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【福島原発事故刑事裁判第34回公判】「母は東電に殺された」被害者が法廷で意見陳述、これが先進国の姿か!

2018-11-18 22:13:07 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
福島原発事故をめぐって強制起訴された東京電力旧3役員の刑事訴訟。11月14日(水)の第34回公判の模様を伝える傍聴記についても、福島原発告訴団の了解を得たので、掲載する。11月16日(金)の公判は取り消しとなり、次回、第35回公判は12月26日(水)~27日(木)に開かれる。

執筆者はこれまでに引き続き、科学ジャーナリスト添田孝史さん。写真(サムネイル表示となっている場合はクリックで拡大)は、福島第1原発事故で避難途中に死亡し、起訴容疑である業務上過失致死傷罪に関する「直接被害者」となった患者が入院していた双葉病院の正門である。

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●「母は東電に殺された」被害者遺族の陳述

 11月14日の第34回公判では、大熊町の病院や介護施設から避難する時に亡くなった被害者の遺族が意見陳述した。2人が法廷で被告人に対して直に意見を述べ、さらに3人分の意見は弁護士によって代読された。

 自衛隊さえあわてて撤収する高い放射線量のもと、中心静脈栄養の点滴を引き抜かれ、バスに押し込められて10時間近くも身動きできないまま運ばれ息絶える。あるいは、病院に置き去りにされたまま、骨と皮のミイラのようになって死ぬ。

 原発事故が起きると、21世紀の先進国とは思えない異常な死に方を強いられる状況が、あらためて示された。そして、穏やかに看取ってあげられなかった遺族の無念の思いが法廷で述べられた。

 そのような悲惨な事態を誰が引き起こしたのか。

 「現場に任せていた」という被告人ら説明では、遺族たちは納得していないことも、「東電に殺された」という強い言葉とともに訴えられた。

 以下に、意見陳述の概要を紹介する。

●「想定外で片付けられると悔しい」介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」に入所していた両親を亡くした女性=法廷で意見陳述

 「想定外で片付けられると悔しくてなりません。太平洋岸には他にも原発があるのに、なぜ福島第一原発だけが爆発したのか。何かしらの対策を取っていれば、女川や東海第二のように事故は防げたのではないかと思うと許せません。わかっていて対策をせず、みすみす爆発させたのなら未必の故意ではないのか。誰一人責任者が責任を取っていないのは悔しい」

●「責任者を明らかにするのが大切」ドーヴィル双葉に入所していた祖父母を亡くした男性=法廷で意見陳述

 「(2002年の)東電のトラブル隠しのあとに起きているのがとても残念です。高度な注意義務を負う経営者に、刑事責任をとってもらわないと今後の教訓にならない。もう二度と同じ思いをする人が出ないように」

●原発を不安に思っていた父~双葉病院に入院していた父(97歳)を亡くした女性=弁護士が代読

 「父は寝たきりで2時間ごとの体位交換が必要でした。経口摂取も困難で中心静脈カテーテルで栄養や薬剤の投与を受けていましたが、避難の際に抜かれ、水分や栄養分を摂取できなくなりました。このような酷い状況に10時間近くも置かれ、父は無くなったそうです。父は寒がりでしたし、水分や栄養を摂取できず、身動きもできない状況で、どれほど辛く、苦しかったことでしょう。私が結婚するにあたって、夫が実家に挨拶に訪れた際に、父は「ここは原発があるからな」と不安を口にしました。原発のことを不安に思っていた父が、原発事故で無くなるとは全く想像もしていませんでした」

●「慢心があったとしかいいようがありません」双葉病院に入院していた兄を亡くした人=弁護士が代読

 「(事故の)直前の数年間、大きな災害が続いた。国会でも原発の津波対策について質疑があった。東電の経営者は、あくまで他人事のように見ていたのではないか。もし切迫した緊張感を持って経営していれば事故は避けられただろう。東電は自らが安全神話にとりつかれ、慢心があったとしかいいようがありません」

●「トップの責任を認めて欲しい」双葉病院に入院していた母を亡くした女性=弁護士が代読

 「遺体を確認したとき、骨と皮のミイラのようだった。被告人の方、この時の気持ちが分かりますか。この裁判であなた方は「部下にまかせていた。私の知り得ることではない」と言い続けている。経営破たんした別の会社の社長は「すべて私の責任。社員を責めないで」と言っていた。あなた方もトップの責任として、なぜこのくらいのことを言えないのですか。母の死因は急性心不全だが、東電に殺されたと思っている」

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【福島原発事故刑事裁判第33回公判】そして勝俣元会長まで……全員が「自分には権限がなかった」と主張 これでは東京裁判(極東国際軍事裁判)と同じだ

2018-11-03 21:38:46 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
福島原発事故をめぐって強制起訴された東京電力旧3役員の刑事訴訟。10月30日(火)の第33回公判の模様を伝える傍聴記についても、福島原発告訴団の了解を得たので、掲載する。10月31日(水)及び11月2日(金)の公判は取り消しとなり、次回、第34回公判は11月14日(水)に開かれることになった。なお、3経営陣に対する被告人質問は第33回公判で終了となった。

執筆者はこれまでに引き続き、科学ジャーナリスト添田孝史さん。

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 10月30日の第33回公判では、勝俣恒久・東電元会長の被告人質問が行われた。勝俣氏は2002年10月から代表取締役社長、2008年6月からは代表取締役会長を務めていた。敷地を超える最大15.7mの津波計算結果は原子力・立地本部長の武黒一郎氏まであがっていたが、それについて勝俣氏は「知りませんでした」と述べた。「原子力安全を担うのは原子力・立地本部。責任も一義的にそこにある」と、自らの無罪を主張した。一方で、福島第一原発の津波のバックチェックが遅れていたことは認識していたと述べた。

 勝俣氏への質問に先立ち、公判の最初の約1時間は、武黒氏の被告人質問が10月19日に引き続いて行われた。

 また公判の最後で、永渕健一裁判長は、検察官役の指定弁護士が請求した事故現場周辺の検証を「必要性がない」と却下した。

●「責任は原子力・立地本部にある」

 勝俣氏は、現場に任せていたから自分に責任は無いと一貫した姿勢で繰り返した。

 「社長の権限は本部に付与していた。全部私が見るのは不可能に近い」

 「そういう説明が無かったんじゃないかと思います」

 「私まで上げるような問題ではないと原子力本部で考えていたのではないか」

 「いやあ、そこまで思いが至らなかったですねえ」

 勝俣氏の説明によれば、東電の社員は38000人、本店だけで3000人いる。原発を担当する原子力・立地本部を含めて本部が4つ、部が30程度ある。

 勝俣氏の弁護人の説明では、福島第一の耐震バックチェックについて議論された月1回の「御前会議」に出されてくる資料は、多いときは60ページ以上あり、それぞれのページにパワーポイントが4画面印刷されていた。大量の情報が詰め込まれていて、細かく見ることは出来なかったという。

 勝俣氏は「1枚1枚説明されてはいませんでした」と、技術的な詳細については理解していなかったと述べた。

●「津波は少し遅れてもやむを得ない」

 津波対策のため防潮堤建設に着手すれば、数年間の運転停止を地元から迫られる経営上のリスクがあった(注1)。原発を止めれば、その間に代替火力の燃料代が数千億円オーダーで余計にかかる(注2)。津波対策工事に数年かかるならば、津波対策費用は兆円オーダーに達する可能性もあった。

 その重大なテーマに、勝俣氏が関心を持っていなかったとはとても考えにくい。御前会議の議事録によると、一つの変電所の活断層の対応について勝俣氏が細かな指示をしていた。そのくらい、細かなことも見ていたのだ。

 しかし、御前会議の配布資料にあった津波高さなど細部については、勝俣氏は「聞いていない」と繰り返した。一方で東電の津波対応が遅れているという認識はあったことを認め、以下のように述べていた。

 「東電は日本最大の17基の原発を持つ。バックチェックで津波は少し遅れても、やむを得ないと考えていた」

 「よくわかりませんけれど、(バックチェックのスケジュールが)後ろに延びていった気がします」

 福島第一は安全なのか、最新の科学的知見に照らし合わせて点検する作業がバックチェックだ。それを完了しないまま、漫然と運転していることを知っていたのだ。

 東電には原発が17基ある。だから、数基しかない他の電力会社より安全確認が遅れても「やむを得ない」という勝俣氏。トラックをたくさん持っている運送業者は、数台しか保有しない業者より車検が遅れても「やむを得ない」と言っているのと同じだろう。なぜ「やむを得ない」のか、理解できない。

 もし、コストカットに関わる問題で、部下が他の電力より作業を何年も遅らせたら、勝俣氏は烈火のごとく怒鳴りつけていたのではないだろうか。一方、安全に関しては当初期限より7年も遅れ、他社よりも数年遅れとなっても「やむを得ない」と許していたのだ。


「他電力より2年程度の遅れ」と書かれた御前会議資料


●「長期評価で企業活動をとることはありえません」

 この公判の勝俣氏の発言でもっとも驚いたのは、政府の地震本部がまとめた津波予測について「そういうものをベースに企業行動を取ることはありえません」と強い口調で切り捨てたことだ(注3)。

 「長期評価に絶対的なものとして証言したのは島崎(邦彦)先生だけ。信頼性のおけるものではないと思う」とも述べた。

 日本海溝沿いで津波地震が起きる確率は、地震本部によれば30年で20%程度。福島沖に限定すれば6%程度と考えられていた。

 今後30年で6%の発生確率、しかも確実さについては研究者間で意見が必ずしも一致していない災害。それに備えようとすれば兆円単位の損失が生じる可能性がある。そんなものに企業が備えられるわけがない、というのが経営者としての勝俣氏の考えなのだろう。

●経営リスクは減らし、住民のリスクを残す

 もし東電が沿岸部に持っているのが火力発電所だけなら、勝俣氏の判断はありえるだろう。被害は限定的なものに収まるからだ。

 しかし原発が大津波に襲来されると、その被害が甚大なものになるのは、2006年の溢水勉強会の報告、2008年の15.7m予測、そしてチェルノブイリ原発事故の被害様相などから見当はついていた。東日本壊滅の事態さえありえたことは、原子力委員会委員長だった近藤駿介氏のレポート(注4)で明らかになっている。

津波によるリスク=発生確率✕引き起こす被害の大きさ

というリスクの考え方によれば、たとえ発生確率が低くても、引き起こす被害が甚大ならば、そのリスクはとてつもなく大きいことになる。

 東電経営陣は、発生確率は低いだろうという憶測のもと、リスクの大きさには目をつぶり、津波対応を先延ばししていたと見られている(注5)。

 「先延ばし」は、会社の短期的な経営的視点にもとづけば、もっとも選びやすい選択肢だったのだろう。しかし、社会に及ぼすリスクという観点からは、とても危険な選択だった。

 東電は、2002年には原子力安全・保安院から長期評価の津波を検討するよう要請されていた。その対応を事故時点まで何も対策をしないまま、先送りした。それによって運転停止という経営リスクが現実化するのを先延ばしすることは出来たが、一方で住民への津波リスクは9年の間、まったく軽減できず(注6)、結局大事故を起こしたことになる。

