(上野大仏)
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奈良の大仏、鎌倉の大仏はよく知られているが、
上野の大仏を知っているのは、きっと少ないに違いない。
上野のお山に大仏さんがあったとは、以前聞いたことがあるが、
実際に訪ねたのは今回が初めて。
その後にある上野精養軒には何回か行ったことはあっても、
すぐそばに上野大仏があると言うことも知らなかった。
さてその大仏であるが、1631年が最初で、土像であった、
その後、明歴、万治の頃(1655~60年)銅像になった。
火災に遭い天保14年(1843年)真鍮にしたが、
大正十二年関東大震災で倒れ、寛永寺で保管した。
しかし第二次世界大戦中に軍に供出して胴体は弾丸になったか、
飛行機になったか、行方知れず。
昭和47年元の場所に、残された尊顔を迎えて再建された。
その横にある舎利殿には阿弥陀三尊が安置されていた。
(大仏)
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(阿弥陀三尊)
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(大仏から見えた鐘楼)
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その上野の大仏の東側に東叡山寛永寺 清水観音堂がある。
そもそも上野公園は、京都の比叡山に対抗して出来たと言われる。
東の比叡山だから、東叡山。
比叡山延暦寺は山一帯が延暦寺でその本堂と言われる中心は根本中道。
東叡山は寛永寺でその根本中道は、彰義隊の上野戦役で焼失し、
今は川越から移築された根本中堂が噴水の東にある。
東叡山には、東照宮や五重塔とか、弁天堂や清水観音堂とかあって、
上野公園にある塔堂を寛永寺と言うようです。
琵琶湖にならって不忍池があり、池の中には弁天堂がある。
その弁天堂まで一望に臨めるのが、東叡山寛永寺 清水観音堂の舞台。
(清水観音堂の屋根)
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(舞台から見た清水観音堂)
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(観音堂の灯篭)
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丸く丸めた松は「月の松」といって、
江戸名所百景に浮世絵師 歌川広重が画いた頃のまま残っている。
と書いたが、実は二代目で、同じように曲げるのは、
それ相当の腕のある職人でないと難しいと言う。
その東叡山に清水の観音堂があって、これまた清水寺と同じように、
舞台がある清水観音堂なのである。
思い切ったことをするとき、「清水の舞台から飛び降りたつもりで」
などと言って、その舞台はかなり高い所にある。
これは京都の話であるが、東京の清水観音堂の舞台もそれなりに高い所にある。
(舞台から一直線に見える不忍池の弁天堂と「月の松」から舞台の高さが解る)
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