
昼食後、五条通から建仁寺へ。建仁寺の向かいに古めかしい趣のある小学校が、京都は小学校の出来方が特殊で、確か町組が中心になって出来たと言う話を聞いたような気がします。
建仁寺の境内に入ると、いきなり児童館があり、小さな公園がありました。一緒に歩いていた娘2人が何を思ったかブランコを漕いで遊びだした。もう中学校と小学校高学年なんですが、大丈夫なんでしょうか???楽しそうにブランコに乗っている二人組をみて、近くを通りかかったお姉さんもブランコにつられて漕ぎ始めたりして、遠めで見ていてのんびりとした光景でした。
建仁寺も傍は通るも、境内の中に入るのは初めて、緑にあふれ、清浄な空間が広がっているように感じました。当寺の開基栄西はお茶を日本に初めて中国からもたらした人物ということでお茶にまつわるものもありました。街の中にこういう空間が自然とあるこういう所が京都のよさだと思う。
立派な山門を見て、東山の方へ。東大路から八坂通りへと入る交差点のところでたぶん坂本龍馬の格好をしていたお兄さんがいた。おっファンが高じてこういう服装をすることになったのかと思っていたら、お姉ちゃんが通るたびに声を掛けていた。なんやただのナンパの道具やったんか・・・。
八坂通りを歩き、八坂の塔を見る。京都を代表する建物だと思うけど実際に見たのは初めて。建物自体は室町時代のものだったと思う。ただお寺自体は聖徳太子創建の伝承もあるのでかなり古くからあると思う。おそらく発掘調査などなされていないと思うので真偽に程は定かではない。
この塔も近くから見るよりもちょっと離れたところから仰ぎ見る方が姿がいいような気がする。しかし八坂通りから三年坂、高台寺通りと歩くがすごい人。
その後急な坂を上って霊山歴史館へ。木戸孝允の特別展をしてました。木戸孝允(桂小五郎)「逃げの小五郎」と言われているためかどうも印象が薄い。高杉晋作程の強烈なインパクトもなく、後の伊藤博文のような事績もないんだなあ。そういえば坂本龍馬を切った日本刀が展示されてました。真偽の程は???。ただ実際の龍馬の暗殺にかかわった見回り組組員の持ち物だったのは間違いのないもののようです。(今の科学技術をもってすればおそらく鑑定は出来るでしょうがそれではロマンがなさ過ぎるよね。)しかし考えるとみんなこの頃活躍した人は年下になってしまっています。青雲の志をもって上京して20年、何事もなさず、光陰矢のごとしあっという間にすぎてしまった。出口のところで新撰組の服装を着て写真を撮れる所があったので、娘2人で撮って来ました。

霊山歴史館の全景。最近建物きれいになった?
歴史館の向いの山に、坂本龍馬や木戸孝允など維新の功臣が眠っています。
歴史館から高台寺通りを歩いて、円山公園へ。私が学生の頃はもうちょっと人通りは少なかったと思う。その当時は高台寺も非公開だったし、おしゃれなお店も少なかったかな。大学合格したとき母親にこのあたりのちょっと格式の高そうなお店(料亭)に連れて行ってもらったことがある。懐かしいなあ。
ただ途中、祇園女御の塚と伝えられる五輪塔があったのですが、いつのまにかなくなってました、そして祇園寺と称するキンキラキン怪しげなお寺が建ってました。なんで???こういうちょっとしたものにも何らかの伝承が息づいているのが、また京都なのに、非常に残念な思いがします。五輪等自体は新しかったのでどこまで関係があるのかはわからないですが、そういう伝承が残っていることが歴史的な価値だと思うんだけどなあ。
円山公園では、有名な、サスペンスになると必ず出てくるしだれ桜のところでギターを弾いている外人さんがいました。いつ来ても必ず見かけるので、長いことしてはると思います。うまいのか下手なのかはわからないけど、公園の中で生演奏を、アイスクリーム食べながら聞けると言うのもいいものではあります。しだれ桜がちょっと弱ってきてるのか元気がなさそうでした。桜の下には死体が眠っていると梶井基次郎だったっけ。けだし名言です。
その後八坂神社を横切って、晩御飯を食べて帰宅しました。いや~GWの京都はすごい人でした。お子様も大変疲れた様子でした。ちょっと下の子は歴史に興味を抱いたのか壬生寺に一回行ってみたいと話していました。
僕自身は京都に来るとちょっとしたエネルギー回復になるんですが、今回はさすがに疲れた。でも楽しかった1日でありました。
