安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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【管理人よりお知らせ】米トランプ政権に関する当ブログでの言論・論評活動について

2025-01-22 23:45:25 | 運営方針・お知らせ

管理人よりお知らせです。

昨年11月の大統領選で返り咲きを果たしたドナルド・トランプ氏の政権が日本時間1月20日に発足しましたが、トランプ氏の任期は今回が最後(米国の規定では大統領は「生涯で2期8年まで」とされているため、今回が2回目の就任であるトランプ氏の任期は今回が最後)であるせいか、1期目にも増して米国第一主義を強く打ち出しています。

すでに、「メキシコ国境に非常事態を宣言し、移民の入国を制限」「メキシコ湾をアメリカ湾に改名」「性別は男女の2つだけと規定(性的少数者の権利否定)」など、どこの独裁者かと思うような常識外れの政策を次々と打ち出しています。

米国では、連邦議会上下両院とも共和党多数で占められ、連邦最高裁判事も9人中6人が親トランプの保守派で占められています。このため、トランプ政権の政策が司法の場で覆されることにもほとんど期待できません。2年後の中間選挙で共和党が少数にならない限り、三権分立もまったく機能する見込みがありません。

(日本ではあまり知られていませんが、米国の連邦最高裁判事には任期がないため、一生続けることも法制度上は可能です。このため、共和・民主両党とも政権を獲得すると、できるだけ若い判事を任命することが通例となっています。現在の連邦最高裁判事は多くが第1次トランプ政権で任命された人たちです。)

トランプ大統領に近いITプラットフォーム大手各社は、利益のため露骨に政権に擦り寄る姿勢を見せており、X社(旧ツイッターを運営)、メタ社(フェイスブックを運営)はファクトチェックを廃止する方針を打ち出しています。

当初、ファクトチェック廃止は英語圏だけの話だと思っていましたが、日本にも及んでいます。レイバーネット日本の運営委員で、当研究会代表もよく知る人物が、先日、レイバーネット日本の記事「太田昌国のコラム : ドナルド・トランプの2期目を迎えるいま、思うこと」をフェイスブックに転載したところ、記事が削除されるという「事件」がありました。「根っからの男性優位主義に立つ、このマッチョな独裁者」「「帝国主義者然」とした貌」などの表現がメタ社の検閲基準に抵触した可能性があります。

たとえ合法的手続を経て選出された政権であるとしても、移民や性的少数者を容赦なく差別・排除し、自分に反対したり、自分を批判したりする言論を、理由の説明もなく封殺するようなトランプ政権を民主主義国家の政権とみなすことはできません。ある国のある政府が民主主義的だと認められるためには、単に成立過程が合法的であるという外形的要件を満たすだけでは足りず、その政府が市民の権利を守り、民主主義的な政策を民主主義的な過程を経て決定するという内実もきちんと伴っている必要があります。成立過程が合法的でありさえすればよいというのであれば、ナチス・ドイツもイスラエルのネタニヤフ政権も、すべて「民主的」に選挙で選出され成立しています。

その意味で、トランプ政権はまったく民主主義的な政府ではありません。その具体的な行動原理や行動パターンは、プーチン大統領や習近平国家主席、金正恩総書記とまったく変わりません。

したがって、当ブログと安全問題研究会は、トランプ政権が終わる2029年1月までの間、米国をロシア・中国・北朝鮮と同じ「専制独裁国家グループ」の一員とみなして言論・論評活動を行うことになりますので、読者の皆様におかれましてもその旨をご理解いただきたいと思います。


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<地方交通に未来を(20)>見えてきた新幹線の「未来」

2025-01-18 21:01:54 | 鉄道・公共交通/交通政策

(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 この正月も、例年通り九州の実家に帰省してきた。帰省中の1月4日、地元の有名鉄道模型店を久しぶりに訪ねてみた。九州の鉄道模型ファンの間では「この店を知らない人はモグリ」といわれるほどの有名店だ。現在の店主は2代目であり、博多駅前の一等地で、先代の時代からもう半世紀以上営業を続けている。訪れる客は当然、濃いマニアばかりで、店主と客、あるいは客同士で鉄道(実車、模型の両方)の情報を交換し合うサロンのように機能している。働き方改革の流れなのか、最近は正月三が日は休業するようになったため、正月に帰省してもなかなか訪問できずにいた。

 十数年ぶりに訪れた店内は、足の踏み場もないほど並べられていた鉄道模型スペースが減ってずいぶん寂しくなった。2025年の営業初日のせいか客は私1人。「お元気ですか」と話しかけると、30年以上昔の学生時代、頻繁に訪れていたせいか「うっすらですが覚えていますよ」と返ってくる。客商売の人は顧客の顔は忘れないというが、本当らしい。

 しばらく鉄道談義をした後「九州の鉄道で私が唯一、心配なのは、西九州新幹線の今後です」とさりげなく切り出す。西九州新幹線は、武雄温泉(佐賀)~長崎間のみ先行開業したものの、鳥栖(佐賀)~武雄温泉間の開業の見通しは立たない。この区間は着工決定(2012年)の段階では、フリーゲージトレイン(軌間可変式電車;新幹線の標準軌(1435mm軌間)と在来線の狭軌(1067mm軌間)の切換区間を走行しながら車輪の幅を変える)を使用することによって在来線をそのまま走行する計画になっていたからである。博多から鳥栖までは九州新幹線(標準軌)、鳥栖から軌間を変えて在来線(狭軌)を武雄温泉まで走った後、再び軌間を変えて武雄温泉から長崎までは西九州新幹線を走る・・・はずだった。

 だが、フリーゲージトレインの技術開発に失敗し計画が頓挫。「鳥栖~長崎の全区間を標準軌新幹線にさせてほしい」と政府・自民党が佐賀県に申し入れたものの「同意する、しない以前にそんな話は聞いてもいない」と佐賀県知事が態度を硬化させ、ルートすら決められないでいる。もしこのままの状態が続けば、始発駅発車後わずか30分で全員が降りて乗換という現状が半永久的に続くことになる。1ミリも開業する見込みがないリニアのほうが、引き返せるだけマシではないかと思える。21世紀日本の出来事とは思えない。これほどの惨劇は探してもそうそう見つかるものではない。

