安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

当ブログのご案内

当サイトは列車の旅と温泉をメインに鉄道・旅行を楽しみ、また社会を考えるサイトです。

「あなたがすることのほとんどは無意味でも、あなたはそれをしなくてはなりません。それは世界を変えるためではなく、あなたが世界によって変えられないようにするためです」(マハトマ・ガンジーの言葉)を活動上の支えにしています。

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当ブログの基本的な運営方針

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●管理人の著作(いずれも共著)
次世代へつなぐ地域の鉄道——国交省検討会提言を批判する(緑風出版)
地域における鉄道の復権─持続可能な社会への展望(緑風出版)
原発を止める55の方法(宝島社)

●管理人の寄稿
規制緩和が生んだJR事故(国鉄闘争共闘会議パンフレット「国鉄分割民営化20年の検証」掲載)
ローカル鉄道に国・自治体・住民はどう向き合うべきか(月刊『住民と自治』 2022年8月号掲載)
核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

今年も1年、お世話になりました。

2015-12-31 14:55:44 | 日記
今年も残り数時間となりました。当ブログ管理人は携帯回線を使ってインターネットにアクセスしており、年越し前後は回線が混雑するおそれもありますので、少し早いですがここでご挨拶を申し上げます。

内外ともに激動の2015年も終わろうとしています。国内情勢については相も変わらずの安倍自民1強、国際情勢はテロ→軍事行動→テロの繰り返しという、夢も希望もない1年でしたが、その厳しさの中にも、JR問題で講師の要請を受けるなど、引き続き当ブログと安全問題研究会のこれまでの活動が評価され、またそれをしっかりと未来に向け、つなげる一歩を記すことのできた、多忙の中にも充実の1年でした。

来年も引き続き厳しい年であり、そして内外ともに先行きの見通せない不安定な情勢が続くと思います。大胆に予測するならば、国内は米国の利上げによりアベノミクス(安倍政権のインフレターゲット政策)が破たん、デフレに回帰し経済低迷の中で参院選を迎えるでしょう。安倍政権は「消費税引き上げの凍結」を訴え参院選を戦うことになると予想します(軽減税率の適用範囲をめぐる協議がグダグダのまま、まとまらない状態を放置したのは、ずばり「来年夏には軽減税率の適用範囲なんて関係なくなるから」以外にありません)。

野党共闘は一部の選挙区(全国で10選挙区程度)で限定的にまとまるものの、大部分の選挙区では結局、野党はまとまらないまま参院選を迎え、自民が現状維持、公明微減、共産躍進、その他は全滅と予想します。

当ブログ管理人は、2年ぶりに帰省した実家で年越しを迎えます。来年に備え、心も身体もしっかり休んでおきたいと思っています。

では、みなさま、よいお年をお迎えください。

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北海道生活3年目~今後の情報発信のあり方について

2015-05-04 22:48:30 | 日記
当ブログ管理人はこの春の転勤もなく、北海道生活3年目を迎えた。本来なら、この話は4月1日の時点で書くべきだったが、過去の記事をご覧の通り、JR福知山線事故を巡る3社長控訴審判決、高浜原発運転差し止めを命じた福井地裁決定、福島原発告訴団の2015年告訴に対する不当な「不起訴」スピード決定、青函トンネルでの重大事故など、この間、当ブログに書き残しておかなければならない出来事が相次いだ結果、延び延びになってしまった。

これらのニュースのほとんどは、年末恒例の「当ブログ10大ニュース」で1位を取れるような重大事件ばかりだ。まだ上半期も終わっていないのに、今年も10大ニュースでは枠が足りないのではないかと、今から心配しなければならないような状況だ。

落ち着いて北海道生活3年目を迎えられたことはよかったと思う反面、当ブログでの情報発信をどうするかは、ここ1年ほど、常に悩みっぱなしだった。とりわけ悩んだのは、福島原発事故がらみの情報発信をどうするかということ。世間は原発事故など、忘れる以前に「なかったことにしたい」人々と、この事故に相変わらずこだわり続けていたい人々に、ここでも大きく二極化しつつある。今さら原発事故でもないのではないか、自分がこだわるほどに世間はこの事故にこだわっていないのではないかという思いが消えず、事故4年を過ぎたこの春からは、原発事故関係の情報発信は大幅に減らし、公共交通、鉄道専門ブログに戻すことを、一時はかなり真剣に考えた。

