WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

この神経症的な感じは何だろう

2010年11月28日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 294●

Sonny Criss

Saturday Morning

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 しばらくぶりに、今週一週間は毎日upした。何年ぶりだろうか。そんなわけで、今日の2枚目である。サザンオールスターズやビートルズばかりかけていたら、ああジャズが聴きたいと身体が要求しているのがわかった。ジャズらしいジャズが聴きたい。

 ……ああ、ジャズだ。いい。やっぱり、ジャズはいい……。

 パーカー派のアルト・サックス奏者、ソニー・クリスの1975年録音作品『サタディ・モーニング』、彼の晩年の作品だ。70年代の作品だけあって録音がいい。楽器の音がひとつひとつ鮮明である。

 若い頃のソニー・クリスは、流麗で艶やかだが、饒舌で多くを語りすぎる傾向があった。それは、強迫神経症的でさえあり、何かを語らずにはいられない、あるいはすべてを語りつくさずにはいられない、といった程だった。

 そこにいくと、この晩年の作品はフレイジングに因数分解がなされ、かつてに比べてだいぶ音数も整理されている。艶やかで流麗なフレイジングはそのままに、溢れるような歌心とちょっと翳りをおびた音色が全編に充溢したいい作品に仕上がっている。

 しかしそれにしても、この神経症的な感じは何だろう。考えすぎだろうか。音数はかなり整理され、スローな曲では哀感や翳りさえ感じさせるのに、演奏が何かにせかされているように思えるのだ。何というか、落ち着きがないのだ。音数は少なくても、何かにせかされ、もっともっと、はやくはやくと彼の心が語っているようだ。《タメ》がないのではないか。静かなスローテンポの曲に、《タメ》がないから、深みのようなものが感じられない。フレイズは哀感があるのに、落ち着いた枯れた深みのようなものが感じられないのだ。

 この録音から2年後の1977年、ソニー・クリスはロサンゼルスでピストル自殺するのだが、wikipediaは胃がんの病苦に耐えかねた結果だ、と記している。


With The Beatles

2010年11月28日 | 今日の一枚(A-B)

今日の一枚 293●

The Beatles

With The Beatles

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 昨夜は、次男とスイミングクラブに行き、次男が泳いでいる間、いつものように、2階のジムで汗を流した。パワー系トレーニングを少々した後、いつものようにIPod Shuffle でビートルズを聴きながら、いつもと同じ距離だけランニングマシーンで走った。ところが、トレーニングを終えようとしたその瞬間、IPod Shuffle の曲が変わったのだ。All My Loving だった。私は俄然気分が良くなり、予定を変更してランニングを続けた。しかも、速度を最高設定に上げて……。そんなわけで、足が重い。固まっている。筋肉痛である。

 ザ・ビートルズの1963年作品『ウィズ・ザ・ビートルズ』である。イギリスでの彼らのセカンド・アルバムになる。印象的なジャケット写真だ。素敵だ。中学生の私はこの写真が好きで、どうしても欲しかったのだが、お金がなくて長い間変えなかった。今となっては、懐かしい想い出だ。私にとっては、「オール・マイ・ラビング」を聴くためのアルバムだといってもいい。ビートルズの曲で最も好きなものの1つだ。軽快なリズムに、ポップな旋律、美しいハーモニー……、などと書いてみたものの、この曲の素晴らしさは表現できない。とにかく、心はウキウキである。ジョン・レノンの3連符……。かっこいい。オルネタイト・ピッキング。アップ、ダウンを正確に交互に続けるそのストローク・ワークは、簡単そうに聞こえるが、やってみると、意外にむずかしいものだ。ギターを覚えたての頃、よく練習したものだ。

 このアルバムの面白いところは、シングル曲が入っていないところである。すでに、「フロム・ミー・トゥ・ユー」や「シー・ラブズ・ユー」などのヒットシングルがあり、このアルバムの録音と同時期にあの「抱きしめたい」も録音されているのにである。これは、マネジャーのブライアン・エプスタインとプロデューサーのジョージ・マーティンの方針で、ファンに余計なお金を使わせないためにシングル曲はアルバムに入れないという取り決めがあったからだというが、勇気ある試みである。それでもセールスが稼げるということだろうから、たいへんな自信だと思うが、当時のイギリスでのビートルズ人気がすでにそれだけ凄まじかったということなのかも知れない。この、アルバムにシングル曲を入れないという原則が、後のコンセプト・アルバム制作の伏線の1つになるとみるのは考えすぎだろうか。

 なお、アメリカでは、このアルバムとまったく同じジャケットで、シングル曲もたくさん入ったレコードが、『ミート・ザ・ビートルズ』というタイトルで発売された。これがビートルズのアメリカでの実質的なデビュー・アルバムとなのだが、キャピタリズムの国・アメリカをよく表しているのではなかろうか。文化的にもアメリカの影響が強かった我が日本では、私が中学生当時、このジャケットといえば、『ミート・ザ・ビートルズ』の方を連想したものだった(もちろん、『ウィズ・ザ・ビートルズ』のことは知っていたが……)。ところで、この『ミート・ザ・ビートルズ』はかつては巷でよく見かけたものだが、最近見かけない。不思議である。試しに、HMVで検索してみたのだが、やはり見当たらなかった。発売されていないようである。時の流れというものか……。

[追記]

 後で知ったことだが、この『ウィズ・ザ・ビールズ』の日本でのリリースは遅く、なんと彼らの解散から6年後の1976年だったのだそうだ。なるほど……。