 「西九州新幹線にデビューしたN700S系車両は、結局、博多駅のレールを一度も踏めないまま老朽廃車になるんじゃないか。九州ではみんなそう噂していますよ」。店主からは何事もなかったかのようにそんな答えが返ってくる。鉄道車両の寿命は、国鉄型車両だと40~50年くらいが多いが、路面電車など速度が遅い車両の中には80年、場合によっては100年走るものもある。しかし、新幹線車両は高速走行し、強い空気抵抗や振動が加わるため、20年くらいでほとんどが寿命を迎える。「僕が生きている間は、博多駅にN700Sは来ないんじゃないですかね」。少なくとも地元・九州では、博多~長崎の全通にもっと期待感があるのではないかと考えていただけに、意外な気がした。

 模型店を辞した後は博多南線に乗る。この路線は1990年、博多~博多南駅間8.5kmが開業したが、もともとは山陽新幹線岡山~博多間開業(1975年)に合わせて稼働を始めた博多総合車両所への回送線だった。車両所の敷地の大半が属する福岡県筑紫郡那珂川町(当時。現在の那珂川市)には鉄道がなく、那珂川町民は渋滞する西鉄バスで、福岡市中心部まで1時間かけて通勤通学をしなければならなかった。目の前を走っている新幹線回送車両は博多駅までたったの10分。「あの列車に乗れればいいのに」という町民の願いは国鉄時代からあったが、かなわなかった。

 国鉄分割民営化後「あの新幹線に乗せてほしい」と那珂川町民はJR九州に陳情したが「新幹線は当社の管轄ではない。陳情するならJR西日本に」と言われた。陳情を受けたJR西日本は、新幹線として事業免許申請をしようとしたが、最高時速120kmでしか走行しない博多~博多南間が「その主たる区間を列車が二百キロメートル毎時以上の高速度で走行できる幹線鉄道」(全国新幹線鉄道整備法第2条)の要件を満たさないため、在来線としての免許申請に切り替えるよう運輸省から助言を受ける。ところが今度は、九州内の在来線の営業権はJR九州が持つと定めた国鉄改革法第6条に抵触するため、JR西日本は列車運行ができても営業権は持てないことになった。やむを得ず、JR西日本がJR九州に博多南駅の営業を委託する形でスタートする。那珂川町民の「痛勤痛学」が解消され、博多南線は九州内でも有数の路線に成長した(その後、2010年からは駅もJR西日本の直営に変更されている)。

 新幹線車両所までの回送線を旅客営業線に転用した同様の路線としては、JR東日本・上越新幹線越後湯沢~ガーラ湯沢間がある(こちらも新幹線ではなく在来線として事業免許が与えられ、形式上は在来線である上越線の枝線扱い)。ただ、こちらは越後湯沢~ガーラ湯沢間が新幹線・在来線ともにJR東日本のため、開業に当たって博多南線ほどの紆余曲折はなかった。しかも、越後湯沢~ガーラ湯沢間はガーラ湯沢スキー場が営業する冬季のみの運行のため「新幹線が法律上、在来線として運行される区間」で、通年で乗れるのは博多南線だけ。その意味ではやはり珍しい路線であることに違いはない。新幹線車両を利用するため全列車が特急扱いだが、乗車券200円、特急券130円のわずか330円で新幹線車両に乗れる。子どもたちを「新幹線デビュー」させるための体験乗車向けの隠れた人気路線だという話もある。

 博多南線の地元への定着は結構なことだが、西九州新幹線をJRというより国は今後どうするつもりなのか。「鳥栖~武雄温泉間では在来線をそのまま使うというから同意したのに、今ごろになって新幹線にしてくれなどというのはだまし討ちだ。打診されてもいないものに同意などできるはずがなく、新幹線はタダでも要らない」という佐賀県の怒りが収まる気配はない。たとえ1メートルでも線路が途切れてしまえば、ネットワークとして全体が価値を失ってしまうという鉄道の特性をJR上層部も国交省も誰ひとり理解していないからこんなことになるのだ。乗客が少ないから災害復旧費がもったいないという理由だけで、北海道のど真ん中を走る根室「本線」の一部区間だけ断ち切って平気でいられる国やJRの頭のレベルなどしょせんはその程度ということだろう。

 私は最初、本稿のタイトルを「見えてきた新幹線の『墓場』」にするつもりでいた。2025年の新年早々そんなタイトルでは縁起が悪いため「未来」に変えたが、九州でも北陸でも大鹿村でも、見えているのはまさに新幹線という名の「屍の山」である。

(2025年1月5日)


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2025年 新年目標

2025-01-15 23:29:48 | 鉄道・公共交通/趣味の話題

さて、大変遅くなりましたが、2025年の新年目標を発表します。

いろいろ考えた結果、2025年も例年通り5線区以上の完乗達成を目標とします。大ジャンプをしても届かないような無理な目標では気持ちが萎えてしまう一方、努力しなくても達成できるような低レベルのものでは目標にする意味がありません。やはり5線区くらいがちょうどいいと思っています。

大阪メトロ中央線の夢洲延長開業がこの1月19日に予定されていますが、安全問題研究会は万博の意義自体に疑問な上、大阪万博会場が危険であることなどを理由に開催に反対なので、そもそもあまり行く気がしません。万博と関係ない時期に、こっそり行くかもしれません。

今年はこの他、新年あいさつにも書きましたが、1985年の日航機墜落事故から40年、2005年のJR福知山線脱線事故から20年と節目が続きます。すでに新年早々、講演依頼が1件入っています(概要は、近づきましたら改めてお知らせする……かもしれません)。公共交通関係では、安全問題研究会はかなり忙しくなることが確実なので、この「節目」をしっかりとやり切りたいと思います。

なお、お知らせです。昨年秋から当ブログの名称を開設当時の「人生チャレンジ20000km」に戻していましたが、年末から「安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)」に変更しています。新旧名称を併記する形ですが、上にも書いたとおり今年は「節目」なので、やはり安全問題研究会の名称にすることが欠かせないと考えたからです。

そんなわけで、今年も安全問題研究会をよろしくお願いします。


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日向灘沖で発生した地震について

2025-01-13 23:36:52 | 気象・地震

令和7年1月13日21時19分頃の日向灘の地震について(気象庁報道発表)

日向灘で震度5弱の地震が発生した。この地域でこの規模の地震が発生したのは、昨年8月8日、「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」が発表された震度6強の地震以来だ。

先ほど、午後11時15分から行われた気象庁記者会見で公表された報道発表(上記リンク先)を見ると、地震の規模はM6.9。昨年8月の地震が7.1だったから今回のほうがわずかに小さい。震央は昨年8月8日の地震(報道発表)から九州本土に10kmほど近い場所である。震源深さは約30kmで、昨年8月とまったく同じ。海溝型地震は、深さ20~30kmの場所で起きるとされており、今回もプレート境界での活発な地殻の動きを強く推認させる。

