楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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西郷隆盛と彰義隊のお墓(上野公園)

2015年02月06日 09時26分12秒 | ひとり歩き旅
(上野公園、西郷さんの銅像)


一月の小春日和の日に、上野公園に出かけた。
暖かさも手伝って、沢山の人で出会った。

よちよち歩きのお子さん連れ、やっと歩を進めるお年寄りに連れ添ったご夫婦、
はつらつとした外国人、同じ帽子をかぶった幼稚園児の年長さん達、
住まいを失った人たちはベンチで暖を取っている。

地下鉄を出た所の階段の上に、西郷さんが犬を連れて立っている。
以前はJR上野駅を降りた所から、良く見えた銅像であるが、
周りが囲まれて、今も電車を降りたら見えるのであろうか。
遠目にいつも見ていた西郷さん、
こんなに近くでまじまじと見たのは初めてのことである。
台座に刻まれた銅板に漢字が並んでいるので読むと、
明治二十六年に起工して三十年にこれを建てたとある。

銅像を見たら、右手にワン公のの紐?鎖?を持ち、
左手は、腰にある刀に手をかけている姿であることを知ったのは、
今日が初めてのことであった。

西郷さんの左後ろに、彰義隊のお墓がある。

(彰義隊のお墓)


(1868年五月十五日、この辺りで上野戦争があった。
江戸時代の終結、明治時代の始まりである。
この戦いで、彰義隊と呼ばれる徳川方旧政府軍の一団が、
新政府軍との戦いに敗れた。

彰義隊の生き残り戦士 小川興郷(オキサト)らは、
1874年明治新政府の許可を得て、戦死者の火葬場となった当地に、
戦死者の墓を建てた。
なお、遺骨の一部は南千住の円通寺内に合葬されている。
以後、120年以上に亘って小川一族により彰義隊のお墓は守られてきた。
2003年より現在に至るまで、
歴史的記念碑として、東京都が管理している。)と言う。

コメント (8)
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