●今日の一枚 287●
Pat Metheny
New Chautauqua
何気なく、しばらくぶりにパット・メセニーでも聴きたいなと思い、CD棚を探していると、このアルバムを発見。そういえばあったな、もう10年以上CDデッキのトレイにのせていないような気がするなどと思い、少女趣味だが、10年以上もCD棚の片隅で私に取り出されるのを待っていたのかなどと、妙な感慨に浸ってしまった。
1978年録音の『ニュー・シャトークァ』、パット・メセニーのソロ作品である。全編オバー・ダビングによって構成されているようだ。改めて聴いてみると、いい音楽だ。すごくいい音楽である。全編に不思議な静けさが漂い、しかも、明るくテンポのいいアメリカン・ポップスのテイストを感じるナンバーと、感傷的で軽い孤独感を感じるナンバーとが好対照をなし、光と影のイメージを形作っている。アルバムとしても明解でとても聴き易い作品だ。
しかしそれにしてもなぜ、このような気持ちのいいサウンドのCDを10年以上も放置しておいたのだろうか。④「寂しい一軒家」を自作の「マイ・フェイバリット・パット・メセニー」に入れて繰り返し聴いたほかは、本当に10年以上放置していたのだ。ただ、よく聴いてみると、本当にいいアルバムなのだか、何か足りないような気がしないでもない。昨日から、もう4度もこのアルバムを聴いているのだが、それが何かはまだわからない。
ところで、you tube には数多くの一般人によるパット・メセニーのコピー演奏がupされているのだが、みなさんなかなかうまい。というか、これはすごい、かなりうまいと感じるものも結構ある。わたしもガキの頃は、地元でギタリストとしてならしたものだ。ちょっとしたコンテストで賞をとって天狗になり、プロになろうかなどと夢想したこともあった。大学に入ってまもなく、ジム・ホールとパット・メセニーを知り、フレーズやアドリブの構成などを分析的にお勉強したりしたものだが、自分がやってきたロック・ギターをはるかに凌駕した理論とテクニック、しかもそれをひけらかすこともなく、何事もなかったように演奏する姿に脱帽。これはもうかなわないと思い、きっぱりギターをやめてしまった。もう少し根性があれば、なにくそ魂でもっとうまくなってやるぞと考えたのだろうが、当時の私には乗り越え不可能に思えたのだった。ギターを趣味的に練習していくという道もあったのだろうが、何か未練がましく思え、本当に潔くきっぱりと辞めてしまったのだった。
今でも、ギターはほとんど弾かない。稀に、酒で酔い、弾くことがあるが、演奏はアドリブ、もちろん、流麗とは程遠い"どブルース"である。昔とった杵柄、頭の中ではそこそこのものは何とか弾ける自信だけはあるのだが、何せトレーニング不足で、指がもつれることもしばしばだ。だから、you tube にupされた一般人の演奏を見ると、正直、ほんの少しうらやましく思う。