気象庁の報道発表では最近、地震のメカニズムを示す発震機構解に関する内容が掲載されなくなったため、今回と昨年の発震機構解を比較することはできないが、昨年8月の地震では西北西-東南東方向に圧力軸を持つ逆断層型と公表されている。ただ、震央の位置、震源深さともに昨年8月とほとんど同じであることを考えると、実質的に昨年8月の地震の余震または関連地震と見て差し支えないと思う。

2011年の東日本大震災のときも、2~3年前からM6~7クラスの地震がプレート境界より内側で相次いだ。2008年5月8日の茨城県沖地震(最大震度5弱)、2008年6月14日の岩手県内陸南部地震(最大震度6強)、2008年7月24日の岩手県沿岸北部地震(最大震度6強)と続いた。

その後、「不気味な沈黙」とでも呼ぶべき空白期間が2年近くあった。2010年3月14日(最大震度5弱)、6月13日(最大震度5弱)の地震が相次いで福島県沖で発生後、東日本大震災(2011年3月11日)に至っている。

南海トラフ地震の発生時期を見通すことが困難であることには違いないが、2030年代にはその発生危険性が格段に高まるとの見方で多くの地震学者が一致する。すでに、この海域で最大震度5弱以上の地震は、2024年4月8日(報道発表)、2024年4月17日(報道発表)、そして「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」が発表された8月8日と3回も起きており、今回で4度目となる。1年も経たないうちに4回もの発生は、東日本大震災直前の東北をしのぐハイペースであり、極めて危険である。地震学界の大勢である2030年代よりは、かなり早まるのではないかと私は思っている。

1999年の段階で東日本大震災の発生を予言していたと話題になり、「平成の奇書」と呼ばれた漫画家・たつき諒さんによる「私が見た未来」が昨年以降話題になっている。たつきさんの漫画家引退後は絶版となっていたが、東日本大震災後に「私が見た未来 完全版」として復刻された(作者・たつきさんのインタビュー記事)。いったんブームが沈静化したものの、「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」が発表された昨年8月以降、再び話題になっている。この「平成の奇書」の中で、たつきさんは「本当の大災難は2025年7月にやってくる」とし、その発生日時を「2025年7月5日午前4時18分」と分単位で予言している。

最近の南海トラフ地震想定震源域内でのたび重なる地震発生を見ると、たかが漫画と笑うことなく、備えくらいはしておく必要があるのではないだろうか。


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日本社会の縮図だった同窓会と、私の「これから」

2025-01-12 12:06:18 | 日記

ここ数年来、生活パターンが日頃と変わる年末年始になると、自分自身の精神状態の悪さや迷走を象徴するような夢を見ることが多かったが、昨年末から昨日に至るまでは、そのような夢は見ていない。睡眠が浅くなるのは例年通りだが、見る気配も今までのところはない。昨年10月12日付け記事で述べたとおり、少なくともここ数年では、私の精神状態は最も安定している。

1月8日付け記事で紹介した正月の同窓会の余韻は、まだ残っている。同期が440人もいれば、その中に1人くらい社長とか部長といった肩書きを持つ人がいるものだと思っていた。そんな人がいれば当然、話題に上るはずだが、出ないまま終わった。そんな人はいないということだろう。

S社のトラック運転手だったMくんは、高校時代、生徒会役員をしており、休み時間はほとんど教室にいなかった記憶がある。私から見れば、眩しく輝ける「リア充」そのものだったMくんより、「帰宅部」で協調性にも劣り、「非リア」で輝いていなかった私のポジションのほうが上だったことを心苦しく思うと同時に、「就職氷河期世代、報われていないな」という率直な感想を抱いた。

同期の「出世頭」が女性のRさんだったことに関しては、2通りの解釈が可能だと思う。ひとつは、ジェンダー・ギャップ縮小に向け、私が想像しているより早く時代が進んでいるということである。この解釈通りなら日本にも希望はある。もうひとつは、私の世代が「就職氷河期」の入口に当たったため、通常なら出世で有利なはずの男子生徒の多くが正規職に就けなかった結果が影響している可能性があるということである。

どちらの影響がより大きいかを判断する材料を私は持ち合わせていないので、私の下級生を含めた分析が必要だと思うものの、この点に関して個人ブログで優れた分析をしている記事がある。最近は影を潜めたが、かつて社会派ブロガーと呼ばれ一世を風靡したChikirinさんのブログ「Chikirinの日記」2008年8月3日付け記事「正社員ポジションはどこへ?」だ。16年半も前に書かれたものだが、さすがはマッキンゼー社で経営コンサルタントを長く務めただけのことはあり、分析はしっかりしている(私はコンサルタント自体「虚業」「ブルシット・ジョブ」だと思っているからあまり信用していないが)。

正社員の数は1987年から2007年までの20年間でほとんど変わっていないが、非正規雇用が1000万人近く増えたことがデータで示されている。増えた1000万人のほとんどが女性と高齢者だが、一方で、正社員のポストの多くを占めているのが、この記事で引用されているデータ(2007年)の時点で55歳以上だった世代である。この世代は1952年より前に生まれているので、最も若い人でも72歳。完全引退ではないとしても、社会の第一線からはすでに退いている。

正社員の数自体は変わっていないのだから、この世代が手放した正社員ポストは誰か別の人に渡ったことになる。Chikirinさんは、この後のデータや分析を示していないので断定はできない。だが「(2007年当時で)35歳以下、つまり1972年以降生まれの世代では女性が男性を圧倒している」という分析から考えると、1952年以前生まれの人たちが手放すことで空いた正社員ポジションの多くに、1972年以降生まれ世代の女性が座ったという推定が成り立つ。私の同期生は全員が1970~71年生まれで、Chikirinさんが「女性が男性を圧倒」していると分析した世代の入口に当たる。

この分析結果は、私の同期の出世頭が女性のRさんだったという事実と整合性を持つ。Rさんの存在は、これからの時代を占う上でひとつのシンボルかもしれない--Chikirinさんの16年半も前の記事が、そのようなヒントを与えてくれたのである。

   ◇    ◇    ◇

50代の「偉くなれなかった人」は、何を考えて働き、生きているのか?」(Fujiponさんのブログ「いつか電池が切れるまで」2021年8月31日付け記事)を読んで、大変共感を覚えた。こちらも4年半も前の記事だが、『(経営層、管理職になる人たちは)20代、せめて30代前半の頃から、そのための準備を積み上げてきていた』のに対し、Fujiponさんは『言われたところに行き、与えられた仕事をやって、それなりの給料をもらって生きる、賞罰なしの人生』だったと自分の半生を振り返りつつ『そういう人生だったから、ぶっ壊れずに生きてこられたのか、もうちょっとやれたのかは、自分でもわかりません。振り返ることはあっても、過剰に後悔はしない。これもまた、50年生きて身に付けた処世術なのでしょう』と述べている。まさに私の人生をトレースしたような内容である。

