暮れに角川の文庫本だと思いましたが「道三掘りのさくら」が山積みになっていたので新作かと思い図書館に予約しました。
なんと初出が2003年でその後角川書店から立派な単行本で05年暮れに発行されていました。
そこで05年版を難なく予約ゲット。
ご存知山本一力氏の作品はストーリーテラーと言いますか話の筋立ての面白さに引き込まれてどんどん読み進んでしまいます。
今回の作は江戸時代後期(1812年頃)江戸府内は用水による上水道が引かれていましたが大川(隅田川)から西の深川から先は埋立地で井戸水には塩気が混じるため住民は用水の余り水を「水売り」から買っていました。
大川からお城(江戸城)のお堀につながる道三掘りは見事な桜並木のなっていて春の花見時には江戸中から見物客が押し寄せる見事さです。
その堀にかかる「銭瓶橋」のたもとには(上)水道の余り水を吐き出す「吐き樋」がありその水を「水舟」汲み入れる客先に担ぎ売りするのが「水売り」の仕事なのです。
そんな「水売り商い」の元締めの一人「竜虎の虎吉」は元博徒。賭場の出方を20年も勤めた男。度胸も目利きも器量十分で7人の水売りを抱えている。その一人が働き者の「龍太郎」26歳である。
話は3話に分かれていて:
第一話がこの「竜虎の寅吉」が石川島の人足寄せ場への「水売り」が経費節約のため入札制に切り替わったのを機にこれまで「水売り」を独占していた「黒船屋三左衛門」に取って代わる。これを恨みに思う三左衛門のあの手この手の嫌がらせをかわし「水売りの組合である株仲間の総代」に収まる迄。
この間に水の安定供給と品質に拘る山本氏ならではの挿話が幾つも入る。
「黒船屋」の水売りも手先に収めた「寅吉」はあかね屋と屋号を改め商売に勤しむ。
水不足の対策に「大川の水を濾過し釜で煮立てて」当座の水不足を補う法を考え付いたようだ。
さて第二話は:
深川汐見橋のたもとの蕎麦屋「深川しのだ」の茂三の所に日本橋青物町の鰹節問屋遠州屋から「近々2町先(220メートル)に三軒続きの大きな蕎麦屋は始める」との挨拶が来る。
茂三の店は水を大量に使う「龍太郎」の大事な客先。娘「おあき」は18歳、「龍太郎」とは親も認める恋仲である。
もし遠州屋が蕎麦屋を始めれば元の三軒も「龍太郎」の客先なので今の量の2倍までは収めるのが決まりで「龍太郎」は茂三との板ばさみで辛い。
寅吉に思案を打ち明け調べてみると:
遠州屋吉兵衛は夫婦に子供が無く辰巳の芸者との間に出来た子供「団四郎」も21歳。 蕎麦屋になりたいとの母子の願いで蕎麦屋でもと思い立った模様。
一方吉兵衛も蕎麦屋のあれこれを調べてゆくうち「団四郎には200食もの蕎麦屋は無理」と判ってくる。
それはそれ「龍太郎とおあき」は遠州屋を迎え撃つ手はないかとたまの休みを使い大川界隈の蕎麦屋を食べ歩き「吾妻橋」際の「吾妻橋やぶそば」が抜群にうまい事がわかる。その訳は店主代吉の茂三に寄せる蕎麦うちの技に加えて「うまい井戸水」が隠れた秘訣の様です。
「龍太郎」は寅吉にうまい水作りを相談します。
虎吉のうまい水探しとうまい水作りに掛ける方法が面白く展開されます。
その間「遠州屋吉兵衛」は深川への蕎麦屋の出店をあきらめ「深川しのだ」に断りを入れに行きますがそこでの経緯が縁となり虎吉によるうまい水作り、吉兵衛による場所の提供(蕎麦屋予定地の跡)そして水作りの場の管理人としての息子団四郎の起用とが上手くまとまりました。
さて結びの第三話です。
大元同士の話は丸く収まりましたが「おさき」の気持ちが「龍太郎」から「団四郎」に移ったようで「龍太郎」は面白くありません。
いろいろ諌めてくれる人がいて女心が元に戻るまで辛抱強く待つように決めました。団四郎とも「水作り」と「水売り」としてすっきり仲良くやって行く事も確認できました。あおきと二人で歩いた「道三掘りのさくら」をあれから2年ぶりに来春には見られそうな気持ちです。
良かった良かった。
蛇足:
この話から「明快な説明」として落ちているのが「おいしい水作りです」
江戸で一番おいしい水:世田谷のとどろき村と三ノ輪の坂本村の湧き水
坂本村の水を使わない説明がありません。多分世田谷村と同じ理由なのでしょう。
年間で「豊水期」例えば梅雨とか嵐の時期には「用水の余り水」や「担ぎ売りの余り水」が使えるかもしれません。
「渇水期」には大川から汲むのでしょうかね? どうやって汲むのでしょう?
第一話で書かれた様に「漉してから一度沸かす」のでしょうか?
