西山古墳から天理大学クラブハウスの横をすり抜けるようにして構内を出ると、天理環状線がちょうど目の前に走っており、道沿いにある天理高校のグラウンドの前に小さな可愛らしい形の良い土饅頭のような古墳が眼に入った。
近寄ってみると何の説明板もなく、畑の中にポツンとある。塚の腰高な感じから古墳であることは間違いないと思われるのだが・・・。
改めて奈良県の遺跡地図を確認すると、径13mの円墳であるらしい。しかし周囲にはこれと言って古墳らしきものはなかった。
保昌塚古墳という名称が印象的で、一瞬、保昌というと平安時代の貴族で、和泉式部の夫で、盗賊袴垂のお兄さんの藤原保昌の名前が浮かんだが、どうも違うようで、鎌倉時代の名工、保昌五郎という人のお墓という伝承から保昌塚古墳と呼ばれるようになったらしい。調べてみると保昌五郎貞宗という人物は、鎌倉時代後期、大和保昌派の祖と呼ばれた刀工なんだそうだ。
この辺りに住んでいたという伝承があるのかな???
この古墳については、発掘調査等も実施されていないので詳細はわからない。ただ、横穴式石室や石棺があるとも言われている。
何か石室を示すような痕跡はないかなと墳丘を一回りするもそれらしいものは見当たらなかった。
何となく段があるような気もする。
平成12年に天理大学の歴史研究会がこの古墳のレーダー探査を行い、直径16m、高さ4mの古墳であると判明したそうだ。
まあ、何でもかんでも発掘調査をすればいいというもんでもないし、このままこじんまりとこの場所の居座っているのもいいのかもしれない。
保昌塚古墳から天理環状線を北へ進んでいくと、道沿いに峯塚古墳の説明板があった。
ここから、小径に入って古墳を探すことにしよう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます