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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

あすなろ物語

2012-10-09 00:06:49 | 読書日記
 あすなろ物語
 井上 靖著 新潮文庫

 これも、中学生だったか、高校一年生ごろに読んだ小説の再読である。たぶんその頃は、教科書にも取り上げられていて、井上靖の本に入る入門書みたいな位置づけだったように思う。
 確かに、この小説の一節である「あすは檜になろう、あすは檜のなろうと一生懸命考えている木よ。でも永久に檜になれないんだって、だからあすなろうというのよ。」そして檜になるために努力する精神の大切さを描いているというわけで、中学生に読むにはよからんと言う訳なんだろうけど、全編を通して読んでみるとちょっと違う読後感を持ってしまった。(これは、最初に読んだときも、何か違うぞとは思っていたのだが、いつの間にか忘れてしまっていた。)

 この小説は、以下の6編からなる連作小説である。

 「深い深い雪の中で」
 「寒月がかかれば」
 「漲ろう水の面より」
 「春の狐火」
 「勝敗」
 「星の植民地」

 はじめの3編が、学生時代であり、後半の3編は、記者になってからの物語である。そして、それぞれの短編には、主人公とさまざまな女性との出会いが書かれている。
 教科書に取り上げられているのは、たぶんはじめの2編だと思う。後半は、不倫を想像させる描写もあったりして、どうも中学生が読むには宜しくない内容である。

 僕も今であれば、井上靖の入門書であれば、「しろばんば」「夏草冬濤」「北の海」の三部作を進めるだろうなと思う。

 よく考えると、この小説に登場してくる人物は誰一人として、檜のままである。みんなあすなろのままである。主人公にしたってそうである。また、ここに登場してくる女性とも、成就していない。最後は不倫だからなあ。何とも言えない人間の物悲しさを感じてしまう。

 みんな、檜になろうとしている。けれどもそうなることが出来ない物悲しさが、本当のテーマなんだろうなと思う。

 しかし、一番最初の物話で、大学生と心中した冴子という女性が話す「トオイ、トオイ山ノオクデ、フカイ、フカイ雪二ウズモレテ、ネムッテシマウノ、イツカ」というセリフは、今でも、それとなく覚えていたりする。自殺に対する陶酔感を覚えたんだろうな。でも今の僕は、そういう気持ちだけは、否定する。どんなことがあっても生きなければならない。

 考えれば、主人公はどんなにぼろぼろになっても生きていくんだろうな思う。そうだそれでいいんだ。
 そういうことでしょう。

 中学生に、あすはあすなろになろうと努力するけれども、なれないことが多いって言う現実を教えることは必要なんだろうか?どうでしょう?

 

 
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