難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

全難聴の制度改革への貢献。

2013年01月24日 08時24分45秒 | 健康と食事
障害者総合支援法の施行とともにコミュニケーション支援事業が意志疎通支援事業となって、実施される。
厚生労働省の資料では、要約筆記者派遣事業も養成事業も手話通訳と同じ聴覚障害者に対する専門性の高い意志疎通支援の事業、通訳事業として扱われている。

こうなるためには、2004年からの要約筆記通訳者制度への展望に始まる取り組みが始められ、要約筆記が通訳としての内容を確立させてきたからだ。

全難聴は地域福祉の足がかりを持たない協会が多かったことから情報バリアフリーの活動に相当力を入れ、特にテレビの字幕放送拡充運動は毎年字幕放送シンポジウムが開催され、国会請願書名運動は1997年の放送法の改正につながるなど大きな貢献をしてきた。

電話リレーサービスも1990年からその必要性を訴えてきた。昨年12月17日の障害者政策委員会の新障害者基本計画の意見書に、電話リレーサービスの実施を検討することが初めて書き込まれた。

情報通信アクセス協議会では情報通信機器のJIS化に取
り組んできたが全難聴は大きな電話リレーサービスの規格化を長年主張してきた。このことから日本の提案したガイド77が国際通信連合規格ITU-Tになった際に電話リレーサービスの規格が加えられた。

ラビット 記

宮城県女川の障害者施設 TOMO市メルマガより

2013年01月24日 08時18分59秒 | 健康と食事
 本日(1/20)、東北地方のブロック紙、「河北新報」に以下のような記事が掲載されました。
「障害者働く場、念願の再建 被災地女川町のNPO、4月にも」 ⇒ http://www.kahoku.co.jp/news/2013/01/20130123t13033.htm

 “きらら女川(おながわ)”は、2010年12月にできた、女川町(宮城県)で初の障害のある人のための就労支援事業所でした。きょうされんの加盟事業所です。

 開所後、4人だった利用者が、またたくまに11人になり、広い建物を探し始めました。
 まもなく、海外沿いにとても条件の良い物件が見つかりました。引越しすることが本決まりになって、その準備を重ね、決まった「新しい施設への引越しの日」が、あの2011年3月11日でした。
 これから活動を始めようとした新しい建物は、土台を残してすべて津波にながされ、避難後に自宅に戻るなどした2名の利用者も亡くしてしまいました。

 当時の話は、昨年きょうされんが発行した書籍「共同作業所のむこうに」のプロローグに、所長の松原さんの手記として収録をさせてもらっています。
 ⇒ http://www.tomoichiba.jp/s_tomobook_1852.html

 一旦、きらら女川は、鳥取県の伯耆(ほうき)町に活動拠点を移し、障害のある人たちの働く場として活動を続けました。そこでの仕事は、「かりんとう」づくり。
 宮城県の女川でも再建もあきらませんでした。昨年の5月に、高台の土地をみつけ、そしてこの4月に、施設を再開する目途が見えてきました。
 きょうされんも、きらら女川の再開資金として、全国規模での募金を訴えています。
 ⇒ http://www.kyosaren.com/eastJapan/
  
 被災地の作業所を応援するTOMO市の被災地ショップが展開する「東北物産展」でも、2月に、現在鳥取でつくっている、きらら女川の「かりんとう」が商品ラインナップに加わる予定です。
 またその情報も、このTOMO市メルマガにてみなさんにお知らせしたいと思います!
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ラビット