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【週刊 本の発見】『超電導リニアの不都合な真実』

2023-07-06 23:21:14 | 書評・本の紹介
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

「不可能なものは不可能。中止一択」とわかる画期的な1冊~『超電導リニアの不都合な真実』(川辺謙一・著、草思社、1,700円+税、2020年12月)評者:黒鉄好

 2020年12月の発売直後に買っていたが、今回、レイバーネットTVでリニア中央新幹線を特集するにあたり、予備知識を持っておかねば、と慌ただしく読んだ。本書を読破すれば、問われているのは世間一般で思われているような建設の「是非」ではないとわかる。そもそも技術的に不可能なのだ。

 本書が明らかにした事実は多岐にわたるが、さしあたり、最も深刻なのはリニアにとって致命的な「クエンチ現象」を克服できないまま今なお建設が続いていることだ。リニアは、電気抵抗がゼロになる「超伝導状態」を維持することで車体を地上10cmの高さに浮上させ、高速走行することができる。クエンチとは、この超伝導状態を維持できなくなる現象であり、完全に防止できる技術的めどは立っていないという。超電導技術自体はMRIなど医療現場で使われる機械にも導入されているが、クエンチはここでも起きている。ただし、固定した建物内で関係者が常時監視しながら対処できる医療機器と異なり、監視要員のいない場所を走るリニアでクエンチが発生しても対処する方法がない。クエンチ状態が長く続けばコイルが発熱し火災の恐れもある。山梨実験線ではクエンチは発生していないとするJR東海の「公式見解」に反し、実際には1999年に発生していたことは、地元紙「山梨日日新聞」でひっそりと伝えられた。

 川辺氏は、JR東海が実施している山梨実験線での試乗体験もしている。「揺れすぎて気分が悪くなった」「思ったほど揺れなかった」と試乗体験者の評価は二分している。揺れに関しての評価は主観的にならざるを得ず、私からこれ以上のコメントは避けるが、気圧の変化で耳がツンとなる現象が酷く、同乗した川辺氏の連れ合いは「二度と乗らない」と宣言した。浮上走行から減速し、ゴムタイヤで軌道に「着陸」する際に生じる飛行機のような「ドスン」という衝撃も、浮上式走行である以上完全には除去できない。利用者に優しいことが公共交通機関の最低限クリアすべき基準だとするなら、先入観のない体験試乗者がそのような判断を下すものは公共交通にふさわしくない。

 山梨実験線の延伸区間が単線で現在まですれ違い走行試験をしていないこと、磁気浮上式走行には不要なはずの電柱が同区間に建てられており、架線柱に転用可能なことから、JR東海はとっくにリニア方式をあきらめ、通常の新幹線方式に転換するつもりではないかと川辺氏は疑う。それが可能であることも、JR東海関係者の過去の証言を丹念に調べ確認している。

 最終章で川辺氏は(1)あくまでリニア方式で開業を目指す (2)通常新幹線方式に転換 (3)事業中止――の3つの選択肢を示した上で、事業中止が最も適切と結論づける。リニア方式は技術的に無理であり、通常新幹線方式への転換では政府が目指す3大都市圏連結(スーパー・メガリージョン)構想を達成できないため、消去法で事業中止しか残らなかった。技術的に不可能なものを不可能と言う――そんな当たり前のことがなぜこんなに難しいのか。そこに日本社会の病理を感じるが、リニアに限らず、屁理屈を並べて事業続行を目指す推進側に忖度なく中止を打ち出した著者の姿勢こそ私は高く評価したい。

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【週刊 本の発見】『武器としての国際人権~日本の貧困・報道・差別』

2023-05-04 23:29:57 | 書評・本の紹介
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

人権後進国ニッポンの赤裸々な実態!~『武器としての国際人権~日本の貧困・報道・差別』(藤田早苗・著、集英社新書、1,100円+税、2022年12月)評者:黒鉄好

 日本が人権後進国と言われるようになって久しい。しかし本書を読むと、ニッポンの人権後進国ぶりはそんな生やさしいレベルではすまないことがわかる。

 レイバーネットを日常的に読んでいる人なら、人権は生まれながらにして誰もが持ち、それを保障する義務を政府が負っていると理解しているだろう。しかし日本人の大部分が人権を思いやりと同レベルで捉えていることに、藤田さんは警鐘を鳴らす。人権は国家と個人の関係だが、思いやりは私人同士の私的関係に過ぎないからだ。

 特定秘密保護法をめぐって、国連特別報告者デイビッド・ケイ氏による訪日調査が2016年に行われたが、この過程では日本政府が一度は日程まで決まった調査受け入れを直前でキャンセルするという暴挙に出た。「日程まで決まっていてキャンセルするのは独裁国家くらいだ」と聞かされた藤田さんは「日本はもう放っておけない大変な国になりつつある」(本書P.71)との国際社会の雰囲気を忖度なく伝えている。人権問題を審査する第三者機関や、人権侵害に関する通報制度も、先進国なら存在して当然だが日本だけ設置していないと聞けば、たいていの日本人は驚くに違いない。

