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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

天理市の古墳をあるく(杣之内篇)⑦ ~西乗鞍古墳~

2024-01-27 23:49:00 | 古墳紀行

 東乗鞍古墳から元来た道を戻って駐車場の方から西側に向かって歩いていくと、田んぼの中に西乗鞍古墳の姿が徐々に見えてくる。

 

 西乗鞍古墳は、全長118mの二段に造られた前方後円墳である。航空写真などで見てわかるように、後円部に比べて前方部が大きく広がっており、古墳時代の中期の後半、5世紀末に築造されたと考えられている。

 途中、天理環状線に交わり、そこで左折をして、南へ少し下ると公衆トイレがあるポケットパークがあり、その横から墳丘に登っていくことが出来る。

 

 古墳の中を登っていくと、平坦地が大きく広がっている。これは、西乗鞍古墳の外堤と周濠が埋没して造られたものである。

 

 この平坦地は、古墳の西側に広がっている。端には桜の木がずらっと並んでおり、おそらく春、桜の季節には、きれいな桜並木になっているのだろうなと思う。訪れたときは3月の中頃であり、桜の開花にはまだまだ早かった。

 

 平坦地から墳丘に登る道がついており、少し急な坂にはなっている。まあ、墳丘だからね。

 

 おそらく後円部にあたる所から登っていく。

 

 登っていくとちょうど前方部と後円部の接合部分、くびれ部辺りに出た。

 

 前方部の墳頂に「大元帥陛下駐蹕之處」と彫られた大きな石碑が立っていた。これは、1932年大阪平野、奈良盆地で行われた陸軍特別大演習の際に、西乗鞍古墳に設置された統監所にて、昭和天皇が全軍の動静を視察した事績を顕彰することを目的として、設置されたものである。

 

 この石碑以外は、前方部も後円部も目立つものはない。また。周囲も樹々が生い茂っているため、あまり眺望も聞かない。

 この西乗鞍古墳の埋葬施設については、確かなことはわかっておらず、天理大学が行った埋葬施設探査において、後円部の上段に、石室らしき空間があることが判明している。どうやら横穴式石室が残っているようである。

 近くの東乗鞍古墳との比較では、西乗鞍古墳の方が先に造られたようであり、ともに首長墓と考えられている。そして、これらの古墳を造ったのは物部氏であろうと考えられているが、同時期に造られたと考えられる古墳は複数あることから、物部氏としては、一つの系統だけでなく、いくつもの系統があったと想定できそうである。

 ちなみに、この西乗鞍古墳については、2018年杣之内古墳群の一つとして国の史跡指定を受けている。

 

 ※右が東乗鞍古墳、左が西乗鞍古墳。

 この後は、小墓古墳を見て、天理駅まで帰ることにしよう。

 


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