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トランプ当選、英国EU離脱の背景にある「ポスト真実」 トップランナーの日本はどう抗うのか?

2017-02-25 11:31:36 | その他(海外・日本と世界の関係)
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2017年3月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 昨年――2016年は、政治、経済、社会、あらゆる意味で世界史の転機となった年だった。とりわけそれは、英国の国民投票によるEU(欧州連合)からの離脱決定と、米大統領選におけるドナルド・トランプの当選として明瞭に現れた。際限のない「自由競争」に死ぬまで駆り立てられ続けるグローバリズムによって疲弊した人々の怒りが既存政治をなぎ倒した瞬間だった。

 同時にそれは、テレビや新聞などの既存メディアの敗北として語られた。英国のEU離脱もトランプ当選も、既存メディアに誰ひとりそれを予想できた者はいなかった。否、「そんな予想なんてしたくもなかった」というのが本当のところだろうと本稿筆者は想像しているし、メディア人におそらくは共通のものであろうと思われるそうした心情には筆者も大いに共感できる。何しろ筆者自身、「軍産複合体の代弁者であるヒラリー・クリントンでも、差別排外主義者のトランプよりはましだ」として、クリントン当選に「仕方なく期待をかけていた」自分がいたことに、選挙後、気づかされたからである。

 しかし、当たり前のことだが「自分がこうなってほしいと願っていること」と「現実にこうなるであろうということ」とは本来、別問題である。予想屋の仕事が後者を正確に言い当てることだとすれば、大半の既存メディアが敗北したのは後者ではなく前者をあたかも自分の予想であるかのごとく語ったことにその原因を求められる。

 従来の常識を覆すような出来事に連続的に遭遇すると、人はしばしば正常な判断ができなくなる。トランプの当選以降、欧米諸国で広く使われるようになった言葉のひとつに“Post truth”(ポスト真実)がある。ポストとは直訳すれば「~後」を意味する英語の接頭語であり、「真実の後に来るもの」を象徴的に表現するものとなっている。

 大統領就任式に詰めかけた人々の数は、オバマ政権発足時の方がはるかに多かったにもかかわらず、「自分の就任時が史上最高だ」とウソを垂れ流すトランプ氏。客観的真実はまったく異なるのに、自分にとって心地のよいだけの真実ではない言説をあたかも真実のように信じ切り、真実として流通させていく政治家の軽い言動が、ポスト真実として批判的検証にさらされるようになったことは暗闇に差した一筋の光明というべきだろう。

 しかし、筆者はこうした欧米諸国での動きについて「何を今さら」とでもいうべき奇妙な既視感を覚える。日本ではこうした光景は「ネトウヨ現象」として、10年前からすっかりおなじみのものだ。その心地良さに最高指導者、安倍首相までがとりつかれている。いつの間にかネトウヨの攻撃によって従軍慰安婦も南京虐殺も集団自決も教科書から消え、「なかったこと」にされてしまった。このままでは、いずれ福島第1原発事故もなかったことにされてしまうであろう。

 政権、権力にとって都合の悪い出来事は、たとえそれが客観的事実であっても白昼堂々と消されてしまう――社会の隅々にまで浸透した「ウソと偽りの大量生産」は、徐々に日本の政治、経済、社会のあらゆる領域をむしばみ始めている。この分野では、恥ずかしいことに日本こそが他の追随を許さないほどの圧倒的大差で世界のトップを走っている。

 日本より10年遅れて世界を席巻し始めた「気分を悪くさせる真実よりも心地よいウソの時代」はなぜ生まれてきたのか。その背景にいかなる思想的、文化的、社会的背景があるのか。他の分野ではことごとく国際社会に立ち遅れている日本が、この恥ずかしい分野でだけ他の追随を許さないほどの「トップ独走」状態になっている背景に何があるのか。それを検証・分析し、「ウソの時代」に抗う方法を考察することが本稿のテーマである。

 ●ウソを言える者ほど出世する?

 『大衆の支持を得ようとするなら、彼らを欺かなければならない。……大衆は、小さなウソよりも大きなウソのほうを信用する。なぜなら彼らは、小さなウソは自分でもつくが、大きなウソは恥ずかしくてつけないからである』『大衆は冷めやすく、すぐに忘れてしまう。ポイントを絞り、ひたすら繰り返すべきである』。

 これはヒトラーの言葉である。また、1980~90年代にかけて当時の若者に人気を博したTHE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)の1993年のヒット曲「うそつき」の歌詞の中にこんな一節がある。

 『100億もの嘘をついたら今よりも/立派になれるかな 今までよりずっと/100億もの嘘をついたら今よりも/楽しくなれるかな 今までよりずっと/嘘がホントになる ホントが嘘になる/歴史のその中でホントが言えるかな/下手な嘘ならすぐばれて寂しくなっちゃうよ/せめて100年はばれないたいした嘘をつく』。

 ウソをたくさん言う者ほど社会的地位を獲得する。ウソを一度つき始めると、楽しくてやめられなくなる。本当のこと、事実を主張することには、時として危険や困難が伴う。大きなウソのほうが検証する方法がないから、長い期間にわたって信用される――。ウソというものの本質を鋭く突いている。この歌詞を書いたザ・ブルーハーツの真島昌利さんはなかなかの慧眼、そしてロック精神の持ち主だと思う。

 何が真実かが歴史の中で流転することもある。その歴史は強者、支配者が作り出す。弱者、「小さき者」の声はかき消され、歴史の中に埋もれてゆく。市民運動・社会運動が、しばしば歴史の中に埋もれてしまった支配者にとって「不都合な真実」を掘り起こし、告発する闘いの様相を呈するのはこのためだ。暗く苦しいものだが、それでも誰かが取り組まなければならない闘いであることも事実である。

 そうした小さな闘いが日夜、日本のあちこちで繰り広げられている。ウソと偽りに覆われ尽くした日本社会に差すわずかな光明というべきだろう。この光を決して絶やすことがあってはならない。

 ●東浩紀の「予言」

 それにしても、なぜこんなことになってしまったのだろうか。

 実は、こうした時代がいずれ来ることを、2001年の段階で早くも予言している人物がいた。東浩紀だ。「自由な言論好きの人々が集う喫茶店」である「ゲンロンカフェ」(東京・五反田)の主宰者。批評家・思想家として紹介されることが多い。筆者と同じ1971年生まれで今年46歳になる。

 東の代表的著作に「動物化するポスト・モダン」(2001年、講談社現代新書)がある。漫画・アニメ・ゲームなどのオタク文化に造詣の深い東が、オタク文化を通した社会評論を展開しているものだが、その論評の対象はオタク文化にとどまらず、思想、政治、文化など幅広い領域に及んでいる。

 東は、思想・哲学・イデオロギーのように、広範な大衆の動員を可能とする価値体系を「大きな物語」と呼び、この物語が社会のあらゆる領域を支配していた20世紀初頭から中盤にかけての時代を近代社会とする前提条件の下で評論を始めている。資本主義陣営と社会主義陣営が世界を二分して対峙した東西冷戦は「大きな物語」同士の正面衝突であり、東の認識に従えば近代社会のピークであった。日本でも、この冷戦を反映し、55年体制が成立。社会党がプロレタリアート独裁を掲げる一方、自民党の党歌「われら」は『我らの国に我らは生きて/我らはつくる 我らの自由』と、一党独裁への対抗意識を歌い上げている。

 しかし、社会主義陣営の停滞などを契機として、「大きな物語」が次第に大きく揺らぎ始める。スロベニア(当時は旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国を構成する共和国のひとつだった)出身の社会学者、スラヴォイ・ジジェクは、連邦がまさに崩壊につながる血みどろの内戦に入ろうとしていた89年、「イデオロギーの崇高な対象」を著した。ジジェクはそこで、社会主義イデオロギーの虚構性について次のように記している。

 『私たちはみな、舞台裏では荒々しい党派闘争が続いていることを知っている。にもかかわらず、党の統一という見かけは、どんな代価を払ってでも保たれねばならない。本当はだれも支配的なイデオロギーなど信じていない。だれもがそこからシニカルな距離を保ち、また、そのイデオロギーをだれも信じていないということをだれもが知っている。それでもなお、人民が情熱的に社会主義を建設し、党を支持し、云々という見かけは、何が何でも維持されなければならないのだ』。