だが、しばらくの間、従来通りの方針で原発事故関係の情報発信を続けていくことにした。(1)最近は結果を公表していないが、2ヶ月に1回、奇数月の下旬に行われているgooブログシステムによるアクセス解析無料サービス期間中に行った解析の結果、相変わらず原発事故関係の記事へのアクセスが多いこと、(2)アクセス解析の結果、「人生チャレンジ20000km 反原発」というキーワードで当ブログを探し当てている閲覧者がいて、当ブログが「反原発ブログ」として一定の認知を得ていると考えられること、(3)大手メディアから原発事故関係の報道が減る一方、事故被害者・避難者など関係者の多くが、「まともな」(原発推進・「復興促進」でない)原発事故報道を今まで以上に求めているという情報が、複数のルートから当ブログ管理人に伝わってきたこと、――等が理由である。

正直なところ、当ブログにとっても情報提供できるような有益な原発事故関係情報は目に見えて減ってきている。しかし、当ブログ管理人への講演・原稿依頼は以前より減ってはいるものの途絶えることはなく、有益な情報を掘り起こせば今後も当分は情報提供を続けていける見込みである。

札幌市のコミュニティFM局「ラジオカロスサッポロ」では、今なお週1回(毎週火曜)、福島県白河市からの避難者がパーソナリティをしている番組「つたえるコトバ つながるミライ」の放送が続いている(関連記事)。ボランティアとしての側面があるとしても、こうした番組が息長く続いている背景には、福島の情報を求める人たちの存在がある。当ブログも、記事の数は減らさざるを得ないが、できる限り質は落とすことなく、福島関連の情報提供を続けていきたいと思っている。

なお、すでにお気づきの方もいるかもしれないが、4月以降、左フレーム(PC閲覧者。スマホ・タブレットの方は記事下)「ブックマーク」欄のリンク先を大幅に変えた。当ブログ管理人とリアルで関係のある人が運営している個人サイトのうち5年以上更新のないものは、さすがに今後も更新はないと見てブックマークから外す一方、脱原発運動団体等のリンクを大幅に増やした。いずれも有益なサイトばかりだと思っている。

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明けましておめでとうございます

2015-01-01 23:34:27 | 日記
元日も夜も更けてのご挨拶となりましたが、2015年、明けましておめでとうございます。本年も当ブログをよろしくお願いいたします。

当ブログも早いもので今年、開設9年となります。その時々の政治経済社会情勢をそれなりに刻んで来たと自負していますが、ここ最近はネットでの情報発信に限界も感じており、新たな形での情報発信のあり方を見いだせる1年にできればと思っています。

なお、今年の新年目標等は、改めて発表いたします。

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今年1年お世話になりました

2014-12-31 17:54:09 | 日記
今年も残り数時間となりました。当ブログ管理人は携帯回線を使ってインターネットにアクセスしており、年越し前後は回線が混雑するおそれもありますので、少し早いですがここでご挨拶を申し上げます。

内外ともに激動の2014年も終わろうとしています。厳しい1年でしたが、その厳しさの中にも、原発問題やJR問題で講師の要請を受けるなど、当ブログと安全問題研究会のこれまでの活動が評価され、またそれをしっかりと未来に向け、つなげる一歩を記すことのできた充実の1年でした。

来年も引き続き厳しい年であり、そして内外ともに先行きの見通せない不安定な情勢が続くと思います。国内政治は「低空飛行で奇妙な安定」が来年を表すキーワードだと思います。

当ブログ管理人は、北海道内の某温泉観光地で年越しを迎えます。旅行先で迎える新年というのは、長い人生でも初めてです。来年に備え、心も身体もしっかり休んでおきたいと思っています。

では、みなさま、よいお年をお迎えください。

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管理人の近況、そして福島県知事選

2014-10-08 23:43:10 | 日記
10月に入り、早いもので今年もあと3か月を切った。すでに、当ブログの更新頻度が、8月ごろから極度に落ちていることにお気づきの方も多いと思う。

御岳山の噴火、10月1日に開業50周年を迎えた東海道新幹線の今後に向けた課題など、書きたいと思っていることは山ほどあるが、とにかく時間がない。9月12~14日にかけ、乗り潰しを兼ねて旅した青森県のレポートも書かなければならないのだが…。9月24日にようやくさっぽろ自由学校「遊」での講演を終えたと思ったのもつかの間、今度は10月26日の「団結まつり」でJR北海道の安全問題、リニア問題の報告を行わなければならず、その準備に追われている。団結まつりが終わる11月以降も、地元・北海道の女性団体に招かれ原発問題の講演、12月にも北海道の労働組合系の集会で原発問題の発言要請があり、忙しい日々が続きそうだ。