●吉田部長「保安院に明確に指示してもらおう」

 「最大15.7m」の津波予測を事故の4日前まで東電は保安院にさえ明かさず、対策に生かされなかった経緯について被害者の代理人である海渡雄一弁護士が「(計算結果を)隠し持っていた」と追及すると、勝俣氏は「隠し持ってたわけじゃなくて、試算値ですよ。試算値で騒ぐのはおかしいんじゃないですか。15.7mに、どの程度の信頼性があるのかに尽きる」と強い口調で反論した。

 原発における津波リスクのような低頻度巨大災害リスクを、予測が確実となる前に公表して、公開の場で議論し、必要な対策を取る。そんな手続きはあり得ないというのが勝俣氏の考えなのだろう。いくら時間をかけても、予測が確実になることは永遠にあり得ないのだが。

 また、勝俣氏は、副社長当時の2001年4月、電力自由化を巡る記事(注7)でこうコメントしている。

 「これまでの発電所建設では効率化より信頼度に比重が多少よっていたことは確かだが、信頼度が多少危うくなっても値下げを追及するよう発想を変えた」

 勝俣氏は、2007年9月の社内報(注8)では以下のように述べていた。

 「グループの総力を挙げ、これまでとは次元の異なるコストカットに取り組むことが不可欠です。設備安全・社会安全上どうしても必要な工事などは行いつつも、それ以外は厳選し、場合によっては中止するなど、修繕費をはじめ費用全般にわたる削減について、それぞれの職場で非常時の対応をお願いします」

 この公判で海渡弁護士が読み上げたメールの中に、興味深い記述があった。津波想定を担当する土木グループの酒井俊郎氏が2008年3月20日に関係者に送ったメール「御前会議の状況」(注9)の最後の部分だ。

 「吉田部長アイデアでは、中間報告からNISAから推本モデルを考慮するよう明確な指示、電力で対応というのもありました」

 現場担当者は、地震本部の長期評価(推本モデル)にもとづく15.7mの津波対策が必要と考えていた。しかし、運転停止で兆円オーダーの費用がかかる経営上のリスクがあり、経営陣を説得できそうにない。そこで、NISA(保安院)から推本モデルを考慮するよう明確に指示してもらうことで、勝俣氏ら経営陣を動かそうと考えていたのではないだろうか。

●もっと賢い、金のかからない代替案もあったのに

 防潮堤を作る以外に、もっと賢い方法もあった。原発がたとえ水に浸っても電源さえ確保出来れば炉心損傷しないことはわかっていた(注10)。中央制御室で原子炉の状態をモニターしたり、非常用冷却設備の制御をしたりするための最低限の直流電源と、外部から炉心に注水する消防車の運用方法などを準備しておけば、周辺環境に放射性物質を撒き散らすような事故は防げたのだ。

 日本原電の東海第二原発は、2007年の中越沖地震の後、高い場所に空冷の非常用発電機を増設し、原子炉につないでいた。海岸沿いの非常用海水ポンプが津波にやられてしまっても、電源を確保するためだったと見られる。

 「数百億円ぐらいの安全投資ではたじろぐものではない」と被告人の一人、武藤栄・元副社長は公判で述べたが、こんな対策ならば、それほどもかからなかっただろう。

 本当に賢い経営者は、経営と住民の両得となる、そんな案を選ぶ人なのだと私は思う。勝俣氏は「カミソリ」と呼ばれていたらしいが、単に目先の経営リスクを削って、津波のリスクを住民に押し付けただけだったように見える。

●繰り返される「東電が考えた安全」の失敗

 2002年12月11日、当時社長だった勝俣氏は「社会の皆様にご迷惑をおかけし深くおわびしたい」と記者会見で頭を下げていた。

 福島第一原発の定期検査不正問題に関しての会見だったが、その時、東電はこんな文書をまとめていた(注11)。

 「『(自分たちが考える)安全性さえ確保していればいい』といった意識が存在し、これが不正行為を実行する際の心理的な言い訳になったものと考えられます。「安全」というものは、自分たちだけで決めるものではなく、広く社会に受け入れられるものでなくてはならないということを、改めて全社に徹底する必要があると考えております」

 「長期評価を取り入れるかどうか、土木学会に審議してもらう。そのために数年かかっても、やむを得ない。現状でも土木学会手法で確認しているから、先延ばししても安全だ」というのは、東電が考えた安全でしかなかった。

 実際は、土木学会手法で福島第一原発は安全なのか、規制当局が確かめたことはなかった(注12)。土木学会手法を取りまとめた首藤伸夫・東北大名誉教授も、福島第一に土木学会手法を超える津波が襲来したことについて「まったく驚かなかった」と述べているぐらいだ(注13)。

 福島第一が津波に対して安全なのか確かめるバックチェックは、2009年6月までに終える約束だった。東電はそれをずるずると延ばした。遅れは勝俣氏も認識していた。他社より何年も遅れることは、広く社会に受け入れられる「安全」とは相容れないものだった。

 結局、2002年と同じ失敗を繰り返したのである。その自覚のない東電は、また繰り返すことだろう。

●中間報告の津波外し、残ったナゾ

 この公判でスクリーンに映し出された2009年2月の御前会議に提出された資料「福島サイト耐震安全性評価に関する状況」には、よくわからない記述があった。


御前会議の資料「「中間報告」に係る福島県からの要望」


 「「中間報告」にかかる福島県からの要望」として、「最終報告が遅れる理由(床の柔性)の影響を受けない事項は、出来る限り提示してほしい」と書かれていた。その福島県の要望に対し、最大報告可能範囲が列挙され、津波は「全評価対象(土木学会手法による津波など)」とされていた。報告しようと思えば、報告できる段階にあったと見られる。

 一方、次のページには「地震随伴事象(津波)」の横に、手書きで「問題あり」「出せない」「(注目されている)」と書かれていた。


津波について「問題あり」「出せない」「(注目されている)」と書かれた資料


 東電は2009年6月に、福島第一1号機から4号機及び6号機の耐震バックチェック中間報告書を提出している。これには津波の報告は含まれていなかった。

 2009年2月の段階で、福島県は東電に対し、バックチェック中間報告の項目について、どんなふうに要望していたのだろうか。東電はそれに対し、津波についても報告可能範囲としながら、実際の中間報告には記載しなかった。それを誰が決めたのか。「問題あり」「出せない」「(注目されている)」と書かれた議論は、どのようなものだったのか。

 そして福島県は、「出来る限り提示してほしい」と要望していながら、なぜ津波抜きの中間報告で了承してしまったのか。

 わからないことが数多く残されている。
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(注1)「10m盤を超える対策は沖に防潮堤を造ることだが、平成21年6月までに工事を完了することは到底不可能であった。工事期間は4年かかる。最悪、バックチェック最終報告書の提出期限を守れなかったとして、「工事が終わるまで原発を止めろ」と言われる」
山下和彦・中越沖地震対策センター所長の検察官面前調書による。

(注2) 勝俣氏の説明によると、柏崎刈羽の7基約800万kWが止まると、火力で代替するために、ざっと年5000億円、燃料費が増えるという。津波対策で福島第一(6基、470万kW)、福島第二(4基、440万kW)が止まると、費用は同程度と見られる。ただし使用済み燃料の後始末などを正確には反映していない電力会社の短期的視点にもとづく費用だ。

(注3)勝俣氏は、長期評価については事故前は知らなかったと述べていたので、これは裁判で長期評価について聞いて考えた結果という意味なのだろう。

(注4)近藤駿介「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」2011年3月25日

(注5)「福島沖海溝沿いでは過去に起きていないから従来の3倍や2倍(10m)など来ないと思っていた。根拠は特にない」
山下和彦・中越沖地震対策センター所長の検察官面前調書による。

(注6)「津波対応、引き延ばした」東電、事故3年前に他電力に説明

(注7)AERA 2001年4月9日号 p.28「電力業界脅かす異端児」

(注8)とうでん 2007年9月 p.5

(注9)甲A184号証のうちの一つ。これまで要旨告知はされていたが、さらに詳しく海渡弁護士が法廷で読み上げた。内容は以下の通り。

 3月20日の御前会議の状況
 関係者が多い福島バックチェックから記載し、その後に中越関係を書きます。

 福島バックチェック関係要対応津波関係 機微の情報を含むため転送不可

 大出所長から推本モデルは福島県の防災モデルにも取り込まれており8m程度の数字はすでに公開されている。最終報告で示しますでは至近の対応ができないとのコメントあり。今回Ssで評価するプレート沿いの推本断層モデルを評価することとなったことについて

(1)土木学会では評価不要としていたこと
(2)推本評価を踏まえて今回評価せざるを得なくなったこと

の事実関係をまず整理。

 ここで吉田部長から推本の当該モデルの取り扱いについては現在も土木学会で議論が継続している、土木学会で結論は出ていないとのニュアンスで聞いているとあったので、小生からは土木学会の結論は平成14年断面それ以降、推本の扱いを学会で議論きているわけではない。旨回答し、事実関係を整理するとなりました。

 その上で、大出所長懸念を踏まえたQAの充実、たとえば福島県の津波防災では推本のモデルを評価しているがこれについて検討はするのかしていないのか。(2)平成14年の津波評価では当該のモデルを評価しているのか。していないのは検討が不十分だったのか、などを含めた関連QAを明日中程度に作成したいと思います。

 津波に関しては推本モデルの適用ということで、当社福島地点のみの問題ではないため、太平洋岸各社で連携してアクションプラン(改造表明がバラバラにならないよう)などを明確にしていつのタイミングでどう打ち出すかを確定する。結果がわかった段階で改造に取り組むが、結果のアナウンスなしに改造を表明できない。

 吉田部長アイデアでは、中間報告からNISAから推本モデルを考慮するよう明確な指示、電力で対応というのもありました。

(注10)溢水勉強会や、JNESの報告書などによる

(注11)「原子炉格納容器漏洩率検査に係る問題について(最終報告)」の提出について
この中の「本件に関する当社の認識及び今後の対応について」

(注12)2002年に土木学会手法が発表されたとき、保安院の担当者は以下のように述べていた。
 「本件は民間規準であり指針ではないため、バックチェック指示は国からは出さない。耐震指針改訂時、津波も含まれると思われ、その段階で正式なバックチェックとなるだろう」
 東電・酒井氏が2002年2月4日に他の電力会社に送ったメールから

(注13)『原発と大津波』p.43

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【福島原発事故刑事裁判第32回公判】武藤氏同様、津波の危険を深く知りながら対策先送りに加担した武黒氏 東電の主張は「チッソ」など過去の公害企業と同じだった

2018-10-26 22:19:17 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
●「福島第一は津波に弱い」2度の警告、生かさず

 10月19日の第32回公判では、武黒一郎・東電元副社長の被告人質問が行われた。武黒氏は2007年6月から2010年6月まで取締役副社長原子力・立地本部本部長であり、津波対策が検討された当時、原発の安全対策の責任者だった。

 2008年2月の「御前会議」、同3月の常務会で、政府の地震本部が予測した津波に基づく対策を、被告人らがいったん了承したのではないかと問われ、武黒氏は「意思決定の場ではありませんでした」「常務会の報告内容と直接かかわらない補足的な内容だ」などと否定。2009年4月か5月に、初めて15.7mの津波予測を聞いたと説明した。