 ジジェクがこのように観察していた祖国の支配政党、ユーゴスラビア共産主義者同盟は、血で血を洗う凄惨な内戦の末に解体したユーゴスラビア社会主義連邦共和国と運命を共にした。ナチスに抵抗してパルチザン戦を戦い抜き、ソ連軍突入を待たず自力で祖国をファシズムから解放した偉大な党。ソ連の干渉を排除し、コミンフォルム(欧州共産党・労働者党会議)から除名処分を受けながらも、労働者自主管理社会主義という新たな試みにチャレンジした党。「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、そして1人のチトー大統領によって成り立っている」といわれたモザイク国家、ガラス細工のように脆弱な連邦国家を、チトー亡き後は連邦の執行機関である連邦幹部会の議長職に輪番制(6つの共和国が1年交替で連邦幹部会議長を担当し、6年で一巡)を導入するなどの絶妙な知恵とバランス感覚で束ねてきた党とは思えない末路だった。

 社会主義陣営がイデオロギーという「大きな物語」を見かけ上、維持するために、党の結束を演出していた時代は、また大きな物語を維持する勢力とそれを打倒しようとする勢力のせめぎ合いの時代でもあった。だが、ジジェクが「虚構」と表した体制は長くは続かなかった。東欧の社会主義陣営が崩壊し、社会主義国家が次々と姿を消した1989年は、「大きな物語」の敗北の年でもあった。

 東は、大きな物語なき後の時代を「ポスト・モダニズム」と呼んだ。直訳すれば「近代後」の社会ということになる。そこでは人々を束ね、政治的に動員できるものがなくなった。新たに訪れたアングロ・サクソン的新自由主義を前に、市民は個人単位に解体され、ばらばらになった。際限なき競争社会に投げ込まれ展望を失った市民は、何が真実で何がウソかを見極める能力も失い始めた。

 ポスト・モダニズムの時代には、真実もフェイク(虚構、創作)も一緒くたにされ、あたかもレストランのメニューのように同じテーブルの上に並べられる。そして、人々はその中から最も自分に合うものを選んで消費するようになる、と東は指摘し、そうした情報の「消費行動」をデータベース消費と名付けた。「動物化するポスト・モダン」の中で行われたこの「予言」を、当時の私はあまりに荒唐無稽だと笑い飛ばしたが、今思えばこの予言は身震いするほど正確だった。

 それからまもなくしてネトウヨ連中がこの予言を実行に移し始めた。彼らにとって、日本がアジア諸国に対して行った過去の侵略、植民地支配という重苦しい真実よりも、「そんなものはない」というウソがもたらす快楽に浸っているほうがよい。彼らに罪悪感などというものはもとよりひとかけらも存在していない。なぜなら彼らは、出されているメニューを選んで消費しているだけに過ぎないからである。コンビニで好みのお菓子を選ぶのと同じ感覚で、彼らは、自分の一番好きな「自分にとっての真実」を選び、レジに持って行く。「ただそれだけのことが、何でこれほど左翼に叩かれなければならないのか」と、彼らは本気で思っているに違いない。

 昨年末、大手インターネット企業「DeNA」が運営する健康情報サイト“WELQ”(ウェルク)の記事が医学的正当性を欠くとして騒ぎになった。結局、南場智子DeNA会長が謝罪会見を開き、WELQの全記事を削除、サイトも閉鎖とすることで決着を見たが、なぜこうしたことが起きたのかを考えるにも、東の優れた「予言」が役に立つ。味噌もクソも一緒に並べられ、並行的存在として選択されるデータベース消費型社会では、「最も多く売れる情報を提供した者が勝者」なのである。何のことはない。単なる資本主義的弱肉強食の法則が発動されているだけのことだ。

 そもそも、人間は自分の信じたいものを信じる習性を持っている。そうでなければ、なぜ宗教があんなに大きなビジネスになるのか。食品偽装問題も数年おきに世間を賑わしているが、食品ひとつとってみても真偽をろくに判定できない人間が、情報についてだけいつでも真偽を正確に判定できると考えるのはあまりに楽観的すぎる。いい加減な「キュレーションサイト」対策をどんなに講じても、資本主義が資本主義である限り、そして人間が自分の信じたいものを信じる習性を持っている限り、「第2のウェルク」は必ず現れ、また世間を騒がせるだろう。

 ●日本が「ポスト真実」のトップランナーである理由とは?

 ところで、ここまでの考察でもまだ筆者が答えていない読者の疑問がひとつある。「ポスト真実」の背景に「大きな物語」消失によるポスト・モダニズム時代の到来と、データベース消費型社会があることは理解できたとしても、日本がそのトップランナーであることはどんな理由によっているのか、という疑問である。

 これに対しては、東も具体的には言及していないため推測の域を出ないが、次のような理由で説明が可能と思われる。(1)大半が無宗教で、「会社や学校では政治と宗教の話をするな」と言われるように、日本人はもともとイデオロギー嫌いで「大きな物語」との親和性が低い、(2)アニメ・漫画などのサブカルチャーとの親和性が高い、(3)これら2つの要素との関連で、共同体の崩壊が起きやすく、また政治的組織化の度合いも諸外国に比べて低いため、各個人がばらばらになりやすく新自由主義が浸透しやすい、(4)新自由主義浸透の結果として、「消費者であること」以外のアイデンティティが市民の間に芽生えにくい。

 このうち、(1)については日本人ならだれでも皮膚感覚で理解でき、説明は不要だろう。(2)は他者との協調や共同作業を必要としない趣味で、個人でも実行可能である上、データベース消費との親和性が高いことを指摘する必要がある。(3)について言えば、日本は「大きな物語」が諸外国に比べて機能しにくい分、会社、学校、労働組合、業界団体、地域社会(自治会や地域の祭りなど)といった村落共同体、利益共同体がその機能を代替していたが、近年、こうした組織の機能が低下している一方、これに代わって新たに「共同体」機能を担う存在が姿を現していないこと、政党や政治的団体による組織化が諸外国ほど進んでいないことを指摘しておきたい(注)。(4)はこれら(1)~(3)の結果として立ち現れている現象である。

 日本人が共同体から切り離され、孤立を深めていることは、各種の社会現象からも見て取れる。例えば、かつて日本のオリンピックにおけるメダルの獲得は団体種目(バレーボールなど)が多かったが、最近は団体種目よりも個人種目(スキーなど)にメダル獲得が偏る傾向がはっきりしている。最も新自由主義化、個人化が進んでいる東京で、ハロウィンのたびに多くの若者が町へ繰り出し、警察官と小競り合いを起こしてまでも騒ごうとしている姿は、日本の若者たちがいかに孤立をおそれ、名前も知らない「誰か」とであってもひとときのつながりを渇望しているかをよく表している。「共同体から個人化」の時代に最適化しようとする日本の社会システムと、それに抗ってつながりを求めようとする若者との間に、やや大げさに言えば「文明の衝突」とでも呼ぶべき現象が起きているように思われる。そこでは、データベース消費社会の下で「心地のよいウソ」をいくら消費しても、少しも満たされないことに気づいた若者が、昭和的「共同体」に居場所を求めるかのような興味深い動きも見られる。

 この動きが一時的なものか、継続的なものになるかはもう少し推移を見守る必要があるものの、継続的なトレンドになりそうな予兆はあちこちに見られる。英国のEU離脱や、米国におけるトランプ当選も、グローバリズムより自国「共同体」優先という意味で、そうした予兆のひとつである。

 ●結論――「ポスト真実」とどう闘うか

 ここまで、ポスト真実の持つ意味と、それが生まれてきた思想的・社会的背景、そして日本がそのトップランナーである理由について考察してきた。そろそろ結論に入らなければならないが、私たちは、日本が先導し、10年遅れて国際的潮流になりつつある「ポスト真実」の時代に、どのようにして抗うべきだろうか。

