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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

ハーメルンの笛吹き男

2014-11-27 07:18:16 | 読書日記
 ハーメルンの笛吹き男 ~伝説とその世界~
 阿部謹也著 ちくま文庫

 この本が出版されたのは、1988年である。ちょうど僕が学生の頃である。この本を買ったきっかけは、当時、同和教育の講義(当時、立命館は、「同和教育」に熱心であった。)を受け持っておられた中村福治先生が、講義の中で阿部謹也さんのは「ハーメルンの笛吹き男」について内容は覚えていないのだけど言及されていた。その頃、世の中は社会史ブームということもあり、ちょっと読んでみたいなあと思った時に、タイミングよくこの本がちくま文庫として出版された。早速飛びついて、購入したのはいいが、読むのを途中で挫折。それから、30年近く経ってから、僕の中で阿部謹也ブームがにわかに沸き起こり、本棚の奥から引っ張り出して読んでみることにした。
 内容は、非常に面白く、通勤途中に、一度本書に夢中になるあまり、降りるはずの駅を一駅乗り過ごしてしまうという失態をやらかしてしまった。

 ハーメルンの笛吹き男については、グリム童話等で良く知られている。ハーメルンの街が鼠の被害に苦しめられているときに、どこからかやってきた笛吹き男が鼠退治を請け負う。巧みに笛を吹きながら鼠を誘い出し、川に溺れさせて、鼠を死滅させるも、ハーメルンの街は、笛吹き男に約束をしていた謝礼を支払わない。怒った笛吹き男は、今度は笛を吹くと街じゅうの子ども達を誘い出し、どこかへと去ってしまうという話である。

 この伝説にある子ども達が行方不明になったという話は、実際に起こった話だという。1284年6月26日、ハーメルンの街に住む子どもたち130人が、とこかに連れ去られ行方不明になった。何の目的で、何処に行ったのかはわからない。ただ、忽然と130名もの子どもたちが消えてしまったのは事実であるようだ。いなくなった原因については、諸説ある。少年十字軍として街を出ていった。新しい都市に植民として連れ去られたなどである。

 本書では、1284年6月26日に子ども達がいなくなったという伝承が、どのようにグリム童話にあるような伝説に変貌をしていったのか、その背景にどんな社会があったのか?伝説を形成過程を古文書や民俗学の成果を駆使しながら明らかにしていく。ミステリー仕立てともいえる展開に、ドンドンと深みにはまっていく。130人の子ども達を連れ去った男は誰なのか?例えば植民の請負人のような人ではないのか。そういった人物が、笛吹き男と結びついていく。13世紀頃には、笛吹き男という遍歴芸人は、地域の共同体の中の身分制度の外にある存在として、賤視される存在であった。共同体の中で、何か得体のしれない存在であり、それは畏怖されるべきものであった。そして、原因はわからないが、130人もの子ども達が突然行方不明になった事件と結びついていくことになる。
 
 その後、一定社会が安定し始めると、遍歴芸人である笛吹き男のような楽士の地位は上昇し始める。時の権力者と結びつくようになっていくとこの伝説もさらに変容をし始める。そして、当時共同体の中で、生活に密着する問題としては、備蓄された食糧に対する鼠の被害であったといわれる。そして、そういった鼠の駆除する職業を糧とする者がいた。と同時に地域社会の中で賤視される存在であった。そうした人物が鼠取り男として、伝説の中に取り入れられようになる。そして、鼠取り男が吹く笛について、魔術的な能力が与えられるようにいたり、グリム童話に取り入れられているような伝説になっていく。

 本書の中で、明らかにしたのは、西洋社会についても、職業により賤視されるの存在が地域の共同体の中にいたということであろう。歴史学の中で、政治史や経済史といった主流ではなしに、この伝説の形成を元にを中心とする、当時の社会構造を明らかにしたものである。

 本書は、発売当時、圧倒的な支持を集め、日本中世史の網野善彦氏と同様に社会史ブームの先駆けとなったものである。僕も社会史ブームに影響を受けてと、中世史の勉強に励んだものだったなあ。この流れで、文化人類学や民俗学への興味を持つようになった。懐かしい。
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