 一方、この公判で初めてわかったこともあった。武黒氏は、事故前に二度にわたって「福島第一は津波に弱い」という情報を受け取っていたらしいことだ。武黒氏は、敷地を超える津波が全電源喪失を引き起こすこと、政府予測では津波は敷地を超えること、両方の報告を遅くとも2009年春までには受けていた。それにもかかわらず、福島第一原発の安全確認である耐震バックチェックを当初予定より7年も先送りしていた。

●「来てもおかしくない最大の津波を想定すべき」

 武黒氏が福島第一の津波に対する脆弱性を知ることが出来た最初の機会は、1997年から2000年ごろにかけてのことだ。

 このころ、東電の原子力管理部長だった武黒氏は、電事連の原子力開発対策会議総合部会(以下、総合部会)のメンバーにも入っていた。ここではたびたび、津波問題が話し合われていた(注1)。

 1997年6月の総合部会議事録によると、当時建設省などがとりまとめていた「7省庁手引き」(注2)について、以下のように報告されている。

 「この報告書(7省庁手引き)では原子力の安全審査における津波以上の想定し得る最大規模の地震津波も加えることになっており、さらに津波の数値解析は不確定な部分が多いと指摘しており、これらの考えを原子力に適用すると多くの原子力発電所で津波高さが敷地高さ更には屋外ポンプ高さを超えるとの報告があった」

 同年9月の第289回総合部会でも、以下のように報告されている。

◯従来の知識だけでは考えられない地震が発生しており、自然現象に対して謙虚になるべきだというのが地震専門家の間の共通認識となっている。

◯最近の自然防災では活断層調査も含めて「いつ起きるか」よりも「起きるとしたらどのような規模のものか」を知ることが大切であるとの基本的な考え方となってきており、津波の評価においても来てもおかしくない最大のものを想定すべきである。

◯現状の学問レベルでは自然現象の推定誤差は大きく、予測しえないことが起きることがあるので、特に原子力では最終的な安全判断に際しては理詰めで考えられる水位を超える津波がくる可能性もあることを考慮して、さらに余裕を確保すべきである。


 1998年7月の第298回総合部会でも、「津波に対する検討の今後の方向性について」として、以下のような報告がされている。

(前略)

(2)余裕について

・原子力では数値シミュレーションの精度は良いとの判断から、評価に用いる津波高には余裕を考慮せず計算結果をそのまま用いてきた。

・MITI顧問(注3)は、ともに4省庁の調査委員会にも参加されていたが、両顧問は、数値シミュレーションを用いた津波の予測精度は倍半分程度とも発信されている。

・さらに顧問は、原子力の津波評価には余裕がないため、評価にあたっては適切な余裕を考慮すべきであると再三指摘している(ただし、具体的な数値に関する発言はない)。


●「全国で最も脆弱」と判明していた福島第一

 2000年2月24日に電事連役員会議室で開かれた第316回総合部会で、重要な報告があった。検察官役の指定弁護士、石田省三郎弁護士が、電気事業連合会の議事録をもとに明らかにした。

 津波予測の精度は倍半分(2倍の誤差がありうる)と専門家が指摘していたのを受けて、通商産業省は、シミュレーション結果の2倍の津波が原発に到達したとき、原発がどんな被害を受けるか、その対策として何が考えられるかを提示するよう電力会社に要請していた。電事連がとりまとめたその結果が示されたのだ。

 福島第一は、1.2倍(5.9〜6.2m)の水位で、「☓(影響あり)」「海水ポンプモーター浸水」と書かれていた。1.2倍で「☓」になるのは、福島第一と島根しかないことも報告された(表)。福島第一は、全国で最も津波に余裕がない原発だとこの時点でわかっていたのだ。約半分の28基は、想定の倍の津波高さでも影響がないほど安全余裕があることも示されていた。


第316回電事連総合部会で示された津波影響評価。福島第一と島根がもっとも脆弱なことがわかる。(国会事故調参考資料p.41から)


 石田弁護士は解析結果を示して、「当時より、福島第一に津波が襲来したとき裕度が少ないことは議論されていたのではないか」と武黒氏に質問。武黒氏は「欠席しております。津波評価に関わることですので、担当部署に伝えられたと思う」と答えた。

 議事録によると、確かにこの回は武黒氏は欠席していた。しかし前述したように、1997年以降、電事連の総合部会では何回も津波問題が話し合われていた。それを武黒氏が知らなかったとは考えにくい。

 この回の総合部会では、土木学会手法のとりまとめをしていた土木学会津波評価部会の審議状況についても報告されていた。議事録にはこう書かれている。

 津波評価に関する電力共通研究成果をオーソライズする場として、土木学会原子力土木委員会内に津波評価部会を設置し、審議を行っている。

 電力関係者が過半数を占め、電力会社が研究費を負担して津波想定を策定する土木学会の実態(第22回傍聴記参照)についても、武黒氏は知っていた可能性がある。

●「可能であれば対応した方が良いと理解していた」

 「福島第一が津波に弱い」と聞いた2回目は、2006年9月の第385回総合部会の時だ。このころ、武黒氏は常務取締役原子力・立地本部長で、総合部会長を務めていた。この回では、原子力安全・保安院と原子力安全基盤機構(JNES)が設置した溢水勉強会の調査結果について紹介されている。

 同年5月、福島第一に敷地より1m高い津波が襲来したらどんな影響が出るか、東電は溢水勉強会に報告していた。非常用電源設備や各種非常用冷却設備が水没して機能喪失し、全電源喪失に至る危険性があることが報告されていた。それが総合部会で取り上げられたのだ。

 「国の反応は、土木学会手法による津波の想定に対して、数十センチは誤差との認識。余裕の少ないプラントについては「ハザード確率≒炉心損傷確率」との認識のもと、リスクの高いプラントについては念のため個別の対応が望まれるとの認識」と議事録にはある。

 また、同年10月6日に、耐震バックチェックについて保安院が全電力会社に一括ヒアリングを開いたときの、電力会社への要請も武黒氏に伝わっていたと証言した。

 保安院の担当者は以下のように述べていた(注4)。

 「自然現象は想定を超えないとは言い難いのは、女川の地震の例からもわかること。地震の場合は裕度の中で安全であったが、津波はあるレベルを越えると即、冷却に必要なポンプの停止につながり、不確定性に対して裕度がない」

 「土木学会の手法を用いた検討結果(溢水勉強会 )は、余裕が少ないと見受けられる。自然現象に対する予測においては、不確実性がつきものであり、海水による冷却性能を担保する電動機が水で死んだら終わりである」

 「どのくらいの裕度が必要かも含め検討をお願いしたい」
 「バックチェックでは結果のみならず、保安院はその対応策についても確認する。今回は、保安院としての要望であり、この場を借りて、各社にしっかり周知したものとして受け止め、各社上層部に伝えること」

 武黒氏は、保安院の要請について「必ずしもという認識ではなかった。可能であれば対応した方が良いと理解していた」と述べた。

●「武黒・吉田会談」もう一つの運命の日

 武黒氏は、2009年の4月か5月に、津波想定を担当する原子力設備管理部長だった吉田昌郎氏から、15.7mの津波予測を初めて聞いたと証言した。この場面で武黒氏が何を考えたのか、石田弁護士は何度も質問して迫った。

 石田「現実に津波が襲来したらどんな事態になるか考えられましたか」「もし来るとなれば、福島第一の状況はどのようになるんでしょうか」

 水に浸かったとしても、原発の機能が保たれるなら問題はない。しかし、武黒氏は、津波が敷地に浸水すれば全電源喪失に至る危険性を知っていた。吉田氏から示された浸水予測が、どんな事故につながるのか、イメージできたのだ。武藤氏より明確に見えていたのではないだろうか。

 武黒氏は「溢水勉強会は、無限の時間を仮定している。ダイナミックな津波の動きは仮定していない」「そういう議論はありませんでした」などと答えたが、原発の技術者として、その日、何を直感したか、大事な返答をしなかった、ためらったように見えた。

 吉田部長から津波想定を土木学会で検討してもらうのに「年オーダーでかかる」と聞いたとも述べた。

 石田弁護士は、武黒氏が検察官の聴取に「少し時間がかかりすぎるとは思いました」と述べていたのではないか確認すると、「時間がかかるなとは申しました」と答えた。

 この日、福島第一の津波に対する脆弱性と、政府の津波予測、二つの情報が重なりあった。事故リスクははっきり見えたはずだ。武黒氏は、この日、指示を出すことができた。日本原電東海第二のように、こっそり長期評価への対策を進めることや、中部電力浜岡原発のように、ドライサイトにこだわらない浸水対策を実施することも出来た。実際、武黒氏は「女川や東海はどうなっているのか」と、他社の動向を気にしていた(2009年2月の御前会議)。

 しかし、福島第一では何も対策を進めなかった。「土木学会で3年ぐらいかけて議論してもらう」という方針を認めたのだ。それは他の電力会社は選ばなかった方法だった。

 2008年7月31日「ちゃぶ台返し」の日と並んで、2009年の4月か5月、日付が特定されていないこの日も、福島第一の運命にとって重要な日だったように思われる。

●責任者が隠された「大きな流れ」

 武黒氏は、勝俣元会長らが出席することから「御前会議」と呼ばれていた「中越沖地震対応会議」について、「情報共有の会合であり、意思決定の場ではない」と何度も強調した。これは武藤氏と同様だった。

 しかし、注目される発言もあった。御前会議の位置づけについて、「大きな流れが、結果として出来上がってくることもあります」と説明したのだ。

 2008年2月の御前会議で、津波想定を担当する部門は、地震本部の長期評価を取り入れて津波対応をすると書いた資料を提出した。それに対し、幹部らから特に異議が無かった。報告者はそれを「承認された」ととらえていたのではないだろうか。

 津波想定に限らず、これが東電の原子力における意思決定の実態だったのではないかと推測される。異議がなければ承認されたものとして、前に進められる。東電として「大きな流れ」が作られる。しかし、いざ問題が生じた時、会議の場にいた責任者は、「報告を受けただけで、承認したわけではない」と責任回避の言い逃れが出来る仕組みだ。

●バックチェック7年先延ばし、誰が意思決定?