Fujiponさんは『”誰でもできそうだが、誰かがやらなければならない仕事”を誰かがやっていることによって、(最前線にいる人が)そこでしかできない仕事に集中できる、というのも実感しています』とした上で、そのような自分の仕事を「雪かき」に例えている。こうした実感も、最近の私と大変よく似ている。

Fujiponさんは医者で、私は企業の事務職という違いはあるが、どこの職場も基本構造は同じである。「人事評価では決して評価対象にはならないけれど、誰かがやらなければならない仕事」というものが、職場にも、そして社会にもある。

私の場合、ICT関連業務というのもこれに含まれる。誰の担当でもないので、やらないでおこうと思えばそれですんでしまうはずなのだが、Windows95が発売され一大ブームを起こしてから、今年でちょうど30年。ネット黎明期からずっとコンピューターに親しみ続け、たいていのトラブルを経験してきている私は、誰にも話していないはずなのに(私より明らかに詳しい人物が1名いるため)「職場で2番目にICTに詳しい人物」とされ、ことあるごとに相談が持ちかけられる。

システム開発といったような、システム部門に身を置いていれば当然、評価対象になるような仕事と異なり、「共有サーバーから警報音がして、エラーが出てるんだけど、誰かわかる人いる?」「昨日までログインできていたのに、なんで私だけ今日、急にログインできなくなったの? 誰か助けて」といった類の、いわゆる「ICT雑用」である。放置もできないので、自分の本業によほどの緊急性がない限り、放り出してまで対応に当たるが、こうしたことが評価対象になることはない。

ゴミ出しや、清掃業者が入らない更衣室内のトイレ掃除、庶務担当者が育児休業で長く休んでいるので、その人の代わりに郵便物を取りに行く仕事など、山ほど雑用がある。これらも当然、評価対象になることはない。しかし、だからといって誰もやらなければ、警報音は鳴りっぱなしのまま、コピー機の用紙は切れ、ゴミも山積みになったまま職場はカオスになってしまう。

こうした仕事に対しては、最近の若手社員にも言いたいことがある。生まれた時から新自由主義しか知らないせいか、コスパ、タイパの面で見て「割に合わない」仕事をなかなかやろうとしないことである。評価対象になる仕事には熱心に取り組むが、評価対象にならない仕事には「誰かがそのうちやるだろう」と思っている節がある。私の新人時代のように「新人は誰よりも先に出社して、全員の机を雑巾で拭き、お茶を入れろ」などと指導すれば、今の時代は「不適切にもほどがある」事例に一発認定されてしまう。しかし、30年後の今、思えばそれは「評価につながらなくても、誰かがやらなければならない仕事があるのだ」という職場、社会全体の基本構造を教えてくれる、諸先輩方からのありがたい「通過儀礼」だったのだ。

正直に告白すると、前述したような仕事は、少し前までは、50歳を過ぎた自分がやるようなことではないと思っていた時期もある。しかし、最近はそうした仕事にこそ最も喜びを感じるようになった。経営層や管理職には、部下からの相談に乗り、メンバーが働きやすくなるよう職場環境を整えること(いわゆるマネジメント)や、重要な判断、決断を下すという任務がある。彼らが、係長や平社員がやるような雑事、雑用に追われていては適切な判断、決断に支障を来す場合がある。

花形部署で看板業務をしている人たちも「その人たちでなければ果たせない役割」があるので、経営層や管理職と同様、それ以外の雑事、雑用からは(全面的にではないとしても)ある程度、解放される必要がある。

そうなると、経営層や管理職、花形部署で看板業務をしている人たちの手を離れたとはいえ「評価対象にならなくても、職場・社会のために誰かがやらなければならない仕事」は誰が引き受けるべきか、という問題が残る。業者委託などアウトソーシングすることで、日本の企業・組織は20年以上続いた「人余り・リストラ・デフレ」時代を生き抜いてきたが、「人手不足・インフレ」に逆転した日本社会ではそのような手法も次第に難しくなってきた。アウトソーシングに限界が近づいてきたのである。

花形部署で看板業務にも就いておらず、管理職レースからも外れた私のような人間こそ、こうした仕事を引き受けるのに最もふさわしい。そのことに気づき、いわば「悟りを開いた」のが昨年秋のことだった。迷走していた私の精神状態が急速に回復してきたのもちょうどその時期のことである。

さらに言えば、私が労働組合役員を長く続ける中で、自然に身につけた「作法」がある。若手社員から出た疑問・不満などを決して放置せず、必ず責任ある部署に取り次ぐということである。

最近起きた例でいうと、「業務中、着用が義務づけられている制服なのに、なぜ経費でクリーニングをしてもらえないのか。一緒に仕事をしている他社の社員は経費でクリーニングをしてもらえるのに、納得できない」というものだった。私は、要求として当然の内容と判断し、昨年秋、全国課長会議で議題にしてもらえるよう現場部門の課長に掛け合ったが「その話は数年前にも出されており、すでに(経費では出せないことで)決着ずみ」だと言われ、取りつく島もなかった。

しかし、これぐらいで投げ出す私ではない。来月に全国支所長会議が開催されるので、今度は「所長会議案件」として議題にしてもらえるよう準備を進めている。もし、所長会議でも結論が「ノー」なら、次は労働組合として正式に職場要求を提出し、労使交渉に持ち込む。私が今、描いている青写真である。

若手社員には「将来」がある。「お前、そんな言動を取っていたら、将来、出世できなくなるぞ」という「脅し」は、将来ある若手社員には効果がある。こうして、言いたいことがあるのに怖くて言えないというムードがまん延してくる。しかし、管理職レースからもすでに外れ、将来も残っていない私にそのような「脅し」は意味がない。「今さら出世などできるチャンスもないですし、したいとも思いませんが、今、何か仰いましたか?」と返しておけばいい。

このことに気づいたのも昨年秋頃のことである。「若手社員にとっては怖くて上に言えないことでも、恐れず言える無敵の人」という武器が私にはある。「若手社員を守る『盾』に、自分がなればいいんだ」と役割に気づいた瞬間、スーッと悩みが消えていくのがわかったのである。

