俳優の森繁久弥さんが死去(読売新聞) - goo ニュース
10日俳優の森繁久弥さんがお亡くなりになりました。享年97歳 大往生だと思いますが謹んでご冥福をお祈りいたします。 合掌
この方の訃報に接しますと「昭和」が終わりつつあると思います。
若い頃映画で見た「社長シリーズ」会社幹部に有島一郎さんや三木のり平さんが出てましたよね。
それと若い頃の小林圭樹さんが秘書役で配されていました。
車での移動、やがて国内線ついには国際線での出張なんかが背景になりました。
戦後の混乱が収まって真面目に働けば「今日より明日が良くなっている事を信じられる良い時代」でした。
映画での大活躍の後、舞台に進出され「屋根の上のバイオリン弾き」では20年のロングランそしてご自身の作詞作曲で「知床旅情」が流行りましたね。
人間の記憶はいい加減なもので「加藤登紀子さん」の歌ではないかと勘違いしてました。
晩年はすっかり大物になられました。
爺がサラリーマンで働いていたバブル時代「森繁さん」を結婚式や宴席に来賓で呼び(余り意味の無い)スピーチを依頼するだけで400万円とか800万円とかご祝儀を出すなんて話が聞こえました。
又御長命の故昭和の俳優さんが先に逝く度に斎場に出て「みんな僕より先に逝ってしまう」と嘆く場面が見られたものでした。
平成3年には喜劇人として初の文化勲章受賞の栄に輝きました。
昭和末から平成に掛けては夫人に先立たれこれも長寿の故ですが長男を亡くされました。この時金銭的な後始末が大分有ったようですね。
昭和が段々遠くなって行くのを感じます。
安らかにお休みください。
映画「社長」「駅前」シリーズや舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」などで親しまれ、戦後の映画、演劇を 牽引 ( けんいん ) 、大衆芸能の分野で初の文化勲章を受章した俳優の森繁久弥(もりしげ・ひさや)さんが、10日午前8時16分、老衰のため亡くなった。
96歳だった。告別式は未定。喪主は次男、建(たつる)氏。
大阪府枚方市生まれ。早大商学部に在学中から演劇活動を始め、中退後、下積み俳優として東宝劇団、古川緑波一座などを渡り歩く。1939年、NHKにアナウンサーとして入局し、旧満州(現中国東北部)の新京中央放送局に勤務した。
戦後、新宿の「ムーラン・ルージュ」などの舞台に立った後、映画界に進出。「三等重役」「 夫婦 ( めおと ) 善哉 ( ぜんざい ) 」や「社長」「駅前」「次郎長三国志」シリーズなどに出演し、人間味あふれる独特の森繁節で幅広い人気を得た。
後年は舞台活動に力を入れ、20年に及ぶロングランとなったミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」のテヴィエや、「佐渡島他吉の生涯」の他吉などを当たり役とした。
テレビやラジオでも活躍する一方、自ら作詞・作曲して歌った「知床旅情」をヒットさせ、「アッパさん船長」など数多くの著書で多才ぶりも示した。
日本映画俳優協会や日本喜劇人協会の会長、日本俳優連合名誉会長などを務めた。91年に文化勲章受章。
(引用終わり)
10日俳優の森繁久弥さんがお亡くなりになりました。享年97歳 大往生だと思いますが謹んでご冥福をお祈りいたします。 合掌
この方の訃報に接しますと「昭和」が終わりつつあると思います。
若い頃映画で見た「社長シリーズ」会社幹部に有島一郎さんや三木のり平さんが出てましたよね。
それと若い頃の小林圭樹さんが秘書役で配されていました。
車での移動、やがて国内線ついには国際線での出張なんかが背景になりました。
戦後の混乱が収まって真面目に働けば「今日より明日が良くなっている事を信じられる良い時代」でした。
映画での大活躍の後、舞台に進出され「屋根の上のバイオリン弾き」では20年のロングランそしてご自身の作詞作曲で「知床旅情」が流行りましたね。
人間の記憶はいい加減なもので「加藤登紀子さん」の歌ではないかと勘違いしてました。
晩年はすっかり大物になられました。
爺がサラリーマンで働いていたバブル時代「森繁さん」を結婚式や宴席に来賓で呼び(余り意味の無い)スピーチを依頼するだけで400万円とか800万円とかご祝儀を出すなんて話が聞こえました。
又御長命の故昭和の俳優さんが先に逝く度に斎場に出て「みんな僕より先に逝ってしまう」と嘆く場面が見られたものでした。
平成3年には喜劇人として初の文化勲章受賞の栄に輝きました。
昭和末から平成に掛けては夫人に先立たれこれも長寿の故ですが長男を亡くされました。この時金銭的な後始末が大分有ったようですね。
昭和が段々遠くなって行くのを感じます。
安らかにお休みください。
映画「社長」「駅前」シリーズや舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」などで親しまれ、戦後の映画、演劇を 牽引 ( けんいん ) 、大衆芸能の分野で初の文化勲章を受章した俳優の森繁久弥(もりしげ・ひさや)さんが、10日午前8時16分、老衰のため亡くなった。
96歳だった。告別式は未定。喪主は次男、建(たつる)氏。
大阪府枚方市生まれ。早大商学部に在学中から演劇活動を始め、中退後、下積み俳優として東宝劇団、古川緑波一座などを渡り歩く。1939年、NHKにアナウンサーとして入局し、旧満州(現中国東北部)の新京中央放送局に勤務した。
戦後、新宿の「ムーラン・ルージュ」などの舞台に立った後、映画界に進出。「三等重役」「 夫婦 ( めおと ) 善哉 ( ぜんざい ) 」や「社長」「駅前」「次郎長三国志」シリーズなどに出演し、人間味あふれる独特の森繁節で幅広い人気を得た。
後年は舞台活動に力を入れ、20年に及ぶロングランとなったミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」のテヴィエや、「佐渡島他吉の生涯」の他吉などを当たり役とした。
テレビやラジオでも活躍する一方、自ら作詞・作曲して歌った「知床旅情」をヒットさせ、「アッパさん船長」など数多くの著書で多才ぶりも示した。
日本映画俳優協会や日本喜劇人協会の会長、日本俳優連合名誉会長などを務めた。91年に文化勲章受章。
(引用終わり)