建仁寺の境内に入ると、いきなり児童館があり、小さな公園がありました。一緒に歩いていた娘2人が何を思ったかブランコを漕いで遊びだした。もう中学校と小学校高学年なんですが、大丈夫なんでしょうか???楽しそうにブランコに乗っている二人組をみて、近くを通りかかったお姉さんもブランコにつられて漕ぎ始めたりして、遠めで見ていてのんびりとした光景でした。
建仁寺も傍は通るも、境内の中に入るのは初めて、緑にあふれ、清浄な空間が広がっているように感じました。当寺の開基栄西はお茶を日本に初めて中国からもたらした人物ということでお茶にまつわるものもありました。街の中にこういう空間が自然とあるこういう所が京都のよさだと思う。
立派な山門を見て、東山の方へ。東大路から八坂通りへと入る交差点のところでたぶん坂本龍馬の格好をしていたお兄さんがいた。おっファンが高じてこういう服装をすることになったのかと思っていたら、お姉ちゃんが通るたびに声を掛けていた。なんやただのナンパの道具やったんか・・・。
八坂通りを歩き、八坂の塔を見る。京都を代表する建物だと思うけど実際に見たのは初めて。建物自体は室町時代のものだったと思う。ただお寺自体は聖徳太子創建の伝承もあるのでかなり古くからあると思う。おそらく発掘調査などなされていないと思うので真偽に程は定かではない。
この塔も近くから見るよりもちょっと離れたところから仰ぎ見る方が姿がいいような気がする。しかし八坂通りから三年坂、高台寺通りと歩くがすごい人。
その後急な坂を上って霊山歴史館へ。木戸孝允の特別展をしてました。木戸孝允(桂小五郎)「逃げの小五郎」と言われているためかどうも印象が薄い。高杉晋作程の強烈なインパクトもなく、後の伊藤博文のような事績もないんだなあ。そういえば坂本龍馬を切った日本刀が展示されてました。真偽の程は???。ただ実際の龍馬の暗殺にかかわった見回り組組員の持ち物だったのは間違いのないもののようです。(今の科学技術をもってすればおそらく鑑定は出来るでしょうがそれではロマンがなさ過ぎるよね。)しかし考えるとみんなこの頃活躍した人は年下になってしまっています。青雲の志をもって上京して20年、何事もなさず、光陰矢のごとしあっという間にすぎてしまった。出口のところで新撰組の服装を着て写真を撮れる所があったので、娘2人で撮って来ました。

霊山歴史館の全景。最近建物きれいになった?
歴史館の向いの山に、坂本龍馬や木戸孝允など維新の功臣が眠っています。
歴史館から高台寺通りを歩いて、円山公園へ。私が学生の頃はもうちょっと人通りは少なかったと思う。その当時は高台寺も非公開だったし、おしゃれなお店も少なかったかな。大学合格したとき母親にこのあたりのちょっと格式の高そうなお店(料亭)に連れて行ってもらったことがある。懐かしいなあ。
ただ途中、祇園女御の塚と伝えられる五輪塔があったのですが、いつのまにかなくなってました、そして祇園寺と称するキンキラキン怪しげなお寺が建ってました。なんで???こういうちょっとしたものにも何らかの伝承が息づいているのが、また京都なのに、非常に残念な思いがします。五輪等自体は新しかったのでどこまで関係があるのかはわからないですが、そういう伝承が残っていることが歴史的な価値だと思うんだけどなあ。
円山公園では、有名な、サスペンスになると必ず出てくるしだれ桜のところでギターを弾いている外人さんがいました。いつ来ても必ず見かけるので、長いことしてはると思います。うまいのか下手なのかはわからないけど、公園の中で生演奏を、アイスクリーム食べながら聞けると言うのもいいものではあります。しだれ桜がちょっと弱ってきてるのか元気がなさそうでした。桜の下には死体が眠っていると梶井基次郎だったっけ。けだし名言です。
その後八坂神社を横切って、晩御飯を食べて帰宅しました。いや~GWの京都はすごい人でした。お子様も大変疲れた様子でした。ちょっと下の子は歴史に興味を抱いたのか壬生寺に一回行ってみたいと話していました。
僕自身は京都に来るとちょっとしたエネルギー回復になるんですが、今回はさすがに疲れた。でも楽しかった1日でありました。
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