しかも、あろうことか、明日告示、10月26日投開票の福島県知事選で、某陣営の運動にかかわることになってしまった。巻き込まれたというほうが適切かもしれない。当ブログ管理人は、好ましからざる人物ばかりが特定業界団体の組織票で当選し、市民が当選を望んでいる候補はどんなに頑張っても当選できない現行の選挙のあり方に根本的な疑問を抱いており、すでに現行の選挙方式は歴史的使命を終えたと思っている。そんなものにかかわるくらいならもっと違うことにエネルギーを向けたいのだが…

とはいえ、告示日以降は選挙についてあれこれ書けなくなってしまうので今のうちに書いておく。今回もまた、東京都知事選同様、脱原発陣営から2人の候補が立候補しており、候補一本化を求める意見がある。だが、与党が敗北した滋賀県知事選では野党候補が民主党系、共産党系に分裂していたが民主党系の候補が勝利した。一方、過去数回の沖縄県知事選のように民主・社民・共産が統一候補を立てても勝てないときもある。選挙というのは「統一すれば勝ち、分裂すれば負ける」というほど単純なものではない。

福島のように特殊な状況に置かれている県の場合、県内の原発全機廃炉を求めるのは当たり前で、それはおそらく争点にならない。だが、争点にならないことが脱原発の敗北を意味するのではない。むしろ政治的には逆であり、小熊英二氏が主張するように「全員が脱原発を掲げざるを得ないということは、事実上脱原発の勝利」なのである。争点がないというより、脱原発が完全勝利したため、推進派が原発再稼働を目指すには「選挙中は脱原発と言っておき、当選後に裏切る」以外に方法がないのである。

このように、脱原発そのものが争点としては後景に退く中で、それでも原発を争点として機能させるためには、「脱被曝」かそうでないかをメインに据えるしかない。そして、それをメインに据えるなら、脱原発2候補の一本化は事実上不可能だと思う。今回も、東京都知事選同様、それぞれが自分の主張を競い合い、切磋琢磨しながら脱原発票の全体的上積みを図る以外にない。脱原発2候補が互いの票を食い合って共倒れになるというのはゼロサムゲーム的発想であり、全体のパイが増えるなら、それは問題ではないのである。

福島県知事選は、おそらく史上最低の投票率となるだろう。候補者擁立を巡って二転三転どころか七転八転が繰り返された結果、福島県内はすでにしらけムードであり、投票率は50%を割ることになるかもしれない。これまでの流れから見て、当ブログが最も当選を望まない候補(元副知事)の当選という結果になるだろう。当ブログは少数派の声を代弁することを目的としているから、敗北には慣れており、いまさら失望などはしない。すでに述べたように、大多数の国民が望んでいる候補がことごとく当選できない選挙制度が歴史的使命を終えているというだけのことだ。

本来、金持ちも貧乏人も、平等に1票が与えられている選挙制度の下では、金持ちは一握りに過ぎないのだから、貧乏人を代表する候補者が勝つはずである。しかし現実はどこの国のいつの歴史を見てもそうはならなかった。ロシア革命の後、レーニンは、ロシア社会民主労働党(ボルシェヴィキ、後のロシア共産党)による一党独裁に踏み切るきっかけをつかめず、一度は資本主義国と同様の「自由選挙」で制憲議会選挙を実施した。しかし、第1党になったのは2月革命後の臨時政府を支えた社会革命党(エス・エル)であり、ボルシェヴィキは第2党にとどまった。この結果を見て、金持ちも貧乏人も平等に1票を行使できる「自由選挙」がまやかしであることに確信を抱いたレーニンは制憲議会を強制的に閉鎖・解散させ、ソビエト(人民議会)に全権限を集中。共産党による一党独裁の道へ入って行った。

いわゆる「自由選挙」がまやかしであることは、この時にすでに結論が出ている。ロシアが100年近くも前、レーニンの時代に否定した「自由選挙」に、我々がいまだにしがみついていることが本来、おかしいのである。当ブログはやるだけ無駄の「自由選挙」はもうやめて、ソビエトのような「労働者代表議会」を作り、そこで政府の意思決定をするようにしたらいいと、最近はかなり本気で思っている。

そんなわけで、当ブログ管理人の本格的なネット復帰は年内は無理かもしれない。だが、当ブログは「時間がない・意欲が湧かない・思考が安定しないときは無理をしてまで書かなくてもよい」が基本方針なので、今後ものんびりお付き合いいただければと思っている。

