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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

京都洛西の天皇陵めぐり ~おまけ・安倍晴明墓~

2024-05-12 07:56:57 | 史跡を歩く
 長慶天皇陵の参道から出て、南に行くとすぐに茅葺き屋根の古民家然としている畳屋さんがあった。
 なんとも古風な佇まいに思わずシャッターを切る。

 

 この畳屋さんから、お地蔵さんの辻を右に回り込んでいくと、角倉稲荷神社という小さな社の横、ちょうど長慶天皇陵の裏側ぐらいの場所に安倍晴明墓と伝わる石塔があった。

 
 
 安倍晴明と言えば、近頃は平安時代最高のヒーロー、おそらく平安時代の人物の中で一番知られている人物ではないだろうか。
 かくいう私も夢枕獏氏の小説「陰陽師」やそれを原作としながらも独自展開をしている岡野玲子さんの漫画「陰陽師」を愛読している。
 そして、現在放映中の「光る君へ」のユースケ・サンタマリア氏の演じる安倍晴明、当たり役の様な気がする。小説や映画に出てくるような超人的な力を持つヒーローではなく、本当に力があるのかないのかわからない、いかにもハッタリ屋のような胡散臭い、ダーティーな安倍晴明を上手く演じている。
 という安倍晴明だが、平安中期に実在した人物である。(921年生-1005年没)
 簡単に経歴を記すと、賀茂忠行、保憲父子の師事し、陰陽道、天文道を学び、天文博士などを歴任する。式神を使い、天文を解して事変等を予見したと言われる。卓越した卜占の技術を持っていたと伝えられ、「大鏡」や「今昔物語集」などに逸話が残っており、中世、近世にかけては、様々な物語に取り入れられ、伝説に彩られた人物である。
 しかし、なぜに洛中ではなくこのような離れた場所の墓所がたてられているのだろうか?
 安倍晴明の墓所については、ここ以外にもいくつかの場所が伝わっているのだが、ここは、京都の堀川晴明神社が飛び地として管理しているので、公的な見解としては、この場所が墓所としているようである。(晴明神社のHPでも嵯峨墓所として出てくる。)

 確かにそういった関係もあるのか、供養塔の身の部分には、五芒星が刻まれている。

 
 
 1005年、安倍晴明が死去した後、この地にあったとされる寿寧院というお寺に埋葬されたと伝わることから、この地に石塔が立てられたようである。
 石塔自体は、最近のものでかなり新しい。

 

 ここも全くと言っていいほど人の姿がなかった。それぐらいでいいと思う。
 嵐電を使った天皇陵めぐりもこれで終了。



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