老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

81;生きていることを感ずる

2017-05-08 15:24:06 | 老いびとの聲
今回も妄想の話
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一人息子beagle元気と散歩しているとき
ふと思うことがある
いま自分はこうして生きている
でもいつかは「死ぬ」(この世からいなくなる)
いまは こうして
目に映る風景を見たり
世の中の音や鳥の囀りも聞こえる
風の匂いもする
いま自分は こうして自然を感じているのは
脳細胞の働きによるもの

路端に育つ花木草
雲の流れや夕焼け朝焼けの空までが
気になり
自然の美しい情景に魅惑され
生きていることを感ずる

中学や高校のときの
教科書に掲載されていた
小説や詩を読んでも
感ずるものが希薄であった。
(勉強怠けていたな~)
人生の晩年に入り
改めて当時「習った」小説や詩を手にすると
感慨深いものがある
生きることや生命の大切さを
いまになって行間から感じ取れる

beagle元気と一緒の散歩を楽しむ
散歩は何物にも束縛されない
思索の時間
花木草とbeagle元気を慈しみ
いまここに生きる


 


80;食べることの意味(1)

2017-05-08 01:27:36 | 老いの光影
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いまも病床で闘っている和賀健治(2017/04/27 ブログ)さんから
口から食べることの意味を
突きつけられている。
90歳を超えた彼
口から食べれなくなり
鼻や胃に管を通されるようなことは拒否したい と話されていた。

脳幹梗塞に遭遇しながらも
健治さんは嚥下訓練や「口から食べる」訓練を選択した。
言葉は聞こえ理解することはできる
話すことはできず 目も見えていない
医師や言語療法士からは 
口から食べることは
ハイリスクがあり
その訓練は極めて難しいが
本人の希望に沿い 行うことになった。

同居している三女は悩む
厳しくハイリスクがあっても
父親が望むことを認めていくのか

私がいまの健治さんの立場だとしたとき
口から食べることが望めないのであれば
「自然死」を選択したい・・・・
自然界の生き物と同じように
昔は経管栄養による延命はなく
口から食べれなくなれば
そのまま老衰による自然死であった。


私は いま64歳(初公開)
いま口から食べることが機能的にも困難であると
医師から宣告され
鼻腔栄養、胃瘻による流動食摂取でないと
生命は維持できない。
口からもう食べることができない となったとき
これほど悲しく切なく 遣る瀬無い 
味うことのできない人生なんて考えられない。
それほど人間にとって 他の動物にとっても
口から食べることの持つ意味は大きい。
口から食べれなくなる
それは 味わい楽しむことができないし、
生に対する意欲さえも失っていく
と 書いてしまうと
実際に鼻腔や胃瘻で生きている人に対する侮辱である
と非難を浴びてしまう。

老人介護の実際の場面から
「口から食べる」ことの意味を
見つめ直していければと「思う」。






79;心の色鉛筆(3)「憂鬱な一日」

2017-05-07 20:19:22 | 老いびとの聲
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晴れた日曜日なのに
家の中で昼下がり3時まで怠惰な生活
仕事のことで
また一つ課題が発生し頭痛の種が増えた
憂鬱な一日となり
今日の心の色鉛筆は 灰色
今夜の夢はせめて明るい色にしたいものだ
おやすみなさい



78;死後の世界

2017-05-07 16:02:58 | 老いびとの聲
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私だけの戯言なのか
それとも妄想なのか
時々よりは少ないが
ふと 頭のなかを過る

やはりそれは
私だけが持つ妄想なのか
それは何かと云うと
他者からはみれば
他愛ないことなのかもしれない

それは
人間 眠っているとき
夢を見るときもあれば 見ないときもある
現か夢か判然としないときもあるけれど
心地よい夢は消えて欲しくない


私だけが見るのか
コバルトブルーの海や大河の上を飛ぶ夢を見たときは
気持ちがよい
現実 空を飛べるはずもないのだが
両手を広げ鳥のように羽ばたいている自分がいる
夢だから飛べる
夢を見ているときの自分は
まだ生きている
夢が途切れると目が覚め
現に戻る

人間 眠っているときが 幸せな時間
現の苦悩や不安、葛藤などから解き放され
空白の時間に癒される
このまま眠りから覚めないと
それは死に至るのか
死は永遠の眠りに着く と言われているが
死んだら人間は もう夢を見ることはできないのか

