ようこそ 第六章 下 の続きです
この章では戦後の日本は一貫して経済成長を続けてきたが繁栄の代償に「国家の品格」を失墜してしまった と先生は嘆きます
そこで失った品格を取り戻すために何をしたらよいかを考えたいとの事です
アメリカにおける日本人の数学レベルは昔は優れていたがここ20年くらい「ゆとり教育」の徹底で小学生の段階では同レベルになってしまった
初中等教育が駄目でもどうにかなる国はアメリカだけだ アメリカの桁違いの富に惹かれて世界の天才秀才があつまる アメリカ人が低迷していても国力が衰えると言うことはない 優秀な留学生は大学や企業が高級で確保するからアメリカは安泰である
一方日本のような国土の狭い乏しい資源の国では初中等教育が命綱である 国民の高い知的水準が繁栄の原動力であったしこれからもそうだ 工業の発展に関し風上に当たる数学や理論物理のレベルが高くないと風下に当たる工業やエンジニアリングの長期的発展は望み得ない
そこで一国の将来を予測する時(先生は)「数学や理論物理のレベルは高いか、その指標として天才が出ているか?」を見る
アメリカの大学にいた70年代にブラジルの産業がドイツと日本を抜くとの予測がはやった しかし(先生は)そのような事は起きないと笑って言った 当時のブラジルの数学は取るに足りぬものであったから 付け加えると最近のブラジルの数学はだいぶ良くなったからこれからが楽しみである
天才の出る風土
天才を調べていると彼らを生む土壌に三つの共通点がある
第一条件「美の存在」
美の存在しない土地に天才、特に数学の天才は生まれない
イギリスは天才を輩出する国だがその田園風景は実に美しい 又アイルランドもエメラルドの島と呼ばれるほど緑と美しい自然美がある
さてインドである 1990年代 高卒の大天才ラマヌジャンについて調べにマドラス、ボンベイ、カルカッタへ行ってもとにとにかく汚い どこにも美しいところが無い 美しい公式を3500以上も発見した天才に当てはまらぬ自説に対する劇的な反例となった
それから数年後彼の生まれ故郷マドラスから南へ二百数十キロクンバコナムへ行った そこは寒村であるが豪壮にして美しい寺院がいくつもある
この寺院は九世紀から十三世紀にあったチョーラ王朝が金に糸目を付けず美しい寺院を作りまくった この寺院を見て直感的に思った「あっ、ラマヌジャンの公式の様な美しさだ」と
彼は「なんでこんな事を思いつくのか検討もつかない」というタイプの天才で彼が26歳(1913年)までに発見した定理がやっと証明されたのは1997年の事だ この地から三十キロ以内で谷二名のノーベル賞受賞者がでているがこの土地に存在する美が深く関係している
第二条件:「跪く心」
何かに「跪く心」があることだ
日本の場合は神や仏或いは自然に跪く 大天才ラマヌジャンは母に連れられヒンヅーの神々に跪いている イギリスではニュートンの頃は神に跪いていた 彼も敬虔なキリスト教徒であった 近頃は信心深い人は珍しいがノーベル賞受賞者はたくさん出ている 彼らは伝統に跪いている 最初に述べたようにケンブリッジ大学では250年前と同じ部屋で同じ黒マントを着て暗いローソクの下でディナーを食べるのだ 伝統は何より大切なのである 1500年以上も続いた「天皇の万世一系」を男女平等などとの理屈で捨てようとする軽率はイギリス人には想像も出来ないのだ
第三条件:「精神性を尊ぶ風土」
「精神性を尊ぶ風土」とは役に立たないことをも尊ぶという風土です
文学、芸術、宗教など直接役に立たないことをも重んじる 金銭や世俗的なものを低く見る そういう風土だ
イギリスの紳士階級の人々は一般にそうです
上に立つ人々が金銭を低く見て精神性を重んじると、経済はさほど振るわなくとも遥かに大切な「国家の品格」が保たれ世界の尊敬を受けることが出来る
このあと先生はカースト制度と天才との小節を加えます
インドの大天才カマヌジャンの場合、カースト制度が彼の天才性を育てた
彼はカースト制度も最上位に属する「バラモン」に属していた 現在では医者や学者などかなりの部分を数%のバラモンが占める バラモンは精神性を尊びお金を低く見る だからカーストの最上位でも貧しい者はいくらもいる 彼の家も物凄く貧乏で近所に米をもらいに行くほどだった
でも 米をもらって当然風の態度で このヒンズーのメッカと呼べる風土で明けても暮れても数学に打ち込むことが出来た(ついに数学の大天才として世に出た)
(爺の補足:まだまだ先生の快気炎が続きます ここで一休み)