 武黒氏、武藤氏の本人質問を傍聴した後でも、二点、良くわからないことが残った。

 一つは、耐震バックチェック中間報告を福島県に報告する際(2008年3月)の想定QA集(注5)はどのように作られて、誰が承認したのかという点だ。

 このQA集には、「過去に三陸沖や房総半島沖の日本海溝沿いで発生したような津波(マグニチュード8以上のもの)は、福島県沖では発生していないが、地震調査研究推進本部は、同様の津波が福島県沖や茨城県沖でも発生するというもの。この知見を今回の安全性評価において、「不確かさの考慮」という位置づけで考慮する計画」(SA7-1-7)と書かれていた。

 対外的なQAは、会社の方針を明らかにする文書であることから、多くの会社では、かなりの上層部の決裁が必要となる。東電では、この手続が無かったのだろうか。武黒氏はQA集に書かれているような長期評価の取り扱いについて東電として決定したことは「ありません」と述べた。それでは一体誰が、このQA集の記述を認めたのだろう。

 もう一つは、耐震バックチェックを先延ばしすることについて、経営幹部はどう判断していたのかわからないことだ。福島第一原発の耐震バックチェック最終報告は、当初は2009年6月だった。ところが2009年2月の御前会議資料では「2012年11月」とされ、「他電力最終報告時期(2010年11月)より2年程度の遅れ」とも書かれていた。

 武黒氏は「当時(2009年2月ごろ)の認識として、あと3年で終えられるかどうか自信を持って見通せる時期ではなかった」と述べた。

 さらに、2011年2月6日の御前会議に提出された資料では「2016年3月となる見通し」と書かれている。

 現在運転中の原発について、安全確認の期限を先延ばしする。そんな重大な事項について、いったい誰がどのように承認したのか、武黒氏、武藤氏の本人質問からはわからなかった。

 もしかするとバックチェック先送りも、現場からの報告が、なんとなく「大きな流れ」となって、特段の承認もなく、既成事実化されていたとでも言うのだろうか。

 「安全確認を当初より7年も遅らせる」ことを、誰が責任を持って認めたのか、最高責任者が説明出来ない。それは原発を運転する会社としては信じられない。

●公害企業の決まり文句「不確実なことに対応するのは難しい」

 「わからないこと、あいまいなこと、不確実な事柄への対応は難しい」

 「その当時わかっていたこと、当時わからなかったことの間に乖離(かいり)があった」

 津波の予測に不確実性があったから対応が難しかったと武黒氏は主張した。これは、過去の公害企業が責任逃れに科学的な不確実さを持ち出す構図とそっくりだ。

 水俣病を引き起こしたチッソは、裁判でこう主張していた。

 「本件水俣病発生当時においては、アセトアルデヒド製造工程中に水俣病の原因となるメチル水銀化合物が生成することは、被告はもとより化学工業の業界・学界においても到底これを認識することがなかった」

 これについて、宮本憲一氏は『戦後日本公害史論』で、以下のように述べている。

 「(研究者間で)内部の意見の対立があったかなどを例にして、チッソ自らの予見不可能性や対策の失敗をあたかも科学的解明の困難にあったかのように責任を転嫁している。(中略)科学論争に巻き込もうとしているのだ」(注6)

 地震学はまだ発展の途上にあるため、津波の予測にともなう科学的不確実さは、いつまで先送りしても無くなることはない。原発を安全に運転するためには、不確実さを適切に考慮して余裕を持って対処する必要がある。

 武黒氏は1990年代後半から、電事連総合部会で、不確実さを巡る議論を聞いていたと思われる。他の電力会社は、建屋の水密化を進めるなど対策を進めていた。何もしなかったのは東電だけだった。耐震バックチェックを大幅に先延ばししようとしていたのも、東電だけだった。

 武黒氏は「私としては懸命に任務を果たしてきた」と述べたが、他の電力会社と比べると、東電の津波対策は明らかに劣っていたのである。

注1)国会事故調 参考資料 p.41〜46

注2)「太平洋沿岸部地震津波防災計画手法調査報告書」及び「地域防災計画における津波対策の手引き」国土庁・農林水産省構造改善局・農林水産省水産庁・運輸省・気象庁・建設省・消防庁 1998年3月

注3)故・阿部勝征・東大名誉教授と首藤伸夫・東北大名誉教授

注4)2006年10月6日に、耐震バックチェックについて保安院が全電力会社に一括ヒアリングを開いたときの記録(電事連作成)

注5)福島第一/第二原子力発電所「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」の改訂に伴う耐震安全性評価(中間報告)QA集 東電株主代表訴訟 丙88号証

注6)宮本憲一『戦後日本公害史論』岩波書店(2014) p.301

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【福島原発事故刑事裁判第31回公判】「真摯さ」強調する武藤元副社長 よりによってお前がそれを言うか!

2018-10-21 22:04:40 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
●「Integrity(真摯さ)」を大切にしていた?

10月17日の第31回公判は、前日に引き続き武藤栄・元副社長の被告人質問だった。(今回の傍聴記では、30回、31回の2回の中で出てきた話が混在していることをお断りしておく)。武藤氏は「ISQO」(アイ・エス・キュー・オー)という言葉をたびたび持ち出して、自分の判断が正しかったと説明していた。

 武藤氏によると、

Integrity(誠実さ、正直さ)
Safety(安全)
Quality(品質)
Output(成果)

の頭文字をつなげたのが「ISQO」。それを仕事では心がけていたのだそうだ。そして「Integrityに最も重きを置いていた、Outputは最後についてくるもので優先させてはいけない」と何度も強調した。

 具体例として、発電所から「稼働率の明確な目標を示して欲しい」と声が上がったときに、数値目標をかかげることを自分の判断で却下した事例を武藤氏は法廷で紹介した。「Outputを目指すとどこかで勘違いする人がいるので認めませんでした」のだという。

 経営の分野において有名なピーター・ドラッカーの『現代の経営』で、上田惇生氏はintegrityを「真摯(しんし)さ」と訳している。

 真摯さに欠ける者は、いかに知識があり才気があり仕事ができようとも、組織を腐敗させる。(『現代の経営』から)

●「原発止めると大変な影響」

 武藤氏は、原発を止めるのが、いかに「大ごと」なのか、以下のように説明した。

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 原発は東電の電力の4割近くを生み出す大きな電源なので、止めるとなれば代替を探してこなければならない。

 火力しかない。その燃料を確保しなければならない。燃料を輸送する手当も必要だ。燃料費も一年に何千億円もかかる。火力は原子力より1kWhあたり10円ぐらい高くつくから、柏崎刈羽原発のように500億kWh生み出す原発を止めると、年に5000億円燃料代が余計にかかる。

 そのお金を借りるなど、手当しなければならない。収支を企画や経理にも検討してもらう必要がある。顧客に負担してもらうことになれば、料金部門にも考えてもらうことになる。

 送電線の中を電気が流れる「潮流」も大きく変わるので、電力系統の運用をやっている部門にも、系統の信頼性や安定性にどういう影響があるか見てもらわないといけない。

 火力発電所を増やすと、二酸化炭素の排出が増えるので、その排出権も手当する必要がある。

 日本全体の3分の1が東電。東電の原発から電気を送っている東北電力など他の電力会社でも検討してもらわないといけない。また、東電が原発を止めるとなると、他社の原発は止めなくても大丈夫なのかともなる。それへの対応も検討してもらうことになる。

 地元の自治体、資源エネルギー庁、原子力安全・保安院や原子力安全委員会にも説明して理解を得る必要がある。
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 だから「大変多くの部門に協力してもらわないといけない」とし、「止めることの根拠、必要性を説明することが必要です」と強調した。

 この説明からは、Outputへの影響が多大だから、津波のリスクが確実でないと原発は止められないと武藤氏は考えていたように聞こえた。稼働率という数字を確保すること(Output)を、IntegrityやSafetyより上位に置いていたのではないだろうか。

 本当のISQOに従えば、原発が事故を起こしたときの被害の大きさを考えると、津波予測に不確実な部分が残っていたとしても、その不確実さを潰すのに何年も費やすより、早めに予防的に対処するのが、真摯で安全な経営判断だったのではないだろうか。

●最も安全意識の低かった東電

 武藤氏は「地震本部の長期評価に、土木学会手法を覆して否定する知見は無かった」とも述べた。しかし反対に、土木学会手法に、長期評価を完全に否定できる根拠も無かった。

 「土木学会手法は、そこ(福島沖)に波源を置かなくても安全なんだという民間規格になっていた。それと違う評価があったからと言って、それをとりこむことはできません」

 武藤氏のこの陳述は、事実と異なる。他の電力会社は、土木学会手法が定めている波源以外も、津波想定に取り込んでいた。

 東北電力は、土木学会手法にない貞観地震の波源を取り入れて津波高さを検討し、バックチェックの報告を作成していた。

 中部電力は、南海トラフで土木学会手法を超える津波が起きる可能性を保安院から示され、敷地に侵入した津波への対策も進めていた。

 日本原電は、東電が先送りした長期評価の波源にもとづく津波対策を進めていた。原電は「土木学会に検討してもらってからでないと対策に着手出来ない」と考えていなかったのだ。

 「津波がこれまで起きていないところで発生すると考えるのは難しい」と武藤氏は述べた。これも間違っている。

 2007年度には、福島第一原発から5キロの地点(浪江町請戸)で、土木学会手法による東電の想定を大きく超える津波の痕跡を、東北大学が見つけていた。土木学会手法の波源設定(2002)では説明できない大津波が、貞観津波(869年)など過去4千年間に5回も起きていた確実な証拠が、すでにあったのである。

 土木学会が完全なものとは考えていなかった他社は、どんどん研究成果を取り入れて新しい波源を設定し、津波想定を更新していた。東電だけがそれをしなかった。Safetyのレベルは、電力会社の中で、東電が最も低かったことがわかる。

●時間をかけて議論しても「安全」なのか

 「知見と言ってもいろいろある。簡単に取り入れられるかどうかわからない」「現在でも社会通念上安全で、安全の積み増し、良いことをするのだから」

 武藤氏はこのように、バックチェックに時間をかけても良いとも主張した。

 確かに、新たな知見にもとづく津波を原発でも想定すべきかどうか確かめるのに、ある程度の時間は必要かもしれない。しかし、長期評価の津波予測については、東電は2002年8月に検討を要請されていた。それを事故が起きる2011年3月まで9年近く、ほぼ対策を取らないままの状態で、運転を続けていた。

 原発が最新知見に照らし合わせても安全かどうか、運転しながらの確認作業について、規制当局は2006年当時、「2年から2年半以内で」と念押ししていた。なぜなら、安全を確認している期間中は、原発の安全性が保たれているという保証がないからだ。

 しかし東電は、土木学会手法を超える津波の予測が次々と報告されていたにもかかわらず

「確率論的な方法で検討する」(2002年)
「土木学会で検討してもらう」(2008年)
「津波堆積物を自分たちで掘って確認する」(2009年)

など、いろいろな言い訳を持ち出して、想定見直し・対策着手を先延ばしし続けていた。

●「記憶に無い」「読んでない」「説明を受けてない」の真摯さ

 そういうことを考えながら傍聴していたので、「記憶にない」「説明を受けてない」「読んでない」と、自分の主張と矛盾する証拠類を否定し続ける武藤氏がIntegrityという単語を持ち出すたびに、「またか」と苦笑せざるをえなかった。

(第30回、31回公判の武藤被告人の傍聴記は、AERA2018年10月29日号[22日発売]にも2ページの記事を書いています。そちらもあわせてご覧ください)


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【福島原発事故刑事裁判第30回公判】「記憶にございません」は追い詰められた者の常套句!武藤元副社長に一片の反省もなし

2018-10-18 22:36:34 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
福島原発事故をめぐって強制起訴された東京電力旧3役員の刑事訴訟。10月16日(火)の第30回公判、10月17日(水)の第31回公判、10月19日(金)の第32回公判の模様を伝える傍聴記についても、福島原発告訴団の了解を得たので、掲載する。次回、第33回公判は10月30日(火)、第34回公判は10月31日(水)に行われる。

●武藤氏、「ちゃぶ台返し」を強く否定

「だから、この話は私は聞いていません」

「私のところに来るようなことではないです」

「それはありません」

 被告人の武藤栄氏は、強い口調で質問を否定し続けた。

 10月16日の第30回公判から、被告人質問が始まった。トップバッターは、津波対策のカギを握っていたとされる武藤・東電元副社長だ。

 2008年2月から3月にかけて、勝俣恒久・元会長ら被告人が出席した会合で津波対策はいったん了承されていたのに、同年7月に武藤氏が先送りした(いわゆる「ちゃぶ台返し」)と検察官側は主張。それを裏付ける東電社員らの証言や、会合の議事録、電子メールなどが、これまでの29回の公判で繰り返し示されてきた。ところが武藤氏は「先送りと言われるのは大変に心外」と、それらを全面的に否定したのだ。

