老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

66;老母親の想い、子の想い

2017-05-03 10:53:06 | 老いの光影
南陸奥 綿毛のたんぽぽ 
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齢(よわい)を重ねるにつれ、
物忘れや家事の一つひとつを最後まで成し遂げることが怪しくなってきた土田光代さん(仮名86歳)は、
息子との二人暮らし。
長男の不二雄さんは、
新幹線が停車するK市駅の近くにあるデパートに勤めているため、
日中は一人 家で過ごす。
数年前から認知症が進み、
息子宛てに電話がかかり、息子が家に居ても、「家には居ない」と受話器を手にしながら話している。
紳士服売場での仕事は時間通りに終えることができなく、
家路に着くのは21時を過ぎてしまうことも多い。

家のなかは静寂であり、老いた母親はもう寝床で眠りについていた。
キッチンに行き電気釜の蓋(ふた)を開けてみると、
手つかずのご飯が残されており、
夕食を食べていないことがわかる。
「長男がお腹を空かし、そろそろ帰って来るだろう」からと、
光代さんは台所に立ち肉や人参、ジャガ芋を鍋に入れガスコンロにかけ火をつける。
思いとは裏腹に、鍋は真っ黒に焦げ、
その鍋はキッチン下の収納庫に置かれてあった。
その後も、味噌汁を温めようとして、
鍋を焦がすことがときどきあり、
家が燃えてはいないかと心配しながら仕事している・・・・。

また浴槽の湯はりのため、湯を出しっぱなしにするが、
「お湯をだしていること」を忘れてしまい、
浴槽から溢れ、流れ出していることが週に1、2回ほどあったりした。

昨年までは便所での用足しを出来ていたのだが、
それも今年に入り便所での「用足しかた」を忘れるようになった。
パンツ型紙おむつと尿とりパットを着けるようになったが、
濡れたパットを枕下や敷布団の下に、
紙おむつは箪笥のなかに隠したりし、
それを注意すると「私ではない」と哀しい声を上げて泣くこともあった。

同居している息子、娘や息子夫婦、娘夫婦たちは、
認知症を患っている親に対し、
「何もせずに“じっと”座って居て欲しい」と懇願する。
何もしないで居てくれることの方が子ども夫婦にしてみれば「助かる」のだが・・・・。
子どもから世話を受けるような身になっても、
老いた母親は「わが子を心配」し、
煮物や味噌汁を作ったり温めたり、
浴槽の湯をはったりするのである。
物忘れなど惚けていても「家族の役に立ちたい(誰かの役に立ちたい)」という気持ちを持っている
しかし、ガスコンロに鍋をかけたことや
浴槽にお湯を出していることを忘れてしまい、
反対に息子や息子嫁などに手を煩わせてしまう結果に陥ってしまう。

認知症の特徴の一つは、
鍋をかけたことや浴槽にお湯を張っていたことを忘れただけでなく、
忘れてしまった、そのことさえも忘れてしまうのである
「出来ていた」ことが「出来なくなった」り、
ひどい物忘れにより生活に支障がでることで、
親子関係や家族関係のなかに葛藤や軋轢が生じてくる。
認知症になってしまった母に対し上手く対応できるのは難しく、
問い詰めたり怒ったりしてしまいがちである。
これが「他人の関係」ならば案外上手くいくけれども、
それはいくら「他人の関係」であっても、
認知症を抱えた人は、「命令」や「指示」、「怒ったり」するような介護者には寄りつかなくなり
その人から離れて行ってしまい、
「家に帰る」と言って落ち着かなくなることさえある。

訪問介護サービスのひとつのなかに「生活援助」がある。
同居家族が居ても、
その家にヘルパーが来て、
認知症のお年寄りと一緒になって
調理や掃除、洗濯などの家事を行うサービスがあってもよいのではないか。
また民家を活用した10名定員の桜デイサービスセンターは、
利用者と一緒になって昼食の準備や後片付けを行っている。
認知症があるために、
調理の手順や仕方を忘れてしまい「出来なくなった」けれども、
ヘルパーや介護スタッフが傍に居て手助けしてくれることで、また一緒に行うことで、
「出来ない」ことも「出来る」ようになり、
そのことによって認知症状が穏やかになり心までが落ち着いてくる。

65;蹴らないでくれ

2017-05-03 03:01:23 | 文学からみた介護
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食道癌の手術前後 病床で書いた高見順の詩「小石」 
蹴らないでくれ
眠らせてほしい 
もうここで 
眠らせてくれ


私たちは道端にある小石を
何気なく足蹴りをすることがある
そんな小石にも
生命があることさえ忘れている

石と言えば 
「景石」という言葉がある
景石は庭園美を構成する重要な材料であり
景石は 捨て石とも言われ 
主役的な庭石を引き立てるためには置かれる
捨て石は 無造作に何気なく置いてあるように見せて
実は急所を押さえた場所に据える石のことである

