楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

善徳寺の狛犬

2012年02月17日 10時28分01秒 | つれづれなるままに考えること
由緒あるお寺のようである。
浄土宗別格 善徳寺と門前の看板には書いてある。

(善徳寺門前 奥に狛犬が見える)

普段余り気にかけないで通り過ぎているが、
山門前にある狛犬が、前足がずいぶん長いのが、妙に引っかかった。
普通、狛犬は座っていて左右に並んでいる。
左右に並んでいるのは同じでも、前足をつっぱっているのは珍しい。
そっくり返っている。

(足を突っ張った狛犬)


(氷川神社の狛犬、これくらいの立ち姿が普通)


(子供を抱いた狛犬、板橋の小豆沢神社)

善徳寺にはもう一つ見るべきものとして、
門前に東京都北区教育委員会の説明板がある。

説明によると、
(善徳寺の墓域内には、江戸時代、
大伝馬町の御伝馬役名主として活躍した馬込家の墓があります。
御伝馬役とは、江戸伝馬役と呼ばれるもので、
大小の伝馬町と南伝馬町・四ツ谷伝馬町が五街道と江戸府内近郷へ、
人馬を継ぎたてる夫役を言います。
町名主の馬込家は代々、この運営に当たりました。
また、他の町で同様の役職にある名主家とともに、
名字帯刀を許され、町名主筆頭として年頭に将軍のお目見えが許されていました。
――後略)

家康が築いた五街道はすべて日本橋が起点になっているが、
旅の荷物は、問屋を経由して宿場から宿場へと引き渡していくのであるが、
江戸側の荷物の終点・出発点は、南伝馬町・四ツ谷伝馬町にあったという。
五街道分の荷物が一箇所に流れ込むのと、出発するのと、
合わせると荷役の量が多く、
荷捌きも大変な量があったに違いない。
それを馬込家が引き受けていた。

後半の説明を要約すると、
(大阪落城後の家康を浜松で出迎えた折、大人数で出迎えたのを家康が喜び、
馬込姓をもらったと言う。
また馬込家の菩提寺は当初、芝増上寺であったが、
善徳寺が開山されたのを機に檀家となり、
数度の火災で、芝から日本橋、浅草と移転した後、
関東大震災で現在地に移った。)と言う。
なかなか由緒のあるお寺さんであるのにびっくりした。

(善徳寺本堂)

(本堂横にお墓への通路がある)

その馬込家のお墓があるという。
さぞ立派なお墓があるに違いないと信じて、
お墓のエレアを探したが見つからない。
三日目にしてやっと見つけた。
他のお墓と変わり映えのしない、ごく普通のお墓であった。

毎朝、境内を掃除されている方が居られるが、
三日間毎日、墓地をうろうろしたボクを、
さぞ、うるさく感じたことだろう。
謹んでお詫びします。

(馬込家ノ墓)

(馬込家累代之墓と読める)

(写真アップの練習をしました。)

卒業証書

2012年02月12日 10時24分38秒 | つれづれなるままに考えること
先日、何気なく卒業証書をみたら、「bachelor of philosophy」と書いてあった。
ボクは文学部を卒業したのであるが、
卒業証書は英語では日本で言う文学士を
「bachelor of philosophy(直訳すれば哲学士)」と書くようである。
卒業当時はなるほどと思っていたに違いない。
何故なら文学とは、人生哲学を探求する学問だと言うことは知っていたからだ。

十年ほど前、血液ガン、つまり白血病 多発性骨髄腫で半年ほど入院していた。
大学病院で、担当医師はインターンのお医者様。
大学教授に病気の状況を逐一報告して、治療に当たる。
医学生は、卒業まで6年かかる。
国家試験を通過して、初めて医師の資格を得るが、
その後研修期間が二年ある。

さて、入院の半年の間に、医学部の学生が、
インターン(研修医)に連れられて病室に来ることがある。
学生の実習である。
聴診器で診察をさせて欲しいと頼まれることがある。
胸に聴診器を当てて、心臓の音を聞くのか、
血液が流れる音を聞くのか、
おなかの中でガスが移動する音を聞くのか、
何を聞くのか分からないが、
それで、正常な心音や血流、正常なお腹の音などを
知るのかもしれない。

そこでこんな時、ボクは質問をすることにしていた。
1) どうして医者に成ると決めたのですか?
2) 医学部とはどんな学問ですか?