「山下さんがなぜそんなことを言ったか、わからない」

 第24回公判(9月5日)では、耐震バックチェックを統括していた東電・新潟県中越沖地震対策センターの山下和彦氏が検察に供述していた内容が明らかにされた。

 それによると、勝俣氏ら経営陣は、地震本部が「福島沖でも起きうる」と2002年に予測した津波地震への対策を進めることを、2008年2月の「御前会議」(中越沖地震対応打ち合わせ)、同年3月の常務会で、了承していた。

 ところが、これらの会合の内容、決定事項について、山下氏の供述を武藤氏は認めなかった。

 「山下さんがどうしてそういう供述をしたのかわからない」

 「山下さんの調書は他にも違うところがある」
と、山下調書を否定する発言を繰り返した。 

 公判後の記者会見で、被害者参加代理人の甫守一樹弁護士は「山下センター長には嘘をつくメリットは何もない」と説明した。一方で武藤氏は、山下氏の証言を否定しないと、先送りの責任を問われることになる。そして、武藤氏は山下調書を否定できる客観的な証拠を挙げることは出来なかったように見えた。

●「土木学会手法で安全は保たれていた」のウソ

 私が傍聴していて気になったのは、武藤氏が土木学会のまとめた津波想定方法(土木学会手法、2002)を
「我が国のベストな手法」
「土木学会の方法で安全性を確認してきた」
「現状(土木学会手法による想定)でも安全性は社会通念上保たれていた」
などと評価していたことだ。



 これは、事実と異なる。土木学会の津波想定方法で、原発の安全が保たれているのか規制当局が確認したことは一度も無い。武藤氏が言うように「社会通念上安全が保たれている」とする根拠は何も無かった。たまたま、2011年3月11日まで津波による事故が起きなかっただけのことだ。

 2002年に土木学会手法が発表されたとき、保安院の担当者は以下のように述べていた。

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 本件は民間規準であり指針ではないため、バックチェック指示は国からは出さない。耐震指針改訂時、津波も含まれると思われ、その段階で正式なバックチェックとなるだろう。(東電・酒井俊朗氏が2002年2月4日に他の電力会社に送った電子メールから)(注)
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 当時、すでに耐震指針の改訂作業が始まっており、それがまとまり次第、土木学会の津波想定方法が妥当かどうか調べると保安院は言っていたのだ。保安院の担当者は、まさかバックチェックが9年後の2011年になっても終わっていないとは想像していなかったに違いない。
 
 土木学会手法と地震本部の長期評価は同じ2002年に発表された。同じころの科学的知見をもとに、土木学会手法は福島沖では津波地震は起きないと想定し、一方で地震本部は福島沖でも発生しうると考えた。

 両者の想定の違いについて、武藤氏は「地震本部の長期評価に信頼性はない」と断じた。しかし、その根拠は無かった。土木学会がアンケートしたら、地震本部の考え方を支持する専門家の方が多かったこともそれを裏付けていた。

 第29回公判(10月5日)で明らかにされたように、保安院は土木学会手法による津波想定に余裕がないことにも気づいていた。土木学会の想定を1.5倍程度に引き上げ、電源など最低限の設備を守る対策を進める計画もあった。土木学会手法で原発の安全性が保たれているとは、保安院も考えていなかったのだ。

注)H14年当時の対応 電事連原子力部が保安院に送ったメールの添付文書
原子力規制委員会の開示文書

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なお、今回の被告人質問は刑事訴訟最大の山場のため、メディア報道も多かった。以下、メディア報道を紹介する。

東電津波対策先送りどう認識 被告人質問キーマン武藤氏(朝日)

<東電公判>武藤元副社長、冒頭被災者におわび 被告人質問(毎日)

津波対策先送り「心外」=長期評価の信用性否定―武藤元副社長・東電公判(時事)

東電元副社長、津波対策は“適正な手順” 福島第1原発事故裁判(フジテレビ)

東電強制起訴裁判、元副社長「当事者として申し訳なく思う」(TBS)

津波対策の「先送り」否定 東電の武藤元副社長(東京)

東電強制起訴 武藤元副社長「津波予測信頼性ない」(東京)

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【福島原発事故刑事裁判第29回公判】原子力安全・保安院を無力化し腐らせた男 その名は名倉繁樹

2018-10-07 23:23:12 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
●東電の無策を許した保安院

 10月3日の第29回公判には、現役の原子力規制庁職員、名倉繁樹氏(注1)が東電側の証人として登場した。事故前は、原子力安全・保安院の原子力発電安全審査課で安全審査官として、福島第一の安全審査を担当していた。


保安院が入っていた経産省別館(出展:国土交通省のHP)


 最初に、東電側弁護士の質問に答える形で、土木学会の津波評価技術(土木学会手法)が優れた手法だ、「三陸沖から房総沖のどこでも津波地震がおきる」と予測した地震本部の長期評価(2002)の成熟度は低かったと、名倉氏は繰り返し述べた。国が訴えられている裁判で国が主張している内容をなぞっているだけで、新味はなかった。

 一方、興味深かったのは、検察側が名倉氏とのやりとりで明らかにした事故前の保安院の動きだ。2004年にインドの原発が津波で被害を受けたことをきっかけに、保安院は津波に危機感を高めていた様子がわかった。名倉氏の上司は、対策をとらせようと電力会社と激しく議論していた。しかし、その危機感は事故前には薄れてしまい、対策はとられないままだった。


国際原子力機関(IAEA)が2005年8月にインドのマドラス原発で開いた津波ワークショプ。日本からは、地元インドに次ぐ10人が参加。これを契機に、国内でも津波対策の検討が本格化した。
 
●名倉氏、事実と異なる証言の「前科」

 最初に言っておくと、私は名倉氏の証言をあまり信用できない。横浜地裁で2017年4月に名倉氏が証言(注2)したとき、事実と異なることを述べていた過去があるからだ。

 横浜地裁で、名倉氏はこんな証言をしていた。

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 国側代理人「長期評価の見解を前提にした試算を、2002年あるいは2006年、2009年の段階で、保安院自らが算出したりとか、東電に算出するよう求めることはできなかったんですか」

 名倉「はい」

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 この「はい」は間違っている。2002年に保安院は東電に算出を求めていた。今年1月、千葉地裁で進められている集団訴訟で、東電社員が社内に送った電子メールが証拠として提出され、明らかになった(注3)。これによると2002年8月に、保安院の審査担当者は、「長期評価にもとづいて福島から茨城沖でも津波地震を計算するべきだ」と東電に要請。社員はこれに「40分間くらい抵抗した」。その後、確率論で対応すると東電は返答し、実質何もしないまま、津波対策を引き延ばした。

 東電で津波想定を担当していた高尾誠氏(第5〜7回証人)は、「津波対応については2002年ごろに国からの検討要請があり、結論を引き延ばしてきた経緯もある」と2008年に他の電力会社に説明していた。その文書も、今年7月に開示されている(注4)。

 津波の確率論的ハザード評価についても、刑事裁判の公判で名倉氏は「まだ研究開発段階だった」として、規制には取り込まれていなかったと証言した。しかし、2002年段階で、保安院は、東電が津波地震への対応を確率論で進めることを許していた。確率論を事実上、規制に導入していたのだ。これについても、名倉証言と、保安院の実態は矛盾している。


東電社員が2002年8月5日に、社内に向けて送ったとみられる電子メール。保安院の川原修司・耐震班長から「福島〜茨城沖も津波地震を計算すべき」と要請を受けたが、「40分間くらい抵抗した」と書かれている。

●「津波に余裕が無い」保安院は危機感を持っていた

 検察官役の神山啓史弁護士は、以下のような文書を示しながら、事故前の保安院の動きについて名倉氏に質問を重ねた。

 1)2006年10月6日に、耐震バックチェックについて保安院が全電力会社に一括ヒアリングを開いたときの記録(電事連作成)(注5)

 2)2007年4月4日、津波バックチェックに関する保安院打ち合わせ議事メモ(電事連作成)。出席者は、保安院・原子力発電安全審査課の小野祐二・審査班長、名倉氏、電事連、東電の安全・設備・土木、3分野それぞれの担当者。

 3)小野・審査班長が後任者に残した引き継ぎメモ

 1)によると、名倉氏の上司である川原修司・耐震安全審査室長は、各電力会社の担当者に以下のように述べていた。(川原氏は、2002年に東電に津波を計算するよう要請しながら東電の抵抗に負けてしまった、その本人)。

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 「バックチェックでは結果のみならず、保安院はその対応策についても確認する。自然現象であり、設計想定を超えることもあり得ると考えるべき。津波に余裕が少ないプラントは具体的、物理的対応を取ってほしい。津波について、津波高さと敷地高さが数十cmとあまり変わらないサイトがある。評価上OKであるが、自然現象であり、設計想定を超える津波が来る恐れがある。想定を上回る場合、非常用海水ポンプが機能喪失し、そのまま炉心損傷になるため安全余裕がない。今回は、保安院としての要望であり、この場を借りて、各社にしっかり周知したものとして受け止め、各社上層部に伝えること」

------------------------------------------------------

 この時、小野審査班長も、以下のように述べていた。

------------------------------------------------------

 「自然現象は想定を超えないとは言い難いのは、女川の地震の例(注6)からもわかること。地震の場合は裕度の中で安全であったが、津波はあるレベルを越えると即、冷却に必要なポンプの停止につながり、不確定性に対して裕度がない」

 「土木学会の手法を用いた検討結果(溢水勉強会(注7))は、余裕が少ないと見受けられる。自然現象に対する予測においては、不確実性がつきものであり、海水による冷却性能を担保する電動機が水で死んだら終わりである」

 「バックチェックの工程が長すぎる。全体として2年、2年半、長くて3年である」(地質調査含む)


------------------------------------------------------

●名倉氏の上司「津波対策巡り、電力会社と激しく議論」

 名倉氏は、小野氏について「事業者との間で、基準津波に対してどれぐらい余裕があればいいか、激しい議論をしていました。水位に対して何倍とるべきだとか、延々と議論していたと思います。(具体的な対応をしない事業者に)苛立ちがあったと思います」と陳述した。

 2)によると、小野氏はこう述べていた。

------------------------------------------------------

「津波バックチェックでは、設計値を超えた場合、どれぐらい超えれば何が起きるか。想定外の水位に対して起きる事象に応じた裕度の確保が必要」

「1mの余裕で十分と言えるのか。土木学会手法を1m以上超える津波が絶対に来ないと言えるのか」

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 この会合では、「3月の安全情報検討会でも、対策をとるべきだと厳しい意見が出た」という発言があったことも残されている(注8)。

 名倉氏によると、このときも小野氏は「事業者とかなりはげしくやりとりしていた」。

 小野氏は、後任者に残した3)の引き継ぎメモで、

------------------------------------------------------

「津波高さ評価に設備の余裕がほとんどないプラント(福島第一、東海第二)なども多く、一定の裕度を確保するように議論してきたが、電力において前向きの対応を得られなかった」