50歳を過ぎても非管理職のまま、若い頃のような体力もフットワークの軽さも失ってしまった私のような人間に、職場で生き残る道はあるか。結論から言えば、ある。

1.評価の対象とはならないが、職場のため、社会全体のために誰かがやらなければならない業務を積極的に引き受ける。

2.非管理職のままでも、20代から50代までに蓄積してきた経験がある。経験の浅い若手社員がやるには骨が折れる「緊急度、重要度は高くないが、難易度がやや高め」な仕事を、蓄積してきた経験で確実に結果につなげる。

3.「無敵の人」の立場を活かして、若手社員の上層部に対する疑問・不満の「受け皿」になる。

4.得意分野、専門分野がある場合、それを活かす。私の場合は、ICTの知識や文章能力など。

この数年間は、自分の進む道が見えず、本当に苦しかった。だが、こうした道で頑張ればいいと悟りを開いたら精神面での不安はなくなった。

もうひとつ重要なことがある。子どもの頃から「長」のつく仕事など一度も経験したことがなく、管理職にまったく向いていない私に無理やり管理職への希望を書かせた前任の課長など何名かの人たちが「60歳になったら、役職定年で管理職を降りなければならず、賃金もほぼ半分になる。どうしよう」という話ばかりしているのを聞き、滑稽に思えた。初めから役職に就かなかった私にはする必要のない心配だからである。

高校野球の地方予選を初戦で敗退したある球児が「全国で一番早く、来年に向けたスタートを切れます」とインタビューに答えているのを、「切り替えが早いな」と冷めた目で見ていた時期もある。しかし、今こそ彼のその無邪気なポジティブさに学ぶべきだと思う。「管理職になった同期より5年以上早く役職定年後に向けたスタートができる」と発想を切り替えてみると、気持ちが軽くなった(ちなみに、上で挙げた4項目は、そのまま役職定年後に求められるスキルでもある)。同窓会でかつての級友たちと旧交を温めたこともあり、2025年の新年は、私としては久しぶりに晴れ晴れしている。


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高校の同窓会に参加してわかった私の「現在地」

2025-01-08 23:56:33 | 日記

年末年始、帰省していた九州で、県立高校の同窓会(同期生のみ)に初めて出席した。出席の意思は前からあったが、仕事で1998年4月に地元を離れて早くも26年。高校全体の同窓会は毎年、お盆に合わせた8月に開催されるが、同窓会のためだけに帰省するわけにもいかず、これまで出席したくてもできないでいた。それが昨年7月に来た案内によれば、年始に同期生だけの同窓会が開催されるという。

高校を卒業したのは昭和が平成に変わった年だった。その平成もいつの間にか終わり、同級生に会う機会はほとんどないまま、気づけば35年もの長い年月が過ぎていた。

1985年に「卒業」というタイトルの歌が3曲出た。尾崎豊さん、斉藤由貴さん、菊池桃子さんがそれぞれ歌うメロディーも歌詞もまったく別の3曲で、私はどれも気に入っているが、そのうち斉藤由貴さんの「卒業」にこんな一節がある。『卒業しても友だちね/それは嘘では無いけれど/でも 過ぎる季節に流されて/逢えないことも知っている』

この歌詞の持つ意味は、卒業直後には多分、わからない。「みんな地元にいるんだし、会おうと思えばいつでもできる」と、卒業証書を持って最後に校門を出たときは誰もが思っている。だが、それぞれが別の進路を歩み、別の人生を刻んでいくにつれ、この歌詞の内容が徐々にその輪郭を表し、私たちの前で深く重い意味を持つようになる。

   ◇    ◇    ◇

卒業後に会った高校当時の同級生は、たった2人しかいない。ひとりは、高校1年当時、同じクラスにいた個性的な女子・Nさん。おしゃべり好きで、話し始めるととにかく長い。ただ、話しかける相手はある程度決まっているらしく、私はその中に入っていなかった(要するに相手にされていなかった)。

Nさんは、休み時間などに談笑するとき、いつも誰かの(椅子ではなく)机に座っていた。何人かの女子の机に、Nさんはかなり頻繁に座っていたと記憶する。2年になって別のクラスに分かれたが、ある日たまたまNさんのクラスの前を通りかかると、そこでも机の上に座って談笑していた。

大学進学後のバイト先の店に、メーカーからの試食販売要員として来店したときに偶然会い、セール期間中の2日間だけ一緒に働いた。休憩時間に「高校時代の私、どういう印象だった?」と聞かれたときはどう答えていいかわからず困った。「普通だったけど」と無難に答えたことを思い出す。卒業してまだ数年で、思い出話に浸るには早すぎる時期だった。

もうひとりが、当ブログ2024年3月30日付け記事「路傍の雪が溶け、他人の幸せを祝う春」にご登場いただいた課長補佐の女性、Rさん。高校2~3年で同じクラスだったが、タイプはNさんとは正反対。派手さはないが、みんなでやろうと決めたことは、困難に直面しても最後まできちんとやり遂げる。それだけに、課長補佐への昇進は私から見ても納得の人事といえる。

結局、卒業後の35年で1回でも会えたのはこの2人だけ。これ以外の同級生の消息は、同窓会会員名簿掲載の情報で断片的に知るのみだった。

それなのに、同窓会に参加してみようと思い立ったのにはいくつか理由がある。ひとつは、同級生たちが35年の時を経てどのように変わったのか(あるいは変わっていないのか)を見たいという興味と、怖い物見たさ。もうひとつが、自分がそれなりに精いっぱい生きてきて、一定の立ち位置も得ているので、元同級生たちの前に出ることにあまり恐れを感じなかったことにある。

同窓会に出席するかどうかをめぐっては、大きく3つくらいの立場に分かれると私は思っている。第1は人生に成功している(と自分で思っている)人たち。多くは地元に残って高校時代からの人間関係をも活かしてポジションを確立している。同窓会には毎回のように出席しており、幹事や世話役などを務めるのもたいていこういう人たちである。

第2は、消息は知れているものの、決して参加してこない人たちである。人生に成功していないか、成功しすぎて地元に帰る暇もないかの両極端であることが多い。そして第3は消息不明の人たちである。同窓会に出席することはまずない。

   ◇    ◇    ◇

同窓会には70人ほどが集まった。今の若い世代には信じられないかもしれないが、私の高校時代(昭和末期)は40人×11クラスで同級生が440人もいた。この日、会場に来たのは約6人に1人ということになる。

先生方は4人が参加された。当時の指導法に対しては賛否両論あると思うが、今の時代なら「不適切にもほどがある」と言われるようなことであっても、その指導のおかげで困難に立ち向かう力がついた。あの頃があったから今があることも一面では事実なのだ。親からも教師からも大切に、丁寧にと育てられた今の若者世代は、私たちのような「困難に立ち向かう力」を本当に身につけられているのだろうか--先生方と昔話や近況に花を咲かせながら、ふと、そんなことも思った。