驚いたことに、
1) の回答に、親が医者だからと言う回答が意外に多いことであった。
他には収入が多いから、人助けのためetc.であったが。
2) については、以外にも正しく回答できる人が少なかった。
大学に入学する時に、何学部へはいってなになにの勉強したい、
と目標を定めて入学をしている人が少ないのだろうか。

ボクは人生如何に生きるべきかを学ぶために文学部へ入った。
名文を書く、よい文学書を読むためではないのだ。
シェエクスピアやエドガー・アラン・ポーを読むためではないのだ。
だからPhilosophy(哲学)を勉強した士(ひと)としての
卒業証書なのだ。
それなのに医学部へ何を学びたくて入ってきたのか、
答えられないとはなさけないと思った。
それでいつもこう言っていた。
「いくらなんでも、卒業するまでには答えられるようにしておいてくださいよ」と。
でも、さすが医師免許を獲った人は違う。
インターンであれ医学とは何であるか、明確に答えたし、
治療に当たっても、絶えず工夫していたように思う。

実は医学部は、人の病気を治療し、治療方法と予防方法を探究する学問である。
医者は病気を治療するだけでなく、予防方法もしなければ医者ではない。
だから前々回「A型」で書いたが、
夫婦二人の家庭で一方がインフルエンザに罹ったら、
他方に移らないようにするにはどうしたら良いか、
答えられないようでは医者の務めが出来ない。

せめて、部屋の中は湿度を上げ、温度を上げて菌が繁殖するのを防ぐようにしてください。
これくらいは言って欲しいものである。

身体髪膚、これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始め也.。

2012年02月10日 13時08分24秒 | つれづれなるままに考えること
表題は次のようにつづく。
「身を立て道を行い、名を後世に挙げ、以て父母を顕すは孝の終り也」(孔子)

今日、なぜか分らないが、大学の卒業証書をみた。
証書を入れた筒をあけると、証書のほかに一枚の画用紙が入っている。
広げてみると毛筆で、
(座右に銘ず)
(身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の初めなり。
身を立て後世に名を揚げ、もって父母を顕すは孝の終りなり」
と書いてあった。自分の字だ。

表題と「道を行い」が抜けているが、およそ似通ったものである。
(自分の身体は、髪の毛からつま先まで両親から貰ったものである。
決して傷をつけては成らない。それが親孝行の始めであり、
立身出世して父母の名を世に知らしめるのが孝行の終りである。)
とこんな意味である。

学校卒業以来開いてみたことがない卒業証書のなかに、
こんな座右銘を記入しているのを忘れていた。
しかし、定年後17年たつが、およそ自分の行動は、
この教えに逆らってはいなかったと、
今考えるとそのように思える。
この座右銘の中で前段の「あえて毀傷せざるは・・・」の部分は、
目の手術や、痔の手術や、癌のため下腹部を切って十一年経つが、
これはこれで良かれと思ってした事、違背したとは思っていない。

後段の「身を立て名を挙げ・・・」は達成できなかったのは、
残念なことであるが、自分の能力のこと、ある意味で止むを得ないと思われる。

しかし、与えられた立場で、自分で出来ることを一心不乱にやってきた。
自分ではこれ以上のことは出来ないと思える程度にやってきたから、
人生悔いることは何もない。

後僅かな年で傘寿になるが、歳をとればとるほど「長生きしたい」思いが強くなる。
とても叶いそうもないが、
あと十年も経つと孫が大学を卒業し、
どんな社会人になるだろうかとか?
あるいは活発な孫娘がどんなお嫁さんになり、どんな男性と結ばれるのか?

見てみたい気がする。

雨の音

2012年02月08日 10時24分54秒 | つれづれなるままに考えること
朝の散歩は欠かさずAM8:30~9:30の間に家を出る。
雪が降ろうが、雨が降ろうが、風邪の寒さにも負けない。
もちろん夏の日照りにも、麦藁帽子にタオルを首に巻いて出かける。

何時も同じ所をもう十年間、一年365日歩く。
病持ちだから、5分以上人が通らない所には行くことはない。
倒れても誰かが見てくれることを期待している。
何時も同じ所を歩いて自然公園まで行く。

雨の日の翌日、今日は降らないだろうと、出かけようとしたら雪がパラパラ。
天気予報では、北の寒気が関東の南、つまり東京まで下ってきて、
東京をすっぽり覆うから、今日は一日気温が上がらず、寒いと言う。
けれども雪が落ちてくるとは言わなかった。

空はどんより雪雲(?)に覆われ、気温が低いから雪がパラパラ。
ジャンパーの襟を立てて、散歩に出かけた。
雪というかあられと言うか、地面で跳ね返っている。
白胡麻を半分にした大きさである。

自然公園に入ると、雪は少し大降りになって、枯れ葉に雪が当たる音がする。
雪ならぬ霰の音は、大粒の雨となんら変わらない。
大粒の雨音を乾燥させた音だ。
ぱらぱらでもない、ザーでもない。
やっぱり乾燥した雨音というのが正しいのだろうか・・・

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