 このような日本の残念な状態を改善するため、藤田さんは国際法をもっと使うよう読者に助言する。日本が批准した条約に政府を従わせるだけでなく、国連機関や特別報告者に働きかけて勧告や報告を出させるなど、有形無形の圧力をかけ、日本政府が国際社会の意思に従わざるを得なくなるよう包囲していくことの重要性を説いている。

 法を犯す者を物理的に従わせるため、国家は軍隊や警察などの「暴力装置」を持つ。だが国連はそうした物理的な力を持たないことから、ウクライナを侵略したロシアのような国際法違反の国家に対して「お気持ち表明」しかできない――国際法に対してはこうした否定的な声も多い。だが、「暴力装置」のない状態で国際間紛争を平和的に解決する事例を積み上げていくことは、国際紛争を解決する手段として武力の行使を永久に放棄し、またそのための戦力も持たないと定めた憲法9条を持つ日本にとって責務でもある。

 多国籍企業のビジネスに伴う人権侵害に対する国際社会の目も厳しさを増しており、2022年には日本企業に対策を促す経産省のガイドラインも策定されている。国際法がここ数年、急速に注目度を増してきたことは喜ばしいが、私には別の側面も見える。反人権的な自民党による単独政権が70年近く続いた結果、日本の国内法はあらかた改悪され尽くし、もはや市民にとって戦える国内法はほぼ残っていない。使えるのは自民党の手の届かないところで決められる国際法くらい――そのような経過をたどった上での「脚光」だとしたら、素直に喜んでばかりもいられないのではないだろうか。

 著者の藤田さんは、英エセックス大学修士課程在学中に国際法に触れたことがこの道に進むきっかけとなった。究極の人権侵害である戦争・戦場を連想させる「武器」という単語をタイトルに入れることに難色を示したが、インパクトのある単語を入れたほうが売れると主張する出版社側に押し切られたと聞く。本書のタイトルをめぐっても、ビジネスと人権との間で水面下の激しい攻防があったことは、付記しておきたい。

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【週刊 本の発見】『ヤジと民主主義』

2023-03-03 20:25:51 | 書評・本の紹介
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

『ヤジと民主主義』(北海道放送報道部/道警ヤジ排除問題取材班・編、ころから、1,800円+税、2022年11月)評者:黒鉄好

 たかがヤジ、されどヤジ。私たちの住む場所が真の民主主義社会かどうかは、こんなときにこそはっきりする。

 2019年参院選で、自民党候補の応援演説のため札幌市を訪れた安倍晋三首相(当時)に向かって「安倍やめろ」「増税反対」などとヤジを飛ばした9人が警察によって強制排除された。警備に当たっていた道警警察官は、演説の進行に影響のない軽微なヤジを飛ばしただけに過ぎない市民の腕をつかんで強制的に演説会場から排除した。

 警察官職務執行法違反で北海道警が刑事告発されたが不起訴となる。検察審査会でも排除された市民の訴えは認められず、刑事責任追及の道は閉ざされたが、道警の責任を問う国家賠償訴訟に2人の「被排除者」が立った。

 国賠訴訟は、強制排除の場面を撮影したスマホ動画が証拠提出されたことにより原告有利に進んだ。道警は、警職法に基づく正当な排除だったというみずからの主張を裏付ける証拠を法廷にまったく提出できなかった。道警が裁判で提出した証拠は、あろうことか、ヤフーニュースのコメント欄に匿名で書き込まれた応援コメント(そのほとんどが自民党支持の「ネトウヨ」のものと思われる)だった。もちろん、そんな「証拠」は司法からはまったく相手にされず、1審・札幌地裁は2022年3月25日、道に賠償を命じる判決を言い渡す。ヤジを「表現の自由」と認める原告全面勝訴判決だった。原告は鈴木直道北海道知事に控訴しないよう求めたが、道は控訴。国賠訴訟は高裁に移っている。

 強制排除は多くのテレビカメラが回っている前で公然と行われた。2003年11月に発覚した道警裏金問題を内部告発した元道警警察官・原田宏二さんは、権力監視の使命を忘れた道内メディアは「なめられている」と苦言を呈する。原田さんが告発した道警裏金問題を北海道新聞は追及したが、この過程で傷ついた道新が道警と不自然な形で「手打ち」をして以降、道新は道庁、道警にまったく物を言わなくなった。事件の背景にはこのような地元メディアの劣化もある。今回、北海道放送(HBCテレビ)取材班がこの事件の入念な取材を続け、ドキュメンタリー番組の制作に続いて本書を出版したことは、メディア人としての反省があるとみずから告白している。

 本書では、2人の原告は実名、顔出しで堂々としているが、今回、私の政治的判断でここでの実名紹介はあえて伏せる。というのも、この国賠訴訟で道警が敗訴したことで思うような要人警護ができなくなったことが安倍元首相殺害の原因であるといういわれのない誹謗中傷が2人を対象に行われているためである。原告攻撃の先頭に立っているのが道見泰憲・北海道議会議員(自民)であるのはひときわ許しがたい。道見議員が安倍国葬反対派をツイッターで「黙ってろ」などと恫喝したこと、統一協会との関係を問われた際に「関わってるよ」と公然と開き直っていることを暴露しておこう。

