休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

京都、花園界隈を歩く④ ~妙心寺~

2014-06-28 22:27:50 | 史跡を歩く
 花園探索の最後は、妙心寺である。学生時代、友人が妙心寺の近くに下宿していたので、よくこの辺りをうろうろとしていた。特に思い出があるのは、お好み焼き「ジャンボ」で、本店ともう一店舗があって、いつも行列が出来ていた。とにかくお好み焼きの大きさが尋常ではなく、2人ががりで食べていたと思う。焼きそばもあって、塵取りみたいなのに入れて運ばれていたような記憶がある。量が多かったので学生には人気があった。
 妙心寺界隈は、夜が更けてから、お酒を飲んでうろうろすることが多かった。夜中、妙心寺の中を横切ることも多かった。逆に明るいうちに中に入ったことはあんまり記憶がない。せっかくの文化財なのに。まあそんなものか。

 妙心寺の境内はすこぶる大きい。境内の広さは約10万坪。東京ドームが7つ入るそうだ。

 境内には、如何にも禅宗の寺院らしい硬質な重厚な雰囲気が漂う。そして、仏殿、法堂は、並ぶ様は壮観である。

 


 その奥には勅使門が並ぶ。国のいずれも重要文化財となっている。

 

 こういった押し出しのある伽藍が街の中に普通に残っているのが京都なのかもしれない。

 妙心寺は、南北朝時代、花園上皇は、この地にあった離宮を禅寺に改めたことに始まると言われる。その後、時の権力とは一歩離れて林下の禅を主張するも、室町時代に、応永の変で追討された大内義弘と親交があったことから、寺領等を没収され、一時衰退するも、戦国期には興隆を極める。
 そういえば、境内を歩いていると多くの塔頭があるが(約40あるそうだ。)、著名な戦国大名の墓所などになっているところが多く見ることができる。例えば山内一豊ゆかりの大通院や真田氏ゆかりの大法院などがある。
 今や、臨済宗の中でも妙心寺派が一番多いのだそうだ。

 

 法堂と仏殿を繋ぐ回廊。

 

 妙心寺のそばには、高校野球の名門校、京都学園高校がある。(僕が学生のころは京都商業だった。)
 
 そしてさらに東へ行くと、花園団地がある。昔、ここに京都工芸繊維大学があったそうだ。団地の片隅に平安京の右京三坊北辺並一条として、旧宇多院跡であることを示す看板が立っています。(団地内に他にもいくつか看板がある。)

 

 そうか、ここ、妙心寺の北辺は一条通であったのか。

 もう少し歩くと西大路通である。花園の探索もこれで終了である。お疲れ様。
 

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