HIBARIピアノ教室レッスン日記♪

ピアノのレッスン日記、その他ヒバリ先生が見聞きした音楽関係・芸術関係etcの日記。

ブルクミュラー「スティリエンヌ」の謎

2010年11月22日 | ブルクミュラー
Y子ちゃん(小5):
ブルクミュラーの「スティリエンヌ」に入りました。
Y子ちゃんの使っているドレミ楽譜版ブルクミュラーでは このタイトルですが、その他いろんな出版社から出ているいろんなブルクミュラーによって、タイトルは様々です。
「スティリアの女」とか「シュタイヤー地方の踊り」「シュタイヤー舞曲」とか。

今でこそ、様々な出版社から楽譜が出されていて、みんな自分の好きな本や使いやすい本を選ぶことができますが、昔、ヒバリが小学生で、ピアノを習っていたころ、「ブルクミュラー」は全音楽譜1種類だけしかありませんでした。
そして、この曲のタイトルは「スティリアの女」でした。
当時のピアノの先生は、どの曲に対しても、そのタイトルや背景などに関しては一切教えてくれなかったので、小さな(小学校2年生か3年生ぐらい)ヒバリは自分で想像するしかありませんでした。
ふーむ。「スティリア」の「女」・・・

スティリア、というのは、どっかの街の名前なんだろうなあ、と思いましたが、その「女」の素性については謎です。
「お嬢さん」でも「奥さま」でもなく、「女」という この呼称には、すごく大人な雰囲気がありました。
年齢的にはあまり若くはなく(8才か9才ぐらいのヒバリから見て)、少なくとも30才近くにはなっていて、世知に長(た)け、都会の中で男たちや商売相手を手玉に取ったりしている・・・ある意味「やり手」な女、というイメージを起こさせました。
ヒバリの頭の中には、線画のさし絵タッチで、ちょっと「フフン」といった感じの「女」のビジュアルが浮かんでいました。
彼女は、飾りのついた大きな帽子をかぶっていて、服装は19世紀ヨーロッパのものです。
「スティリア」は、ちょっとした地方都市で、けっこう商業や工業なども盛んに行われていますが、彼女は、さらなる夢を求めて大都会(パリとか)へ出てきたのです。
スティリアから出てきたやり手な女は、大都会にあっても臆することなく、海千山千の男たちと渡り合っていくのでした。

・・・と、言葉にしたのは今が初めてなのですが、こうして書いてみて初めて、当時、小学校低学年だったヒバリの頭の中の「スティリアの女」はこんなイメージだったのだ、ということを再確認しました。
そして、そのイメージと、はずむような3拍子の曲とがどう結びつくのか、これまたヒバリにはさっぱりわかりませんでした。
また、そんなアラサーねーさんの「女」に ちっとも感情移入できず、なんかつまんない曲だった「スティリアの女」でした。

しかし、ピアノ指導者になってから、もう一度「ブルクミュラー」を手にし、何種類もの版の楽譜を研究し、言語のタイトルを読み、そして既に学校で習った地理や歴史や外国語などの知識と総合すると、かつての「スティリアの女」は まったく別もんの姿を現してきたのでした。

まず「スティリア」というのは地方の工業都市などではなく、オーストリアの、アルプスの麓(ふもと)の地方だということがわかりました。
また、これは踊りの曲で、シュタイヤー地方(ドイツ語読み)の民族舞踊、レントラーが下敷きになっているため、「シュタイヤー舞曲」というタイトルの版も多く出てきたのです。
なんだ!大都会パリの やり手ねーさんの曲じゃないじゃん。
澄み切ったアルプスの空気の中でのびのび踊る、ハイジとペーターのカントリーな曲じゃん。

しかしです。
その一方、タイトルをフランス語読みにするとスティリー、語尾に「エンヌ」がつくと「~の女性」となる。ハイジはいいとして、ペーターはどうなる?
しかもテンポは軽やかに早く、「ワルツ風に」と書いてある。
真相はしかし、誰にもわからないのです。作者ブルクミュラーに意図をきかないことにはね・・・

紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、今現在の、ヒバリの解釈はこんな感じに。
アルプスのふもと、シュタイヤーあるいはスティリー出身の女の子(16才)が 花の都パリへやってきました。(この曲を作曲した当時、ブルクミュラーはパリにいましたから)
フランス語で「パリの女の子」はパリジェンヌ。スティリーの彼女は、だから「スティリエンヌ」です。
若くはつらつとしたスティリエンヌが、パリの軽やかなワルツに合わせて生き生きと踊ります。

どうかな?
昭和の「小学生の生徒時代」から平成の「先生時代」へ変わって、ヒバリのイメージも「アラサーのやり手ねーさん」から「フレッシュな16才」へと若返りました!
みなさんはどう思いますか?
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