 「ポスト真実」が大きな物語の喪失とデータベース消費を軸とした、客観的真実と「自分にとっての心地よいもう1つの真実」(別の単語でウソとも言う)との間の「消費合戦」として立ち現れているという本稿での考察・分析が正しいなら、私たちにとって最も大切なことは、情報の消費者に選んでもらえるような「本物のメニュー」を提供することである。安倍政権の支持率が高いのは、「偽物であっても心地よいメニュー」を切れ目なく提供しているからだ。だが、一見盤石に見える安倍政権にも「偽物のメニューしかない」という、レストランとしては致命的な弱点がある。これに対抗するには私たちの運営するレストランで「本物のメニュー」を提供しなければならない。市民にとって本物のメニューとは、命が最優先される社会、戦争ではなく平和な社会、格差・貧困ができる限り解消される社会、競争より協調と共生を重視する社会、女性が男性と同等の権利を持つことが紙の上だけでなく現実の行動レベルで証明される社会、そして原発のない社会のことである。

 これに関連して、2つ目に大切なことは「大きな物語」の再建である。リベラル層が中心となり、今すぐ日本に社会民主主義の旗を立てることが必要だ。

 3つ目に大切なことは、私たちの運営するレストランには「本物のメニューがある」と怠りなく宣伝することである。どんなに本物の、おいしいメニューがあるレストランも、宣伝しなければ客が訪れることはない。この点では、私たちは敵より何歩も立ち遅れている。自分たちのメディアを作り、ヒトラーがそうしたように「ポイントを絞って、ひたすら繰り返す」努力をしなければならない。同時に、敵のメニューがいかに偽物だらけであるかを徹底的に宣伝しなければならない。米国では、ライバル社の商品を貶す「比較広告」は珍しくない。政治的対案の出せない人でも、敵のウソを暴くだけなら比較的たやすくできるだろう。

 4つ目は、ばらばらにされ、孤立の中で絶望を深めている無党派層を政治的に組織化することである。どんな逆境でも、人間は仲間がいれば乗り越えられる。労働組合を再建し、学校や企業を民主化するとともに再び労働者・学生・市民に粘り強く働きかけ、組織化することが、ウソを侵入しやすくしている心の隙を埋めることにつながる。

 5つ目は、「ポスト真実」のあり方を批判的に検証しようと動き始めた諸外国の市民と連帯することである。欧米諸国でこれ以上極右の台頭を防ぐためにも、私たちは、国際連帯の構築を急がなければならない。

 以上、ポスト真実の時代、そしてそれとの対抗策を私なりに整理した。この考察が、読者諸氏の役に立つことを願っている。

(注)近年の各級選挙における投票率の低下は、いわゆる「無党派層」が依拠すべき政治的共同体を持たないことによっても引き起こされている。この点に関しては、政党・政治的団体のみならず、趣味のサークルなど非政治的なものであっても、所属団体がある人とない人とでは、ある人のほうが政治的有効性感覚(「自分の力で政治を変えることができる」とする感覚)が高いとする安野智子、池田謙一による調査結果がある(「JGSS-2000に見る有権者の政治意識」2002年3月)。この調査も、孤立を防ぐ上で組織化が有効であることを示している。

(黒鉄好・2017年2月19日)

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歴史の転換点となった2016年~ディストピアの時代に希望を紡げるか?

2016-12-25 22:18:59 | その他(海外・日本と世界の関係)
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2017年1月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 この号が読者諸氏のお手元に届く頃には、新年の足音が聞こえていることと思う。年末年始にゆっくりと読まれることの多いであろう新年号を、私はとりわけ重視している。過ぎゆく年に起きた様々な出来事を踏まえて新しい年はどのように動くか、またどのように希望をつなぎ、展望を持つべきかの考察に充てることが多いからだ。そのような意味で言えば、2016年という、ある意味では「特別だった1年」の出来事をきちんと回顧しておくことは、例年にも増して重要な課題である。

 ●歴史の転換点、2016年

 相変わらず無意味な停滞と閉塞感が続く日本国内はともかく、国際情勢に目を転じれば、2016年が歴史の転換点であったという評価に異論は少ないだろう。相次ぐテロと難民の大量発生、世界を驚かせた英国の国民投票におけるEU(欧州連合)離脱の意思表示、そして泡沫候補扱いされていた究極のポピュリスト、ドナルド・トランプの米大統領当選――。その背景、底流に共通するものを読み解いていけばいくほど、20世紀終盤における最大の歴史的転換点であった1989年――中国における天安門事件と東欧における社会主義圏の崩壊が連続した年――に匹敵する世界史的大変動の年であったことがはっきり見えてくる。それらひとつひとつを分析するだけでも本が1冊書けるほどの出来事を詳細かつ個別に分析することは、本誌の限られた紙幅の中ではできそうにないが、それでもいくつかのポイントをここで述べておくことにする。

 英国国民投票は、そもそも小さなボタンの掛け違いの連続だった。自由経済と所得再分配のどちらをより重視するかをめぐって、日頃は「剣線」(注)を挟んで激しくやり合う保守、労働の2大政党は、それでも最後までEU残留を主張したし、残留派の労働党女性議員が投票日直前に殺された事件も、残留派に同情が集まって勝利するだろうとの説に根拠を与えていた。福岡市出身で、1996年から英国に在住する保育士、ブレイディみかこさんによれば、投票日前日、郵便配達に来た顔見知りの郵便労働者はこう言っていたという。「俺はそれでも離脱に入れる。どうせ残留になるとはわかっているが、せめて数で追い上げて、俺らワーキングクラス(労働者階級)は怒っているんだという意思表示はしておかねばならん」と。

 また、英国のコラムニスト、スザンヌ・ムーアは「ガーディアン」紙上で次のように述べている。

 『「古いワインのような格調高きハーモニー」という意味での「ヨーロッパ」の概念はわかる。が、EUは明らかに失敗しているし、究極の低成長とむごたらしい若年層の失業を推し進める腐臭漂う組織だ。ここだけではない。多くの加盟国で嫌われている組織なのだ。それに、自分なりのやり方でグローバル資本主義に反旗を翻すためにも、私は離脱票を投じたくなる。が、2つの事柄がそれを止める。難民の群れに「もう限界」のスローガンを貼った悪趣味なUKIP(英独立党)のポスターと、労働党議員ジョー・コックスの死だ。……中略……だが、ロンドンの外に出て労働者たちに会うと、彼らは全くレイシストではない。彼らはチャーミングな人びとだ。ただ、彼らはとても不安で途方に暮れているのだ。それなのに彼らがリベラルなエリートたちから「邪悪な人間たち」と否定されていることに私は深い悲しみを感じてしまう』。

 「自分なりのやり方でグローバル資本主義に反旗を翻す」有権者たちの行動で、離脱派は勝利した。開票日の朝、ブレイディみかこさんは「おおー! マジか!」という連れ合いの一言で目を覚ました。件の郵便労働者に「まさかの離脱だったね」と言うと、彼は「おお」と笑ったという。離脱という投票結果に最も驚いたのは当の英国民自身だったのだ。

 ●実はあまり影響がない英国のEU離脱

 スザンヌ・ムーアから「多くの加盟国から嫌われ、究極の低成長とむごたらしい若年層の失業率を推し進める腐臭漂う組織」とまで酷評されたEUの基礎は、英国が離脱を決める前からすでに大きく揺らいでいた。反グローバリズム、反緊縮財政を掲げたギリシャでのSYRIZA(急進左翼連合)の政権獲得、イタリアにおける新興政党「五つ星運動」の台頭など、その兆候はいくつも指摘することができる。しかし、実際のところ、英国の離脱がEU諸国の経済に何らかの危機をもたらすかといえば、それほどでもないような気がする。

 EUの危機が、とりわけギリシャやイタリアなど、経済力の弱い国で最初に起きたことは、事の性質をよく物語っている。そもそも物価とは、貨幣と財・サービスとの交換価値を示すものであり、アダム・スミスが述べたように、重要と供給の力関係によって市場で決定される。ドイツのような経済力の相対的に強い国と、ギリシャやイタリアのような経済力の相対的に弱い国とでは、生産力にも大きな違いがあるのだから、本来は経済力の違いに応じて別々の通貨が使われるのが当然だ。各国の国内で、財・サービスと貨幣の交換価値である物価が市場を通じて適切に調整され、国と国との経済力の格差は通貨と通貨を交換する外国為替市場で調整される――現代世界の、それぞれの国民国家の内部において、財・サービスに適正な物価をつけることを可能にしてきたのはこのような二重の調整システムである。