「耐震バックチェックでとりこみ対応することとなった」

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などと書き残していた。

 電力会社に対策を迫っていた小野氏の姿勢について神山弁護士に問われ「バックチェックルールとの関係から、基準津波を超えるものに対する確認は難しい」と名倉氏は冷ややかな評価をした。国が訴えられている訴訟との関係からそう答えざるをえなかったのか、それとも上司らの津波に対する危機感が伝わっていなかったのか、どちらかはわからない。

 溢水勉強会の検討をもとに、保安院は土木学会手法の1.5倍程度の津波高さを想定して、必要な対策を2010年度までに実施する予定を2006年ごろにはまとめていた。小野班長の厳しい姿勢の背景にはそれがあったのだろう。ところが津波への対策を単独で進めるはずだったのが、耐震バックチェックと一緒に、それに紛れ込ませて実施されることになった。理由は不明だ。そのため、当初予定していた締切「2010年度」は、達成されなかった。

 「不作為を問われる」とまで考えていた津波対策を、耐震バックチェックに委ね、遅らせてしまったのは、保安院の大きな失策だ。しかし、このテーマはほとんど検証されていない。保安院が2006年ごろ持っていた津波に対する危機感は、なぜかき消されてしまったのか。今回、刑事裁判で示された文書が、検証の足がかりになるだろう。

●浜岡原発は、土木学会手法超えた津波を想定。対策を進めた

 2009年8月に名倉氏と東電・酒井俊朗氏、高尾氏、金戸俊道氏らが面談した記録には、浜岡原発の津波対応が記されていた。浜岡原発では、JNES(原子力安全基盤機構)がクロスチェックした結果、中部電力の津波想定結果を大きく上回る結果となり、保安院はそれへの対応を求めていたことがわかった。

 JNESは、南海トラフで起きる津波について、土木学会手法を超える規模を想定していた。「体系的に評価する手法として、土木学会のものしかありませんでした」という名倉氏の証言とは矛盾する。浜岡以外にも、東北電力による貞観地震の想定(2010年)、東海第二が地震本部の長期評価にもとづく波源を想定(2008年)など、土木学会の想定を上回る津波波源を想定することは、事故前にも、あたりまえのように実施されていた。

 さらに、保安院はJNESの計算結果をもとに、津波が防潮堤を超えた場合でも対応できる総合的な対策を指導。中部電力は、敷地に遡上した場合に備え、建屋やダクト等の開口部からの浸水対応を進め、ポンプ水密化、ポンプ回りの防水壁設置などを検討していた。
 
バックチェックは、なぜ遅れたのか

 東電は、福島第一のバックチェックを当初は2009年6月までに終える予定だった。それが事故当時は、2016年まで先延ばしするつもりだった。

 前述したように、2006年のバックチェック開始当時、保安院は「バックチェックの工程が長すぎる。全体として2年、2年半、長くて3年である」(地質調査含む)と電力会社に伝えていた。ところが2007年7月の新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発が想定外の震度7に襲われたことから、まずは中間報告を2008年3月に提出することになった。

 名倉氏は「中間報告を出すことになり、全体の工程が見えなくなった。中間報告の確認作業で精一杯になった」「中間報告が一時期に集中することになり、下請けのマンパワーにも限りがあるので、最終報告が速やかに提出できなくなった」と説明した。

 名倉氏の説明は、実態を表しているのだろうか。福島第一は、新潟県中越沖地震と同じようなタイプの地震が起きても揺れは比較的小さいため、最終報告への影響が小さいことを2008年9月の段階で東電は確かめていた。「バックチェック工程の遅れを対外的に説明する際、解析のマンパワー不足についても触れるが、それがメインの理由になってはいけない。これまで嘘をついてきたことになってしまう」(小森明生・福島第一所長)という発言が残っている(注9)。

 名倉氏自身も、2009年7月14日に、保安院の審議会委員に、こんなメールを送っていた(注10)。

------------------------------------------------------

 ■■先生

 返信ありがとうございます。

 東京電力が秋以降に提出する本報告に可能な限り知見を反映するよう指導していきます。

------------------------------------------------------

 この文面からは、東電の本報告は2009年秋以降のそう遠くない時期に提出することが予定されていたように見える。

 バックチェック最終報告の提出は、どんな意思決定過程で、ずるずると引き延ばされたのか。より詳しい検証が必要だろう。

●東電に舐められていた保安院

 被告人の武藤栄氏の指示で、バックチェックを先延ばしするため、東電の高尾氏らは保安院でバックチェックを審議する委員の専門家を個別に訪問して、根回しをした。東電が保安院の審議会委員に接触していたことについて、名倉氏は以下のように証言した。

 「審査する側の専門家に、評価方針そのものについて聞いて回ることは、心中穏やかでなかった部分があった」

 東電の山下和彦・中越沖地震対策センター所長は、検察の調べに以下のように述べていた。

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山下「バックチェックには最新の知見を取り込むことが前提になっているので、後日取り込むときめたところで委員や保安院が納得しない可能性があった。武藤は、その可能性を排除するために、有力な学者に了解をえておくように根回しを指示した。武藤は委員と命令したかは定かではないが、委員以外の先生に根回ししても意味がなく、委員の了解を得ないといけないので、委員を指していた」

検察「保安院の職員の意見は?」

山下「保安院は、委員の判断に従ってくれると考えていた」(注11)

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 審議会の委員に根回しすれば、保安院自身では文句をつけてこない。そんなふうに、東電は保安院をすっかり舐めていたのである。小野氏が電力会社と激しい議論をしていたころの保安院の迫力は、そこには感じられない。

 東電は、豊富な資金力と人手で、じゅうたん爆撃的に専門家の根回しを進め、津波対策の方針が公開の審議会で検討される前に、自分たちの思い通りに変えてしまっていたのだ。

注1)名倉氏は、工学部建築学科卒業後、ゼネコンに入社。原発の構造や設計手法の研究開発などをしていた。2002年4月から2006年3月まで原子力安全委員会事務局の技術参与として耐震設計審査指針の改訂作業に携わっていた。2006年4月に保安院の安全審査官になり、福島第一原発の耐震バックチェックを担当。原子力規制庁発足後は、安全規制管理官として安全審査を担当している。(国が訴えられている裁判に名倉氏が提出した陳述書から)

注2)福島原発かながわ訴訟 神奈川県への避難者とその家族61世帯174人が、国と東電に慰謝料を求めて2013年9月に集団訴訟を起こした裁判で、名倉氏が証言した。

注3)東電の津波対策拒否に新証拠 原発事故の9年前「40分くらい抵抗」 2018年1月30日 AERA

注4)「津波対応、引き延ばした」東電、事故3年前に他電力に説明 2018年8月1日 Level7

注5)文書の一部は国会事故調報告書p.86で引用されていた。原典が明らかになったのは初めて。私も初めて見た。

注6)2005年8月に発生した宮城県沖地震の揺れは、一部の周期で女川原発の基準地震動を超えた。

注7)2004年にインド・マドラス原発が津波で緊急停止したトラブルをきっかけに、保安院とJNESが2006年1月に溢水勉強会を設けた。
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3532877/www.nisa.meti.go.jp/oshirase/2012/06/240604-1.html
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3532877/www.nisa.meti.go.jp/oshirase/2012/05/240517-4.html

 ここでまとめられた「内部溢水及び外部溢水の今後の検討方針(案)」(2006年6月29日)には以下のように記されていた。

◯土木学会手法による津波高さ評価がどの程度の保守性を有しているか確認する。

◯土木学会手法による津波高さの1.5倍程度(例えば、一律の設定ではなく、電力会社が地域特性を考慮して独自に設定する。)を想定し、必要な対策を検討し、順次措置を講じていくこととする(AM対策=アクシデント・マネージメント対策=との位置づけ)

◯対策は、地域特性を踏まえ、ハード、ソフトのいずれも可

◯最低限、どの設備を死守するのか。

◯対策を講じる場合、耐震指針改訂に伴う地盤調査を各社が開始し始めているが、その対応事項の中に潜りこませれば、本件単独の対外的な説明が不要となるのではないか。そうであれば、2年以内の対応となるのではないか。

注8)安全情報検討会とは、国内外の原発トラブル情報などをもとに、原発のリスクについて議論する場。2006年9月13日の第54回安全情報検討会には、保安院の審議官らが出席。津波問題の緊急度及び重要度について「我が国の全プラントで対策状況を確認する。必要ならば対策を立てるように指示する。そうでないと「不作為」を問われる可能性がある」と報告されている。

注9)耐震バックチェック説明会(福島第一)議事メモ 2008年9月10日

注10)原子力規制委員会の開示文書 原規規発第18042710号(2018年4月27日)

注11)山下和彦氏の検察官面前調書の要旨 甲B58(平成25年1月28日付検面調書)

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【福島原発事故刑事裁判第28回公判】再び出廷、証言変えた証人 全面的防潮堤は必要だったのか? 不要だったのか?

2018-10-06 21:45:11 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
福島原発事故をめぐって強制起訴された東京電力旧3役員の刑事訴訟。10月2日(火)の第28回公判、10月3日(水)の第29回公判の模様を伝える傍聴記についても、福島原発告訴団の了解を得たので、掲載する。次回、第30回公判は10月16日(火)、第31回公判は10月17日(水)、第32回公判は10月19日(金)に行われる。

防潮壁で浸水は防げた? 証言変えた今村・東北大教授

 10月2日の第28回公判には、今村文彦・東北大教授が再び証人に立った(前回は第15回、6月12日)。検察官側が今村教授に依頼した津波シミュレーションの結果が、明らかにされた。

 原子炉建屋などが建つ海抜10mの敷地(10m盤)の上に高さ10m(海抜20m)の防潮壁を、敷地の海側を全てカバーするように建設する。そこに東北地方太平洋沖地震の津波が襲来したら、どの程度浸水するのか。シミュレーションは、これを確かめるのが目的だった。

 今村教授は、計算によると、この防潮壁があれば50センチ以下程度の浸水に抑えられるので、施設に大きな影響は無いと考えられると証言した。事故は防げたのだ。

 一方で、今村教授は、シミュレーションの前提となっているように海側に長い防潮壁をつくることは合理的でない、とも証言した。今村教授は前回の公判では、地震本部の予測に従って15.7mの津波を想定すれば、海側に切れ目なく長い防潮壁を設置することになり、それがあれば、東日本大震災の津波も「かなり止められただろう」と述べていた。4か月前の証言を、今回覆したことになる。

 15.7m津波の対策をしていたら、事故は防げたのか。あるいは防げなかったのか。出廷するたびに変わる今村教授の証言に、傍聴者には腑に落ちない点が残ったように思えた。

●「10m防潮壁で事故は防げた」検察のシミュレーション

 検察官役の久保内浩嗣弁護士が、シミュレーションの内容について、今村教授に尋ねる形で進められた。敷地上の建屋などを考慮して、もっとも細かいところでは2mメッシュの精密なシミュレーションを実施。その結果、10m盤の上に高さ10mの防潮壁が全面に設けてあれば、敷地南側の隅角部で津波が瞬間的に跳ね上がって防潮壁を越える程度で、建屋周辺への浸水は50センチ以下に抑えられ、施設への影響は小さいことが明らかになった。

 これまで、刑事裁判では東電が作成した津波モデル「L67モデル」を用い、東電子会社の東電設計が計算して、浸水の状況を検討してきた。今回は、L67より波形の精度が高い津波モデル(今村教授らが2016年に発表(注1))で計算したのが特徴だ。