だが、私たちの世代も、上の世代からは「最近の若い者は」と言われながら育ったが、何とか持ちこたえている。私たちが心配するほど若者世代はひ弱ではなく、これからの時代にふさわしい、彼ら彼女らのやり方で道を開いていくのだと信じたい。

先生方からは「社会の第一線で活躍しているみなさんを見て、とても嬉しく思っています」という言葉もいただいた。もちろん、好きこのんでこの会場まで来ているのは、人生に成功している(と自分で思っている)人たちばかりなのだから当然だろう。だがこの会場の外には、第2カテゴリーの人(消息は知れているものの、決して参加してこない人)や第3カテゴリーの人(消息不明)がたくさんいることも、決して忘れるべきではない。

当ブログ2024年2月14日付け記事「年末に見た夢の意味が、少しわかってきた。私にとって「書くこと」の意味」で紹介したT先生は欠席だったが、幹事からメッセージが紹介された。自分でさえ気づいていなかった私の能力を見抜き、開花させてくださったT先生への恩は今なお忘れない。

会場に来ていた人は、高校教師になっている人、S社のトラック運転手をしている人などさまざまな職業の人がいた。地元に残っている女性は、臨床検査技師、看護師など医療系の職業の人が多かった。地方公務員(地元市役所職員)もいた。

総じて、地方では女性が「誰かのケアをする職業や立場」に就くことに期待する暗黙の空気がある。日本国憲法では法の下の平等が謳われ、男女差別はないことになっており、表向き、法制度上の差別は(女性天皇が認められていないことを除けば)すでにない。だが、こうした「特定の役割に対する暗黙の期待」こそが、アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)として日本のジェンダー・ギャップ指数を下げる要因になっていることも、「元クラスメートだった女子」のその後の進路から垣間見えるのである。

私が2~3年生の時に所属していた文系特進クラスからの参加者は少なかったが、世話役の人によれば、今回に限らず毎回のことだという。特進クラスの人でたまたま、同じテーブル付近に集まったわずかな時間に「うちのクラスの卒業生は地元に残っていない人が多いよね」という話が出て、一同納得の様子だった。

私と同じ職場にいるRさんも全国転勤が前提だが、育児のことを考え転勤を緩和してもらっていた時期がある。それでも九州全域で広域転勤をしてきた。首都圏で高校教師をしている人もいて、地元残留組が中心になりやすい同窓会のシステムは、全国や世界を股にかけて活躍している人向けにはできていない。生まれ育った地元で人生を終えるマイルドヤンキーの、マイルドヤンキーによる、マイルドヤンキーのためのシステム--それが同窓会である(同窓会がしばしば選挙で集票マシーンとして機能するのも、結局は「地縁」組織だからである)。

私が卒業後に会った2人の同級生--Rさん、Nさんはこの日は欠席だった。2人とも、同窓会会員名簿で「消息不明」として扱われている。だがRさんは私と同じ職場であり、他にも現状を知っている人がいるため、ここでは第3カテゴリーの人には含めず、第2カテゴリーの人に分類する。Nさんの消息はわからず、この日の会場でも、私の知る限り話題になっていなかった。

3年間、一度も同じクラスになったことのない女子が、初参加の私を見て「あ、特進クラスにいた○○くん(私の本名)だ」と話しかけてきた。「私たちがどんなに頑張っても、特進クラスの人には絶対にかなわなかったんだよね」と言われた。高校生の頃は、特進クラスというだけでそんなに注目されているとは思っていなかった。見られていることの恐ろしさを感じた。

   ◇    ◇    ◇

こうして、私が出席した初の同窓会は幕を閉じた。総じて、この日、会場に来ている人からは、同窓会に来られる人--つまり、人生に成功している(と自分で思っている)人に共通する傾向のようなものも見えた。平たくいえば、学業成績よりもコミュニケーション能力、つまり社交的で他人との意思疎通がきちんとできていた人が多いと感じた。高校時代に寡黙だったり、変人と言われていた人はほとんどおらず、逆に、癖が少なく交友関係の広かった人が多かったのは、自分の予想通りだった。

35年間のブランクはあっという間に埋まり、2時間の会は瞬く間に終わった。まったく話し足りないと感じた。私が聞いている限り、昔話よりは近況を話している人のほうが圧倒的に多かったが、これも人生に成功している(と自分で思っている)人たちの集まる場なのだから仕方ないと思う。

他人と自分を比較することは好きではないし、「自分にはこんな得意分野があるのだから、他人と自分を比べる必要はないと思えるようになり、気持ちが楽」(上でご紹介した当ブログ2024年2月14日付け記事)になって以降、私はあえて他人と自分を「比べない」人生を選択してきた。ここまで人生を無事にやってこられたのがそのおかげであることも間違いない。

だが、いくら他人と自分を比較せず独自の人生を歩んできたとはいえ、どこかで自分の客観的な立ち位置--社会の中で今、自分がどこにいるのかを定点観測しなければ道に迷うことがある。目的地までの地図があっても、自分の現在位置がどこかわからなければ旅を続けられないのと同じだ。同窓会--その中でも、成績も生活態度も同程度の人が集まっていた高校の同窓会はその格好の舞台である。そこで観測した自分の位置が、自分が考えていたほど悪くないということを確認できただけでも、出席した意味があったと思っている。

Rさんほど粘り強くもなく、メンタルも安定していない私が、Rさんのようになれるかはわからない。高校時代、まったくかなわなかったRさんに追いつく自信は持てない。だがこの日、会場に来ていた同級生の立ち位置と自分の立ち位置を照らし合わせると、それ自体、私にとって高望みが過ぎると言うべきだろう。S社のトラック運転手になっていたMくんにRさんの現状を話すと「間違いなく、女子では一番出世してるよ」という答えが返ってきた。

そもそも私たちは就職氷河期まっただ中の世代に当たる。管理職以前に正社員の職にさえ就けない人が多かった。この日の会場を見渡すと、女子はもちろん、男子でもRさん以上の役職に就いている人はいない感じだった。私は、同級生の「出世頭」が特進クラスの人であってほしいと願っていた。結果としてその通りになっていたが、出世頭が女子の中から出るとは意外だった。ジェンダー・ギャップ縮小に向け、時代は私が想像しているより早く進んでいるとの確信を持った。

同窓会には、今後も機会があれば出席したい。特に、T先生が存命のうちにお礼を申し上げることは私にとって義務だと思う。それを実現させることも、私の「中長期目標」に加えておきたい。