 原告の1人は、国賠訴訟を通じ、闘いで権利を切り開く楽しさに目覚め、今は札幌地域労組の専従職員として働いている。同労組の鈴木一・副委員長がレイバーネットの会員であることも忘れずに紹介しておきたい。

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【週刊 本の発見】『東電役員に13兆円の支払いを命ず!~東電株主代表訴訟判決』

2023-01-06 20:43:46 | 書評・本の紹介
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

【週刊 本の発見】日本反原発運動史上最大の勝利をご覧あれ!

『東電役員に13兆円の支払いを命ず!~東電株主代表訴訟判決』(河合弘之・海渡雄一・木村結・編、旬報社、1,700円+税、2022年10月)評者:黒鉄好


 2023年初の「週刊 本の発見」は新年にふさわしく、元気の出る1冊から始めたい。2022年7月、東電元経営者4人に13兆3210億円という天文学的金額の弁償命令が出された東電株主代表訴訟の本である。

 1986年のチェルノブイリ原発事故をきっかけに、ミニ政党「原発いらない人びと」が結成され、1989年参院選では比例区に候補者を立てる。東京電力の株主運動がそこから続く息の長いものであることは本書を読むまで知らなかった。「日本の原発はチェルノブイリと違い危険な黒鉛は使っていない。絶対安全なので一緒にしないでほしい」とテレビで言い放つ御用学者たちの堕落、無反省ぶりを見て、次の大事故は日本かもしれないと危惧を抱いたのが高校生の頃だった。その小さな危惧は、四半世紀の時を経て現実となった。

 第5章「福島原発事故をめぐる東京電力物語」は、株主側代理人を務めた弁護士による対談形式となっており異彩を放っている。物語というタイトルだけ見ると小説のように感じられるが、この裁判で認められた事実を中心に、福島第1原発建設から事故に至るまでを歴史として描き出し、事故に立体感を与えている。

 この裁判を完全勝利に導いた決定打は3裁判官による現地進行協議である。朝倉佳秀裁判長らは、日本の裁判官として初めて福島第1原発の構内を視察。津波による浸水の恐れがある箇所の扉が防水構造になっていなかったことなどを直接見て確認している。

 第4章、第6章~第8章で詳述された膨大で多岐にわたる争点の中でも避けて通れないのは、国の地震本部が2002年に公表した三陸沖地震に関する「長期評価」である。朝倉裁判長は、地震学者の議論を経てこの長期評価がとりまとめられる際、事務局として気象庁から地震本部に出向した浜田信生氏などの重要人物を出廷、証言させている。同じように旧経営陣の責任が争われている刑事訴訟でも、検察官役の指定弁護士が浜田氏の証人申請をしたが認められなかった。刑事訴訟はこの18日に控訴審判決(東京高裁)を迎えるが、その内容次第では、朝倉裁判長の訴訟指揮の的確さが再び浮き彫りになる可能性がある。

 日本を代表する大企業の多くが本社を置き、良くも悪くも一極集中の象徴である東京では、企業統治は一大関心事だ。だからこそ東京地裁には商事部がある。今回の判決が東京地裁商事部の威信をかけたものであり、13兆円の弁償に仮執行(判決確定前の取り立て)の許可が付されたのも商事部の自信の表れであると、本書は暗にほのめかす。何かあれば巨額の弁償・賠償が待つと思うと気になって夜も眠れない――経営者にそう思わせることができたとき、初めて企業統治に生命力が与えられるのである。

 「40年に及ぶ弁護士人生のなかで、・・この日にあの法廷で胸にあふれた感動は最も印象深い」(本書P.52)と海渡雄一弁護士は述べる。儲けにならず、光も当たらず、負け戦が当たり前の人権派弁護士として半生を送ってきた人物にそう言わしめた珠玉の判決の全貌に本書でぜひ触れてほしい。福島県民に相談もなく決まった「原発フル活用」政策の全面転換めざして闘うすべての人びとにとって「栄養価」の高い本である。

(※評者による東電株主代表訴訟判決の報告記事も参照)

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【週刊 本の発見】『国鉄-「日本最大の企業」の栄光と崩壊』

2022-11-04 23:42:55 | 書評・本の紹介
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

鉄道開業150年に送り出した「歴史書」
国鉄-「日本最大の企業」の栄光と崩壊』(石井幸孝・著、中公新書、1,100円+税、2022年8月)評者:黒鉄好

 元国鉄官僚であり、分割民営化後はJR九州初代社長を務めた石井幸孝(よしたか)氏が、日本の鉄道開業150年に送り出した著書である。「改革」から30余年を経て再び危急存亡の時を迎えつつあるローカル線をはじめ、貨物輸送、整備新幹線・並行在来線、リニアから安全対策、労使関係に至るまで、JR固有と思われている問題のほとんどは国鉄時代にその萌芽がある。歴史に「もし」は通用しないが、国鉄のままであればこれらの問題は避けられていたか? 私の答えはノーである。JRではなく「今さら国鉄を論じる」ことの重要性はこの点にある。

