第五章 からの続きです
ようこそ 第六章へ ここで藤原先生は「情緒」と「形」という(素晴らしいものは)日本に限定すべきでなく普遍的価値(世界でも通用する価値)がある その大切な理由を6つ上げます
その1:普遍的価値である
イギリスはここ1世紀の間は斜陽でした GDPは日本の半分ほどそれでも日本の言うことは聞かなくともイギリスの言うことに世界が耳を傾けるのは何故か それはイギリスの生んだ「普遍的価値」に世界の人々が尊敬の念を持っているからである 例えば議会制民主主義、文学のシェイクスピア・ディケンズ、力学のニュートン、電磁気学のマックスウェル、進化論のダーウイン、経済界のケインズ コンピューター,ジェットエンジン、レーダーもイギリス発です 逆に言えば(日本の様に)経済的繁栄だけでは尊敬されない それ故「普遍的価値」を生まないといけないのです
(爺の注釈:ここでも藤原先生は混乱したか意識的に間違えをしています 「普遍的価値」の解説に世界に例の無い四季、神道、もののあわれ等の日本固有であり常夏・常冬、砂漠,雪原、一神教では成り立たない(第四章)物を挙げているのです これ等が「普遍的価値」である事を証明しなければならぬのにその理由の1に「普遍的価値」は大切であるとだけ言っていては説明になりません でも先生は理論に理論は解決にならないとのご主張ですから次に移りましょう)
(先生は続けます)日本でも普遍的価値を生み出していた 例えば文学の紫式部、俳諧の芭蕉、数学者の関孝和 この様な「普遍的価値」は生み続けねばならない
心の奥底に訴えるもの
そしてなにも大発見大発明に限らない 例えば「親孝行」アメリカで日本人の留学生が国の年老いた両親を思い涙を浮かべたらその人は信頼尊敬される 「親孝行」はアングロサクソンの間では流行らないが心の奥底では非常に似ている 心の奥底に訴える物は辺鄙な地で生まれた物でも「普遍的価値」と言える
日常生活での素晴らしい仕組み・知恵
交番・豆腐・布団も「普遍的価値」である 欧米人の間で理解や愛好者が増えている
そして「普遍的価値」の最大のものは「もののあわれ」跪く心、懐かしさ、自然への感受性といった「美しい情緒」 その「美しい情緒」からうまれた神道 それに加えるに武士道精神という日本独特の「形」である
(爺の注:ここでも先生の断定が繰り返される なぜそれが「普遍的価値」なのか説明抜きで)
さてお話変わって 跋扈するグローバリズム
20世紀の最後の頃から跋扈し始めてグローバリズムはアメリカの戦略に過ぎない
冷戦後にアメリカ式市場経済、リストラ自由のアメリカ式経営、株主中心主義、アメリカ式会計基準等を各国は半ば強制されてきました どの国でも極端な貧富の差がついてしまった アメリカの中産階級さえも 世界はこれに断固戦いを挑まねばならない
画一化する世界
かくして経済に発したグローバリズムは社会を少数の勝ち組と多数の負け組み分け広く社会、文化、教育を腐食させる最大の問題はグローバリズムが社会,文化,教育も画一化してしまう
21世紀はローカリズムの時代
グローバリズムのもたらす効率性はある意味で素晴らしい でも経済的な意味その他でこの効率化をすすめるなら赤子に世界中で英語だけ教えれば英語で意思疎通の出来る 政治や経済始め素晴らしく効率的な世界が出来る しかし私(藤原先生)に言わせればそんな世界/地球は無くなってしまえばよい 緒各国、各民族、各地方に生まれた「美しい文化・伝統・情緒」等は能率・効率より遥かに価値が高いのだ
チューウリップは美しい でも世界中をチューリップ一色にしてはいけない 信州にはコスモス、千葉では菜の花、他ではユリやヒマワリ これが美しい地球である チューリップ一色で統一・画一化を進めてはいけない
21世紀は各国、各民族、各地方に生まれた「美しい文化・伝統・情緒・文化・型」を多義に尊敬しあい育ててゆく このローカリズムの中核が普遍的価値であり日本では「美しい情緒」と誇るべき文化や伝統なのだ
(爺のぼやき:最後の2項目ローカリズムとグローバリズムもやはり「情緒」や「型」が普遍的価値である事の説明になっていない 先生が関連付けてそうだと断言しているのは分かるが
そして地方には地方の良さを認めれば認めるほどそれを世界に広めようとの発想が自己矛盾を起こしていないだろうか? 先生のお言葉を借りれば日本ではチューリップ一色にする必要は無い 美しいユリ、菜の花、ヒマワリ、コマクサ等が咲いていれば良いのでなかろうか チューリップを麻薬販売、人身売買、公営賭博、消費税等の言葉に置き換えればどんなものであろうか 日本は欧米のカスはいらない そういう国でありたい 他国の人の頭のハエまで追えない
第六章 上 はここまで 第六章 下 に続く
