3月に入った。
4月人事の公表は3月中旬でまだ明らかではないが、うっすらとわかっているのは、どうやら「サプライズ人事」はなさそうだということ。そしてはっきりとわかっているのは私自身にはこの春も異動はないということである。2013年4月から続く北海道生活は、丸12年を超え、13年目に入る。こんなに長く続くと思っていなかった(最近は毎年同じことを言っている気がするが)。個人的には、ここの生活はかなり気に入っているので、役職定年となる60歳まで、もうこのままでもいいと思っている。
一時は停滞気味だった私の精神状態は、当ブログ昨年10月12日付記事「天高く、復調の秋」で書いたとおり、かなり復調してきている。いったん休筆宣言した後「以前と同じペースでの執筆はできないとの条件で復帰」した「ある媒体」に関しても、結局、以前と同じペース(週1本程度)での執筆に戻りつつある。
ここ最近は、自分自身の停滞を象徴するような「おかしな夢」も見なくなったが、これには「悟りを開いた」ことが大きいだろう。今年1月12日付記事「日本社会の縮図だった同窓会と、私の「これから」」に書いたとおり、経営層や管理職、花形部署で看板業務をしている人たちが思う存分手腕を発揮できるよう、「評価対象にならなくても、職場・社会のために誰かがやらなければならない仕事」を引き受けることが私の今後の役割なのだ。
とはいえ、この4月以降、しばらく苦しくなることがはっきりしている。私の向かい側の席の人が、昨年10月以降、今年5月いっぱいまで育休に入っている。その代替要員を11月から採用し、5月いっぱいまで雇用を続けることになっていたのだが、結局、3月までで退職することになってしまったからだ。
育休者の代替要員としての雇用だったはずなのに、その人にも1歳児がいることを採用後に知らされた。上層部は、面接で事前に知った上で採用したとのことだが、実質的には短時間勤務に近く、代替要員としての意味は、振り返ってみるとほとんどなかったように思う。
少子化の進む日本にとって、子育てはある意味、仕事よりはるかに重要な国家的ミッションであり、それだけなら問題にするほどでもなかっただろう。だが、2月に入って以降、「今後、この仕事を続けていく自信がない」などの発言が出るようになり、突発的に休むことが増えた。様子がおかしいことは明らかだったが、先日、その理由が判明した。彼女が精神障害者保健福祉手帳を所持していること、それをカミングアウトせずに健常者として面接を受け採用に至っていたこと、等々である。
私はこれまで誰よりも長く労働組合役員を務めてきたし、連れ合いはケアマネージャー(介護支援専門員)の資格を持つプロの福祉職である。当ブログ昨年3月30日付記事「路傍の雪が溶け、他人の幸せを祝う春」でも書いているように、地域ユニオン(自由加盟の労働組合)に駆け込んできた26歳の若者の生活保護受給支援などの活動も続けてきた。少なくとも、障害者への差別意識は持っていないつもりだ。
この若者を就労支援施設にあっせんする過程で、最近の障害者の就労支援に関する状況も知ることができた。「障害者であることをカミングアウトすることは、就職活動上の義務ではない。障害者としての自己認識の結果、初めから障害者雇用一本に絞り込むことによって自分の可能性を狭めてしまうのではなく、カミングアウトせずに健常者と同じ雇用形態で自分の可能性を試したいと思っているなら、挑戦してかまわない」とアドバイスしている就労支援事業所が多いことを知ったのは、この活動を通じてである。
1歳児がいることは承知の上で採用を決めた上司も、精神障害者保健福祉手帳所持者であることは知らなかったという。彼女もまたカミングアウトせずに健常者と同じ雇用形態で自分の可能性を試したいと思って私の職場の採用試験に応募したのだろう。
ただ、1歳児の育児をしながらフルタイムの雇用形態で働くことは、健常者でも難しい。精神障害者保健福祉手帳を所持する人にとって、無謀な挑戦だったように私には思える。さすがに、彼女自身もそのことを悟ったようで、4月から採用される新しい職場では障害者雇用枠での扱いになるという。
本人にそのことを告げられたとき、課長は驚いて頭を抱えたというが、私は驚きながらもこのような結末になるのではないかという予感は、2月に入る頃からあった。さすがに「カミングアウトしていない精神障害者」という展開は予測できなかったものの、不安定な出勤状況や「今後、この仕事を続けていく自信がない」等の発言から、4月以降はどうなるかわからないな、という予感めいたものは薄々出てきていたのも事実だ。
