由緒あるお寺のようである。
浄土宗別格 善徳寺と門前の看板には書いてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/7a/e413517b623492fe59d241ce75a26def.jpg)
(善徳寺門前 奥に狛犬が見える)
普段余り気にかけないで通り過ぎているが、
山門前にある狛犬が、前足がずいぶん長いのが、妙に引っかかった。
普通、狛犬は座っていて左右に並んでいる。
左右に並んでいるのは同じでも、前足をつっぱっているのは珍しい。
そっくり返っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/23/def92fab1b285632c92cb0171e840353.jpg)
(足を突っ張った狛犬)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/31/177e6e1409bf8e4260257a52357701d6.jpg)
(氷川神社の狛犬、これくらいの立ち姿が普通)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/44/09653d6e6a5bc09ddda0fee90009b026.jpg)
(子供を抱いた狛犬、板橋の小豆沢神社)
善徳寺にはもう一つ見るべきものとして、
門前に東京都北区教育委員会の説明板がある。
説明によると、
(善徳寺の墓域内には、江戸時代、
大伝馬町の御伝馬役名主として活躍した馬込家の墓があります。
御伝馬役とは、江戸伝馬役と呼ばれるもので、
大小の伝馬町と南伝馬町・四ツ谷伝馬町が五街道と江戸府内近郷へ、
人馬を継ぎたてる夫役を言います。
町名主の馬込家は代々、この運営に当たりました。
また、他の町で同様の役職にある名主家とともに、
名字帯刀を許され、町名主筆頭として年頭に将軍のお目見えが許されていました。
――後略)
家康が築いた五街道はすべて日本橋が起点になっているが、
旅の荷物は、問屋を経由して宿場から宿場へと引き渡していくのであるが、
江戸側の荷物の終点・出発点は、南伝馬町・四ツ谷伝馬町にあったという。
五街道分の荷物が一箇所に流れ込むのと、出発するのと、
合わせると荷役の量が多く、
荷捌きも大変な量があったに違いない。
それを馬込家が引き受けていた。
後半の説明を要約すると、
(大阪落城後の家康を浜松で出迎えた折、大人数で出迎えたのを家康が喜び、
馬込姓をもらったと言う。
また馬込家の菩提寺は当初、芝増上寺であったが、
善徳寺が開山されたのを機に檀家となり、
数度の火災で、芝から日本橋、浅草と移転した後、
関東大震災で現在地に移った。)と言う。
なかなか由緒のあるお寺さんであるのにびっくりした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/bd/b87040da62f5b52588918b92513e7ca5.jpg)
(善徳寺本堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/ca/25fb553d51b85b209dc6dca22f939426.jpg)
(本堂横にお墓への通路がある)
その馬込家のお墓があるという。
さぞ立派なお墓があるに違いないと信じて、
お墓のエレアを探したが見つからない。
三日目にしてやっと見つけた。
他のお墓と変わり映えのしない、ごく普通のお墓であった。
毎朝、境内を掃除されている方が居られるが、
三日間毎日、墓地をうろうろしたボクを、
さぞ、うるさく感じたことだろう。
謹んでお詫びします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/8d/0dcfb60b6d4b197661e4d1ad576a8b06.jpg)
(馬込家ノ墓)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/ba/fb58705b168896421ad8cdcd47022c7f.jpg)
(馬込家累代之墓と読める)
(写真アップの練習をしました。)
浄土宗別格 善徳寺と門前の看板には書いてある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/7a/e413517b623492fe59d241ce75a26def.jpg)
(善徳寺門前 奥に狛犬が見える)
普段余り気にかけないで通り過ぎているが、
山門前にある狛犬が、前足がずいぶん長いのが、妙に引っかかった。
普通、狛犬は座っていて左右に並んでいる。
左右に並んでいるのは同じでも、前足をつっぱっているのは珍しい。
そっくり返っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/23/def92fab1b285632c92cb0171e840353.jpg)
(足を突っ張った狛犬)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/31/177e6e1409bf8e4260257a52357701d6.jpg)
(氷川神社の狛犬、これくらいの立ち姿が普通)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/44/09653d6e6a5bc09ddda0fee90009b026.jpg)
(子供を抱いた狛犬、板橋の小豆沢神社)
善徳寺にはもう一つ見るべきものとして、
門前に東京都北区教育委員会の説明板がある。
説明によると、
(善徳寺の墓域内には、江戸時代、
大伝馬町の御伝馬役名主として活躍した馬込家の墓があります。
御伝馬役とは、江戸伝馬役と呼ばれるもので、
大小の伝馬町と南伝馬町・四ツ谷伝馬町が五街道と江戸府内近郷へ、
人馬を継ぎたてる夫役を言います。
町名主の馬込家は代々、この運営に当たりました。
また、他の町で同様の役職にある名主家とともに、
名字帯刀を許され、町名主筆頭として年頭に将軍のお目見えが許されていました。
――後略)
家康が築いた五街道はすべて日本橋が起点になっているが、
旅の荷物は、問屋を経由して宿場から宿場へと引き渡していくのであるが、
江戸側の荷物の終点・出発点は、南伝馬町・四ツ谷伝馬町にあったという。
五街道分の荷物が一箇所に流れ込むのと、出発するのと、
合わせると荷役の量が多く、
荷捌きも大変な量があったに違いない。
それを馬込家が引き受けていた。
後半の説明を要約すると、
(大阪落城後の家康を浜松で出迎えた折、大人数で出迎えたのを家康が喜び、
馬込姓をもらったと言う。
また馬込家の菩提寺は当初、芝増上寺であったが、
善徳寺が開山されたのを機に檀家となり、
数度の火災で、芝から日本橋、浅草と移転した後、
関東大震災で現在地に移った。)と言う。
なかなか由緒のあるお寺さんであるのにびっくりした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/bd/b87040da62f5b52588918b92513e7ca5.jpg)
(善徳寺本堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/ca/25fb553d51b85b209dc6dca22f939426.jpg)
(本堂横にお墓への通路がある)
その馬込家のお墓があるという。
さぞ立派なお墓があるに違いないと信じて、
お墓のエレアを探したが見つからない。
三日目にしてやっと見つけた。
他のお墓と変わり映えのしない、ごく普通のお墓であった。
毎朝、境内を掃除されている方が居られるが、
三日間毎日、墓地をうろうろしたボクを、
さぞ、うるさく感じたことだろう。
謹んでお詫びします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/8d/0dcfb60b6d4b197661e4d1ad576a8b06.jpg)
(馬込家ノ墓)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/ba/fb58705b168896421ad8cdcd47022c7f.jpg)
(馬込家累代之墓と読める)
(写真アップの練習をしました。)