いたすけ古墳から御廟山古墳へ向かうには、遊歩道を通って住宅街の中を抜けていくことになる。この日は、地域の鎮守さんの秋祭りが近いのか、神社の幟が至る所に立っていた。住宅街を抜けると目の前に、御廟山古墳の大きな墳丘が目に入る。
周濠の水量も多く、周辺に住宅が接近して建っていないので、非常に見やすい古墳である。ほぼ一周して墳丘の観察ができる状態になっている。
御廟山古墳は、百舌鳥古墳群の中では、4番目に大きい古墳であり、墳丘は、全長203m、後円部径113m、前方部幅136mと推定されている。現在は、仁徳天皇の皇妃、あるいは応神天皇の初葬地かもしれないということで百舌鳥陵墓参考地として宮内庁が管理している。墳丘をよく観察してみると、周辺をぐるりと石垣が囲んでいるのがわかる。
これはおそらく後世になって後世になってから造られたものではないか思われる。
また、御廟山古墳自体は二重濠の古墳であったらしく、後円部の辺りには、地図を見ると外側の濠の形を想定できる部分がいくつか残っているのがわかる。2008年に堺市と宮内庁とが同時に墳丘と濠の中を調査を行い、墳丘は三段築造であり、南側にある造り出しは、後円部につながることなく、前方部に取り付いており、加えて濠を拡張するために、墳丘を削っており、実際の墳丘はもう少し大きくなると想定され、墳丘の第一段のテラスの上を円筒埴輪などが囲んでいることがわかっている。円筒埴輪は、窯で作られたものと考えられるが、形式は大山古墳よりも古く、御廟山古墳の築造は、5世紀の前半と考えられている。おそらくは大王陵ではないけれども、かなり勢力を持った人物が埋葬されているのだろう。
御廟山古墳の近くに万代山古墳が存在する。少し御廟山古墳から離れて観察をしにいく。
古墳自体は、円墳のように見えるが、宗教団体の施設になっている様子で、近くに立ち寄って観察することができないので、よくわからない。実際、発掘調査等もなされていない。ただ、地図を見ていると、前方部らしき形が見えるので、帆立貝形古墳の可能性もあるかもしれない。
御廟山古墳の陪冢としてはこの万代山古墳が残るのみである。
万代山古墳を見て、再度、御廟山古墳に戻る。後円部の方から前方部が良く見える。
いたすけ古墳にはたぬきがいるのだが、御廟山古墳の濠には亀がたくさん住んでいた。(この古墳にもたぬきがいるという噂もある。)
世の中人間様ばかりでは面白くないからちょうどいいような気がする。
御廟山古墳から次の土師ミサンザイ古墳に向う途中に高林家住宅があった。
漆喰塗りの土塀に囲まれており、江戸時代、近畿地方の庄屋屋敷の面影を残しており、重要文化財に指定されている。
残念ながら、公開はされていないので、外観を眺めるのみである。それだけでも、時代の重みを感じさせる重厚な建物である。
最近、住宅建築にも興味が出てきたのでちょっとみたかったなあと心を残しつつ次へ。
周濠の水量も多く、周辺に住宅が接近して建っていないので、非常に見やすい古墳である。ほぼ一周して墳丘の観察ができる状態になっている。
御廟山古墳は、百舌鳥古墳群の中では、4番目に大きい古墳であり、墳丘は、全長203m、後円部径113m、前方部幅136mと推定されている。現在は、仁徳天皇の皇妃、あるいは応神天皇の初葬地かもしれないということで百舌鳥陵墓参考地として宮内庁が管理している。墳丘をよく観察してみると、周辺をぐるりと石垣が囲んでいるのがわかる。
これはおそらく後世になって後世になってから造られたものではないか思われる。
また、御廟山古墳自体は二重濠の古墳であったらしく、後円部の辺りには、地図を見ると外側の濠の形を想定できる部分がいくつか残っているのがわかる。2008年に堺市と宮内庁とが同時に墳丘と濠の中を調査を行い、墳丘は三段築造であり、南側にある造り出しは、後円部につながることなく、前方部に取り付いており、加えて濠を拡張するために、墳丘を削っており、実際の墳丘はもう少し大きくなると想定され、墳丘の第一段のテラスの上を円筒埴輪などが囲んでいることがわかっている。円筒埴輪は、窯で作られたものと考えられるが、形式は大山古墳よりも古く、御廟山古墳の築造は、5世紀の前半と考えられている。おそらくは大王陵ではないけれども、かなり勢力を持った人物が埋葬されているのだろう。
御廟山古墳の近くに万代山古墳が存在する。少し御廟山古墳から離れて観察をしにいく。
古墳自体は、円墳のように見えるが、宗教団体の施設になっている様子で、近くに立ち寄って観察することができないので、よくわからない。実際、発掘調査等もなされていない。ただ、地図を見ていると、前方部らしき形が見えるので、帆立貝形古墳の可能性もあるかもしれない。
御廟山古墳の陪冢としてはこの万代山古墳が残るのみである。
万代山古墳を見て、再度、御廟山古墳に戻る。後円部の方から前方部が良く見える。
いたすけ古墳にはたぬきがいるのだが、御廟山古墳の濠には亀がたくさん住んでいた。(この古墳にもたぬきがいるという噂もある。)
世の中人間様ばかりでは面白くないからちょうどいいような気がする。
御廟山古墳から次の土師ミサンザイ古墳に向う途中に高林家住宅があった。
漆喰塗りの土塀に囲まれており、江戸時代、近畿地方の庄屋屋敷の面影を残しており、重要文化財に指定されている。
残念ながら、公開はされていないので、外観を眺めるのみである。それだけでも、時代の重みを感じさせる重厚な建物である。
最近、住宅建築にも興味が出てきたのでちょっとみたかったなあと心を残しつつ次へ。
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