 国鉄「改革」への賛否という政治的立場を越え、確認しておかなければならないのは、本書における事実関係の正確、広範、詳細な記述である。国鉄発足の経緯に始まり、組織、予算、権限の変遷や国鉄を取り巻く事件・事故など、鉄道研究者の間でエポックとされるものは網羅されている。特に、第4章「鉄道技術屋魂」と第6章「鉄道貨物の栄枯盛衰」は圧巻だ。当時を知る人物の多くが鬼籍に入る中で、技術系幹部であった著者にしか書けないと思う。これらは後世の鉄道研究者の検証にも耐える優れた内容といえる。

 一方で、政治的立場の違いからどうしても私には受け入れがたい内容もある。JRグループに光と影の両面があり、JR北海道や四国の経営危機を「影」としている点は良いとして、国鉄改革を全体としては「成功」としていること、史上最強といわれた国鉄労働運動にとって栄光である現場協議制を「職場荒廃の原因」と断じていることなどはその典型である。国鉄経営悪化の原因を著者が公共企業体制度に求めていることもそのひとつである。総じて国鉄が戦争と戦後復興、高度経済成長という激動の時代に翻弄された側面が強く、他の形態なら経営悪化を避けられたとまで断言するほどの自信は持てない。

 2019年、私は札幌市で開催された石井氏の講演会に参加したことがある。JR北海道が「自社単独では維持困難」10路線13線区を公表、一部区間をめぐって沿線自治体と協議入りして3年近くが経過していた。1932年生まれの石井氏は当時すでに87歳。JR北海道の路線問題を重大局面と認識しており、自身の存命中に解決に向けた糸口だけでも提供しておかなければならないという彼なりの危機感が見えた。

 本書でも展開されている「新幹線貨物列車」による高速物流網構想などは、このときの講演でも述べられている。鉄道史研究者であれば、東海道新幹線が当初、客貨両用として計画されていたこと、途中まで建設された新幹線貨物駅の遺構がつい最近まで残されていたことは知っているだろう。未曾有の少子高齢化でトラック運転手不足は深刻さを増しており、新幹線貨物列車構想はいつ息を吹き返してもおかしくないといえるのである。

 国鉄改革をめぐって、私にとってはいわば「敵方」であった国鉄幹部だが、改革派の中心的存在ではなく、民営化後は九州の鉄道を創意工夫で楽しくするなど貢献も果たした。鉄道ファンとしては憎みきれない人物が石井氏である。これほどの規模で国鉄を論じきった著書はこれが最後になると思う。JRの「影」に対する今後の対策にも不十分ながら言及している。国鉄「改革」賛否の立場を越え、読む価値のある著書と評価する。

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【週刊 本の発見】『検察審査会~日本の刑事司法を変えるか』

2022-09-01 20:08:44 | 書評・本の紹介
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

〔週刊 本の発見〕縁の下の力持ちに光を当てる 『検察審査会~日本の刑事司法を変えるか』(デイビッド・T・ジョンソン、平山真理、福来寛・著、岩波新書、860円+税、2022年4月)評者:黒鉄好

 本題に入る前に、まず検察審査会の説明から始めなければならない。検察官が行った不起訴処分について再考を求め、時にはみずから強制起訴にもできる権限を持った組織で、地方検察庁(地検)のある全国各地に置かれている。有権者名簿の中から無作為抽出された11人の審査員で構成される。

 戦争反対者を弾圧した戦前の思想検察の解体・民主化を進めようとするGHQは、当初、検察官公選制の導入を試みた。だが、当然ながら司法官僚の激しい抵抗に遭う。最後は、過半数の審査員の賛成で「不起訴不当」議決を出せるが、議決には強制力がないというところまで骨抜きにされてしまう(この歴史的経緯は、黒川検事長問題についての拙稿を参照されたい)。

 転機が訪れたのは2009年。司法制度改革の一環として、審査員の4分の3(8人)以上の賛成で「起訴相当」の議決が出せるようになった。起訴相当議決後、検察が再び不起訴にしても、「起訴相当」の議決が再び出れば、事件は強制起訴となり刑事裁判が始まる(起訴議決制度)。お飾りだった組織に新たな力が与えられることになった。

 本書は、被害者や市民が厳罰を望んでいるのに不起訴になる実例が特に多い分野として企業ホワイトカラー犯罪(企業幹部の経営判断上の過誤によって起きる事件事故)を挙げている。過失と結果(事故、不祥事など)との因果関係の証明が難しく、世界共通の課題だという。日本におけるこのような企業ホワイトカラー犯罪の事例として、多くの人々が真っ先に思い浮かべるのはやはりJR福知山線脱線事故、東京電力福島第1原発事故であろう。

