難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

今日は補聴器の日だ(2)

2006年06月06日 21時31分25秒 | 生活
補聴器の日だというので、新聞でそれらしき記事を探したが、載っていない。

同日の朝刊に掲載された某大手住宅メーカーの広告でECO&UD(ユニバーサル・デザイン)がうたわれている。しかし、「聞こえのUD」ではないようだ。プラズマテレビ、AVの操作性が向上するといってもリモコンでカーテンや証明が操作できるというもので、聞こえのバリアフリーには触れていない。

一方で、某大手家具メーカーが、家具のショールームに耳マークを掲示し、簡易筆談器も置きたい、難聴者にどう接したらよいか教えてほしいと、協会に相談に来るところもある。
ドキュメンタリー映画の「ヨコハマメリー」の監督に字幕を入れて欲しいと要望したら、前向きに考えてくれる返事が来たり、ある劇場の歌舞伎講座に字幕をつけて欲しいと依頼すると二つ返事で支配人から電話がある。
多分、ニーズは感じているのだが、対応のノウハウがないのかもしれない。ノウハウを普及するのは「聞こえの支援員(難聴者等支援員)」の役割の一つだ。

高齢者が2600万人を超える難聴化社会への対応は、「商機」ではないのだろうか。

ラビット 記



今日は補聴器の日だ

2006年06月06日 21時30分26秒 | 生活
今日6月6日は、補聴器の日だ。日本補聴器工業会が数字の「6」を二つ重ねて、耳の形を意匠化したものだ。
http://www.hochouki.com/camp/

しかし、一般社会では「補聴器の日」が定着したとは言えない。「補聴器の日」が補聴器販売店や補聴器メーカーが販売促進の日と思っているなら、普及しないだろう。
補聴器は、使用している難聴者にとっては、故障したり、見失ったりするとたちまち不安にかられるくらい、生活から一時も手放せないものである。一方で、なかなか補聴器で期待した効果が得られないとして、何度となく補聴器を買い換える難聴者も多い。
まだ、適切な価格の適切な補聴器に出会っていない難聴者は補聴器を使っている難聴者の何十倍もいるだろう。
補聴器販売店、補聴器メーカー業界は、補聴器の販売から一歩引いて、耳や聞こえの健康、社会の音環境の改善、難聴者の困難への理解、経済的生活が困難な高齢者への聞こえの支援など、社会貢献活動に全力を挙げるべきだ。
その中で、国民の聞こえに対する関心が高まり、難聴者と補聴器に対する理解が進み、ひいては補聴器の普及につながる。

補聴器は、医療器具であり、医師の診断や適切な専門家による調整(フィッティング)が必要なことが社会に理解されているとは思えない。業界は、店に閉じこもらず街頭に出て、もっと社会に訴えるべきだ。

http://shibuya.cool.ne.jp/tyothpa/market1.htm

ラビット 記