●今日の一枚 289●
Michael Franks
Passionfruit
ほんの時々なのだが、昔よく聴いたマイケル・フランクスが無性に聴きたくなるのはどうしてだろう。今日は朝からずっとそう思っていた。AORの推進者マイケル・フランクス。ハードロックに心酔し、コルトレーンのような理数系ハードコアジャズにのめりこんでいた私が、「軟弱な」AORを聴くようになったきっかけが何だったのかよくおぼえていない。友人たちの影響だったような気もするし、女の子と素敵な時間を過ごすための実用的なツールだったような気もする。いずれにせよ、青春時代の一時期、私はマイケル・フランクスにのめりこんだ。彼のアルバムをカセットテープに録音してセカンドバックに入れて持ち歩き、居酒屋や音楽酒場でよくかけてもらったものだ。1980年代前半、私が大学生の頃のことだ。
マイケル・フランクス。私の所有する彼のアルバムも十数枚になった。wikipediaの彼の項目には、「独特の囁くようなヴォーカルスタイルと、ジャジーで都会的な音楽性は高く評価されている」、「デビュー当時からジャズ・フュージョン・ソウル界からの人気ミュージシャンを起用して楽曲を製作し、浮き沈みの激しいAOR界において、現在まで一貫した音楽性でコンスタントに作品を発表し続けている稀有なアーティストである」と記されている。自分の好きなアーティストをそういう風に評価してもらえるのはうれしいことだ。
マイケル・フランクスの1983年作品、『パッションフルーツ』。恐らくは、当時私が最もよく聴いたアルバムだったかもしれない。いつものように、ソフトでメロウなサウンドにのせて、ささやくように歌うボーカルはまさしくマイケル・フランクスの世界だ。私がこのアルバムを特に気に入っているのは、そのメランコリックな雰囲気の故だ。じっと目をつぶって聴いていると、理由のわからない哀しみに襲われて、いい歳をして、涙が溢れ出てくることもある。若い頃のような直截的で刺激的な涙ではなく、もっとじわじわとした静かで、しかしどうしようもないような種類の哀しみだ。そしてこのような体験は年齢を重ねるごとに深まっていくような気がする。失ってしまったかけがえのない時間たちへの思いなのだろうか。あるいは、残された短くなっていく時間への思いなのだろうか。CD- ⑥ Never Say Die 、哀しみに満ちたイントロを聴いただけで、ああ、自分の心が制御できなくなる……。