死後も夢を見れるとしたら
背景は何色で 何を見るのであろうか

夢を見ているうちが花なのか
夢を忘れた人間は
死を待つ老いた人なのか
夢を抱いているうちはまだ青春
今夜こそ 空を飛ぶ夢に遭遇したい






77;老母の介護に疲れた その後2 「死んだように眠っていた」

2017-05-07 05:02:22 | 老いの光影
我が家の一人息子(写真、本文とは関係はありません)
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松さん(89歳)は、愛想はなく
他のお客様が「おはようございます」と挨拶をしても
無愛想で「・・・・」のまま
自分から話しかけることようなことはない
見るからに意地悪婆さんの雰囲気
何もしないでいると
「トイレに行きたい」と訴え
椅子から立ち上がろうする
傍に座り手を握ると落ち着く 
寂しがり屋なのか 甘えん坊なのか
昨夜は徘徊で活動していたせいか
手は温かい 眠いのかもしれない
眠いからと言って ここで寝せては
昼夜逆転を 逆転させ 
昼起きて 夜寝る のリズムに戻さねば

桜デイサービスのスタッフは
ボールやゴムバンド、手拭いなどの小道具を使い
手足を動かす運動を1対1で行った
ときには他のお客様にも参加して頂き
輪になり 音楽に合わせ体操を行った

午後は、スタッフと一緒に30分ほど
桜デイサービスの界隈を散歩
昼寝は無し
音程は微妙ではあったけれど
本人はそんなことは気にすることはなく
大きな声で 5曲ほど唄った
このときもただ座って唄うだけでなく
身振り手振りを入れながら唄う

画面の文字や歩くときに
視点が左側ばかり向くことに気がつき
もしかしたら右眼が見えていないのではないか、と疑い
大きな月暦を使って視力検査を行った
左眼を手で押さえたとき 右眼は大きな数字を読むことはできなかった
右眼がみえていない
長女も 気がつかなかった
桜デイサービスの前に利用さていた
村社協デイサービスセンター(定員30名)も
右眼が見えていなかったことは気づいていなかった

今回いっしょに彼女と行動した際に
桜デイサービスセンター長が気づいたのであった
これは大きな発見で
糖尿病による失明なのか 医師による診察が不可欠である

初日のデイサービスは寝ることもなく手足や体を動かした

帰宅し
松さんは夕食を摂り20時30分頃まで起きていたが
その後は朝まで一度も起きることもなく爆睡
翌朝 長女真恵さん(62歳)に電話をかけ様子を伺う
「死んだように眠っていた」

2日目 3日目も翌朝電話すると
真恵さんから同じ言葉が返ってきた
「死んだように眠っていた。おかげ様で私も夜眠れるようになった
「本当に感謝しています。安心して仕事に行けます」

まだ気は抜けないが
昼夜逆転は消失した
トイレ行きたいコールはかなり減ってきた
黙って座っているとトイレのことが気になる
体を動かしている間は トイレのことを忘れる
頻回にトイレに行ったとき オシッコは出てもチョロチョロ
1時間に1回となると それなりにオシッコが出ると 本人も満足する

手足や体を動かさず 椅子に座った状態でも
「トイレに行きたい」という言葉が頻回に出ないようしていきたい
まだ始まったばかりである

夜間徘徊 トイレコール頻回 は消失しつつあるが
次に解決しなければならない課題がある
これも松さんの生活習慣となっているだけに
厄介なことである

そのことは 次回書いていきたい






76;心の色鉛筆(2) 「溶連菌」

2017-05-06 22:00:33 | 老いびとの聲
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妻が溶連菌でダウン
体温計が壊れるのではないかと思うほど 41.4℃ の高熱に吃驚
扁桃腺持ちなので扁桃腺による高熱かと推測するも
耳鼻科クリニックの診断結果 溶連菌と告げられた
完治まで10日は要するとのこと

夫が高熱で倒れても食事は問題ないが
妻が病床に臥すと 食事作りを始め家事がピンチ 
先月は尿路感染症で妻にはお世話を受けたので 
鶴ならぬ「夫の恩返し」をせねば
どの家族でも妻や母親が太陽の存在 
雲の隙間から早く陽が射すことを待ち望む
今日の心の色鉛筆は赤を選びたい  