 EUによるユーロへの通貨統合は、それまでの世界で常識であったこの二重の調整システムに真っ向から挑戦するものであった。経済力も、その基礎をなす生産力もまったく違う国同士が共通の通貨を使用することは、この二重の調整システムを否定するという根本的で重大な矛盾をはらんでいた。加盟国間の経済力の格差を放置したまま通貨だけを統合すれば、物価をどの水準に置いたとしても、「ある国では経済力と比較して物価が安すぎ、別のある国では経済力と比較して物価が高すぎる」という問題が発生する。この問題は、EU加盟国ごとに中央銀行を置き、それらが独自に通貨供給量を決められるようにすれば解決できるが、このような形で各国が発行する独自のユーロは、同じ名称でも米ドルと香港ドルがまったく別通貨であるように、もはや共通通貨ではなくなってしまう。ユーロ圏において通貨供給量を決めるのがブリュッセルの欧州中央銀行だけという状態では、この問題を根本的に解決することはできないのである。

 EU発足と通貨統合のためのマーストリヒト条約に署名した各国首脳もそのことは理解していたが、加盟国間の国境をなくし、ヒト、モノ、カネの移動を活発化させることを通じて、経済力の格差もいずれは解消すると期待して、積極的に問題を将来世代に先送りしたのだと思う。

 しかし、その期待、希望的観測は見事に外れた。国境が消え、ヒト・モノ・カネの移動が活発化しても、そのことだけで民族、言語、宗教、生活習慣などの違いが消えてなくなるほど世界は単純ではない。実際の経済は、こうした要素をはらんだ人々の意識の中で、従来の国民国家の枠組みをある程度残したまま動く。EUの制度設計をした人たちがそのことに対し、あまりに無頓着すぎたことがこの問題の根源にある。その意味で、ユーロ圏の経済危機は当初から予想されていたのであり、起こるべくして起きた出来事であった。

 英国が結果的に賢明だったのは、通貨統合に参加せず、独自通貨ポンドを捨てなかったことである。EU残留、離脱いずれの道を選択しても、前述した二重の調整システムを通じて財・サービスに適正価格をつけられるシステムを英国は温存していたからである。ポンドとユーロの間の格差は、これまで通り外国為替市場のレートを見るだけでよいのだ。

 ●エリート支配への怒りを組織できない左派

 まだ記憶に新しい、米国のトランプ勝利にも言えることだが、従来の常識を覆すこのような「番狂わせ」の背景には、エリート、エスタブリッシュメント支配に対する非エスタブリッシュメント層の反乱がある。「支配層がいいように政治を私物化し、自分たちを疎外している」という怒りが、うねりのように既成政治を倒したのである。ドナルド・トランプ個人の資質も「政権担当能力」も、そこで問われた形跡はない。

 歴史に仮定は許されないが、もし民主党がヒラリー・クリントンでなくバーニー・サンダース上院議員を大統領候補としていたら、大統領選はまったく違った結果になっただろうという論評は多くの人々の共感を得ている。実際、トランプとサンダースの支持層はかなりの程度、重複していたし、サンダースが民主党予備選に勝てず、大統領候補となれなかったことで、トランプに鞍替えしたり棄権したりした非エスタブリッシュメント層もかなりの数に上るとされる。

 『ドナルド・トランプは支配勢力の左右する経済・政治・メディアにあきれて嫌になった没落する中流階級の怒りと響きあった。人々は、低賃金が嫌になり、然るべき支払いのある仕事口が中国などの外国に行くのを見ているのが嫌になり、億万長者が連邦の所得税を支払わないのに嫌になり、そして子供たちが大学へ行く学費の余裕もないのに嫌になっている。それにも関わらず、大富豪はさらにリッチになっているのにあきれているのだ。

 トランプ氏が、この国の労働者家族の生活をよくする政治に誠実に取り組むならば、それに応じて私と、この国の先進的勢力は協力する用意がある。人種主義者、性差別主義者や外国人ヘイト、そして反環境主義の政治の道を行くならば、我々は精力的に彼に反対して行動するだろう』。

 これは、トランプ勝利を受け、サンダースが発表した声明である。これを見ても明らかなように、サンダースは移民排斥政策以外でほとんどトランプに批判らしい批判をしていない。それどころか、トランプが移民排斥をやめ、上流階級以外のための政治をするなら協力するとまで述べている。一方で、民主党予備選期間中のサンダースは、クリントンに対しては、次のように厳しい批判を加えているのだ。

 『クリントン長官は、上院議員だった2002年10月に対イラク開戦承認決議案に賛成した。北米自由貿易協定(NAFTA)や環太平洋経済連携協定(TPP)の支持者でもある。その上、自身のスーパーPAC(政治資金管理団体)を通じてウォール街から1500万ドルももらっている人に、大統領になる資格があるとは思わない』。

 今回の米大統領選がどのような構図で戦われたかを、これら一連のサンダースの発言はよく物語っている。これではどちらが自党の候補者で、どちらがライバル政党の候補者かわからないほどだ。

 既成政党が左右を問わずエリート支配に堕し、貧困層の受け皿でなくなっている状況が、英国だけでなく米国でも共通の課題であることが浮き彫りになった。選挙の対立軸がかつての左右から「上下」に移っていることが示された。『レイシストではなくチャーミングで、不安で途方に暮れている労働者層が、リベラルなエリートたちから「邪悪な人間たち」と否定されていることに深い悲しみを感じる』というスザンヌ・ムーアの指摘はここでも完璧に当てはまる。上から目線で大衆蔑視のイメージを払拭できなかったクリントンは、旧態依然としたエスタブリッシュメント層を代弁する候補者として強く忌避されたのである。

 翻って日本ではどうだろうか。次第に米英両国に近づいてきている印象を筆者は受ける。自民、民進両党の指導部(末端の議員や党員全体を指すのではなく、あくまで指導部)がどちらも貧困層軽視、グローバリズムと原発推進であること、党対党の対立よりも、党内部における指導部と末端議員・党員との対立のほうが先鋭化して見えることなど、実によく似ている。そもそも、米英両国を範として「政権交代可能な保守2大政党制」を目指してきたのが55年体制崩壊後の日本政界であった。その意味で、日本の政界風景が米英両国に似てくるのは必然といえよう。

 篠田徹・早稲田大教授は、米国では組織の枠組みを超え、地域で雇用政策などの新しい動きが生まれているとの山崎憲氏(労働政策研究・研修機構主任研究員)の指摘を受け「関係者をすべて横でかき集めるという「ステークホルダー」という考え方。関係者がみんな集まって解決していくというのは世界的流れになりつつある」としている(「労働情報」誌第949号より)。日本でも、左右対立を軸とした従来の政治感覚をそろそろ抜本的に見直して、上下を軸に政治を展望することが必要な状況になってきている。

 ●飯も食えないグローバリズムより食えるナショナリズムへ

 英国のEU離脱とトランプ勝利にはもうひとつ、避けて通ることのできない重大な共通点がある。「飯も食えないグローバリズムに殺されるくらいなら、飯を食わせてくれるナショナリストに国を委ねた方がましだ」という非エスタブリッシュメント層の意思を、新たな国際的潮流として確定させる効果を生みかねないことである。

 トランプが「米国は世界の警察官から降りる」と宣言し、国際社会に権力の空白が生まれつつある。巨大な資本主義戦争マシーンである米国が世界のあちこちに軍事介入をしてきたこれまでのやり方を見直すことは、反戦運動を戦ってきた諸勢力にとって確かに歓迎すべき出来事だろう。だが、筆者には、この権力の空白が第2次大戦直前期に似ていて、そこに一抹の不安を覚えるのである。

