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令和元年10月6日(日)
この日、二つ目の現地説明会。先の説明会が「藤原京五条八・九坊」であったので、そこから、東へ通りを二つ動いたことになる。
現在の場所は、奈良県立医科大学のグラウンドで、二年前に行われた今回の調査地の北側の発掘調査の現地説明会にも参加しているので、二回目ということになる。
今回も二年前の時と同様に、盛り土を高台に整備して、調査区全体が鳥瞰できるようになっていた。
調査区全体を一望できるとわかりやすい。費用もかかるからなかなかできないだろうけど、是非とも実施してほしいなあと思う。
今回の調査では、①藤原京の遺構として、西六坊坊間路や藤原京を造営する際に使用された溝が見つかったこと。②また、これまで知られていなかった古墳が、一基検出されたこと。③さらに古墳よりも古い時代のものと考えられる遺構が出土したことなどである。
【藤原京の遺構】
藤原京の遺構としては、藤原京が造営時に使用していたと考えられる東西にわたる溝9が見つかっている。
この溝については、藤原京を造る際に、資材などを運ぶために使用されたのではないかと推定されており、藤原京を造営する過程で、必要がなくなった時点で埋められ、整地されたと考えられる。
また藤原京の西六坊坊間路が見つかっており、道の両側に沿って側溝と考えられる溝が南北に掘られていた。この西六坊坊間路と溝9の関係であるが、先ほどに書いたように、溝9については、藤原京の造営過程の中で、埋められ、整地されているのだが、その上を西六坊坊間路が走っているのが、下の写真でわかると思う。
その他、藤原京の頃のものと考えられる井戸なども見つかっている。
【四条14号墳】
これまで知られていなかった古墳が一基見つかっている。四条14号墳と名付けられた古墳がそれである。
写真の上の方に古墳の姿が見える。四条14号墳については、直径25mほどの円墳で、北西に造り出しがある。6世紀の初めごろに築造されたものである。
周濠からは、馬形の埴輪や円筒埴輪などが出土している。
また、周濠をわたるための陸橋なども見つかっている。
この古墳も、他の四条古墳群の古墳と同様に、藤原京を造営する際に削平され、周濠は埋められたと考えられている。こうなると、現在、綏靖天皇陵として治定されている塚山古墳の存在が気になる。この古墳だけは、何故か藤原京の造営に対して意図的に残されたとみてもおかしくないような気がする。
日本書記の「壬申紀」の記述との関連性が気になる所ではある。
【古墳よりもさらに古い遺構】
弥生時代のものと考えられる井戸が見つかっている。
さらに、古墳時代の土器などを集めた土坑が見つかっている。
高坏など祭祀に使われたようなものが多く、何らかの祈りを込めた場所であったかもしれないとのことであった。
今回の調査で見つかった遺構などは、今後どうなるのかはわからない。大学の整備の関係でどうなるのであろう。気になるなあ。
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