75;ばあちゃんちの匂いがする~

2017-05-06 17:24:14 | 春夏秋冬
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あるブログの家族風景から
同じ屋根の下に暮らしていなくても
じいちゃん ばあちゃん と 
お孫さんたちとのなかで強くそして深い絆を感じました
「あー、ばあちゃんちの匂いがする~、なつかしい~♪」
と お孫さんが叫んだこの言葉は
とてもとても素敵な言葉ですね
子どもは時には偉大な詩人家に変身する

筆者も北海道ニセコ生まれなので
ジンギスカンが懐かしく
ドラえもんのどこでもドアがあれば
食べにお伺いしたいで~す

74;老母の介護に疲れた その後

2017-05-06 04:43:57 | 老いの光影
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平成29年4月27日のブログ 「老母の介護に疲れた」その後
老母松さん(89歳)の夜間徘徊と3~5分間隔の「トイレに行きたい」
という行動は いまも延々と続いているのか
それとも消失したのか
気になるところです。

松さんはⅡ型糖尿病の持病があり
別の内科クリニックを受診中にあった。
インスリン、服薬による薬物療法と
長女真恵さん(62歳)の献身的な食事療法により
血糖値は安定していた。
安定していないのは 不穏な行動「徘徊」と「トイレ頻回の訴え」

私は 長女の同意をとり
隣市にある認知症専門医 鎌田和志医師に電話を入れ
初診の予約をとった(初診日は4月27日 15時30分)

精神科医、心療内科医 どちらでもかまわないのですが
認知症高齢者にかかわらず、精神障害者も含めて
患者やその家族の悩み、不安などを
よく聴いてくれる医師かどうかが大切
大変な介護者だけの話を聴いて
老親に強い眠剤を処方され
徘徊やトイレ頻回の行動は収束されたけれど
朝まで眠剤の作用が残り
ぼぉ~とした表情になり
生気が失せてしまい、うつらうつらしてしまう。

真恵さんは、今日の先生はよく話を聴いてくれた
老母のことも気にかけてくれていたし
安心して昨日は眠ることができた、と
翌日電話をかけたときに 話してくれた。

認知症の進行を遅らせる薬と
就寝前に気持ちを安定させる薬が処方された。

薬を服用してもすぐに効果は出るものではなく
長女の介護苦労は依然続いていた

私は 桜デイサービスセンターのスタッフに
「松さんの利用を受け入れをお願いした」
さらに ショートステイ静狩苑の併用利用
ショートは長女の気分転換、息抜きを兼ねた利用

桜デイサービスの利用は、憲法記念日5月3日から始まった。
明子センター長が初日の担当となり
彼女と1対1の関係で付きあった
トイレに行きたい、と訴え椅子から立ち上がった行動は100回を超えた
実際にトイレに行ったのは20数回
20分に1回はトイレまで着いて行き、見守りを行った。






73;紅葉と老人

2017-05-06 01:09:12 | 文学からみた介護
桜デイサービスセンターの庭に咲いた花
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新緑の季節なのに
今日のブログは紅葉の話も登場します

『葉っぱのフレディ』(レオ・バスカーリア作 あらい なな訳)は、
子どもから大人まで読める絵本で、
紅葉の季節になるとこの絵本が頭に浮かんできます。
葉っぱのフレディにダニエルは話す。
「生まれたときは同じ色でも、
いる場所がちがえば太陽に向かう角度がちがう。
風の通り具合もちがう。
月の光、星明かり、
一日の気温、
なにひとつ同じ条件はないんだ。
だから黄色や赤になど、
みんなちがう色に変わってしまうのさ」。

紅葉はみんな色がちがう。
老人の顔も歩き方もちがうように、
樹の葉っぱも老人も同じだ。
人それぞれ、
葉っぱもそれぞれであり、
個性がある。
『葉っぱのフレディ』の副題に
「いのちの旅」がつけられています。
いのちは循環します。
“わたしたちはどこから来て、どこへ行くのだろう。
生きるとはどういうことだろう。
死とは何だろう。
人は生きているかぎりこうした問いを問いつづけます”
(童話屋 編集長 田中和雄)。


