和邇下神社の杜を出て、農村的な雰囲気から一転住宅街の中に入っていく。山に近づいていくせいか少しづつ傾斜がきつくなってきた。
そうこうしているうちに赤土山古墳の姿が見えてくる。
赤土山古墳は、東大寺山丘陵に位置する古墳で、東大寺山古墳、和邇下神社古墳などとともに東大寺山古墳群を形成している。
全長106.5mの二段築造の前方後円墳であるが、古くは前方後方墳とも言われていた。数次に渡る発掘調査の結果、後方部と考えられていたのは、地震による地滑りで後円部の土砂が滑り落ちた結果であるとのこと。
後円部にあったとされる埋葬施設は粘土槨であったが、これも地滑りでほとんどが崩落してしまったそうで、土砂の中から、副葬品と考えられる腕輪型石製品(鍬形石・石釧)や勾玉、刀子などが出土している。
この古墳は、墳丘に登ることができ、ここからの天理市内の眺めはなかなか気持ちがいい。
この古墳の注目は、後円部の南側にある造出部にある復元された家形埴輪群は家形埴輪祭祀遺構と呼ばれ、11基の家形埴輪と囲形埴輪などで構成されている。
家形埴輪も屋根の形が入母屋造りや切妻造りのものや柱間が2間、もしくは3間といったいろいろな形のものがあり、古代豪族の居館を表しているとも言われている。
囲形埴輪が一段と低いところにあるのは、他の建物と違った意味合いがあるのかもしれない。
赤土山古墳は、古墳時代前期の後半、4世紀後半の築造とされ、東大寺山古墳に続く古墳だと考えられている。
赤土山古墳の西側に、赤土山2号墳の半円状の墳丘が残っている。そしてさらに西側には3号墳もあったそうだが、今は、消滅してしまっている。
古墳にすぐ東側にシャープの研修施設があり、その敷地内にもいくつか移設された横穴式石室墳があるらしい。一般には公開されていない様子。残念。
次は、ここから名阪国道をくぐって、うわなり塚古墳をめざして歩こう。
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