興味があります。
本編を読み解いたかその頃の事実を知っている方はコメント寄せてください。
待ってます。
なんと初出が2003年でその後角川書店から立派な単行本で05年暮れに発行されていました。
そこで05年版を難なく予約ゲット。
ご存知山本一力氏の作品はストーリーテラーと言いますか話の筋立ての面白さに引き込まれてどんどん読み進んでしまいます。
今回の作は江戸時代後期(1812年頃)江戸府内は用水による上水道が引かれていましたが大川(隅田川)から西の深川から先は埋立地で井戸水には塩気が混じるため住民は用水の余り水を「水売り」から買っていました。
大川からお城(江戸城)のお堀につながる道三掘りは見事な桜並木のなっていて春の花見時には江戸中から見物客が押し寄せる見事さです。
その堀にかかる「銭瓶橋」のたもとには(上)水道の余り水を吐き出す「吐き樋」がありその水を「水舟」汲み入れる客先に担ぎ売りするのが「水売り」の仕事なのです。
そんな「水売り商い」の元締めの一人「竜虎の虎吉」は元博徒。賭場の出方を20年も勤めた男。度胸も目利きも器量十分で7人の水売りを抱えている。その一人が働き者の「龍太郎」26歳である。
話は3話に分かれていて:
第一話がこの「竜虎の寅吉」が石川島の人足寄せ場への「水売り」が経費節約のため入札制に切り替わったのを機にこれまで「水売り」を独占していた「黒船屋三左衛門」に取って代わる。これを恨みに思う三左衛門のあの手この手の嫌がらせをかわし「水売りの組合である株仲間の総代」に収まる迄。
この間に水の安定供給と品質に拘る山本氏ならではの挿話が幾つも入る。
「黒船屋」の水売りも手先に収めた「寅吉」はあかね屋と屋号を改め商売に勤しむ。
水不足の対策に「大川の水を濾過し釜で煮立てて」当座の水不足を補う法を考え付いたようだ。
さて第二話は:
深川汐見橋のたもとの蕎麦屋「深川しのだ」の茂三の所に日本橋青物町の鰹節問屋遠州屋から「近々2町先(220メートル)に三軒続きの大きな蕎麦屋は始める」との挨拶が来る。
茂三の店は水を大量に使う「龍太郎」の大事な客先。娘「おあき」は18歳、「龍太郎」とは親も認める恋仲である。
もし遠州屋が蕎麦屋を始めれば元の三軒も「龍太郎」の客先なので今の量の2倍までは収めるのが決まりで「龍太郎」は茂三との板ばさみで辛い。
寅吉に思案を打ち明け調べてみると:
遠州屋吉兵衛は夫婦に子供が無く辰巳の芸者との間に出来た子供「団四郎」も21歳。 蕎麦屋になりたいとの母子の願いで蕎麦屋でもと思い立った模様。
一方吉兵衛も蕎麦屋のあれこれを調べてゆくうち「団四郎には200食もの蕎麦屋は無理」と判ってくる。
それはそれ「龍太郎とおあき」は遠州屋を迎え撃つ手はないかとたまの休みを使い大川界隈の蕎麦屋を食べ歩き「吾妻橋」際の「吾妻橋やぶそば」が抜群にうまい事がわかる。その訳は店主代吉の茂三に寄せる蕎麦うちの技に加えて「うまい井戸水」が隠れた秘訣の様です。
「龍太郎」は寅吉にうまい水作りを相談します。
虎吉のうまい水探しとうまい水作りに掛ける方法が面白く展開されます。
その間「遠州屋吉兵衛」は深川への蕎麦屋の出店をあきらめ「深川しのだ」に断りを入れに行きますがそこでの経緯が縁となり虎吉によるうまい水作り、吉兵衛による場所の提供(蕎麦屋予定地の跡)そして水作りの場の管理人としての息子団四郎の起用とが上手くまとまりました。
さて結びの第三話です。
大元同士の話は丸く収まりましたが「おさき」の気持ちが「龍太郎」から「団四郎」に移ったようで「龍太郎」は面白くありません。
いろいろ諌めてくれる人がいて女心が元に戻るまで辛抱強く待つように決めました。団四郎とも「水作り」と「水売り」としてすっきり仲良くやって行く事も確認できました。あおきと二人で歩いた「道三掘りのさくら」をあれから2年ぶりに来春には見られそうな気持ちです。
良かった良かった。
蛇足:
この話から「明快な説明」として落ちているのが「おいしい水作りです」
江戸で一番おいしい水:世田谷のとどろき村と三ノ輪の坂本村の湧き水
坂本村の水を使わない説明がありません。多分世田谷村と同じ理由なのでしょう。
年間で「豊水期」例えば梅雨とか嵐の時期には「用水の余り水」や「担ぎ売りの余り水」が使えるかもしれません。
「渇水期」には大川から汲むのでしょうかね? どうやって汲むのでしょう?
第一話で書かれた様に「漉してから一度沸かす」のでしょうか?
興味があります。
本編を読み解いたかその頃の事実を知っている方はコメント寄せてください。
待ってます。