 米国がモンロー主義(非介入主義)を唱えた第1次大戦後、世界には現在と同じように権力の空白が生まれた。そのような権力の空白に加え、第1次大戦敗戦の結果としての天文学的な負債、そして失業者が700万人に上る未曾有の経済危機がナチスとヒトラーを政権の座に就けた。ユダヤ人を排斥する一方、アウトバーン(高速道路)建設を中心とした公共事業を通じて失業者を600万人から50万人に激減させた。ヒトラーは、当時の貧困層には決して手の届かなかった自動車保有の夢をかなえるため、ポルシェに命じて大衆車フォルクスワーゲンを開発させた。ある元社会民主党員の女性は「少しでもナチスに異議を唱えると、『ヒトラーが成し遂げたことをぜひ見てほしい。我々はまた以前のようにたいしたものになっているのだから』と決まって反論された」と当時を振り返っている。

 安倍首相は、麻生元首相に指摘されるまでもなく、すでにナチスの手法をじゅうぶんに真似ている。アベノミクスを通じて大規模な公共事業をオリンピックの名の下に興すことで、実際、失業者を減らした。ヒトラーが、自由市場経済の原則をものともせず、企業に命じてフォルクスワーゲンを作らせたように、安倍首相も企業に命じて賃上げや残業減らしに躍起となっている。メディアを総動員した“ニッポン凄い”キャンペーンによって「我々をまた以前のようなたいしたもの」にしようとする姿は、まさにヒトラーと二重写しだ。

 一度は政権を投げ出した安倍首相を再び政権に返り咲かせた要因は単に野党のふがいなさだけにあるのではない。「飯も食えない国際協調とグローバリズムから食えるブロック経済とナショナリズム」への国際的潮流の変化を抜きにしてそれを語ることはできないだろう。野党のみならず、自民党内からも安倍首相の対抗勢力が現れない理由、国際的には死んでしまった新自由主義にいまだ指導部がしがみついたままの民進党が凋落の一途をたどっている理由について、このように考えると納得がいく。安倍首相が権力を奪取したというより、時代が安倍首相を捜し当てたのである。その意味でも2016年は、10年後の世界から歴史的転換点として、はっきり記録される年になると思う。

 この他、英国のEU離脱やトランプ当選の過程において、インターネットがもたらした「負の役割」についても述べる予定だったが、紙幅以前に筆者の気力が尽きたようだ。これらは新年早々に改めて論じることにしたい。

 読者諸氏にとって、新年が安穏な年となることを願っている。

注)英国議会では、正面から見て右側に与党、左側に野党が座る形で向き合って議論する。両者の真ん中には1本の線が引かれていて、互いにどんなに議論が白熱してもその線より前に出てはならないとされる。かつて、議員が剣を身につけていた時代にこの線が引かれたことから、この線が“Sword Line”(ソードライン、剣線)と呼ばれるようになったとの俗説がある。余談だが、英語には“Live by the sword, die by the sword.”(剣によって生きる者は剣によって滅ぶ)ということわざがある。

(黒鉄好・2016年12月17日)

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【転載記事】米大統領選;トランプ氏の勝利を受けて~ヒラリー・クリントン候補の「敗北宣言」全文

2016-11-11 22:52:41 | その他(海外・日本と世界の関係)
昨日の「選挙に負けた今やるべき5つのこと」(マイケル・ムーア)に続いて、ヒラリー・クリントン候補の「敗北宣言」全文をご紹介する。

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●志を同じくする人々へ ── やり続けましょう

Last night, I congratulated Donald Trump and offered to work with him on behalf of our country. I hope that he will be a successful president for all Americans.

昨晩,わたしはドナルド・トランプに祝意を述べ,「これからも祖国のためにともに協力し合いましょう」と伝えました。彼がすべてのアメリカ人を成功に導く大統領となることを,わたしは願ってやみません。

This is not the outcome we wanted or we worked so hard for and I’m sorry that we did not win this election for the values we share and the vision we hold for our country.

これは,わたしたちの望んだ結果でも,わたしたちが目指し,努力してきた結果でもなく,わたしたちの祖国のために,わたしたちが掲げた共通の価値観やビジョンをもってしても,この選挙に勝てなかったことが,わたしは無念です。

But I feel pride and gratitude for this wonderful campaign that we built together, this vast, diverse, creative, unruly, energized campaign.

それでもわたしは,このすばらしい,広範囲で,多様で,創造的で,型破りで,そして活気に溢れた運動をみんなでつくりあげたことへの誇りと感謝の気持ちで一杯です。

You represent the best of America and being your candidate has been one of the greatest honors of my life.

みなさんは,もっともすばらしいアメリカの姿をみせてくれました。みなさんの候補として闘うことができたことを,わたしは生涯の誇りとすることでしょう。

I know how disappointed you feel because I feel it too, and so do tens of millions of Americans who invested their hopes and dreams in this effort. This is painful and it will be for a long time, but I want you to remember this.

みなさんがどれほど残念な思いであるかはよくわかります。わたしもそう感じるからです。そして,夢と希望のすべてをこの運動に注ぎ込んでくれた数百,数千万の人びともそうです。本当につらいです。このつらさは長く続くかもしれません。

でも,これだけは覚えておいてほしいのです。

Our campaign was never about one person or even one election, it was about the country we love and about building an America that’s hopeful, inclusive and big-hearted.

わたしたちの運動は,いち個人のためのものでも,いち選挙のためのものでもありませんでした。わたしたちは,愛する祖国のために,そして希望に満ちた,包摂的で,心の広いアメリカをつくるために,この運動に身を投じてきたのです。

We have seen that our nation is more deeply divided than we thought. But I still believe in America and I always will.

わたしたちは,アメリカに横たわる分断の溝が想像以上に深いことを知りました。しかし,私はアメリカを信じています。いまも,そしてこれからも。

And if you do, then we must accept this result and then look to the future. Donald Trump is going to be our president. We owe him an open mind and the chance to lead.

そして信じるならば,この結果を受け入れて,未来に目を向けなくてはなりません。ドナルド・トランプは,わたしたちの大統領になります。心を開き,彼にわたしたちを導く機会を与えなくてはなりません。

Our constitutional democracy enshrines the peaceful transfer of power and we don’t just respect that, we cherish it.

わたしたちの立憲民主制は,平和的な権力の移譲を保障しています。わたしたちはこれを単に尊重するだけでなく,大切に思う心を持っているはずです。

It also enshrines other things; the rule of law, the principle that we are all equal in rights and dignity, freedom of worship and expression.

立憲民主制が保障するのは,それだけではありません。

法の支配や,すべての個人が等しく権利を持ち尊厳を認められるという原則,そして信仰や表現の自由を保障しています。

We respect and cherish these values too and we must defend them.

これらの価値観を尊重し,大切に思うならば,守り抜かなければなりません。

Now - and let me add, our constitutional democracy demands our participation, not just every four years but all the time.

もうひとつ,立憲民主制がわたしたちに求めることがあります。

それは参加することです。4年ごとではありません。常にです。

So let’s do all we can to keep advancing the causes and values we all hold dear; making our economy work for everyone not just those at the top, protecting our country and protecting our planet and breaking down all the barriers that hold any American back from achieving their dreams.

だから,わたしたちが大切に思う価値や主張を推し進めるために必要なことをし続けましょう。富める人たちだけでなく,すべての人びとが経済の果実を味わえるように。わたしたちの国を,わたしたちの星を守るために。すべてのアメリカ人が夢を実現できるよう,妨げとなる障害を打ち破るために必要なことをし続けましょう。

We’ve spent a year and a half bringing together millions of people from every corner of our country to say with one voice that we believe that the American dream is big enough for everyone - for people of all races and religions, for men and women, for immigrants, for LGBT people, and people with disabilities. For everyone.

わたしたちは1年と半年をかけて,アメリカ中のあらゆる場所から数千万もの人びとを集めました。声をひとつにして,わたしたちの信じるアメリカンドリームは,すべての人びと──あらゆる人種,宗教,男女,移民の人びと,LGBTの人びと,障害を持つ人びと,すべての人びと──を幸福にすることができることを訴えるために。

So now, our responsibility as citizens is to keep doing our part to build that better, stronger, fairer America we seek. And I know you will.

だから,アメリカ市民としてのわたしたちの責務は,よりよく,強く,公平なアメリカを求め,わたしたちのできることをし続けていくことなのです。そしてわたしは信じています。

あなた方はやり続けると。

●支えたくれた人びとへ

I am so grateful to stand with all of you. I want to thank Tim Kaine and Anne Holton for being our partners on this journey.

