WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

マイケル・フランクスが無性に聴きたくなることがある

2010年11月22日 | 今日の一枚(M-N)

●今日の一枚 289●

Michael Franks

Passionfruit

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 ほんの時々なのだが、昔よく聴いたマイケル・フランクスが無性に聴きたくなるのはどうしてだろう。今日は朝からずっとそう思っていた。AORの推進者マイケル・フランクス。ハードロックに心酔し、コルトレーンのような理数系ハードコアジャズにのめりこんでいた私が、「軟弱な」AORを聴くようになったきっかけが何だったのかよくおぼえていない。友人たちの影響だったような気もするし、女の子と素敵な時間を過ごすための実用的なツールだったような気もする。いずれにせよ、青春時代の一時期、私はマイケル・フランクスにのめりこんだ。彼のアルバムをカセットテープに録音してセカンドバックに入れて持ち歩き、居酒屋や音楽酒場でよくかけてもらったものだ。1980年代前半、私が大学生の頃のことだ。

 マイケル・フランクス。私の所有する彼のアルバムも十数枚になった。wikipediaの彼の項目には、「独特の囁くようなヴォーカルスタイルと、ジャジーで都会的な音楽性は高く評価されている」、「デビュー当時からジャズ・フュージョン・ソウル界からの人気ミュージシャンを起用して楽曲を製作し、浮き沈みの激しいAOR界において、現在まで一貫した音楽性でコンスタントに作品を発表し続けている稀有なアーティストである」と記されている。自分の好きなアーティストをそういう風に評価してもらえるのはうれしいことだ。

 マイケル・フランクスの1983年作品、『パッションフルーツ』。恐らくは、当時私が最もよく聴いたアルバムだったかもしれない。いつものように、ソフトでメロウなサウンドにのせて、ささやくように歌うボーカルはまさしくマイケル・フランクスの世界だ。私がこのアルバムを特に気に入っているのは、そのメランコリックな雰囲気の故だ。じっと目をつぶって聴いていると、理由のわからない哀しみに襲われて、いい歳をして、涙が溢れ出てくることもある。若い頃のような直截的で刺激的な涙ではなく、もっとじわじわとした静かで、しかしどうしようもないような種類の哀しみだ。そしてこのような体験は年齢を重ねるごとに深まっていくような気がする。失ってしまったかけがえのない時間たちへの思いなのだろうか。あるいは、残された短くなっていく時間への思いなのだろうか。CD- ⑥ Never Say Die 、哀しみに満ちたイントロを聴いただけで、ああ、自分の心が制御できなくなる……。


ラスト・コンサート

2010年11月22日 | 今日の一枚(M-N)

●今日の一枚 288●

The Modern Jazz Quartet

The Last Concert

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 他のCDを聴こうと思っていたのだけれど、昨夜、持ち帰りの仕事をしながら《ながら聞き》したCDがまだプレーヤーに入っていたのでちょっとかけてみたら、聴き入ってしまった。うーん、やはりいい演奏だ。

 MJQの『ラスト・コンサート』、1974年のリンカーンセンターでのライブ盤である。今となっては「最初の解散」に際してのラストコンサートの記録ということになる。その後、活動再会と解散を何度かおこなう彼らだが、もちろんこの時は本当に「解散」するつもりだったのだろう。演奏からは溢れんばかりの熱気と哀惜の念が感じられる。油井正一氏は著書の中で「MJQの解散は70年代ジャズ界の最大の事件だった」と語っているが、MJQの存在ってそんなに大きかったのですね。聴衆の方も相当の思い入れがあったのだと思う。

 ミルト・ジャクソンは、学生時代によく聴いた人であり、今でも愛着がある(最近、あまり聴かないが……)。ジョンルイスは、もう十数年前になるが、仙台で秋吉敏子とのピアノ・デュオを生で見たことがある。なかなか興味深いライブだった。それ以来、ジョン・ルイスの作品を結構聴いたものだ。

 私は思うのだけれど、MJQの面白さというのは、奔放さと抑制の緊張感なのではなかろうか。奔放に自在なソロを展開しようとするミルト・ジャクソンのヴァイブをジョン・ルイスの「端正」なピアノが抑制し、音楽の骨格をつくっていく。しかし、それにおさまりきらないミルトのヴァイブが溢れ出ていく。私のもつイメージはそんな感じだ。そういう意味では、この『ラスト・コンサート』はMJQの音楽をよく表しているように思う。さらに、この作品では、パーシー・ヒースのベースが本当によく「歌って」おり、演奏全体にグルーヴ感を付け加えている。

 1974年、私はまだジャズという音楽を知らない、ロックを聴き始めたばかりの「ガキ」だった。