在宅や介護施設で生活されている老人のなかに、
生きる望みを捨てて死を待つ老人もいます。
一方では、病み老いても限りあるいのちを自覚しながら
生きている老人もいます。
背後から死が忍び寄り 
いつ死が訪れるのか 
その不安を抱きながら生きている老人もいます。
老人の死をを見送る家人の不安や葛藤もあります。

紅葉は最期に枯葉となって
「孤独の寂しさのなかへ落ちていく・・・
けれどもただひとり
この落下を限りなくやさしく
両手で受け止めて下さる方がいる」(リルケ『形象集』より“Herbst”山形孝夫訳)。

人は、老い、病み、
そして誰もがまだ経験しない死後の世界に不安と恐れを持つ。
死への不安を「やさしく両手で受け止める」役を背負うのは、
在宅介護者であったり、
介護従事者であったり
微力ながら私であったりします。

72;心の色鉛筆(1)~色彩で一日を振り返る~

2017-05-05 20:00:08 | 老いびとの聲
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今夜から『心の色鉛筆』を始める。
今日あった出来事を
とりとめもなく綴っていく。
今日はバラ色の一日であったのか
ブルーであったのか
それともスカイブルーのような
爽やかな人に出会ったのか
寝る前に一日を振り返り
何色であったか
未熟な表現力で
どこまで心の色を描きできるのか
・・・・・・・・
明るい色の日が多いことを
望みたい


大型連休中 今日は唯一の休み
那須アウトレットへ行く 人だらけ 
余はまだ足が痛く 時々ベンチに座り
行き交う人々の人間観察
逆に余が 人間観察されていたのかも
仕事で使用する黒色のスニーカーを得た
余と妻は 休みが取れず4週4休の日々
余と妻 共に羽を伸ばし休んだ(羽あったけぇ?)
那須の新緑も見られ 充実野菜の5月5日だったから
今日、心の色鉛筆はオレンジ色かな


註;充実野菜の5月5日;充実した5月5日、という意味です

71;「帰る家」がある

2017-05-05 05:02:01 | 老いびとの聲
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昔人間の棲む(住む)家は、
居間の真中には炉(いろり)があり、
それを囲むように家族が座わり団欒や食事を摂っていた。
昔も現代も人間にとって
「家」は家族の“ぬくもり”を意味する。
鳥類は自由に大空を飛んだあと「巣」に帰る。
人間も鳥類と同じく巣を求め「家路」を急ぐ。
高見順の詩集『死の淵より』のなかに
「帰る旅」という詩があり、
その詩の書き出しを紹介しよう。

「帰る旅」
帰れるから
旅は楽しいのであり
旅の寂しさを楽しめるのも
わが家にいつかは戻れるからである
だから駅前のしょっからいラーメンがうまかったり
どこにもあるコケシの店をのぞいて
おみやげを探したりする 


帰れる家があるから、旅は楽しいのである
人間たまには贅沢をし、
素敵なホテルに七日間も滞在したら、
食事も部屋の装飾にも飽きがきてしまい、
家が恋しくなってしまう。
沖縄や九州など遠い旅に行き、
帰り路上野駅に着き、
「この始発電車に乗れば南陸奥駅に着く」という気持ちになる。
南陸奥駅に着き、いつも見ている駅前の風景なのに、
何故かしら風景が懐かしく感じる。
いよいよ自宅に着く、玄関の鍵を開ける。
薄汚れた居間の壁や天井の染みであっても、
豪華なホテルにはない「心の安らぎ」を感じ、
ホットした気持ちになり、
「我が家がいちばんいい」のである。
「帰る家」がある、
「帰る家」には
私を待ってくれる家族がいる

駅前の風景を懐かしく感じたり
帰る家に 心の安らぎを感じるのは
いずれも 私の心の一部になっているもの・・・

70;夢から覚めたとき あなたは何に変身したいか・・・

2017-05-04 16:08:48 | 読む 聞く 見る
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ある朝
夢から目を覚ますと
自分が寝床のなかで
巨大な虫に変身していた
という話は カフカの小説『変身』の書き出しにある
巨大な虫ではなく
鷹のような大きな鳥に変っていて
大空を飛んでみたいと思う

夫朗人が53歳で若年性のアルツハイマー病になった
腕を組んで硬貨を数える姿は子どものようであった
「あなた、どんな病気にかかっても大好きだからね」
と微笑みながら夫を見つめる妻(美砂)
二人は 
勤労感謝の日午後3時に 
銀座和光の時計台の下で二度目の初デートをする
涙なくして読めない22㌻の短編小説「銀のデート」
石田衣良の文庫版小説『再生』(角川文庫552円)に収録されている。

69;綿毛のたんぽぽ

2017-05-04 08:21:13 | 老いびとの聲
綿毛のたんぽぽ 再登場!