いま,あなた方とここにいられることをありがたく思います。パートナーとして,この長い旅路に連れ添ってくれたティム・ケーンや,アン・ホールトンに,感謝したいと思います。

It has been a joy getting to know them better, and it gives me great hope and comfort to know that Tim will remain on the front lines of our democracy representing Virginia in the Senate.

彼らをより深く知ることができたのは,わたしの喜びでした。そしてティムが民主主義の最前線に立って,上院でバージニアを代表してくれることに,大いなる希望と安心を感じています。

To Barack and Michelle Obama, our country owes you an enormous debt of gratitude.

アメリカはバラック・オバマとミシェル・オバマを深い恩義と感謝の念で称えるべきです。

We - we thank you for your graceful, determined leadership that has meant so much to so many Americans and people across the world.

わたしたち──わたしたちは,あなた方の潔く,覚悟に満ちたリーダーシップに感謝します。それは多くのアメリカ人にとって,世界の人びとにとって,深い意味をもたらしたことでしょう。

And to Bill and Chelsea, Mark, Charlotte, Aidan, our brothers and our entire family, my love for you means more than I can ever express. You crisscrossed this country on our behalf and lifted me up when I needed it most - even four-month-old Aidan who traveled with his mom.

そしてビルやチェルシー,マーク,シャーロット,エイダン。わたしの兄弟たち,わたしの家族たち。いまあなたたちに感じているこの愛は,表現にすらできません。あなたたちは縦横無尽にこの国を駆け回ってくれて,わたしがもっとも必要とするときに,わたしを勇気づけてくれました。ママと一緒に旅してくれた,まだ4か月のエイダンすらも。

I will always be grateful to the creative, talented, dedicated men and women at our headquarters in Brooklyn and across our country.

ブルックリンの選対本部や全米各地の支部で働いてくれた,とてもクリエイティブで,才能溢れる,献身的な男女のみなさんには,いつまでも感謝の念を忘れないでしょう。

You poured your hearts into this campaign. For some of you who are veterans, it was a campaign after you had done other campaigns. Some of you, it was your first campaign. I want each of you to know that you were the best campaign anybody could have ever expected or wanted.

みんな,この運動に心血を注いでくれました。ベテランの方々にとっては,ひとつの運動を終えた後に回ってきた仕事でした。ほかの人にとっては,はじめての運動でした。でもみんなに知ってもらいたい。あなた方は,これ以上何も期待したり,望めないほどの,最高の運動スタッフだったと。

And to the millions of volunteers, community leaders, activists and union organizers who knocked on doors, talked to neighbors, posted on Facebook, even in secret, private Facebook sites…

そして,ひとつひとつ家々を回ってくれたり,隣人と話してくれたり,Facebookにポストしてくれたり,個人の,ひみつのFacebookグループでも頑張ってくれたりしてくれた,数百万にも及ぶボランティアの方々,コミュニティリーダーの方々,活動家や,労働団体のオーガナイザーの方々。

… I want everybody coming out from behind that and make sure your voices are heard going forward.

そうして裏方として働いてくれたすべてのみなさんも,一歩前に出て,みんなと一緒に声をあげられるようにしたいと思います。

To everyone who sent in contributions as small at $5 and kept us going, thank you. Thank you from all of us.

そして少ない時には5ドルでも,寄付金を送ってくださり,わたしたちが運動を続けられるようにしてくれた方々に,一堂感謝したいと思います。

And to the young people in particular, I hope you will hear this.

そしてみなさんに,とくに若い人たちに伝えたいことがあります。よければ聞いてください。

I have, as Tim said, spent my entire adult life fighting for what I believe in. I’ve had successes and I’ve had setbacks. Sometimes, really painful ones.

ティムが話したように,わたしは,自分が信じるもののために,半生をかけて闘ってきました。成功も挫折も経験してきました。ときには、とてもつらい思いをしたこともありました。

Many of you are at the beginning of your professional public and political careers. You will have successes and setbacks, too.

あなた方の多くは、まさにこれから、政治や公務の世界に踏み込もうとしています。あなたたちも、これから成功や挫折を経験することでしょう。

This loss hurts, but please never stop believing that fighting for what’s right is worth it.

挫折はつらいものです。

でも、正しいことのために闘うことには価値があるのだと,信じ続けてください。

It is - it is worth it.

そうです、価値のあることなんです。

闘う価値のあることなんです。

And so we need - we need you to keep up these fights now and for the rest of your lives.

だから,この価値ある闘いを,ずっと,生涯,続けてほしいのです。

And to all the women, and especially the young women, who put their faith in this campaign and in me, I want you to know that nothing has made me prouder than to be your champion.

●女性や若者たち,子どもたちへ

そして女性のみなさん。とくに,この運動を,わたしを信じてくださった若い女性のみなさん。あなた方の代表として担がれたことほどわたしに誇りを抱かせるものはありません。

Now, I - I know - I know we have still not shattered that highest and hardest glass ceiling, but some day someone will and hopefully sooner than we might think right now.

わたしたちは,あの一番高いところにある,もっとも硬い『ガラス天井』を打ち破るに至りませんでした。それは認めるしかありません。でも,いつか誰かが打ち破ります。

その時は,わたしたちが考えるよりも早いことを願います。

And - and to all the little girls who are watching this, never doubt that you are valuable and powerful and deserving of every chance and opportunity in the world to pursue and achieve your own dreams.

そしてこれを観ているすべての小さな女の子たちにも伝えたい。「あなたたちがいかにかけがえのない,力溢れる存在で,どんな時でも,自分の夢を目指して,実現する機会がそこにあるのだということを,けっして忘れないで」と。

●最後に・・・

Finally, I am so grateful for our country and for all it has given to me. I count my blessings every single day that I am an American. And I still believe as deeply as I ever have that if we stand together and work together with respect for our differences, strength in our convictions and love for this nation, our best days are still ahead of us.

最後に,わたしに多くを与えてくれた祖国に感謝したいと思います。わたしは毎日,自分がアメリカ人であることを幸運に感じています。そしていまでも,これまで感じた以上に,わたしたちは互いの違いや,確信の強さや,祖国に対する愛を尊重しながら,ともに立ち,ともに取り組むことでよりよい明日をつくれるのだということを確信しています。

Because, you know - you know, I believe we are stronger together and we will go forward together. And you should never, ever regret fighting for that. You know, scripture tells us, “Let us not grow weary in doing good, for in due season, we shall reap if we do not lose heart.”

なぜなら,みなさんがご存知のように,わたしたちはともにあることで,より強くなれるからです。ともにあることで,前に進めるからです。そしてそのために闘うことを後悔することは,けっして,けっしてあってはなりません。聖書にはこうあります。

“Let us not grow weary in doing good, for in due season, we shall reap if we do not lose heart.”

「善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」※

So my friends, let us have faith in each other, let us not grow weary, let us not lose heart, for there are more seasons to come. And there is more work to do.

だから,親愛なるみなさん。お互いを信じ続けましょう。善を行うのに飽くことなく,失望せずに,続けましょう。時期はまだまだ到来し続けます。それに,まだまだやることがあるのです。

I am incredibly honored and grateful to have had this chance to represent all of you in this consequential election.

この必然的に重要な選挙で,みなさんを代表して闘うことができたことを,わたしはとてつもなく光栄に思い,深く感謝しています。

May God bless you and may God bless the United States of America.