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【週刊 本の発見】『日本鉄道廃線史~消えた鉄路の跡を行く』

2025-01-02 20:13:31 | 書評・本の紹介

(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

【週刊 本の発見】過去の鉄道廃線事例から「明日への提言」へ

『日本鉄道廃線史~消えた鉄路の跡を行く』(小牟田哲彦・著、中公新書、本体1,050円、2024年6月)評者:黒鉄好

 タイトルだけ見ると、鉄道ファン界隈にありふれた廃線跡「歴史探訪」系の本のように思える。だが、単なる廃線跡の訪ね歩きに終わらせず、路線ごとの廃線史を鉄道政策の中に位置付けて検証し、ローカル線の明日につなげたいとの意欲が見える。

 まず興味を惹かれるのは、この手の新書としては異例の7枚に及ぶ巻頭カラー写真と時代ごとの鉄道路線地図である。巻頭カラー写真では廃線後の各線の悲喜こもごもの風景が登場する。放置された線路跡をエゾシカが横断する北海道・石勝線夕張支線(2019年廃止)と放置された車両が草むす石川県・のと鉄道能登線(2005年廃止)の写真からは「悲」の強い印象がある。衰退が止まらない地域、過去の災害と比べても復旧の遅い地域と一致しているのは決して偶然ではない。「鉄道の扱われ方を見れば、その地域全体に対する国の扱い方が見える」ことは私自身、全国各地を鉄道で訪問し、何度も実感している。

 私がかつて国鉄闘争に関わっていた頃、ある国労闘争団員から「昔は鉄道で日本列島の地図が書けたが段々難しくなっている」と聞いたことがある。7枚の路線地図を見ると、本州、四国、九州の形は現在でも鉄道でほとんど描けるのに、北海道だけが原形を留めていない。北海道「独り負け」がローカル線問題の現在地だ(今後はわからないが)。

 鉄道路線の廃止を許可制から届出制に変更した2000年の鉄道事業法改悪によって、廃線がそれ以前と比べて増えたことを筆者はデータで示す。鉄道事業者が線路や路盤も含めて管理する「上下一体」方式では、廃線後に線路が撤去され、数十年後に再度、線路が必要になっても難しく、筆者は線路を残すことの重要性を訴える。保存車両の運行などと並んで「特定目的鉄道」制度(国が事業免許を与える観光専用鉄道。2000年の鉄道事業法改正で新設)の活用を提案している。

 筆者は、ローカル線を含めた鉄道ネットワークを維持するため、廃線パターンの類型化が必要ではないかと主張しており、私はこれに同意する。廃線に至る要因を解消しなければ廃線阻止はできないからだ。本書を読破してみると、大まかに戦後前半期(1970年代まで)は道路の充実と自動車の普及による廃線が、また戦後後半期(1980年代以降)は地域衰退がそのまま鉄道の自然死につながる形が多いことが見えてくる。

 現在まで続く「地域衰退型」廃線に関しては、鉄道事業者だけで対策を講じるのは不可能だ。地方の過疎対策、東京一極集中の是正を含む政策パッケージが必要であり、政治を転換する必要がある。衆院で少数与党となった2025年は千載一遇のチャンスである。

 英国では、政権を獲得した労働党が民営化した鉄道の再国有化を掲げている。このような国際的動向も踏まえつつ、民営化JRが公共交通機関としての役割と両立しなくなるのであれば、民営化を再考するという発想が出てくるのは当然のことだと指摘。鉄道維持に向けた国の関与を求める。これらは、過去の拙著「地域における鉄道の復権」「次世代へつなぐ地域の鉄道」で指摘した私自身の問題意識、解決の方向性とも一致している。

 廃線に減便、駅窓口の削減、割引切符の相次ぐ廃止・改悪などJRへの市民・利用者の不満はかつてなく高まっている。民営化からの脱却へ突破口を切り拓く2025年にしたい。


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【新年ご挨拶】2025新年のご挨拶を申し上げます

2025-01-02 14:55:23 | 日記
1月2日もすでに昼過ぎになりましたが、ここで管理人から新年のご挨拶を申し上げます。
2025年をひとことで言うと「節目」だと思います。元日の地方紙の紙面でも特集されている戦後80年であることはもちろんですが、この年明け早々、1月17日には、1995年の阪神・淡路大震災から30年を迎えます。
さらに、安全問題研究会が取り組んでいる課題としては、1985年の日航123便墜落事故から40年、2005年のJR福知山線脱線事故から20年を迎えます。当研究会として、2025年はかなり忙しくなることを覚悟しています。
「節目」として、日本がとかくおろそかにしがちな「過去の検証」をきちんとするべき年です。これをきちんとしない限り、日本の復活はないので、しっかりやるつもりです。
そういうわけで、今年も安全問題研究会をよろしくお願いいたします。
なお、新年目標は後日改めて発表します。

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【年末ご挨拶】今年も1年、お世話になりました

2024-12-31 21:19:59 | 日記

鉄道全線完乗実績まとめ、20大ニュースの発表に加え、3・11以降、私にとって大晦日の恒例行事となった全交関電前プロジェクトによる関西電力前大晦日行動へのリモート出演(メッセージ)も終わり、ようやく年末という気分になってきました。

2024年もあと3時間足らずになりましたので、ここで年末のご挨拶を申し上げます。2024年に起きた出来事の評価は後世に委ねたいと思いますが、特に公共交通分野に関しては、新年早々、羽田事故が起き、年末にも韓国・チェジュ航空機の着陸失敗事故が起きるなど、騒々しい1年だったと思います。これに伴い、安全問題研究会としても、非常に充実しながらも忙しい1年でした。

個人的には、昨年の著書発行に続き、2024年も月刊「日本の科学者」に拙稿が掲載されるなど充実した1年だったと思います。ただ、仕事・私生活面では、将来に向けた迷いが生じ、揺れ動いた1年でもありました。

間もなく新しい年となります。みなさま、よいお年をお迎えください。


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2024年 安全問題研究会10大ニュース(今年は20大ニュースに拡大します)

2024-12-30 22:06:49 | その他社会・時事

さて、2024年も残すところあとわずかとなった。例年通り今年も「安全問題研究会 2024年10大ニュース」を発表する。ニュースタイトルの後の〔 〕内はカテゴリーを表す。

選考基準は、2024年中に起きた出来事であること。当ブログで取り上げていないニュースも含むが、「書評・本の紹介」「日記」「運営方針・お知らせ」カテゴリからは原則として選定しないものとする。

