赤土山古墳から、少し元来た道に引き返し、今度はシャープの社員寮として使用されていた団地群の中を抜けて、名阪国道の側道に出る。途中、シャープの研修所や研究所があった。建物は残っているが、現在は使われていない様子。
僕が、大学を出た30年程前には、シャープがこんな状況になるとは誰も思わなかっただろうな。時の移り変わりというか栄枯盛衰を感じる。これだけの立派な建物を放置しておくのももったいないなあ。再利用とか考えてないんだろうか。
そして、名阪国道の側道を東に向かって歩いていくと右手に、太陽光パネルの奥に墳丘らしきものが見えた。これが岩屋大塚古墳である。
一見、方墳かなと思う雰囲気なのだが、前方部を東に向けて造られた前方後円墳で、ちょうど隣を走る京阪国道と同じ方向に軸を向けている。
墳丘自体は、かなり後世の改変を受けており、特に名阪国道の建設により、墳丘の南半分をごっそりと削平されている。そのため、よくよく観察しないと前方後円墳とは想像がつかない。ただ、ようよう見てみると二つマウントがあるので、それという見当は付く感じである。
ちょうど、墳丘の間の所から少し道があったので登ってみた。ちょうど後円部にあたる場所でおそらく横穴式石室があった場所であろう。
きれいに墳丘の土が削り取られているのがわかる。石室もその時、破壊されたのだろう。名阪国道の建設に伴う発掘調査では、横穴式石室の敷石が検出されている。
また、前方部にも横穴式石室があったことが、同じく調査の結果判明している。
岩屋大塚古墳については、全長76m、後円部径60m、前方部幅42mの規模となっているが、本来はもう少し大きくて84mほどはあったと考えられている。築造時期としては、6世紀前半と考えられている。
被葬者については、誰かははっきりはしないが、おそらくこの辺りに勢力を持っていた物部氏の一族であろう。
この後は、さらにハミ塚古墳をめざしてさらに東へ向かうことにしよう。
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