みなさんに神のご加護を。そしてアメリカに神のご加護あらんことを。

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※実際の聖書には,「わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。」と記される。

(参照) ガラテヤ人への手紙 6:9より

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【転載記事】米大統領選;トランプ氏の勝利を受けて~マイケル・ムーアが投稿した「選挙に負けた今やるべき5つのこと」

2016-11-10 23:42:01 | その他(海外・日本と世界の関係)
米大統領選は、大方の希望(予想ではない)を覆し、共和党の実業家ドナルド・トランプ氏が当選した。これを受けた海外からの声明などをご紹介する。

まず、社会を風刺する映画を制作してきた米国の映画監督、マイケル・ムーア氏が発表した「選挙に負けた今やるべき5つのこと」を紹介したい。これを読むと、エスタブリッシュメントが主導する既成政治が、いかに民意をすくい上げられていないか、という日本と同じ課題が米国にもあることが理解できる。

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マイケル・ムーアが投稿した「選挙に負けた今やるべき5つのこと」(ハフィントン・ポスト)

「一夜明けた朝のToDoリスト」

1. 民主党を乗っ取ろう。そして人々の手に戻すんだ。民主党の奴らは、我々の期待に情けないほど応えられていない。

2. 評論家や予想屋、世論調査員、その他メディアの中で、自分の考えを変えず、実際に起こっていることに目を向けようとしない奴らを首にしよう。偉そうに話をしていた奴らが今、「分裂した国を癒そう」とか「一つになろう」と俺たちに言うんだ。そんなクソ発言を、奴らはこれからもずっと言い続けるだろう。黙らせよう。

3. この8年間、オバマ大統領と闘い、抵抗し、闘ってきた共和党議員のように、これから闘う気概を持って今朝目覚めなかった民主党の国会議員は出ていけ。そのかわりに、これから始まる野蛮や狂気を止められる術を知っている奴らを、俺たちのリーダーにするんだ。

4. 「驚愕の結果だ」とか「ショックだ」と嘆くのをやめよう。そんな風に言ったって、自分の世界に閉じこもって、他のアメリカ人や彼らの絶望に目を向けていないだけだ。民主党・共和党の両方に無視された人たちの、既存のシステムに対する復讐心や怒りが大きくなっている。そこに現れたのが、両方の党をぶちこわして「お前はクビだ」というテレビスターだ。トランプが勝ったのは驚きじゃない。奴はただのジョークじゃなかったんだ。そして、支持を得て強くなっている。メディアに住む生き物で、メディアが作り上げた生き物だ。メディアは決してそれを認めないだろうが。

5. 今日会う人全員に、こう言わなきゃいけない。「得票数は、ヒラリー・クリントンの方が多かったんだ!」過半数のアメリカ人は、ドナルド・トランプじゃなくてヒラリー・クリントンを選んだ。以上。それが事実だ。今朝目覚めて「自分は最低の国に住んでいる」と思ったのであれば、それは間違いだ。過半数のアメリカ人は、ヒラリーの方が良かったんだ。トランプじゃない。彼が大統領になった、ただ一つの理由は、18世紀に作られた、難解でおかしな「選挙人団」と呼ばれるシステムだ。これを変えない限り、自分が選んでない、望んでもいない奴が大統領になる。この国に住んでいる人の多数が、気候変動を信じ、女性は男性と同じ賃金を払われるべきだと考え、借金をせずに大学に行くこと、他の国に武力侵攻しないこと、最低賃金を上げること、国民皆保険に賛成している。それは何一つ変わっていない。我々は、多数が“リベラル”な考えを支持する国に住んでいる。ただ、それを実現させるリベラルなリーダーがいないのだ(#1に戻って欲しい)。

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【訃報】チェコスロバキア体操選手・チャスラフスカさん死去

2016-09-01 22:34:46 | その他(海外・日本と世界の関係)
チャスラフスカさん死去=「体操の名花」、金7個―74歳(時事)

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 【ロンドン時事】1964年東京、68年メキシコ五輪の体操女子で計7個の金メダルを獲得したベラ・チャスラフスカさんが死去したことが31日、分かった。74歳。膵臓(すいぞう)がんを患って長く闘病し、チェコ・オリンピック委員会によると、30日に出身地プラハの病院で亡くなった。

 チェコスロバキア(当時)代表として東京五輪では個人総合、平均台、跳馬で金メダル。メキシコ五輪では個人総合連覇を果たし、跳馬と段違い平行棒、ゆかでも優勝。その優美な演技は日本でも人気があり、「五輪の名花」「体操の名花」と称賛された。

 女子の体操が技の難度を競うようになる前、美しさで観客を魅了した時代を象徴する選手だった。

 68年に民主化運動「プラハの春」を支持し、メキシコ五輪後も反体制の姿勢を崩さなかったため、政府の監視下に置かれて不遇な時期も過ごした。89年の共産党政権崩壊後はチェコ・オリンピック委員会会長などを務め、同国のスポーツ発展に尽力した。 
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旧チェコスロバキアの体操選手で、1964年東京五輪の体操競技で金メダルを獲得したベラ・チャスラフスカさんがチェコの首都プラハの病院で死去した。経歴は時事通信の記事にあるとおりで、「東京の恋人」と呼ばれたことでも知られる。

ところで、当ブログとしては、チャスラフスカさんと、旧チェコスロバキアの民主化運動「プラハの春」との関わりについて、メディアと違った視点で、やや詳しく触れておきたい。

「プラハの春」とは、チェコスロバキアで1968年に起きた民主化要求運動である。当時はチェコスロバキア共産党による一党独裁の社会主義体制。アントニー・ノヴォトニー共産党第1書記による硬直した政権運営が続いていた。だが、政治・経済の改革の必要性を痛感していたアレクサンドル・ドプチェク党書記がノヴォトニーを追い落とし、みずから共産党第1書記に就任。党・政府・国民一体となった民主化改革が始まる。

この民主化改革のスローガンは「人間の顔をした社会主義」という刺激的なもので、そこには、それまでの自分たちの社会主義体制が「人間の顔をしていなかった」ことへの反省の意味が込められていたことは言うまでもない。

やがて、「プラハの春」の嵐の中で、知識人らがチェコスロバキア共産党指導部の腐敗・変質を告発する、有名な「二千語宣言」を発表する。その内容は次のようなものであった。

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 初めのうち、人々の大きな信頼を享受した共産党は、次第にその信頼を捨てて、代わりに役職を手に入れ、ついにすべての役職を手中に収めて、それ以外は、何も、もはや持たなくなった。指導部の誤った路線のために、党は政党から、そしてイデオロギーによって貫かれた同盟から権力機構へと変化し、それは、出世欲の強い利己主義者、嫉妬深い卑怯者、恥知らずの人々にとってこの上ない魅力となった。

 多くの労働者が、自分たちが支配していると考えている間に、特別に育成された党及び国家機構の職員の階層が労働者の名において支配していた。彼らは、打倒された階級〔当ブログ管理人注=資本家階級〕に事実上取って代わり、みずから新しい権力となった。もちろん、公平に言っておくが、彼らの中の多くの人々はこのことに気がついていた。しかし、党職員の大部分は改革に反対しており、依然として幅をきかせているのだ!
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この「二千語宣言」は、人々を資本主義による苦しみから「解放」したはずだった共産党が、社会主義の仮面をかぶった官僚(ノーメンクラトゥーラ)たちに乗っ取られ、次第に「労働者階級の党」ではなくなっていく様子を見事に批判、告発している。チャスラフスカさんは、この宣言に「署名」し、その後も「宣言」支持を撤回しなかったため、社会主義体制が崩壊するまでの間、「反体制知識人」として不遇の時代を過ごしたのである。

「プラハの春」のその後について述べておくと、結果として、ソ連はこの改革を認めなかった。レオニード・ブレジネフ・ソ連共産党書記長は「ブレジネフ・ドクトリン」を根拠に、当時、ソ連と東ヨーロッパの社会主義国家によって構成されていた「ワルシャワ条約機構」軍をチェコスロバキアに送り込み、ドプチェク第1書記を拘束。モスクワに「連行」し、改革をあきらめるよう迫ったのである。

ドプチェクは、改革路線を放棄することを条件に、党第1書記留任をソ連に認められたが、この「事件」ですっかりやる気を失い、数年後、第1書記を辞任する。プラハの春がもろくも散った瞬間だった。

ソ連がこのときワルシャワ条約機構軍派遣の根拠にした「ブレジネフ・ドクトリン」とは、「社会主義共同体の利益は社会主義各国個別の利益に優先すべきである」とするものだ。難しい表現だが、平たく言えば「東ヨーロッパの社会主義国家はおとなしくソ連の言うことを聞け」という意味だった。

