前に受けた大手術。
もう心配でおろおろしっぱなしだったあの日のことは忘れない。

当時書き残した原稿をアップします。

『娘の危機に際し」』

「手術するのよ、あの子。全身麻酔だって…」
 夫に報告する声は不思議に冷静だった。
 昨年結婚した長女、この春、第一子を出産したばかりの娘が、手術すると決めた!
「そんなに悪かったのか、あいつは……」
 ショックを受けて狼狽える夫。無理もない。初孫をプレゼントしてくれた、最愛の孝行娘が、内視鏡手術を受ける。全身麻酔なのだ。
 初孫を連れて里帰りした娘が急に腹痛を訴え病院へ走った。胆のうに石が悪さをしたらしい。ずっと前から我慢していたせいで、胆のう炎寸前に悪化していた。
「できれば手術をお勧めします」
 医師は暗に手術しろと求めた。
「おかあさん。した方がいいよね?」
「そうね。あなたには大切な旦那さんと赤ちゃんがいるんだもんね。元気にならなくちゃ」
 娘は頷いた。決心したのが分かった。
 担当医師の説明を受ける娘に付き添った。
そこで、手術はさほど心配いらないが、全身麻酔が必要だと聞かされた。不安に襲われる。でも、本人はもっと怖いはず。そう思うと、自分の感情をころして娘を励ますだけだった。
「頑張るんだぞ。お父さんとお母さんは、ちゃんとここで待ってるから」「うん。赤ちゃん,、お願いね」
 わが子の心配をする娘は母親の顔になっていた。いつのまにか母親の強さを自分のものにしている。うん。これなら、絶対大丈夫!
「成功しました。これが切除部位と石です」
 医師が見せた石はずいぶん沢山あった。(手術してよかったんだ)それより娘が気になる。麻酔でまだ眠ったままである。
「大丈夫です。あとすこしで麻酔は覚めますので、病室に戻れます」と笑顔の先生。
 緊張しきっていた体の力がスーッと抜けた。思わず振り返った。夫と目があう。ワナワナと口元が震え、顔はクシャクシャだった「よかったね」「ああーああー」「ヒャハハハ」笑いたくてもままならない夫の手を握った。
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