朝の用事を済ませてから、岡崎レッドダイヤモンドスタジアム(岡崎中央総合公園)に大急ぎで向かったけども、試合には全く間に合わなかったよ。
TOYOTAのウエアを着た、野球部OBらしき子に、試合の結果を聞いた。
「豊高どうだった?」
「5-0でした。」
「勝ったのか?」
「負けでした。」
すごく悔しそうに言っていた。
間に合わなかったけども、目的は達したので帰ることにした。
豊田高校 000 000 001
大同大学大同高校 000 000 50X
翌日の新聞で経過を大体予測できた
あれ?5-1だ。
5点入れられたところは油断かな?
でも1点返すなんてガッツがある。
見たかった!
大樹寺から岡崎城へのスカイラインビスタラインを見に行った。
本当にビルがないのな。
大樹寺と岡崎城を結ぶ約3kmの直線をビスタラインと呼びます。 これは徳川三代将軍家光が寛永18年、家康の十七回忌を機に徳川家の祖先である松平家の菩提寺である大樹寺の伽藍の大造営を行う際、 「祖父生誕の地を望めるように」との想いを守るため、本堂から三門、総門を通してその真中に岡崎城が望めるように伽藍を配置した事に由来しています。 そして歴代の岡崎城主は、天守閣からここに向かい毎日拝礼したとも伝えられています。 再建された岡崎城も、大樹寺から望む眺望は約370年前の当時のままで、門越しに望む岡崎城の姿はまるで額の中の絵のようです。
条例とかで規制されてるわけではないが、高層ビルを建てないというのが、岡崎市民の心意気。
大樹寺は松平家と徳川家の菩提寺。
菩提寺はたくさんある。
「遺体は駿河久能山に葬る事、葬礼は江戸増上寺で行うこと、位牌は三河大樹寺に立てること、一周忌が過ぎたら下野日光山に小堂を建てて勧請せよこれにて関八州の鎮守とせよ」
という家康公の遺言によって位牌が納められ、歴代将軍の位牌も収められている。
面白いのが位牌の高さ。身長に合わせているらしい。
この寺を建てたのが、安城松平家。なので松平家の位牌もある。ちっちゃいの見ると子供の頃亡くなったというのが知れる。
昔、見に行った。
こういう宝物っぽいのは滝山寺の宝物殿も見ごたえがある。確か有料にて見れるはず。
うちのところは挙母藩・大給藩っていうところなんだが、田舎の領地なので、これといった宝物などはない。岡崎うらやまし。
多宝塔(国重要文化財)
創建当時の建物。放水銃とかも備えられていて、訓練さえしてたらあと200年は姿を保てる。
この模型作ろうかな?とか考えたので、資料集めのために10年ぶりぐらいに訪れた。
松應寺の太子堂に似てる。
子供の頃、4・50年ほど前になるが、岡崎中の大工さんが集まって、この通りが埋まったのを見たことがある。大工の神様だとか聞いた覚えがある。
今でもやってんのかな?あのお祭り。
松應寺は家康公の父親の松平広忠公御廟所がある寺。
岡崎に歴史観光に来たならぜひ寄ってほしい名所のひとつ。
そういえば岡崎の祭りというと大名パレードなんだが、もう一つ好きな祭りがある。
伊賀八幡の隣にある、能見神明宮のお祭り。神明さんと呼ばれ、観光要素はあんまりないが、完全に地元の人のお祭り。
祖母がこの地域に住んでたので、子供の頃はお祭りの時期になるとよく呼ばれ、よく遊びに行っていた。舞台の上で着飾った子供が舞を踊るとか、山車を引き回すとか、神明さんで夜とか行くと、テキ屋さんも来てたので好きな祭りだった。
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