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小説執筆って難しい

2014-04-10 22:02:36 | 日記
今年の新年目標で、ネット小説の執筆に取り組みたいと宣言してから3ヶ月。今年ももう4分の1が過ぎたが、結論から言えば、執筆は完全に行き詰まった。このままでは、今まで書きためたものはすべてボツ稿としてお蔵入りさせざるを得ないと思っている。

公開? とんでもない。自分自身が読んでいて全く面白いと思えないものを、面白くもないのに公開する、というのは物書きとして自殺行為に近い。

途中まで執筆してみて、改めて、小説家には筆力以外の能力が必要なのだということを痛感した。小説家に必要で、ノンフィクション・ライターには全く不要な能力…それは「物語構成力」「キャラ構成力」など、無から有を生み出す創造的能力(芸術力、といってもいい)。これがないと、小説家としては全く話にならない。

当ブログ管理人は、過去、人生のほとんどをノンフィクションだけで勝負してきた。多種多様な集会・デモの報告、社会評論・コラム、ルポルタージュ…ノンフィクションと呼ばれるものは、すべて「現実に起きていること」を題材としている。テーマは「すでにそこにある」のだから構想力などまるで必要がなく、目の前で起きている出来事を評価し、料理する能力のみが問われる。だからこそ、ノンフィクションの世界は私のように想像力が貧困な人間でもやっていけるのである(誤解のないように付け加えておくと、ノンフィクション・ライターに想像力が「全く不要」というわけではない。例えば、取材が行き届かなかった部分を想像で埋めることはこの世界にもあるし、限られた時間・リソースでの取材結果を基に、例えば震災のルポを書くためには、被災者の暮らしの「断片」からその全体像を想像し、寄り添うような作業は必要だからである。小説家に求められる想像力と、ノンフィクション・ライターに求められる想像力は全く別物である、という言い方をしたほうが正確だろう)。現実に起きている、いま目の前に起きていることがテーマのノンフィクションは、事実関係をある程度脚色することはあっても、「盛る」ことは基本的に御法度の世界だから、小説家のような逞しい想像力は、ノンフィクションの世界ではむしろ障害にすらなることがある。

このように考えると、小説家とノンフィクション・ライターは、ただ単に同じ「物書き」「文筆業」のカテゴリーに入る、という以外の共通点は何もないような気がしてきた。ノンフィクション・ライターをしながら同時に小説家でもあろうとするのは、そのこと自体が自己矛盾のような気がしてきたのである。

だが、日本の文壇には、実際に起きた出来事を基に、社会問題を「実録小説」の形で世に問う「小説家」が少ないながらも存在する。昨年亡くなった山崎豊子さんや、存命中の方では高杉良さんのような方である。最近では「原発ホワイトアウト」を出版した若杉冽さん(正体は某省の覆面官僚といわれる)も、実績が少ないだけで基本的にはこのカテゴリーに入るだろう。実は、私が目指したかったのはこの分野である。

ノンフィクションの文体では限界があって描けなくても小説としてなら描ける、という出来事は世の中に多く存在する。具体的に言うと、狭い関係者の間では事実として共有されていても、世間一般では「証拠や裏付けがない」ために流言の類とされるようなネタを料理するのに、実録小説は都合がよいのである。どこまでが事実でどこまでが創作なのかを曖昧にしたまま書き続けることが、ノンフィクションの世界では許されないが、小説ではそれが許されているからである。若杉さんが「原発ホワイトアウト」を社会評論でもコラムでもルポルタージュでもなく小説という形式にしたのは、まさにこうした「グレーゾーン」的ネタを適切に料理するのに、小説の形態が最も適していたからだろう。原発のような情報隠蔽が激しい分野で社会問題を告発するには、こうした手法が必要なことがあり、それを身につけるため、小説という新しい分野に挑戦してみたいというのが執筆の動機だった。

だが、小説としては最初の作品だから勢いでとにかく書いてみよう、と書き連ねた原稿群は、残念ながら当初の目的からは逸脱した(というより正反対に近い)、当ブログとしては公開不能なシロモノになりつつある。どう見ても、凡庸な展開かつ「初めにキャラありき」のもので、このまま書き進んだ場合、ライトノベルとしては破綻なく完結させられたとしても、ただそれだけの作品で終わってしまうだろう。構想段階では差別やいじめ、女性の社会進出といった、現代日本社会が抱える構造的問題をテーマとした社会派小説にしたかったが、このままでは本題に入れないまま、なし崩し的にラノベに方向転換した挙げ句に沈没という悲劇的結末になってしまう。