●「敷地全部には防潮壁不要」今村教授、証言を覆す

 検察側のシミュレーションは、敷地の海側を、すっぽりカバーするように防潮壁を築くことが前提になっている。一方、弁護側は、15.7mの津波対策に、こんな長い防潮壁は不要で、「北側、南側など一部だけに作ることになったはずだ」と、「くし歯防潮壁」を主張していた。その場合、東北地方太平洋沖地震の津波は防ぎきれず、広範囲に浸水する(第4回公判)。

 それについて、今村教授は6月の証言では「全面に必要」と述べ、「くし歯説」を否定していた。検察官役の久保内弁護士との間で、以下のようなやりとりがされていた。

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 久保内「福島第一原発の全体の見取図に、ベストな防潮堤の設置位置を、赤ペンで記入してください」

 (今村教授、図のように書き入れる)
拡大
今村教授が6月の公判で「ベストな防潮堤の設置位置」として書き込んだ場所(赤ペン)。海渡弁護士による再現。


 久保内「ご記入いただいたベストな防潮堤を設置した場合、そこに今回の津波が来た場合、越流して浸水したかどうか、それについては証人はどんなふうにお考えになりますか」

 今村「まずは防波堤の南側と北側ですね、あそこに20mの防潮堤を設置していただき、かつ、いろんな建屋の前にも、これは高さはちょっと議論なんですけれども、それを、ある程度の高さを設置いただければ、いわゆる津波の陸上からの越流は、かなり止められたと考えています」

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 ところが今回の証言では、南側と北側など一部だけに設置すれば良いという考えを示した。 

 前回の証言で、南部と北部以外にも「ある程度の高さ」が必要な理由として、今村教授は港湾内部の共振による増幅がありうることを指摘していた。今回の証言では、それを採用しなかった。その理由について、弁護側の宮村啓太弁護士と今村教授のやりとりがあったが、いつもは明快な宮村弁護士の尋問にしてはわかりにくく、根拠も明確に示されず、すっきりしなかった。

●事故は回避できなかったか。残る疑問

 実際には、東電が考えていた津波対策は、今回シミュレーションしたような10m盤の上の10m防潮壁ではなかった。沖合防波堤の設置と4m盤を取り囲む防潮壁の組み合わせや、海水ポンプや建屋の水密化などを「有機的にむすびつけること」を検討していた(第7回公判など)。それが施されていた場合、311の津波を防げたのか、あるいはそれでも事故は起きたのか、まだ明確になっていない。

 また、「運転停止せずに工事を進めることができたのかどうか」は、大きな疑問として残されたままだ。

 津波対策をとりまとめていた東電の中越沖地震対策センターの山下和彦所長は以下のように検察に述べていた(注2)。

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 「10m盤を超える対策は沖に防潮堤を造ることだが、平成21年6月までに工事を完了することは到底不可能であった。工事期間は4年かかる。最悪、バックチェックの最終報告書の提出期限を守れなかったとして、『工事が終わるまで原発を止めろ』と言われる。火力発電では燃料に莫大な費用がかかる。土木調査Gの提案どおりの工事では、原発をとめるリスクがある」(甲B57、平成24年12月4日付検面調書)。

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 「土木学会評価で現状でも安全で、不確かさの考慮で止める必要はないという東電の考え方だったが、従来より3倍も高い水位を示しながら、安全性を確保されているとの主張が保安院ないし安全委員会に受け入れられるのか確証はなかった。保安院やBCの委員、地元から、工事完了までプラントを止めるよう求められる可能性があった」(甲B58、平成25年1月28日付検面調書)。

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 当初の予定通り、2008年から2010年にかけて対策に着工しようとすれば、それ以降の数年間かかる工事期間中、運転停止を迫られていた可能性は高い。2011年当時、原発が止まって冷えた状態だったならば、津波に襲われても、ここまでの事故にはならなかっただろう。

注1)今村文彦ら「修正された東北地方太平洋沖地震津波モデルによる福島第一原発サイトへの影響再評価」土木学会論文集B2(海岸工学)、Vol.72,No.2,I_361-I_366,2016

注2)法廷で読み上げられた山下和彦氏の検察官面前調書の要旨(2018年9月5日 第24回公判期日)

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【福島原発事故刑事裁判第27回公判】業務上過失致死傷罪の起訴事実に迫る証言続く

2018-09-21 22:09:04 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
事故からの避難が患者の命を奪った

 9月19日の第27回公判は、昨日に引き続いて被害の様子を詳しく解き明かしていった。福島第一原発の爆発現場の直近にいた東電関係者、亡くなった患者さんらを診断した医師、遺族らが、事故調報告書ではドライに描かれている情景を、一人一人の言葉で生々しく肉付けしていった。

●「流れ込むがれき、よく誰も死ななかった」東電関係者

 3月12日午後3時36分、1号機水素爆発。現場にいた3人がけがをした。

 「視界がもうもうと蜃気楼のようになって、青白い炎が見えた。すさまじい爆風が襲いかかってきて、がれきが宙に浮かんで、鉄筋が消防車のガラスを突き破り、前腕に直撃。疼痛を感じた」(消防隊所属の東電関係者。供述を検察官役の弁護士が読み上げ)

 3月14日午前11時1分、3号機水素爆発。けが10人。

 「コンクリートのがれきが、煙のように多数流れ込んできた。周囲を見ることも出来なくなった。タンクローリーの影に隠れたが、タイヤの間から、がれきが飛んできた。破片は長い時間振り続けた。タンクローリーの爆発も怖かった。このまま死にたくないと思っていた。一刻も早く逃げないと被曝してしまうと、歩いて免震重要棟に向かった。よく誰も死ななかったと思います」(東電関係者、供述の読み上げ)


爆発した3号機(出典:東京電力ホールディングス)


●「国や東電の責任ある人に、責任を取ってほしい」遺族

 事故直後の混乱期の避難で、双葉病院の患者32人、ドーヴィル双葉の入所者12人が亡くなった。

 「とうちゃんは、2010年5月にドーヴィル双葉に入所。2週間に1回、土曜日に会っていた。顔を合わせるとにっこりしていた。3月17日に電話で遺体の確認をしてくださいと言われ、現実のように思えませんでした。『放射能がついているかも知れないので、棺は開けないで下さい』と県職員に言われた。東電や国の中で責任がある人がいれば、その人は責任を取ってほしい」(夫を亡くした女性、供述を読み上げ)

 「原発事故さえなければ、もっと生きられたのに」(両親をなくした女性、供述を読み上げ)

 「シーツにくるまれただけで遺体が置かれていた。家族や親戚に看取られ、ベッドで安らかに最期を迎えさせてやりたかった。避難している最中で亡くなったと思うとやりきれない」(遺族、供述を読み上げ)

 「避難ストレス、栄養不良、脱水、ケア不良で死亡。極端な全身衰弱。これだけの避難がなければ、今回の死亡に至ることはなかった」(診断した医師が検察に回答した内容)

●「避難が無ければ、すぐ亡くなる人はいなかった」医師

 事故当時、双葉病院に勤務していた医師の証言もあった。

 検察官役の渋村晴子弁護士が「事故による避難がなければ、すぐに命を落とす状態ではなかったですね」と尋ねると、医師「はい」と答えた。

 医師は、長時間の移動が死を引き起こす原因を、こう説明した。「自力で痰を出せない人は、長時間の移動で水分の補給が十分でない中で、たんの粘着度が増してくるので、痰の吸引のようなケアを受けられないと呼吸不全を引き起こす。寝たきりの人も100人ぐらいいたが、病院では2時間ごとに体位交換をする。そんなケアができないと静脈血栓ができて、肺梗塞を起こして致命的な状況になる」

●「避難する前には、普段の様子でバスに乗っていった」ケアマネ

 3月14日に、ドーヴィル双葉から98人の入所者をバスに載せて送り出したケアマネージャーの男性も証言した。このバスは受け入れ先が見つからず、いわき光洋高校に到着するまで11時間以上かかった。自力歩行できない人が40人から50人おり、寝たきりの人や経管栄養の人もいたが、医療ケアがないままの長時間移動になり、移動中や搬送先で12人が亡くなった。

 「避難する時には、普段の状況でバスに乗っていかれたので、死亡することは予想できませんでした。移動すれば解放され、正直助かったと思いました。その後、次々亡くなる人が出てショックでした。原発事故が無ければ、そのまま施設で生活出来ていたと思います」

●2227人、突出して多い福島県の震災関連死

 この日の公判では、被告人がこの裁判で責任を問われている44人の死について、それぞれの人が亡くなった状況や、遺族の思いが、鮮明にされた。

 刑事裁判では触れられていないが、原発事故がなければ死なずにすんだ人は、もっと多いと思われる。東日本大震災における震災関連死は、福島県2227 人、宮城県927人、岩手県466人で、福島が突出して多い(注)。その原因は、東電が引き起こした原発事故にあるだろう。この裁判で争われているのは、被告人の責任のうち、ほんの一部にすぎない。

注)東日本大震災における震災関連死の死者数 復興庁 2018年3月31日現在

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【福島原発事故刑事裁判第26回公判】「避難による患者死亡は原発事故のせい。地震と津波だけなら助けられた」と看護師が証言

2018-09-20 23:49:12 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
福島原発事故をめぐって強制起訴された東京電力旧3役員の刑事訴訟。9月18日(火)の第26回公判、9月19日(水)の第27回公判の模様を伝える傍聴記についても、福島原発告訴団の了解を得たので、掲載する。予定されていた9月21日(金)の公判が中止となったため、次回、第28回公判は10月2日(火)に行われる(なお、通常この刑事裁判は午前10時開廷となっているが、次回、10月2日だけは13時15分開廷となる。傍聴を予定されている方はご注意いただきたい)。

執筆者はこれまでに引き続き、科学ジャーナリスト添田孝史さん。

傍聴記に入る前に、ここで改めて当ブログ読者の皆さんに説明しておくと、勝俣恒久元東京電力会長、武藤栄元東電副社長、武黒一郎元東電副社長の3被告に対するこの刑事裁判は、検察審査会による2回の「起訴相当」議決を受けた強制起訴によって始まったが、そもそもの起訴事実は「福島原発事故発生によって双葉病院の患者が強制避難させられ、その過程で死亡、負傷したことが業務上過失致死傷罪に当たる」とするものである。その意味では、双葉病院の看護師が出廷、「事故がなければ患者は避難する必要も、避難途中で死亡することもなかった」との証言をしたことは、いよいよこの裁判が核心に近づいてきたことを示している。起訴事実に直接関係する証言を、直接の関係者から引き出した今回の公判は、これまでで最も重要なものである。今回の公判については、メディア報道もご紹介するので、参考にしていただきたい。

<東電訴訟>双葉病院患者死亡は原発事故が原因 看護師証言(毎日)

東電裁判で元看護師「原発事故なければ治療できた」(テレビ朝日)

福島事故後44人死亡 東電元幹部ら公判 双葉病院・元看護師証言(東京)

