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條ウル神古墳から、国道309号線に出るとちょうどタイミングよくコンビニエンスストアがあったので、一旦ここで休憩。Googleマップにて目的地である日本武尊白鳥陵の場所を確認し、富田の交差点から、集落の方へ向かう。
集落に入ってから北の方角に向かって歩くと、民家と民家の間に細い道があり、日本武尊白鳥陵と書いた、おそらく地元の人が書いたであろう案内板があった。
おそらくこの案内板がなかったら、通り過ぎてしまったような気がするな。
小さな路地の向こうに白鳥陵に向かう階段が見える。
路地の奥にある石段から陵にアクセスする。
登ったところに拝所らしきものがあった。ただ、何故かこういう所につきものの鳥居と制札がなかった。羽曳野市にあるもう一つの白鳥陵は、鳥居も制札もある。この違いはなんだろう。
日本武尊については、『「古事記」に語られた悲劇的英雄であり、景行天皇の皇子として生まれるが、あまりに勇猛なため父、景行天皇に恐れられ、追放同然の旅に出る。征西の際、熊襲建からこの世に並びなき勇者としてヤマトタケルの名が送られた。その後各地の賊や蕃神を平定するうちに疲れ果て、東征の地伊勢(能褒野)で亡くなったという。』(角川新版日本史辞典より)
死後、能褒野の地で埋葬された日本武尊の魂が白鳥となったという伝説が古事記、日本書紀にあり、その白鳥が止まったとされる大和の琴引原と河内の旧市村(古市)に陵を作ったとされる。ただし、大和については、日本書紀のみに記述がある。
この伝説に基づいて、この地が白鳥陵として宮内庁が管理している。
この陵の周りをぐるっと一回りできるので歩いてみた。
途中、ミツバチの養蜂をされている巣箱があった。そういえば、途中ちらほらとレンゲの花が咲いていたな。
歩いてみるもあんまり古墳という感じがしない。
丘の頂をそれらしく囲ったような感じもする。
奈良県遺跡地図にも古墳とはされていないし、御所市のHPでは、はっきりと古墳ではないと書いている。(笑)
この真偽はさておき、こういう伝承があったという事は大切にしていくべき事かなと思う。
白鳥陵のある丘陵から下って、西の方へ回り込むと、琴引原伝承地と書かれた看板があった。
レンゲの季節になって来た。(御所の地に行ったのは5月の初め頃だった。)だから、ミツバチを飛ばしてたのか。なるほど。
日本武尊については、わりとなじみのある神話上の人物で、大学に入りたての頃、豊田有恒氏の「火の国のヤマトタケル」や「出雲のヤマトタケル」など祥伝社から出版されていたヤマトタケルシリーズを夢中になって読んでいたものである。そういえば、大学におられた神話学者の松前健先生の最終講演が「ヤマトタケル」をテーマにしたもので、貴種流離譚という言葉もこの時初めて知った。懐かしい思い出である
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