その上、ラノベとして読むにはファンタジー性が不足し、ケータイ小説として読むにはケータイ小説的リアリティが不足し、実録小説として読むには社会的テーマ性が不足していて、結局はどれとしても読めない。一度すべてご破算にして、ラノベ、ケータイ小説、実録小説のどの路線で行くのかから再構築せざるを得ないところまで追い込まれてしまった。

日本では、ライトノベルやケータイ小説の市場はすでに飽和状態で、ポジションを確立した作家群に伍して後発組が割り込むためにはよほどの努力がいる。人生も折り返し点を過ぎたこの年齢になって、「その他大勢」に埋没するだけの作品を量産することに意味があるとも思えない。どうせやるなら、他の作家が誰もやらなかったことをやるしかないが、どうも難しそうな気配だ。

当ブログ管理人は、ノンフィクションの世界では、「地域と労働運動」誌読者の中に私の原稿のファンが少なからずいる、との話を編集長からは聞いているし(お世辞の可能性もあるが)、「レイバーネット日本」からは、もっとコラムを書いてくれ、と拝み倒されたこともある。「週刊金曜日」等で活躍しているフリージャーナリストの男性からは、(出版不況だから売れないよ、と前置きしつつ)「あなたの文章力なら商業出版も可能」と言われたこともあるし、週刊「AERA」誌の契約記者の女性からは「あなたならうちの媒体でも今すぐやれるし、率直に言えば、文章力より合った媒体を見つけられるかどうかだと思います」と言われたこともある。自分で言うのもなんだが、ノンフィクションの分野ではそれなりにやれると思っている。小説などあらぬ方向に色目を使うより、ノンフィクション・ライターとしていま以上に実力を磨くことの方がずっと大事なのではないかという気がしてきた。

そういうわけで、まだ3ヶ月しか経っていないが、今年の新年目標「ネット小説の執筆」は撤回する。自分には小説家に必要な「物語構成力」が決定的に欠けていることが書いてみてわかったからである。私が小説家になるには、物語やストーリーを考える「原作者」が別に必要だろう。今しばらくはノンフィクションの世界で精進という「自分としての原点」に帰ることにする。

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静かな年度末、そして職業人生のひとつの区切り

2014-03-31 22:30:26 | 日記
早いもので、北海道に転居してから1年を迎えた。今年は、昨年と異なり静かな年度末を迎えている。

明日、4月1日で、就職してから丸20年になる。ささやかながら、職場で20年勤続の表彰を受けることになっている。よく20年もやってきたものだと思う。就職したときは、自分の職業人生をイメージできず、もっと単調で変化のない20年になると思っていた。しかし、改めて振り返れば、変化に満ちた20年は、あっという間に過ぎ去ったような気がする。20年間で最も大きな出来事を挙げるなら、名古屋勤務時代の2005年に中部国際空港の開港に立ち会えたことと、福島勤務時代の2011年に東日本大震災と福島第1原発事故を経験したことだ。

名古屋勤務時代には妻と出会った。福島勤務時代に起きた福島第1原発事故は、私の人生を大きく変え、脱原発運動に自分自身が踏み出す契機になった。そうした意味でも、5年半の名古屋勤務時代と、6年にわたった福島勤務時代は生涯忘れ得ぬ思い出になるだろう。

私が就職した1994年からの20年は、日本が「失われた20年」と呼ばれていた時期とぴったり重なる。就職した94年は、古き良き時代といわれた最後の時期で、まだ職場に家族的な雰囲気が色濃く残っていた。私の職業人生としての20年は夢中で走っているうちにあっという間に過ぎ去ったが、その間、日本社会は大きく、それも厳しい方へと変わった。非正規労働とブラック企業がはびこり、若者と女性は「非正規労働者のほうが当たり前」の状況になった。働くことは命がけになり、ブラック企業によって多くの命が奪われた。若者、女性をこのような状態に追い込んだ者たちの責任を問わねばならない。

20年は確かに長いが、それでも、私の職業人生の中ではようやく折り返し点といったところだろう。私の諸先輩方は60歳で定年退職を迎えていったが、年金支給年齢が引き上げられた結果、60歳定年後に5年間の再雇用を受ける人が多くなった。おそらく、私が60歳を迎える頃には定年は65歳になり、5年の再雇用を経て70歳でようやく引退という時代になるだろう。1円も年金を受け取れずに世を去る人も増えていくはずで、年金は「長生きした人だけの特権」という位置づけになると思う(よく、高齢化で国の年金は崩壊すると言われるが、年金財政が厳しくなればこのような「やらずぼったくり」に制度を変えていくことで、「形の上では」いくらでも維持できる)。

