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京都で学生時代のサークル仲間が集まるということで、上洛。集合時間まで少しあることから、東山は円山公園周辺を散策しようと思い、歩いているとひときわ大きい禅宗様の寺院の門が見えた。
知恩院の三門である。
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高さは34mにもなる五間三戸の二階建て二重門であり、見るものを圧倒する迫力は半端ではない。仰ぎ見ては、すごいなあという言葉しか出てこない。現存する寺院の三門では日本一の大きさであるそうだ。建築されたのは、1621年2代将軍の徳川秀忠が寄進したという。
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三門をくぐって、境内に入っていくのだが、三門の柱がこれまた太い。今の日本でこれだけの建材が手に入るんだろうかなどと思う。ちなみに、三門は、五山のみが建てることがゆるされたものであるそうだ。知恩院にあるのは例外中の例外。徳川家の信仰の厚さがうかがえる。平成14年には、国宝に指定されている。
三門から長い階段を登っていくと、御影堂(本堂)があるが、現在は、修理中で見ることはかなわなかった。
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御影堂の裏に回ると、経蔵があった。これも唐様と和様の混じったなかなか重厚な建物で、国の重要文化財にも指定されている。
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経蔵の左を行くと、勢至堂や開山堂などに登るための階段がある。階段の左手には、浄土宗の開祖である法然上人の銅像が建てられている。
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階段を登っていくと、左手に勢至堂が見える。勢至堂は、戦国時代享禄3年(1530年)に建てられた知恩院の中では現存する最古の建物である。建てられた当初は、ここが本堂であったらしい。本尊は勢至菩薩。浄土宗では、法然を勢至菩薩の生まれ変わりとしている。勢至菩薩とは、阿弥陀三尊の右脇侍であり、仏の智門を司り、衆生の菩提心を起こさせる。智慧の光を持って一切を照らし衆生が地獄・餓鬼界へ落ちないように救ってくださる菩薩であるとのこと。ちなみに左脇侍は、観音菩薩である。
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この勢至堂のうらに、大きな墓地があり、歴代の住持のお墓もあるのだが、奥に入っていくとひときわ大きい宝塔があり、それが徳川秀忠の娘であり、豊臣秀頼の正室であった千姫のお墓がある。そうそうついこの間大河ドラマになった「江」の娘でもある。
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千姫については、大坂城落城の時、助け出されたまでは知っているが、意外とその後のことは知られていないような気がする。秀頼の死後、千姫は、秀頼の娘天秀尼の助命嘆願をし、その命を助けている。その後姫路新田藩主の本多忠刻に嫁ぎ、一女 勝姫をもうける。勝姫は、岡山藩主池田光政に嫁いでいる。
本多忠刻の死後、天樹院と号し、享年70歳、江戸で亡くなっている。
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千姫のお墓の奥に濡髪大明神と呼ばれるお堂がある。縁結びの神様として知られているらしい。しかし、お堂の横の説明を読んでみると、知恩院の七不思議「忘れ傘」にまつわるもう一つの話を伝えている。もともと御影堂のある場所に白狐が棲んでいたが、この狐は御影堂建設のために棲み処を失ったことを恨みに思い、いつか仕返しをしてやりたいと考えていたという。ある大雨の日、霊厳上人が信者を集めて説法をしている中に、ずぶ濡れになりながら童子の姿に化けた白狐が紛れ込み、熱心に耳を傾けていたのを上人が見つけてその童子に声をかけたところ、自ら狐であることを明かし、上人の話に胸を打たれたと申し出て、そこで上人が狐のために祠を建てたのが濡髪大明神のはじまりだというのである。
ちなみに、知恩院の七不思議とは、「鶯張りの廊下」「白木の棺」「抜け雀」「三方正面真向の猫」「大杓子」「瓜生石」そして「忘れ傘」の七つである。
そして、勢至堂のある場所からさらにのぼると浄土宗の開祖法然を祀った開山堂がある。ここからは、京都の市街一円が見渡すことができる。
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その後、北門を通って、神宮通りに出た。
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この辺りの風景はあまり人が来なくて落ち着いた感じである。
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知恩院の石垣の立派な様相に圧倒されるものがある。俗説にある「徳川家康が、朝廷の謀反に備え、二条城と同様に要塞とするために整備した」というのもうなづけるところではある。
知恩院を出て、すぐのところに花園天皇陵があったが、休日のためか入り口の門がしまったままであった。
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花園天皇の次の天皇が著名な後醍醐天皇である。
そうそう、三門の右手に佛教大学発祥の地という石碑が建っていた。
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今は、この地を離れ紫野と二条にキャンパスがある。
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