第七章 下 に続きます
この章では戦後の日本は一貫して経済成長を続けてきたが繁栄の代償に「国家の品格」を失墜してしまった と先生は嘆きます
そこで失った品格を取り戻すために何をしたらよいかを考えたいとの事です
アメリカにおける日本人の数学レベルは昔は優れていたがここ20年くらい「ゆとり教育」の徹底で小学生の段階では同レベルになってしまった
初中等教育が駄目でもどうにかなる国はアメリカだけだ アメリカの桁違いの富に惹かれて世界の天才秀才があつまる アメリカ人が低迷していても国力が衰えると言うことはない 優秀な留学生は大学や企業が高級で確保するからアメリカは安泰である
一方日本のような国土の狭い乏しい資源の国では初中等教育が命綱である 国民の高い知的水準が繁栄の原動力であったしこれからもそうだ 工業の発展に関し風上に当たる数学や理論物理のレベルが高くないと風下に当たる工業やエンジニアリングの長期的発展は望み得ない
そこで一国の将来を予測する時(先生は)「数学や理論物理のレベルは高いか、その指標として天才が出ているか?」を見る
アメリカの大学にいた70年代にブラジルの産業がドイツと日本を抜くとの予測がはやった しかし(先生は)そのような事は起きないと笑って言った 当時のブラジルの数学は取るに足りぬものであったから 付け加えると最近のブラジルの数学はだいぶ良くなったからこれからが楽しみである
天才の出る風土
天才を調べていると彼らを生む土壌に三つの共通点がある
第一条件「美の存在」
美の存在しない土地に天才、特に数学の天才は生まれない
イギリスは天才を輩出する国だがその田園風景は実に美しい 又アイルランドもエメラルドの島と呼ばれるほど緑と美しい自然美がある
さてインドである 1990年代 高卒の大天才ラマヌジャンについて調べにマドラス、ボンベイ、カルカッタへ行ってもとにとにかく汚い どこにも美しいところが無い 美しい公式を3500以上も発見した天才に当てはまらぬ自説に対する劇的な反例となった
それから数年後彼の生まれ故郷マドラスから南へ二百数十キロクンバコナムへ行った そこは寒村であるが豪壮にして美しい寺院がいくつもある
この寺院は九世紀から十三世紀にあったチョーラ王朝が金に糸目を付けず美しい寺院を作りまくった この寺院を見て直感的に思った「あっ、ラマヌジャンの公式の様な美しさだ」と
彼は「なんでこんな事を思いつくのか検討もつかない」というタイプの天才で彼が26歳(1913年)までに発見した定理がやっと証明されたのは1997年の事だ この地から三十キロ以内で谷二名のノーベル賞受賞者がでているがこの土地に存在する美が深く関係している
第二条件:「跪く心」
何かに「跪く心」があることだ
日本の場合は神や仏或いは自然に跪く 大天才ラマヌジャンは母に連れられヒンヅーの神々に跪いている イギリスではニュートンの頃は神に跪いていた 彼も敬虔なキリスト教徒であった 近頃は信心深い人は珍しいがノーベル賞受賞者はたくさん出ている 彼らは伝統に跪いている 最初に述べたようにケンブリッジ大学では250年前と同じ部屋で同じ黒マントを着て暗いローソクの下でディナーを食べるのだ 伝統は何より大切なのである 1500年以上も続いた「天皇の万世一系」を男女平等などとの理屈で捨てようとする軽率はイギリス人には想像も出来ないのだ
第三条件:「精神性を尊ぶ風土」
「精神性を尊ぶ風土」とは役に立たないことをも尊ぶという風土です
文学、芸術、宗教など直接役に立たないことをも重んじる 金銭や世俗的なものを低く見る そういう風土だ
イギリスの紳士階級の人々は一般にそうです
上に立つ人々が金銭を低く見て精神性を重んじると、経済はさほど振るわなくとも遥かに大切な「国家の品格」が保たれ世界の尊敬を受けることが出来る
このあと先生はカースト制度と天才との小節を加えます
インドの大天才カマヌジャンの場合、カースト制度が彼の天才性を育てた
彼はカースト制度も最上位に属する「バラモン」に属していた 現在では医者や学者などかなりの部分を数%のバラモンが占める バラモンは精神性を尊びお金を低く見る だからカーストの最上位でも貧しい者はいくらもいる 彼の家も物凄く貧乏で近所に米をもらいに行くほどだった
でも 米をもらって当然風の態度で このヒンズーのメッカと呼べる風土で明けても暮れても数学に打ち込むことが出来た(ついに数学の大天才として世に出た)
(爺の補足:まだまだ先生の快気炎が続きます ここで一休み)
第七章 下 に続きます