「若者の就労機会を奪っている」として、再雇用にはなにかと批判や怨嗟の声も聞こえるが、高齢者と若者が限られたパイを奪い合う状況はいいことではない。パイ自体を増やしていく努力が求められているが、どうやら政治や行政にはその意思も能力もないようだ。

それ以上に、戦後日本という枠組み自体がその頃まで残存しているとはとても思えない(当ブログ管理人はそのことを過去ログでも指摘している)。「希望は戦争」と主張した赤木智弘氏のように、若者の間にある種の破壊願望のようなものも出てきている。おそらく私が現役のうちに、国の財政破綻か諸外国との紛争により、戦後日本体制が崩壊し、その後の「国体」が大きく変わることはもはや不可避ではないか。

引き続き、職業人生を全うしながら、来るべき新しい時代に生き延びることができるよう準備をしていくのが、私の人生後半の課題だと思っている。

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2014年 新年目標

2014-01-04 23:02:29 | 日記
例年通り、昨年(2013年)の目標達成度の点検と2014年の新年目標を発表します。まずは昨年の総括から。

1.鉄道
12月27日付記事のとおり、未達成に終わりました。

2.その他
2010年に閉鎖に追い込まれた「汽車旅と温泉を愛する会」サイトの復活ができたのは成果でした。

続いて2014年目標です。

1.鉄道
全線完乗は、JR5線・その他5線、計10線区を目標とします。北海道に転勤となり、日帰り圏内の路線の完乗はすでに達成してしまったため、今年は昨年のようなペースでは行かないと考えます。

2.その他
今年は、新しい取り組みとして、ネット小説の執筆に取り組もうと思っています。構想は以前からあり、一部、執筆は始めていますが…。いずれ、公開できるようになったら、「汽車旅と温泉を愛する会」に順次、掲載していく予定です。

今後ともよろしくお願いします。

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管理人より新年のご挨拶を申し上げます

2014-01-01 17:09:44 | 日記
2014年を迎えるに当たり、管理人より新年のご挨拶を申し上げます。

昨年、当ブログは目標としていた福島脱出が成り、北海道へ本拠地を移しました。新たな生活を迎えた中での新年となりますが、依然として福島関係者とつながりも維持しています。その福島を中心に、東北では今なお14万人が避難生活のまま新年を迎えました。避難者の数は昨年の新年より2万人減りましたが、今なおこれだけの人々が避難先で新年を迎えています。「復興」とは名ばかりで、実際には被災者の切り捨てがいっそう進む厳しい現実があることを、改めて強調しておきたいと思います。

昨年、参院選での与党「勝利」により衆参ねじれは解消しましたが、国民と政府・国会とのねじれは拡大の一途をたどっています。議会制民主主義体制のままで本当に国民の望む政治が行われ得るのか、国会のあり方自体が問われるほどの深刻な事態といえます。

衆参ねじれ時代、「決められない政治からの脱却」をさんざん煽りながら、特定秘密保護法案の強行採決が行われると、今度は「数の横暴」「独裁」などと批判する無定見なメディアのあり方も、今年は厳しく問わなければならないと思います。当ブログの役割は今年、ますます大きくなることはあれ、小さくなることはありません。特定秘密保護法は成立しましたが、当ブログが萎縮することはありません。萎縮すれば権力の思うつぼであり、声を上げることが暴走権力の空洞化につながる力になります。昨年以上に、今年は「闘うブログ」を目指したいと思います。

ここ数年は毎年、同じことを繰り返しているような気がしますが「今年も昨年より厳しい年」になります。当ブログのキャッチフレーズにもあるように、2014年も昨年までと同様、「1%のための世界から99%のための世界へ」を目指していきたいと思っています。引き続きご支援をよろしくお願いいたします。

なお、新年目標は、後日、改めて発表します。

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今年1年お世話になりました

2013-12-31 21:31:17 | 日記
今年も残り数時間となりました。当ブログ管理人は携帯回線を使ってインターネットにアクセスしており、年越し前後は回線が混雑するおそれもありますので、ここでご挨拶を申し上げます。

内外ともに激動の2013年も終わろうとしています。引き続き厳しい年になると思いますが、当ブログおよび関連サイトをよろしくお願いします。

では、よいお年をお迎えください。

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