 本書は「いったん起訴されれば有罪率99%」といわれる日本の刑事司法制度問題の背景に、確実に有罪にできる事件しか起訴に持ち込まない検察当局の姿勢があるとしている。それゆえに「本書では、無罪判決が出たからといって、検察審査会による起訴判断が間違っていたことにはならない点を示すつもりである」(序文)としているが、評者が見る限り、本書のこの目的は実現しているといえる。

 評者は、JR福知山線脱線事故の強制起訴裁判に関わり、東京電力福島第1原発事故の強制起訴裁判には今なお関わっている。福島原発事故をめぐる裁判では、東京地検は強制捜査を行わなかった。行われたのは任意の事情聴取、資料提出のみである。しかしその過程で集められた膨大な証拠は法廷に提出され、隠されていた多くの事実が明らかになった。国会、政府、民間、東電と4つの事故調査委員会が作られ、報告書も出されたのに、今ではそれに誰も目を向けないほど、刑事裁判は多くの事実を明らかにしたのである。

 最近では、企業犯罪に関しては検察を当てにせず、検察審査会を通じて強制起訴を勝ち取り、真相究明すればよいというムードさえ市民の間では出てきている。次に注目されるのは、1回目の起訴相当議決が出た関西電力の不正マネー還流事件だろう。その専門性、特殊性から本書は決して万人向けとはいえないが、検察審査会が市民司法として明らかに影響力を増しつつある今日だからこそ、1人でも多くの市民にお勧めしたいと思う。

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【週刊 本の発見】日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす

2022-07-07 21:07:28 | 書評・本の紹介
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

【週刊 本の発見】やはりあれは事故ではなく「事件」だった

 『日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす』(青山透子・著、河出書房新社、1,650円+税、2020年7月)評者:黒鉄好

 毎年、夏が来ると「御巣鷹」を思い出す。事故から37年も経つのに、運輸省航空機事故調査委員会(事故調)の当時の結論である「圧力隔壁崩壊説」に今なお納得していない人はおそらく数万人単位でいると思う。その事故調の「公式見解」に真っ向から挑んだ「過去最大級の問題作」である。

 著者・青山さんは元日航客室乗務員。事故で奇跡的に生還した4人のうちの1人で、「ダッチロール」の言葉とともに日本中に報じられた客室乗務員と同じグループに属していた経験から独自の原因究明活動を続けてきた。

 青山さんが外務省への情報公開請求で得た資料には驚くべき事実が記載されていた。事故わずか2日後の1985年8月14日付けでレーガン米大統領から中曽根康弘首相(いずれも当時)に送られた文書に、外務省職員が「日航機墜落事件に関するレーガン大統領発中曽根首相あて見舞いの書簡」と手書きしている。事故10日後、1985年8月22日付けの別の書類でもやはり公文書の件名が「JAL墜落事件(レーガン大統領よりの見舞電に対する総理よりの謝電)」と記載されている。公文書の件名は、特に慎重な検討を経て、上層部の決裁を受けて決められる。外務省上層部も「事件」と認識していたのだ。

 事故報告書の「別冊」に当たる「航空事故調査報告書付録――JA8119に関する試験研究資料」にも、1985年8月12日午後6時24分35.07秒に「異常外力」が発生したとの驚くべき記載がある。それはまさに「ドーン」という異常音がボイスレコーダーに記録されているのと同じ時間だ。垂直尾翼のほぼ中央部、異常外力が発生した場所を「異常外力着力点」として図示までしている。この日、ここで何らかの異常外力が発生したことが公文書で示されている。

 青山さんは直接事故原因と断定していないが、「圧力隔壁説否定派」が123便に衝突したと主張する「謎のオレンジ色の物体」として自衛隊の無人標的機「チャカII」の写真が巻頭カラーで掲載されている。国が関係文書の公開に応じないため証拠はないが、圧力隔壁より垂直尾翼が先に壊れたとする説に立てば、墜落現場の特定が難航したことなど、当時の不可解な出来事の多くを論理的に説明できる。事故調報告肯定派は自衛隊関与を「陰謀論」と切って捨てるが、事故調が正しいと思うなら相模湾沖に沈んでいるとわかっている垂直尾翼の引き揚げをなぜ国に求めないのか。知床遊覧船だって国費で引き揚げたのだから、できない理由などないはずだ。

 青山さんは今、遺族のひとり、吉備素子さんらとともに「日航123便墜落の真相を明らかにする会」を結成し、国に情報公開を求める活動を続ける。実を結ぶためには、全国からの支援が必要だ。

 余談だが、安全問題研究会のブログで本書を紹介した直後、記事に不満を持つ匿名の人物から、私宛に記事のアドレスとともに「死ね」というメールが送られてきた。この事故、いや「事件」の裏にはやはり何かがある。

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参院選に向けて~「戦後日本の対米従属と官僚支配~「特別会計」体制」を読む

2022-06-27 23:29:05 | 書評・本の紹介
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」に発表した記事をそのまま掲載しています。)

