佐紀陵山古墳の拝所から、南へ佐紀高塚古墳の前方部を右手に見て、佐紀陵山古墳の南にある八幡神社を周って、今度は、瓢箪山古墳をめざして北上していった。
途中、竹藪があり、のぞき込んでみると、濠のようなものと地面の高まりが見えるため、これが猫塚古墳かと思って何枚か写真を撮ってみて、その後、Googleマップで調べてみると古墳ではなく、超昇寺城という戦国時代の筒井氏が造った城の跡であることがわかった。その場でネットで検索してわかるってすごいねえ。
現地は、すごい竹藪になっているので、立ち入ることは難しそうだ。(何よりも私有地だ。)なにげなくこういう史跡がある所が奈良のすごい所なのだが、そのまま放置されているのが悲しいなあ。
さらにため池の横を通って北へ登っていく途中、民家の奥に竹藪があり、どうやらこれが猫塚古墳のある所のようだ。
ここも竹藪になっており、どこに猫塚古墳があるのか判然としない。手前が畑地なので、近寄ることもできそうにないなあ。
調べると、猫塚古墳は、墳頂110mの西向きの前方後円墳で、古墳時代前期後葉に造られたと考えられている。埋葬施設は、竪穴式石槨と考えられ、そこからは、神人竜虎画像鏡や銅鏃、石釧などが出土している。
かつて、奈良時代、この辺りには奈良時代の庭園、松林苑があったところで、猫塚古墳が、その南限と考えられているが、付近にその存在を思わせるものがまったくなかった。
猫塚古墳から、少し北に行ったところに、瓢箪山古墳がある。
瓢箪山古墳は、墳頂96m、古墳時代中期初葉に築造された中型の前方後円墳である。佐紀盾列古墳群の中で唯一、墳丘に登ることができる古墳である。
写真のように生垣の切れたところから墳丘に登ることができる。登ってみると、後円部に周濠が残っており、ぐるっと周濠が巡っていたように思われるのだが、本古墳に隣接して、衛門戸丸塚古墳と言う古墳があり、その古墳を避けるために、南西部では、周濠が造られていないそうだ。残念なことに、うっかりしていて衛門戸丸塚古墳の姿を確認することを忘れてしまっていた。
墳丘にからは、この古墳の西側に存在している佐紀陵山古墳の姿を見ることができる。
この古墳について、埋葬施設については不明。ただし、前方部に粘土槨の埋葬施設があったことは確認されている。
瓢箪山古墳からは、東へ向かって、塩塚古墳に向かうこととした。
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