ようこそ 第六章へ ここで藤原先生は「情緒」と「形」という(素晴らしいものは)日本に限定すべきでなく普遍的価値(世界でも通用する価値)がある その大切な理由を6つ上げます
その1:普遍的価値である
イギリスはここ1世紀の間は斜陽でした GDPは日本の半分ほどそれでも日本の言うことは聞かなくともイギリスの言うことに世界が耳を傾けるのは何故か それはイギリスの生んだ「普遍的価値」に世界の人々が尊敬の念を持っているからである 例えば議会制民主主義、文学のシェイクスピア・ディケンズ、力学のニュートン、電磁気学のマックスウェル、進化論のダーウイン、経済界のケインズ コンピューター,ジェットエンジン、レーダーもイギリス発です 逆に言えば(日本の様に)経済的繁栄だけでは尊敬されない それ故「普遍的価値」を生まないといけないのです
(爺の注釈:ここでも藤原先生は混乱したか意識的に間違えをしています 「普遍的価値」の解説に世界に例の無い四季、神道、もののあわれ等の日本固有であり常夏・常冬、砂漠,雪原、一神教では成り立たない(第四章)物を挙げているのです これ等が「普遍的価値」である事を証明しなければならぬのにその理由の1に「普遍的価値」は大切であるとだけ言っていては説明になりません でも先生は理論に理論は解決にならないとのご主張ですから次に移りましょう)
(先生は続けます)日本でも普遍的価値を生み出していた 例えば文学の紫式部、俳諧の芭蕉、数学者の関孝和 この様な「普遍的価値」は生み続けねばならない
心の奥底に訴えるもの
そしてなにも大発見大発明に限らない 例えば「親孝行」アメリカで日本人の留学生が国の年老いた両親を思い涙を浮かべたらその人は信頼尊敬される 「親孝行」はアングロサクソンの間では流行らないが心の奥底では非常に似ている 心の奥底に訴える物は辺鄙な地で生まれた物でも「普遍的価値」と言える
日常生活での素晴らしい仕組み・知恵
交番・豆腐・布団も「普遍的価値」である 欧米人の間で理解や愛好者が増えている
そして「普遍的価値」の最大のものは「もののあわれ」跪く心、懐かしさ、自然への感受性といった「美しい情緒」 その「美しい情緒」からうまれた神道 それに加えるに武士道精神という日本独特の「形」である
(爺の注:ここでも先生の断定が繰り返される なぜそれが「普遍的価値」なのか説明抜きで)
さてお話変わって 跋扈するグローバリズム
20世紀の最後の頃から跋扈し始めてグローバリズムはアメリカの戦略に過ぎない
冷戦後にアメリカ式市場経済、リストラ自由のアメリカ式経営、株主中心主義、アメリカ式会計基準等を各国は半ば強制されてきました どの国でも極端な貧富の差がついてしまった アメリカの中産階級さえも 世界はこれに断固戦いを挑まねばならない
画一化する世界
かくして経済に発したグローバリズムは社会を少数の勝ち組と多数の負け組み分け広く社会、文化、教育を腐食させる最大の問題はグローバリズムが社会,文化,教育も画一化してしまう
21世紀はローカリズムの時代
グローバリズムのもたらす効率性はある意味で素晴らしい でも経済的な意味その他でこの効率化をすすめるなら赤子に世界中で英語だけ教えれば英語で意思疎通の出来る 政治や経済始め素晴らしく効率的な世界が出来る しかし私(藤原先生)に言わせればそんな世界/地球は無くなってしまえばよい 緒各国、各民族、各地方に生まれた「美しい文化・伝統・情緒」等は能率・効率より遥かに価値が高いのだ
チューウリップは美しい でも世界中をチューリップ一色にしてはいけない 信州にはコスモス、千葉では菜の花、他ではユリやヒマワリ これが美しい地球である チューリップ一色で統一・画一化を進めてはいけない
21世紀は各国、各民族、各地方に生まれた「美しい文化・伝統・情緒・文化・型」を多義に尊敬しあい育ててゆく このローカリズムの中核が普遍的価値であり日本では「美しい情緒」と誇るべき文化や伝統なのだ
(爺のぼやき:最後の2項目ローカリズムとグローバリズムもやはり「情緒」や「型」が普遍的価値である事の説明になっていない 先生が関連付けてそうだと断言しているのは分かるが
そして地方には地方の良さを認めれば認めるほどそれを世界に広めようとの発想が自己矛盾を起こしていないだろうか? 先生のお言葉を借りれば日本ではチューリップ一色にする必要は無い 美しいユリ、菜の花、ヒマワリ、コマクサ等が咲いていれば良いのでなかろうか チューリップを麻薬販売、人身売買、公営賭博、消費税等の言葉に置き換えればどんなものであろうか 日本は欧米のカスはいらない そういう国でありたい 他国の人の頭のハエまで追えない
第六章 上 はここまで 第六章 下 に続く