森健一さんのこの本は、厚さこそ160ページだが、およそこの100年に起きたあらゆる出来事が記載されており、政府に都合のいいことしか書かれていない「検定教科書」などよりよほどためになる知識が詰まっている。800ページにも及ぶ大作として送り出された「戦後史のなかの国鉄闘争」も併せ、改めて森さんの博覧強記ぶりに驚かされる。

本当はもっときちんと読み込んでから書評を書くべきなのだろう。だが、「本書は、2022(令和4)年7月10日に投開票される第26回参議院選挙に向けて書かれている」(はじめに)と森さん自身が記述しているとおり、参院選前に書評をしなければ意味がないので、エッセンスだけでもご紹介し、参院選に向けて私たちがどのように行動すべきかをまとめてみたい。

森さんは、本書の中で、戦後、官僚の「隠し財布」「隠し財源」といわれてきた国の「特別会計」制度からあらゆる形で利権が流し込まれた結果、有権者の25%が自民党の岩盤支持層に育ってきたという仮説を立て、それを検証するため、膨大な「戦後史の証言」を集めている。

特別会計制度については、小泉政権当時の塩川正十郎財務相の「母屋でおかゆ、離れですき焼き」という発言が比較的知られる。母屋(一般会計)では金がなくておかゆをすすっているのに、離れ(特別会計)ではすき焼きを食べているとして、官僚の隠し財布となっている特別会計制度の問題を指摘し、話題になった。

特別会計とは、国の特定の事業について、収支を可視化するため一般会計とは別に区分される予算のことだ。特徴的なのは、一般会計を財務省が所管するのに対し、特別会計はその事業を担当する省庁の所管となることである。例えば、社会資本整備特別会計は国土交通省所管。様々な原発関係交付金の原資になっているエネルギー対策特別会計のように、経産省、文科省、環境省の3省庁にまたがるものもある。これは、エネルギー対策特別会計予算の中でも商業目的のもの(電力会社など)は経産省、研究開発目的のもの(日本原子力研究開発機構=旧動燃など)は文科省、廃棄物処理や環境対策は環境省と、縦割り行政になっているからである。事業を担当する省庁が直接所管するため、財務省が口出しできず、聖域としてばらまき的無駄遣いがたびたび問題とされてきた。

一般会計予算は、形骸化が指摘されているが、一応は国会(予算委員会)で審議の対象となる。国会で審議されるのは、予算書の中の「項」の区分までであり、「目」以下は各省庁が財務省と協議して振り分けている。また、国会議員の中で予算書を本当の意味で読みこなせている人がどれだけいるかは心許ない。それでも国会で審議され、テレビ中継されること自体に意味があるし、細かい区分など知らなくても、国会では予算の規模や使い道、事業の妥当性などを質すことができる。ところが、特別会計に関してはほとんど闇の中で、審議らしい審議はされていない。

こうした特別会計は、最盛期には30を超えていたが、最近は整理が進んで十数会計にまで減った。民主党政権当時に大きな話題になった道路特定財源も、当時は道路整備特別会計という国交省官僚の隠し財布だったが、一般財源化された。毎年2兆円近くあった道路財源も、今では1兆円程度にまで減っている。

だが、本書を紐解くと、「特別会計の数も予算額も減り、国の予算は透明化した」などという御用経済学者の説明が全くの嘘であることがわかる。実際は、国の機関の独立行政法人化、政府系金融機関への資金運用委託など、特別会計の「民営化」が進んだ結果、膨大な国の資金の運用は昔以上に不透明になり、見えなくさせられている。国会でろくな審議が行われなくても、特別会計として国家予算の体裁を取っていれば、予算の専門家である会計検査院の検査が定期的に入るが、政府系金融機関などの民間企業は、出資金の半分以上が政府からのものでない限り、会計検査院も定期検査はできないのである(会計検査院法第22条5号)。このような、国会の目も会計検査院の目も届かないところから、公共事業や補助金を通じて政府資金が不透明な形で流れ、有権者の25%に及ぶ自民党の岩盤支持層が形作られているというのが本書のポイントである。

本書に登場する1つ1つの証言は、それだけでは「森説」を裏付ける根拠としては若干、弱いようにも見える。しかし、1つ1つは「弱い証拠」にすぎなくても、これだけたくさん集まると重みを持って迫ってくる。これだけ多くの証言が集まるということは、人の一生に相当する戦後80年という長い時代の中で、それだけ多くの人が同じように感じていることを意味するからである。

この本を手にした人は1つの疑問を抱くであろう。「自民党が支配維持のため岩盤支持層を築く必要性は理解するとしても、それがたったの4分の1で達成可能なのか?」という疑問である。

私が本書を斜め読みする限りでは、「なぜ4分の1なのか」についての説明は見つからなかった。だがこれに関しては、実は海外に興味深い類似例がある。「北朝鮮データブック」(重村智計・著、講談社現代新書、1997年)によれば、朝鮮民主主義人民共和国では、朝鮮労働党への「忠誠度」を基に、国民を「核心層」(忠誠度の高い岩盤支持層)、「動揺層」(社会情勢次第でどちらに転ぶかわからないと党中央が判断している中間層)、「敵対層」に分けて意図的に分断しているという。重村によれば、比率は「核心層」3割、「動揺層」5割、「敵対層」2割である。