・・・なのだが、今年は本当にいろいろなことがあり過ぎた。鉄道系ブログとしてはどうしてもランクインさせなければならないはずの北陸新幹線敦賀開業や、根室本線・富良野~新得廃止といった重要ニュースが、まさか10位以内にすら入れないとは思ってもいなかった。

だからといって、これらのニュースを選外にするわけにもいかず、熟慮の末、今年はやむを得ず、20大ニュースに枠を拡大する。ニュース枠の拡大は、2016年(20大ニュースに拡大)以来8年ぶりである。なお、この拡大のため、例年、選外となったニュースでどうしても残しておきたいものを取り上げている「番外編」の公表は、今年は行わない。

1位 能登半島で震度7の大地震 関連死含め500人近く犠牲に〔気象・地震〕

2位 羽田空港でJAL機と海保機が衝突、乗客全員脱出成功も海保機5人死亡〔鉄道・公共交通/安全問題〕

3位 日本被団協にノーベル平和賞 長年の反核運動実る〔原発問題/一般〕

4位 自民党総裁選で石破政権発足、衆院解散総選挙で自公過半数割れ〔その他(国内)〕

5位 改定エネルギー基本計画から原発「可能な限り低減」削除。福島の教訓忘れ露骨な原発回帰へ〔原発問題/一般〕

6位 東海道新幹線保線車両衝突、東北新幹線「はやぶさ・こまち」分離など新幹線トラブル相次ぐ〔鉄道・公共交通/安全問題〕

7位 米大統領選でトランプ氏返り咲き。民主ハリス氏大差で破る〔その他(海外・日本と世界の関係)〕

8位 中央リニア新幹線開業と北海道新幹線札幌延伸「延期」発表相次ぐ 計画の無謀さ明らかに〔鉄道・公共交通/交通政策〕

9位 女川・島根原発再稼働相次ぐ 敦賀2号機は規制委審査「不合格」で原電窮地に〔原発問題/一般〕

10位 NUMO(原子力発電環境整備機構)が寿都・神恵内での「核のごみ」最終処分場文献調査報告書を公表〔原発問題/一般〕

11位 根室本線・富良野~新得、無念の「廃止」 地元住民団体は復活運動へ〔鉄道・公共交通/交通政策〕

12位 北陸新幹線、金沢~敦賀間延長開業〔鉄道・公共交通/交通政策〕

13位 JR各社が相次いで値上げを発表。JR北海道をめぐっては当研究会代表が公聴会で意見公述。「みどりの窓口」削減など大幅なサービス低下も相次ぎ、利用者からの不満表面化〔鉄道・公共交通/交通政策〕

14位 知床遊覧船事故をめぐり、海保が桂田精一・同社社長を逮捕・起訴〔鉄道・公共交通/安全問題〕

15位 バスの深刻な運転手不足により全国的に減便・廃止相次ぐ〔鉄道・公共交通/交通政策〕

16位 「令和の米騒動」発生。8~9月にかけ全国で米が品薄に〔その他(国内)〕

17位 宮崎県沖でM7の地震。初の「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」発表〔気象・地震〕

18位 JR九州高速船日韓航路「クイーンビートル」で浸水隠し発覚。JR九州が日韓航路撤退へ〔鉄道・公共交通/安全問題〕

19位 「国内避難民の人権に関するダマリー国連特別報告者による訪日調査報告書」日本語訳が公開〔原発問題/一般〕

20位 東京、兵庫の知事選でSNSが影響力。フェイク、デマ情報の制限が課題に〔その他(国内)〕

【当研究会関連(上記以外)】

・当研究会代表、羽田事故問題、原発問題で「レイバーネットTV」に2回出演

・羽田事故問題で国交省の責任を連続追及。航空管制官の増員実現

・当研究会代表執筆論文「開業150年の節目に危機が顕在化した日本の鉄道」が月刊「日本の科学者」に掲載

・「リニアが通る村」長野県大鹿村で当研究会代表がリニア問題の報告

・「ノーモア尼崎事故!生命と安全を守る4・27集会」で当研究会代表が記念講演

10大ニュースには、例年、鉄道関係カテゴリーから3つ程度、原発関係カテゴリーから3つ程度を選ぶこととしているが、今年は鉄道・公共交通関係の重要ニュースが多かった。しかも、事故・トラブル、廃線・減便、工事難航に伴う開業時期延期など、「鉄道・公共交通衰退」を感じさせるニュースばかり。明るい話題は新幹線敦賀開業くらいだが、いずれも今後の鉄道の帰趨を占う重要ニュースと判断した。

一方、原発関係は、今年は反/脱原発という観点からはまったくいいニュースがなく、10月までは9位「女川・島根原発再稼働相次ぐ 敦賀2号機は規制委審査「不合格」で原電窮地に」の1つだけでもいいと考えていた。

だが、11~12月にかけ、日本被団協のノーベル平和賞受賞、エネルギー基本計画改悪、NUMOによる文献調査報告書の公表などの重要ニュースが続いた。これらも、数年後に振り返ったとき「いま思えばあそこが転換点だった」と振り返られることになるのは確実な重要ニュースばかりであり、結局、原発関係も5つと例年を上回った。

それにしても・・1位の能登地震が元日、2位の羽田空港事故が1月2日の出来事であり、「新年の2日で今年の10大ニュースのツートップは決まったようなものだ」と新年早々思ったが、結局、この2つを凌駕するような重要ニュースは、当ブログ的にはなかった。

地震関係のニュースが2つもランクインするなど、とにかく今年は地震に翻弄された年だった。震度5強以上を記録した地震は、東日本大震災が起きた2011年以降としては、最も多い年になった。

もう1点、上記のランキングを見ていて思うのは、1つの事件がドミノのように連鎖的に他の事件を引き起こしていくケースが今年は非常に目についたことだ。例えば、2位の羽田事故は、能登に救援に向かおうとしていた海保機がJAL機と衝突したものであり、元日の能登地震が起きていなければ発生していなかった。また、16位「令和の米騒動」も、米不足の傾向自体は今年春からはっきりしていたものの、「最後のダメ押し」になったのが17位の「南海トラフ地震臨時情報の発表」だったことは疑いがない。

これらは連鎖的に発生したが、それ自体は別の出来事であるため別のニュースとして扱わざるを得なかった。枠を20に拡大しなければならないほどニュースが多かったのは、重要なニュースがドミノ的に連鎖発生した影響も見逃すことができない。

いずれにせよ、今年は本当に騒々しい1年だったし、安全問題研究会にとってもかつてなく忙しい年だった。少なくとも、公共交通をめぐっては、2025年は平穏な年であってほしい。


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