本人には「自分に合った働き方を見つけたのであれば、それはいいこと。新しい職場で、自分の心身の状態と、今後の社会人としての未来、可能性とのバランスを上手く取りながら、進んでほしい」と無難にアドバイスした。
結果的に、4~5月の間、期待していた彼女は去り、育休中の社員も復帰しないまま、最も忙しい新年度を欠員で迎えることになる。現場業務を行う別の課でも、3月いっぱいで辞める臨時社員の後任者をハローワークで募集しているが、現在まで応募がないまま。こちらも欠員のまま4月を迎える公算が強まっている。
ここ数年、日本社会全体で人手不足が報道されてきた。私自身はこれまで他人事だと思っている部分もあったが、いよいよ私とその周辺にも影響が及んできたことになる。当ブログをいつも見に来てくれる非正規労働者の方のように、雇用形態としては本来、不安定な非正規であっても、ある程度長期間(数年以上)勤務し、業務にも熟練しているため代替が難しく、経営側が容易に解雇できない状況になっている労働者を、期間の定めのない正社員とまとめて「長期安定雇用グループ」に含めると、ここ数年来の日本の雇用状況は「長期安定雇用グループ」と、主婦・学生・シニアを中心とした「スキマバイト」「スポットワーク」と呼ばれる超短期間雇用に二極化しつつあるように思える。
両者のちょうど中間に位置し、これまで経営者から「雇用の調整弁」として扱われてきた数か月から数年単位での労働者を確保することが、著しく困難になってきている。「冬季だけの除雪作業員」「夏場だけの観光地での接客業務」「育休、病休者の代替要員」(数か月~1年程度)といった求人への応募が極端に少なくなっており、ここを埋めてくれる人材は、彼女のような精神障害者に至るまで奪い合いの状況になっている。
逆に「イベント期間中、3日間だけの応援」とか「クリスマス期間中だけの臨時菓子店員」といったスキマバイト、スポットワークには応募が殺到している現実もあるのだ。
4~5月の2か月だけ要員を採用する手もないわけでもないが、そんな短期間の求人に応募する人材が現れるとは思えないし、たとえ採用できても業務を教える間もなく終わってしまう。どう見ても「欠員のまま、残った人が残業で回す」以上の妙案は思い浮かばず、150%そうなるだろう。考えるだけで憂鬱な春である。
優秀な人事評価を得られているわけでもなく、普通に過ぎない自分自身を、私はこれまでたいしたことがないとずっと思っていた。だが、ここ数年は、向かい側の席に座っている社員が、アルコール依存でたびたび欠勤する人だったり、彼女のようにやる気はあってもメンタルがついて来ず、やはり休みがちだったりと安定しない状況が続いている。
このような状況が長く続くと事態は根本的に変わる。「毎日きちんと定時出社して退社時間まで勤務を続けられる」「ルーチンワークを問題なくこなせる」という当たり前のことが価値を持つようになるのだ。少なくとも、私が上層部、管理職の立場であれば、働きぶりは人並みに過ぎなくても「先の見通しが立てやすい」社員に対しては、それだけでありがたいと思うだろう。
正直、5年くらい前までの私は、「偉くもなれず、若くもない」自分のような社員は、真っ先に早期退職制度(45歳以上が対象)の適用対象者になるのでは・・・という不安が頭から離れなかった。だが今の私にそのような不安はない。同期はみんな管理職昇任しているとはいえ、「歩のない将棋は負け将棋」(「歩」北島三郎)という昔の歌にあるように、どんな組織も兵隊がいなければ戦えないし、周囲の状況を見ていると、私は「歩」「兵隊」としてはかなり強い位置にいる。
4~5月は例年と比べ、3人いるはずの課を2人で回さなければならないのだから、忙しさ1.5倍の状況になること必至だが、このような全体状況と自分の立ち位置を考えると、まぁ良しとしよう。上層部、管理職にとって私が「先の見通しが立つ、使いやすくてそれなりに強い兵隊」としての価値を持っているならば、当面はそのような形で使われておくのが最も適切な生き残り策であることは間違いないのだ。
そういうわけで、北海道からの発信13年目になる当ブログに、引き続きご助言、ご鞭撻をお願いしたい。