北朝鮮における「核心層」3割という数字は、森さんが主張する自民党の岩盤支持層25%にきわめて近い。また北朝鮮での「動揺層」5割も、日本での無党派層(世論調査のたびに「支持政党無し」と答える層)45~50%程度と近い数字である。北朝鮮での「敵対層」2割も、日本における左翼・リベラル層の数字がこれくらいと考えれば、驚くほどよく似ていると言えるだろう(余談だが、安倍元首相が自分に批判的な左翼・リベラル層を「こんな人たち」に負けるわけにいかないと発言して物議を醸したが、安倍元首相が私たち左翼・リベラル層を「敵対層」とみなしているなら、日本と北朝鮮はまるで双子のようにそっくりである)。

一党独裁か、それに近い政治体制が取られている国で、国民の半分が政治的無関心を決め込んでくれている場合、支配政党に忠実な層が国民の中に3割もいれば、十分統治可能であることを、北朝鮮の例は示している。世論調査のたびに「支持政党無し」と答える約半数の有権者が「選挙に行っても何も変わらない」と考え棄権することで、本当に何も変わらなくなってしまうのである。

 ●私たちはどう行動すべきか

残念ながら、2割程度に過ぎない「敵対層」の私たちがいくら頑張ったところで「核心層」(自公政権)を倒すことはできない。参院選で改憲を阻止するためには、寝た子ならぬ「寝た無党派層」を起こさなければならない。このところずっと選挙に行ってないという人が身近にいたら、立憲野党への投票を働きかけてほしい。

自民党の岩盤支持層は4分の1、25%。私たち「敵対層」も2割で少し負けているだけに過ぎない。無党派層の1割程度を起こすことができれば立憲野党にも勝ち目がある。そのことは、先日の杉並区長選でも証明されている。

参院選は、衆院選と違って政権選択選挙ではないが、もし、与党を過半数割れに追い込み「ねじれ国会」を再現できたらいろいろなことが可能になる。自公政権に挑戦するような法案を、参院先議で提案することができるようになる。国会の同意が必要な政府関係機関のいわゆる「同意人事」は、衆参両院の同意がなければならないため、参院が拒否権を発動することもできるようになる。

会計検査院には、国の予算が投じられている事業に関し、国会からの要請があれば特別検査を行うことができる権限があり、そのための専門部署(第5局)まである。この「特別検査要請」は衆参どちらか一方の院だけで発議可能なので、例えば「アベノマスク」「コロナ給付金」「東京五輪」など、国民的関心が高そうな分野から、検査要請を出して不透明な政府資金の解明を行わせることもできる。民主党政権成立前夜の「ねじれ国会」の時期には、実際にこのような多くの検査要請が参院によって行われた。参院に国会の持つチェック機能が戻ってくるだけでも、やりたい放題の政府与党に対する牽制になる。特別会計をはじめとするヤミ資金にメスを入れるため、日本版「動揺層」「敵対層」の有権者の中から、森さんの問題提起を受け止め行動する人が1人でも多く出てくることに期待している。

(文責:黒鉄好)

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【週刊 本の発見】『多数決を疑う~社会的選択理論とは何か』

2022-05-10 23:14:43 | 書評・本の紹介
 (この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

 『多数決を疑う~社会的選択理論とは何か』(坂井豊貴・著、岩波新書、720円+税、2015年4月)評者:黒鉄好

 レイバーネットに日常的に接している人の中には、長い人生で「一度も多数派になんてなれたことがない」という方や、それ以前に「自分は明確にマイノリティであり、多数派になりたくてもそもそもなれない」という方も多いだろう。そんな人たちを含む多種多様な人たちを漏れなく包摂していく社会はどうしたら作れるのか。モヤモヤを抱きつつも、解決策がないままあきらめを抱いている人は本書を手にとってほしい。

 著者・坂井は「政治家や有権者が悪いのではなく、多数決が悪い」と指摘する。多数決を「他の方式と比べて優れているから採用されているわけではない」として「文化的奇習」とまで言い切る。多数決を当然の前提として、野党共闘でどう自民党と闘うかという思考から抜け出せないでいる「反自民陣営」をも、坂井はひらりと飛び越えていく。

 坂井は、現行制度に代わるものとして、ボルダルールなどいくつか世界で採用例のある意見集約ルールを紹介する。ボルダルールとは、例えば5人の候補者がいる場合、1位としたい候補者に5点、2位に4点……というふうに点数付けをし、最下位を1点とする。有権者が付けた合計点を算出し、定数3の選挙区の場合、上位3人を当選とする。スロベニア(旧ユーゴスラビアから独立)が採用している。

