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ここ第四章で藤原氏は力の対決を解決する一つの解決法として日本の「情緒」と「形」をさまざまに説明しそこから愛を抽出してついに「祖国愛」を提唱します
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「論理や合理」を剛 「情緒と形」は柔で 剛と柔があい携えて人間の総合判断力は十全になる
そして「情緒と形」は自然に対する感受性とし昭和の初め英国人が日本の庭師の感性を褒めるのを例にします その感性で 茶,華、書も道の付く芸術にしてしまう
柔剣道も美と礼を重んじ外国の格闘技と趣が違う
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他国より自然の驚異が絶えないので「悠久の自然と儚い人生」を感じ「無常観」を生み出しやすい 無常観はもともとお釈迦様の言った事で無常は哲学だ
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それが日本で変質をとげた 「全ては変わり行く」ドライな達観から派生して弱者へのいたわりとか敗者への涙という情緒を生み出した お能の「敦盛」が今でも演じられるのは無常観、武士道で言う惻隠に近いものが日本人の心に流れているからであろう
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もののあわれについて
この無常観がさらに抽象化され「もののあわれ」とうい情緒になった 人間の儚さや移ろい行く行くものに美を発見する感性だ
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虫の鳴く音にもののあわれを感じ或いは楽しむ感覚 これは欧米や中韓にも無いそうだ しかし雪に関する言葉はエスキモー(今はイヌイートと呼ぶのがポリティカリーコレクトではないのか?)では100以上あるからもののあわれは世界中の人が持ってい様が日本人が特別鋭いと言う事だ
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この感性の鋭さが桜の花に対するものだ 3~4日で潔く散ってゆく花に人生を投影しついには国花にした 紅葉についても同様で繊細で華奢である 自然も繊細であり四季の変化がはっきりしている
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世界では四季が無くて普通だが日本でははっきりしている 植生が豊かで繊細微妙な環境に何千年も暮らしていると自然に対する感受性が特異に発達する この感受性が民族の根底に何千年もかけて沈殿する
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跪く(ひざまずく)心
「もののあわれ」の他に日本人は自然に対する畏怖心とか跪く心を持っている
欧米人にとって自然とは人類の幸福のため征服すべき対象だ しかし太鼓から日本では自然は偉大で跪く対象であり調和して生きようとしてきた そこで神道が生まれた この情緒が民族としての謙虚さを生んだ さらに自然と心を通わす特技を持ている 俳句がこれだ
「懐かしさ(なつかしさ)という情緒」
もう一つ誇りうる日本の情緒は「懐かしさ」だ
日本人の(故郷に対する)郷愁は緊縛感とでも呼べる濃厚な情緒である 子供には郷愁を主題にした文学をたっぷり読ませないといけない
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四つの愛
この「懐かしさ」という情緒は先生が四つの愛と呼ぶ基礎になる 「家族愛」「郷土愛」「祖国愛」最後が「人類愛」
ただし「祖国愛」には反対意見の人も多かろう でも「祖国愛」が無い者が戦争を起こす 日本で良いイメージでない「愛国心」には二つの考えが流れ込んでいる
一つは「ナシュナリズム」で他国の事はどうでも良いから自国の利益のみ追求する浅ましい思想である 一方先生の言う「祖国愛」は英語で言う「パティリオティズム」に近い 「パティリオティズム」とは自国の文化、伝統、情緒、自然、そういったものをこよなく愛する事だ 美しい情緒で世界中の国民が持つべきもの
二重基準(ダブルスタンダード)
ナショナリズムは不潔だが政治家はある程度持ったほうが良い 世界中の指導者が例外なく国益を考えているのに日本の指導者がナショナリズムを不潔だなど高邁な思想を貫いてと日本は大損をするので
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そこで国民はナショナリズムを敬遠しつつ、リーダー達のバランスあるナショナリズムを容認すると言う二重基準(ダブルスタンダード)で行くしかない
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この美醜ないまぜにした「愛国心」が戦後GHQの旗振りのもと捨てられてしまった わが国現在の苦境は「祖国愛」の欠如に起因するのだ 氏は「愛国心」に代え「祖国愛」を広めようと思う
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爺の後知恵:
この章では先生の考える「情緒」が世界のどこより優れた日本の自然環境に育てられたものでその地に愛を感じ愛の対象を広げついに「祖国愛」という比較的新しい言葉を提唱します
しかしここでも先生は「お馬鹿な国民」と「日本を代表する指導者」が持つべき「愛」を違えさせダブルスタンダードと臆面も無く記す このあたりが先生は新理念或いは新倫理を真面目に訴えているのか爺がくっさく思う点です
次は第五章 いよいよ「形」武士道精神の登場です 続く
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