ご訪問いただき、ありがとうございます

春から初夏

幸せの黄色で咲いているたんぽぽは素敵
綿毛になったたんぽぽも魅力的
花や草木は
何処へも行くことができず
根の生えた場所で生息する
綿毛になったたんぽぽは
南風まかせであっても
知らない世界へ飛んでいき
着地した処で 生まれ変わる
人間は自由に見えて
自由ではないのかもしれない

人間 何もかも捨て去り
遠くの世界へ飛んでいき
見知らぬ世界で
静かに 世捨て人となり生きてみたい
それはかなわぬ妄想の世界でしかない
いまいる処で 生き逝く

人間は勝手な生き物で
時には孤独になりたいと望むくせに
いざ独りになると 人恋しくなる
孤独はよいが孤立はよくない

綿毛たんぽぽは
人間と同じ運命であり
自分が何処へ着地するかは
未知の世界

ブログも未知の世界
ブログを媒介とし
様々な見知らぬ人に出会う
綿毛たんぽぽの様である
ブログの画面から
その人のいまを感じる

ブログは
もうひとりの自分との出会いでもある

そんな難しく
ブログを考えずに
風吹くまま自由に楽しく
時を刻むのも
ブログの魅力なのかもしれない

いつもへんなおじさんが呟く
怪しげな字面をお読み頂き 「感謝」致します









68;老いに生かされてきた

2017-05-04 04:44:57 | 老いの光影
ご訪問いただき、ありがとうございます 

白髪混じりの60才過ぎの女性が相談に訪れた。
彼女は話す。
「10年間、95才になる義母の面倒を看てきましたが、
疲れ果ててしまい、
いま、病院通いをしているところです。
自分の年齢も60才を越え体力的に限界です。
義母はリウマチを患い、歩くこともままならない。
“ボケ”もではじめ、
夜間大きい声で独りしゃべりをしたり、
おむつを外し布団の上にオシッコをしたりなど、
隣の部屋にいても落ち着いて寝ることができないのです。
年老いた義母にとって“家”が一番いいとわかっていても・・・・、
これ以上女手一つで義母の面倒を看ていくのは困難です。
長い間義母の面倒を看てきて、
いろいろと苦労もありましたが、
“義母に生かされてきた”という思いです。
13年前に主人が亡くなり、
ずっと義母との二人暮らしでした。
血の繋がりがない義母であっても、
義母の存在は一つの心のはりになっていました。

自分の親は、(他人である)長男の嫁に世話になり、
自分は(他人である)夫の親の世話をしている。

自分の疲れがとれたら(老人保健施設から)義母を引き取り、
また面倒を看たいと思いますので、
それまでお願いしたい」、
としみじみ話されました。

67;エトルリアの涙壺

2017-05-03 18:18:18 | 文学からみた介護
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阿武隈川が流れる流域では 田んぼに水を張り まもなく田植えが始まる

古代イタリアのその国では 
だれの家にも陶製の小振り壺があった
人に言えない辛さや寂しさの涙を
この壺に密かに注ぐ
それは「エトルリアの涙壺」と言われていた
お蔭で、エトルリアの人々はいつも元気で 
朗らかだったそうです

先日 道尾秀介著『光媒の花』(集英社文庫 2012、10、25発行)のなかの
「第1章 隠れ鬼」という連作短編小説を読んだ
母の認知症は「日向(ひなた)に落とした飴玉のように、ゆっくりと溶けていった」(12㌻)
という表現は流石(さすが)作家だなと感心した
認知症の母とひっそり暮らす息子の心情を描く
「いつか母が死に、自分が死んだら、父の遺したこの店(いえ)はどうなるのだろうか」(15㌻)
老いた母親と老いの門をくぐり始めた息子との二人暮らしは
高齢社会を垣間(かいま)見る思いであった


燕(つばめ)が低く飛ぶと
雨になると言われている