 ボルダルール以外にも、様々な意見集約ルールがある。坂井がそれらに基づいて試行すると、すべて異なる結果が導き出された。民意などというものが「本当にあるのか疑わしく思えてくる」(本書P.49)。あるのは意見集約ルールが与えた結果のみなのではないか――坂井が導き出した大胆な結論である。

 現在の小選挙区制も「政権交代可能な二大政党制を作り出す」という目的を持って行われたことを想起されたい。目的が初めにあり、そこに向かっていくために意識的に意見集約ルールを変える。「改革」は狙い通りの結果をもたらすどころか、自民1強という最悪の結末を生んだ。

「現行制度が与える固定観念がいかに強くとも、それは幻の鉄鎖に過ぎない」と本書はいう。そもそも労働者は鎖の他に失うものはなく、人が作ったルールは変えられる。小選挙区制はもちろん、多数決自体を疑ってみよう。今までと違う新たな光景が見えるに違いない。

 本書の第5章では、坂井が関わった東京・小平市の国道328号線問題が突如として登場する。政策決定過程に一般市民がまったく関われないことを問題視し、市民が行政の決定過程に民主的に関与する道を開くべきだという指摘は当然すぎ、重要である。だが社会的選択理論を主題とする著書に唐突にこの問題を紛れ込ませているのには違和感がある。これはこれで十分、1冊の本にするだけの重要問題だと思うので、本書からは独立させ、別書として論じるべきではないだろうか。

 だが、その点を割り引いても、本書は「多数決がすべてではない」との希望を読者に与えてくれる。多くの人に読まれるべき好著との評価を変える必要はない。

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【週刊 本の発見】少女の澄んだ瞳が見た福島原発事故後10年の記録/『わかな十五歳 中学生の瞳に映った3・11』

2022-03-03 19:00:58 | 書評・本の紹介
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

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わかな十五歳 中学生の瞳に映った3・11』(わかな・著、ミツイパブリッシング、1,700円+税、2021年3月)評者:黒鉄好

 著者・わかなさんは、福島県伊達市に住む中学3年生の時に福島原発事故に遭った。それまでは親の敷いたレールの上を、いい子の仮面をかぶって走るのがいい人生だと信じてきた。そんな虚構を打ち砕いたのが3.11だった。この世で最も大切なのは「命」のはずなのに、親も教師も友人も自分自身をごまかし、命より他のものを上位に置き、平気で天秤にかける。その矛盾に心を苛まれ、わかなさんは何度も死を思ったと告白する。

 この葛藤は多くの福島県民に共通のものだ。震災死者数は岩手県5,145人、宮城県10,567人、福島県3,920人と東北太平洋側の被災3県の中で宮城が半数を占める。だが震災「関連死」は岩手県470人、宮城県929人に対し、福島県は2,319人で福島が3分の2を占める。自死や孤独死が大半だと思われる。先の見えない辛さ、それまでの人間関係を中心とする「社会関係資本」の喪失が、被災者の心理に大きな影響を与えるのだ。

 2011年3月11日はわかなさんの卒業式だった。望んでいた福島県内の高校にせっかく合格したのに、自分の意思で避難を決めたわかなさんは山形県の高校に編入となる。山形も放射能汚染されているはずなのに、編入先の高校の生徒たちが他人事で、福島を外国での出来事のように見ていることにショックを受ける。この高校生活が「暗黒の3年間だった」とわかなさんは言う。

 高校の友人の助言で、ツイッターに思いを吐き出すようになると、心配してくれる人の多かったのが北海道であり、移住への希望が募る。短大生の時、山形の自宅を出て北海道に移住。自分の気持ちに蓋をしようとして壊れてしまった多感な思春期は、それでも自分に正直に生きようと決めた今、貴重な準備期間だったとわかなさんは振り返る。

 読み終わった瞬間、痛みを感じる。著者わかなさんの純粋さが、大人たちのどんな小さな心の欺瞞も容赦なく撃ち抜くからだ。「嘘や、不正や、隠ぺいを野放しにしてきた積み重ねが、原発事故を招いた」(本書P.92)との指摘に評者は全面的に同意する。評者もまた各地に講演に招かれるたびに同じことを主張してきたからである。

 評者の政治上の師であった国労闘争団の故・佐久間忠夫さんは「14歳の時国鉄に入り、戦争が終わった。昨日まで軍国主義を唱えていた教師が無反省に民主主義に変わるのを見て大人を信じられなくなった」と、生前よく語っていた。わかなさんの澄んだ瞳にもそれと同じものを感じる。昨日まで信じていた価値観が目の前で崩れ落ちた77年前の焼け野原。2011年3月の福島も、日本にとって第2の敗戦なのだ。

 大人を信じず、自分の頭で考える人々が戦後民主主義の礎を築いた。77年後の今、私たちは再びスタートラインに立たされ、試されている。わかなさんは自分に正直に生きることを、読者はじめ他者へも求める。日本、そして日本人が壊れ墜ちた民主主義を再建できるかどうかは、どれだけ多くの人がいわゆる「大人としての分別」を投げ捨てられるかにかかっている。

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