石を更に砕くと砂になる
星砂は 
文字通り星の形をした砂のことで
南海に浮かぶ小さな竹富島に
「星砂の浜」がある
小さいビンに詰まった星砂が
キーホルダーになってお土産として売られている
幸せを運んでくる星砂

64;目に見えない痛み

2017-05-02 16:26:00 | 春夏秋冬
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桜デイサービスセンター庭風景2
花の名前は何だろう?
花に疎い自分・・・


先月の19日退院後
入院による下肢筋力の低下なのか
退院後無理に いつもと同じ距離を散歩したためか
両足の足首から膝までが怠く
両足のアキレスケンが痛い
人間体のどこかに痛みがあると
気が失せてしまい
やる気がなくなる
仕事は休む訳にはいかない
他人様には関係ないことで
だったら仕事辞めれば・・・
と 妻から言われてしまう

歩くのが億劫な自分に
嫌気をさす
痛みは目に見えないだけに
他人の痛みを思い遣ること
痛みにもいろいろある
体の痛みは我慢できる
我慢しきれない体の痛みもある

心の痛みは
もっと難しい



 

63;“おまけ” 、 “付録”

2017-05-02 05:38:37 | 老いびとの聲
桜デイサービスセンター庭風景の一部

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誰でも買い物をしたとき 
“これ、おまけに付けておくよ!”
と言われると何か得したような気分になる
一粒口に入れると300メートルが早く走れる 
というグリコのキャラメルにも“おまけ”が付いている
現代の子どもはシールよりも
ゲーム機器の方に手がいってしまうが 
昭和30年代の子どもたちは
キャラメルのおまけに付いていたシールやワッペンに熱中したものだった
最近若い女性向けの雑誌にも
“豪華な付録”が付いている
本誌よりも付録を買うといった女性もなかにはいるとか
ちょっとおまけや付録の話が長すぎてしまった感があるが

子ども心に まだあの世に逝っていない大人から
「人間死んだら☆彡(星)になるんだよ」と
本当にそうだったら素敵な話である
死んだら星となって輝き 
天から大切な人を見守り続けることができたらどんなによいか
「星の王子様」は 大切なものを失ってはじめてわかる
あなたにとって“いちばん大切なものはなんですか

ある老人が陶芸の窯で骨を焼いたら何色になるのかな 
という言葉を聴いたとき
ドッキとしたことをいまでも覚えている
火葬場で焼いた骨は 
白い煙となって 
青空に向かって消えて逝く
大切な人は 
この世にはもういない
その寂しさは 
心では推し量ることができない

だから大切な人は星となって光り輝きながら 
家族や大切な人を見守ってくれている
夜空に輝く星の天空の向こう側は 
遥かなる宇宙であり 
それは限りなく無辺の世界にある
宇宙には無数無名の星が無量ほどあり 
そのなかにある”地球“という惑星(ほし)のなかに
70億余りの人間が棲んでいるが
わたしという人間は独りしかいない
宇宙からみたら
私は ・ (点)のような存在ではあるが 
星のように光り輝く存在
自信をなくしたときや悲しいときは 
星を見上げる

星から 何故だか”蝉“のことを想い出してしまった
蝉の地上生活は僅か7日間しかない
それ故蝉の生活は儚い と云われるが
真夏にミ~ンミ~ンと鳴く蝉の声は 
いまここに蝉は生きていると

宇宙からみたら人間の生命の時間は
本当に儚いけれど
人間の内なる世界は
宇宙のように無量無辺であり 
内なる可能性を秘めている
老人に在っても同じである 
 

61;長生きはしたくないけど、死にたくはない・・・

2017-05-01 02:34:58 | 老いの光影
磐越自動車道 車窓から磐梯山を眺める

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ひとつ年上の夫は脳梗塞を患い13年余が経ち、
現在はねたきり状態にあります。
夫は病気のせいで話をすることが困難になってきました。
夫は眼が開いているときは、
部屋の窓から遠くに映る景色を
眺め見入っているような感じさえします。
夜中、時には夜明けに
紙おむつを取り換えることさえあります。
紙おむつは大変便利なもので、
洗濯をしなくても済みます。
クルクルと丸め新聞紙に包み、
燃えるゴミとして捨てることができます。

昔は、布おむつでした。
掛け蒲団などの布を鋏(はさみ)で切り、
布おむつ(おしめ)を作りました。
夫の母親も10年間ねたきり生活を過ごされました。
糞尿が付いた布おむつを竹かごに入れ、
冷たい川の水で洗い、
それを干し何度も何度も使いました。
その当時は脱水の機能が付いていない洗濯機が
売られていました。
布おむつを洗うことはできず 
手洗いは本当に大変で、
冬はいつも“あかぎれ”でした。
布おむつは、お金はかかりませんでしたが、
紙おむつは(便利であるけれども)
“ただ”では使用できずお金がかかります。

夫は、無言で寝ています、
おむつを取り換える方も(この年齢になっては)大変ですが、
おむつをされる方も大変です。
夫の介護をしていて、
「長生きはしたくないけど、死にたくはない・・・」と思ってしまいます

~83歳になる妻の呟き~