安部文珠院を出て、南の方を向いて古い町並みの中を歩いていくと、少し大きな公園がある。
ここが安部寺跡であり、現在は史跡公園として整備されている。僕が訪れた時は、公園の中で子どもたちがキャッチボールなどしていて、牧歌的な、ゆったりとした雰囲気を醸し出していた。
公園の中には、いくつかの基壇であろう高まりがあるが、その中でもひときわ大きな高まりがある。仲麻呂屋敷という名称が伝わっているが、これが安部寺の塔の基壇である。大きさとしては、一辺12.1mであり、基壇に上がると、礎石をいくつか見ることができる。
また、周辺には、回廊や金堂の基壇も残っている。
金堂は、東西で約22.8m、南北は西側で約18.1m、東側で約17.7mであった。塔跡の基壇よりもかなり低いのは、上面が長い年月の間に削平されたためである。
また、塔や金堂の基壇をめぐるように回廊の基壇がある。
回廊の基壇は、北、西北隅、西側で検出されている。
伽藍配置としては、南面して、東に金堂、西に塔を配置し、それを回廊が巡る形をとっている。法隆寺式に近い感じである。
この遺跡からは、山田寺や吉備池廃寺(百済大寺)と類似した瓦が出土しており、同じ時期、7世紀の中頃に創建されたと考えられている。
また、安部寺については、東大寺要録に示されている「崇敬寺」と同じであると考えられ、それによると大化の改新の功臣である阿部倉梯麻呂の創建とされている。阿部氏の氏寺として栄えたようで、後には大和の十五大寺の一つとされたが、鎌倉時代に戦火にあい、その後衰えたとされる。
そして、この安部寺の別院が、移転して安部文珠院として栄えることになった。
この歴史公園の中には、鎌倉時代の瓦窯跡が保存展示されているのだが、この時は全く気づかず写真に収めることができなかった。
ただ、歴史公園の中は、地域の人たちの憩いの場となっているようで、グラウンドゴルフなどでも使用されているようだ。地域の中に溶け込んでいるような雰囲気が気持ちよかった。
安部寺跡を最後に、近鉄の桜井駅をめざして帰ることにした。
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