休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

京都を歩く ~京都国立博物館周辺~

2007-05-07 06:44:12 | 史跡を歩く
 GWの真っ只中、家族で京都を歩いてみました。まずは京阪七条から京都国立博物館へ「藤原道長展」を見に、京都国立博物館へは、三十三間堂の方から入らず少し方広寺の方へ折れて、正面から入ってみました。真正面から博物館に入ると、何か西洋の宮殿に入っていくような感じで、ちょっと荘厳な気持ちになってきます。前にも書いたことがありますが、ここの博物館は、建物だけでなく周辺の庭も大きくて、いかにもこれから美術鑑賞という気分にさせてくれる雰囲気がある。中にはにはロダンの考える人の銅像があり、子どもたちのこの像の存在は知っていても、まさかこんなところにもあるとは知らなかったようでちょっとびっくり。いよいよ博物館の中へ、本日はGWにもかかわらず館内は比較的空いていて見やすかったです。今年は藤原道長が金峯山に経塚を立てて1000年になることを記念しての展覧会になります。経塚と言うのは平安時代の後期に流行したものでお経などを未来に伝える目的で埋めたものを言います。その現存する最古のものが藤原道長が最古のもののようです。道長が「この世をはわが世とぞ思う望月の欠けたる事もなしと思えば」と詠んだのはもう少し後のことですが、995年に内覧の位置につき、政権を獲得してからのことなので、絶頂のときに経塚を造営するという行事を行ったことになります。この辺のことは当時流行した末法思想と関連しているのかな。なんにせよ経塚は末法の世を迎え、弥勒菩薩の来迎まで、仏典を伝えようとして、土中に埋められたもので、いわばタイムカプセルのようなものといえそうではあります。そういえば高校生の頃みんなとタイムカプセルと言っていろんな物を埋めたけど結局見つからなかったなあ。1000年も前のものが出てくると言うのはロマンのある話ではあるけど、道長らが目指していたのは56億年もの先のこと。そう考えると不思議な気分になります。
 展覧会では、国宝の「御堂関白日記」が展示されており、道長の直筆も見れます。あんまり上手な字ではなさそう。結構雑な性格だったかも。当時の日記は暦に書かれていて、沐浴なんて文字もあったりします。他にも先の「望月の」の和歌が書きとめられた藤原実資の「小右記」(写本ではありますが・・・)なんてものも
ありました。
 そうそう道長が経塚に収めた経筒も展示されていました。金銅製のもので当時の道長の財力がしのばれます。
 今回も日記等文書が多かったです。いつも思うのですがこういう文書飾っておくだけではなく、もう少し見やすくなるように解説を工夫していただきたいものです。結構皆さんこういう墨跡になると早足になったりします。
 その後常設展へ。常設展の銅鐸の展示は圧巻。これだけの数が一ヶ所に展示されているのはすごいと思う。見ていると同じ型で作られたのではないかと思われるものもあったりします。子どもと2人でワーワー言いながら楽しんで見ました。子どもはむしろこっちの方が楽しかったような感じでした。
 その後、博物館のお隣にある豊国神社へ。伏見城の以降といわれる唐門が見事です。またひょうたんの型をした絵馬が飾っていて、芸能人の方の書かれたものもありました。

 この神社の裏山には豊臣秀吉のお墓もあります。中学生のとき登ったけどしんどかった印象しかないです。豊国神社の隣には、大阪の陣のきっかけとなったと言われる鐘のある方広寺があり、ちゃんと例の鐘も吊り下げられており、徳川家康が豊臣家に対して因縁をつけた「国家安康」「君臣豊楽」の文字が見えます。ただし当時の面影を残すのは、石垣のみで何も残っていないようです。
(ちゃんと字が読めるかなあ)
 これらの寺社を見た後、京都の町並みを眺めながら、八坂の塔へ向かう。途中なつかしのラーメン藤へ。九条ねぎたっぷりのラーメン。おいしかったですよ。脂がこってりとしていていかにも京都のラーメンという感じですした。ただ長女はねぎが余り得意じゃないので山盛りのねぎに目が点になってました。

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