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●事故がなければ、患者は死なずに済んだ

 勝俣恒久・東電元会長ら被告人3人は、福島第一原発近くの病院などから長時間の避難を余儀なくされた患者ら44人を死亡させたとして、業務上過失致死罪で強制起訴されている。9月18日の第26回公判では、東電が引き起こした事故が、どんな形で患者らの死とつながっているのか、検察官側が解き明かしていった。病院の看護師は、寝たきり患者らの避難がとても難しかったと当時の状況を証言。救助に向かった自衛官や県職員、警察官らが検察官に供述した調書も読み上げられた。

 放射性物質で屋外活動がしにくくなり、通信手段も確保できない中で現地の情報が伝わらなくなっていた。そのため患者の搬送や受け入れの救護体制が十分に築けず、患者たちが衰弱して亡くなっていく様子が証言で浮かび上がった。

●地震と津波だけなら助かった

 証人は、福島第一原発から4.5キロの場所にある大熊町の双葉病院で、事故当時、副看護部長を務めていた鴨川一恵さん。同病院で1988年から働いていたベテランだ。避難の途上で亡くなった患者について、検察官役の弁護士が「地震と津波だけなら助かったか」という質問に「そうですね、病院が壊れて大変な状況でも、助けられた」と述べた。

 事故当時、双葉病院には338人が入院、近くにある系列の介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」に98人入所していた(注)。鴨川さんは、3月12日に、比較的症状の軽い209人とバスで避難、受け入れ先のいわき市の病院で寝る間もなく看護にあたっていた。

 3月14日夜、後から避難した患者ら約130人が乗っていたバスを、いわき市の高校体育館で迎えた。このバスは、病院を出発したものの受け入れ先が見つからず、南相馬市、福島市などを経由して、いわき市で患者を下ろす作業が始まるまで11時間以上かかった。継続的な点滴やたんの吸引が必要な寝たきり患者が多く、せいぜい1時間程度の移送にしか耐えられないと医師が診断していた人たちだ。本当は、救急車などで寝かせたまま運ぶことが望まれていた。

 鴨川さんは、「バスの扉を開けた瞬間に異臭がして衝撃を受けた。座ったまま亡くなっている人もいた」と証言した。バスの中で3人が亡くなっていたが「今、息を引き取ったという顔ではなかった」。体育館に運ばれたあとも、11人が亡くなった。

●高い線量、連絡や避難困難に

 福島第一3号機が爆発した3月14日に、双葉病院で患者の搬送にあたっていた自衛官の調書も読み上げられた。「どんと突き上げる爆発、原発から白煙が上がっていた」「バスが一台も戻ってくる気配がないので、衛星電話を使わせてもらおうと、(双葉病院から約700m離れた)オフサイトセンターに向かいました。被曝するからと、オフサイトセンターに入れてもらうことが出来ませんでした」。オフサイトセンター付近の放射線量は、高い時は1時間あたり1mSv、建物の中でも0.1mSvを超える状態で、放射性物質が建物に入るのを防ぐために、出入り口や窓がテープで目張りされていた。自衛官はオフサイトセンターに入ることが出来なかったため、持っていたノートをちぎって「患者90人、職員6人取り残されている」と書き、玄関ドアのガラスに貼り付けた。

 病院からの患者の搬送作業の最中、線量計は鳴りっぱなしですぐに積算3mSvに達し、「もうだめだ、逃げろ」と自衛隊の活動が中断された様子や、県職員らが「このままでは死んじゃう」と県内の医療機関に電話をかけ続けても受け入れ先が確保できず、バスが県庁前で立ち往生した状況についても、供述が紹介された。

 これまで、政府事故調の報告書などで、おおまかな事実関係は明らかにされていた。しかし、当事者たちの証言や供述で明らかになった詳細な内容は、驚きの連続だった。刑事裁判に役立つだけでなく、今後の原子力災害対応の教訓として、貴重な情報が多く含まれていたように思えた。

注)福島県災害対策本部の救援班は、3月17日午後4 時頃、双葉病院からの救出状況について「3月14日から16日にかけて救出したが、病院関係者は一人も残っていなかった」と発表し、報道された。このため、双葉病院の関係者は「患者を置き去りにした」と一時、非難された。しかし、実際は院長ら関係者が残って、患者のケアや搬送の手配に奔走しており、バスに同乗して移動した病院関係者も、ピストン輸送で病院にすぐ戻ることができると考えていた。政府事故調の最終報告書は、県の広報内容について「事実に反し、あたかも14日以降病院関係者が一切救出に立ち会わず、病院を放棄して立ち去っていたような印象を与える不正確又は不適切な内容と言わざるを得ないものであった」と評価している(政府事故調最終、p.241)


双葉病院の避難支援を担当した陸上自衛隊第12旅団の配置

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【福島原発事故刑事裁判第25回公判】「長期評価は不確実」としながらも福島沖での地震確率「ゼロとは言えない」

2018-09-11 22:15:48 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
●第25回公判傍聴記~「福島沖は確率ゼロ」とは言えなかった

 9月7日の第25回公判の証人は、松澤暢(まつざわ・とおる)・東北大学教授(地震学)だった。松澤教授は、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)の長期評価とはどんなものか、そして2002年の長期評価が予測した日本海溝沿いの津波地震について説明した。

 ポイントは以下のとおりだ。

1)「長期評価、それ以外に方法ない」

 松澤教授は、長期評価に不確実なところがあることは認めた。一方で「わからない=ゼロとして過小評価されるより、仮置きでも数値を出すとした地震本部の判断には賛同する」と述べた。

2)「福島沖の確率がゼロとは言えなかった」

 長期評価が予測した津波地震が福島沖でも起きるかどうかについて、「日本海溝北部に比べて起こりにくいとは考えたが、絶対起こらないとは言い切れなかった」と話した。

3)長期評価の改訂時にも、異議は唱えなかった

 松澤教授は、福島沖の津波地震を最初に予測した2002年の長期評価策定には関わっていないが、2009年や2011年(震災前、震災後)の改訂作業には参加していた。「そこで大きな問題点は指摘しなかった」と述べた。

 松澤教授は、東北大学大学院理学研究科の教授で、大学附属の地震・噴火予知研究観測センター長も務める。地震の波形を詳しく分析して、地震発生の過程を調べる専門家だ。地震予知連絡会の副会長でもある。公判では、最初に弁護側の宮村啓太弁護士、続いて検察官役の久保内浩嗣弁護士が質問した。少し詳しく見ていく。

●「乱暴だが、それ以外に方法はない。地震本部の判断に賛同する」

 松澤教授は、長期評価に「不確実だ」という意見があることについて、こう説明した。

 「よくわかっていること、よくわかっていないところがあったが、仮置きでもいいから数値をおいていくべきだと判断した。理学屋が黙っていると、誰かが勝手にやってしまう。わからないとして放っておけば確率ゼロ、過小評価になる。全く知らない人に判断があずけられる。それは正しいのか。とりあえずおすすめの数値を、仮置きでも、仮置きと見える形で出すことが良いと判断した」と説明した。「非常に乱暴だけど、それ以外に方法がない。地震本部が仮置きの数字を置いた判断は賛同する」とも述べた。

●「福島沖はおこりにくいが、確率はゼロとは言えなかった」

 松澤教授は、日本海溝沿いの津波地震について、2003年に論文を発表している(注1)。「津波地震」が引き起こされるためには、プレート境界に付加体とよばれる柔らかい堆積物が必要だとする仮説に基づいていた。松澤教授はこの論文で、以下のように書いていた。

 「福島県沖の海溝近傍では、三陸沖のような厚い堆積物は見つかっておらず、もし、大規模な低周波地震が起きても、海底の大規模な上下変動は生じにくく、結果として大きな津波は引き起こさないかもしれない」。

 一方で、松澤教授は、津波地震について土木学会による2008年のアンケート(注2)に以下のように答えていた。

(1)三陸沖と房総沖のみで発生するという見解 0.2
(2)津波地震がどこでも発生するが、北部に比べ南部ではすべり量が小さい(津波が小さい)とする見解 0.6
(3)津波地震がどこでも発生し、北部と南部では同程度のすべり量の津波地震が発生する 0.2

 松澤教授は「福島沖でも起きる」とする見解の方に重きを置いていたのだ。

 アンケートの際、松澤教授は「不確実性が大きく過去と同じ場所だけとは言い切れない」とコメントしており、法廷では「北部に比べて福島沖では津波地震はおこりにくいが、確率ゼロではないので、このように回答した」と説明した。

●長期評価の改訂時にも、津波地震の評価に異議を唱えなかった

 地震本部が2002年に発表した津波地震についての長期評価は、2009年に一部改訂された。また2011年にも改訂作業が進められており、東日本大震災前にはほぼ出来上がっていた。東日本大震災の発生で、その改訂版は没となったが、2011年11月には、今回の地震を踏まえて第二版が公表された。

 松澤教授は、地震本部の委員として改訂作業にかかわり、「(福島沖をふくむ)日本海溝沿いのどこでも起きる」とした津波地震の評価に、異議は唱えなかった。そして「どこでも起きる」とする評価は、2009年、2011年の事故前、事故後、いずれの長期評価でも変更されなかった。「我々は(地震について)まだ完全に知っているわけではない。共通性を重視してそこに組み入れた」と理由を説明した。

●「積極的に否定」も出来なかった

 こんなやりとりもあった。

 宮村弁護士「津波地震が福島沖でも起きると積極的に根拠付ける研究成果はあったのでしょうか」

 松澤教授「なかったと思います」

 福島沖ではプレートが沈み込んでいるから津波地震を起こす必要条件は満たしていた。しかし、海溝に柔らかい堆積物(付加体)が少ないため、津波地震を発生させるモデルの条件を十分には満たしていなかったからだ。

 しかし松澤教授も認めたように、「津波地震の発生に付加体が必要」というのは仮説にすぎない。「付加体が無いから福島沖では津波地震は起きない」と断言できるほど「強い科学的根拠」とは言えなかった。付加体が福島沖と同じように少ない房総沖で、1677年に津波地震が発生したと考えられていた。それが付加体の仮説では十分説明できない弱みもあった。

 宮村弁護士は、「津波地震が福島沖で起きるという強い根拠は無かった」と強調したかったように見えた。しかし、逆に「極めてまれにも、福島沖で津波地震は起きない」と言える「強い根拠」もなかった。

 2006年に改訂された耐震設計審査指針では「施設の供用期間中に極めてまれであるが発生する可能性があると想定することが適切な津波によっても、施設の安全機能が重大な影響を受けるおそれがないこと」と定められていた。

 「極めてまれにも起きない」「だから対策はしない」と言い切る根拠を見つけることは、とても難しい。だからこそ、東電の津波想定担当者らは対策が必須と考え、いったんは常務会でも了承されていたのだ。

 2007年度には、東北大学が、福島第一原発から5キロの地点(浪江町請戸)で、東電の従来想定を大きく超える津波が、貞観津波(869年)など過去4千年間に5回あった痕跡を見つけていた(注3)。「大津波は福島沖では極めてまれにも起きない」として対策をとらないことは、とうてい無理になりつつあったのだ。



注1)松澤暢、内田直希「地震観測から見た東北地方太平洋下における津波地震発生の可能性」 月刊地球 Vo.25.No.5 2003 368-373

注2)土木学会津波評価部会 ロジックツリーの重みのアンケート結果(平成20年度)

注3)地震本部 宮城県沖地震における重点的調査観測 平成17−21年度統括成果報告書

これの
3.研究報告
3.3津波堆積物調査にもとづく地震発生履歴に関する研究

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