楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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記憶に残る二回目に使ったGood-bye(その3)

2023年06月03日 05時00分45秒 | 日記
最近と言っても、もう8年前の話である。

中学、高校と同級生で、
あいうえお順の席順であったため、
中学3年間は、ボクが前の席で、
後ろの席にいた彼とどういう具合か分からないが、
話の馬が合って、仲良くなった。

その彼は早稲田大に進み、
それでも夏休みには帰省して、
我が家に遊びに来ていた。

ある夏の日に、
三島由紀夫が書いた「潮騒」を手土産に、
我が家を訪れた。

いつものように、すぐ上の姉が応対して、
甘いものと抹茶を振る舞った。

後に聞いた話であるが、
彼はその姉に会いに来ていたようであった。

その彼が卒業して就職をした会社が、
たまたま、ボクが就職した会社と同じであった。

偶然とは言え、奇妙な偶然であった。

お互い考えていたことが会社の将来性。
ソニーがまだ東京通信工業(株)の時代の話だ。

お互いモーレツ社員として寝る間も惜しんで働き、
東京都内に七つしかなかった営業拠点が、
定年退職するときは都内に80の営業拠点が出来ていた。

そんな間柄であった彼が大腸がんで入院したが、
ガンの転移が思わぬ進んでおり退院不可能になった。

何度も見舞いに行くボクが、
帰り際に「また来るね。」と話したら、

彼が言う、
「何度も来てもらって、大変だから もう良いよ。」
と言って手を差し出して握手を求めた。

彼の温かい手を握って、ボクは言った。

「Good-Bye!」

それこそ心の内で
「God be with you.I'l never see you again.
(神のご加護がありますように!もう二度と会えないだろう)」
と叫んでいた。

翌日、ボクのいないところで彼は永眠した。

そのことを知ったのは、3か月後の同窓会の会報からであった。

享年81歳であった。

非常に侘しい話であるが、
これが二度目に使った「Good- bye」です。

ここで、 Good-byeと書きたいところですが、
書けば、このブログがこれで終わりになるので、
止めておきます。

淀川長治さんではないが、

またお会いしましょうね!
     
See you again!







コメント (4)
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