それから半世紀近く経ち、東ヨーロッパの社会主義国家群も、いやそれどころか「本家本元」のソ連さえ地図から消えてしまった現在--歴史の後知恵と言われればそれまでだが--、ドプチェクが始めた改革と、チャスラフスカが署名した二千語宣言が正しかったかどうかについて、私たちは容易に答えを出すことができる。あのとき、ワルシャワ条約機構軍を送る決定をしたソ連自身が、1985年に登場したミハイル・ゴルバチョフにより「ペレストロイカ」(ロシア語で刷新を意味する改革)を始めたことを考えると、完全に正しかったのである。

歴史に「もし」は許されないが、もし「人間の顔をした社会主義」への改革の試みが成功していたら、その後の世界はまったく違ったものになったであろう。真の意味での民主主義(※)を獲得した社会主義は、ろくでもない人物しか立候補も当選もできない西側的「自由」選挙と資本主義を乗り越え、人類の理想に一歩も二歩も近づくことができたはずである。この改革を否定し、プラハの春をソ連が戦車で押しつぶしたとき、社会主義の敗北は決まったのである。

(※)ここで言う「真の意味での民主主義」とは、資本家階級を排除し、労働者階級だけに立候補資格を制限しつつ、共産党・労働者党員以外にも幅広く立候補を認める複数選挙制である。中国共産党による「革命」直後のごく短期間、中国で実際に採用されていたことがある。概念としては「人民民主主義」に近い。

ちなみに--間違いである場合は指摘していただきたいが--、独裁体制の国で、多くの市民を巻き込む大規模な民主化運動が起きたとき、それが起きた場所の地名を冠して「○○の春」という呼び方がされたのは、当ブログの知る限り、このプラハの春が歴史上最初と思われる。その後、2010年~2011年にかけての「アラブの春」など、この表現は民主化運動を表すものとしてすっかり定着したが、一方、「○○の春」と呼ばれた民主化運動で、その後、本当に春が訪れたケースはほとんどないということも、当ブログとしては忘れずに指摘しておかなければならない。

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「名は体を表す」と言うが・・・「民主」の名の下に

2016-03-24 21:55:39 | その他(海外・日本と世界の関係)
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2016年4月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 合流を決めた民主党・維新の党が、2016年3月3~6日の4日間、新党名の募集を行った。自分たちの党名も自分たちで決められない政党に未来なんてあるわけもないし、政権を託したくもないという声も聞こえるが、「名は体を表す」の例え通り、名前とは案外重要なものである。

 結果的に、合流後の新党の名称は、「民主」の名の入った名称を引き継ぐよう求めていた民主党関係者の思いと裏腹に、維新の党側が主張していた「民進党」に決定。新党の名称に関しては「小が大を呑む」形になった。だが筆者はこれでよかったと思っている。「民主」の名前のあまりの評判の悪さを考えると、その名は外して一から出直すべきだろう。

 「民主」の名を外すことで、自分たちの党が民主主義を放棄したかのように受け止められないか心配する関係者がもしいたら、そんな心配は無用だと思う。そもそも、西側先進資本主義国の集まりであるサミット(先進国首脳会議)参加7か国の正式国名を見てみると、日本国/アメリカ合衆国/グレート・ブリテン及び北部アイルランド連合王国/フランス共和国/イタリア共和国/ドイツ連邦共和国/カナダ――であり、「民主」と入った国名は1つもない。

 一方、社会主義体制だった旧東ドイツの正式国名「ドイツ民主共和国」や「朝鮮民主主義人民共和国」のように、どう見ても民主主義と無縁の国、民主主義のかけらも存在しない国ほど「民主」と入った国名が多い。あの悪名高いクメール・ルージュ(いわゆる「ポル・ポト派」)支配時代のカンボジアの正式国名も「民主カンボジア国」だった(現地語表記で「民主カンプチア国」としているものもある)。民主主義の実態がある国ではわざわざ「形」にこだわる必要がなく、逆に民主主義の実態がない国ほど「形」を求めるのだということがよくわかるエピソードだ。

 ドイツ「民主」共和国、朝鮮「民主」主義人民共和国、「民主」カンボジア国でいったいどれだけ多くの人が逮捕され、拷問され、そして殺されたのだろうか。筆者の手元には唯一、カンボジアでクメール・ルージュ政権時代のわずか3年8ヶ月の間に、約152万人(推計)が殺されたとするデータがあるのみである。クメール・ルージュ政権崩壊後に、ベトナムの後押しで成立したプノンペン政権(当時の日本メディアではヘン・サムリン政権と呼ばれることが多かった)が発表したカンボジアの推計人口は約835万人だったから、「民主」カンボジアの名の下に、国民の約5.5人に1人が殺されたことになる(注)。

 新党の党名から「民主」の文字が外れたことで、「民主」の名前の入った政党は55年体制を支えた自民・社民両党だけとなった。とはいえ社民党は、日本社会党からの党名変更で現在の名前になったのだから、結党から一貫して「民主」の名前を入れ続けているのは今や自民だけだということになる。党内で自由な議論も許さず、少しでも安倍政権を批判するメディアに対しては、やれBPO送りだ停波だと脅しまくる政党が、結党以来一貫して「民主」を使い続ける唯一の党とは、何の悪い冗談かと思ってしまう。騙され続けてきた有権者も、これでようやく自由「民主」党の名前のまやかしに気付くかもしれない。

 ドイツ「民主」共和国も「民主」カンボジア国も、その後、世界地図から消えた。朝鮮「民主」主義人民共和国も、このままでは遠からず地図から消えるだろう。一方、そんな諸外国とは裏腹に、安倍1強時代となり、我が世の春を謳歌しているように見える自由「民主」党だがこちらは今後、どうなるだろうか。

 元外務省主任分析官で、鈴木宗男元衆院議員の盟友でもあった佐藤優氏が興味深い証言をしている。彼は、ゴルバチョフによるペレストロイカが始まって2年ほど経った1988年のソ連滞在当時、モスクワの至る所で「この道しかない」のスローガンが掲げられているのを見たというのだ。



 思えば、2度の国政選挙に勝利して「1強」を実現した安倍自民の選挙スローガンも「この道しかない」だった。アベノミクスとペレストロイカ、政策こそ違っているが、国家の最高指導者、トップが「この道しかない」とうそぶくようでは末期症状だと思う。実際、ソ連もその後世界地図から消え、ゴルバチョフは最後の指導者となった。そうした歴史を考えるなら、安倍自民もどうやらそう長くなさそうだ。

 中国の作家・魯迅の小説「故郷」の「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」という有名な一節をご存じの方は多いだろう。みずからの国家や組織の名称に、頼まれもしないのに自分から「民主」の文字を冠するような連中に、ろくな奴はいないと私は思う。そんな連中が自分勝手に押しつけてくる、まやかしの「民主」主義など拒否して、私たちは今こそ別の道を歩こう。平和、人権、環境、まやかしではない真の民主主義のための新しい道を。いつまでもそのための道が細く頼りないように見えるのは、魯迅の言葉を借りるなら、歩く人が少なすぎるからだ。ひとりでも多くの人が、安倍自民と別の道を歩むなら、「この道しかない」に終止符を打つことができる。

 いよいよ4月からは電力自由化によって、これまで一般家庭では選べなかった電力会社も選べるようになる。政治の世界だけ、いつまでも「自民しか選べない」でよいわけがない。私たちの未来は、「“この道しかない”ではない、別の道」「安倍自民ではない、別の選択肢」が登場できるかどうかにかかっている。次期参院選のスローガンは、案外、「選ばせろ!」がふさわしいのではないかと、私はひそかに思っている。

注)クメール・ルージュ時代のカンボジアでの死者については、かなり古いが「ポル・ポト派とは?」(小倉貞男・著、岩波ブックレットNo.284、1993年)の記述を参考にしている。プノンペン政権の1989年の発表によれば、カンボジアの総人口は1975年現在で835万人、クメール・ルージュ時代の死者数は総人口の26.81%であったことを明らかにした上で、死者を224万人と推計。そのうち病死32%、殺されたもの68%との記述がある。本稿ではこれを基に、224万人のうち68%に当たる152万人を虐殺の犠牲者とした。

(黒鉄好・2016年3月19日)

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【転載記事】サンダース出馬で「社会主義」が禁句でなくなる~米大統領選レポート

2016-03-07 21:05:22 | その他(海外・日本と世界の関係)
米国社会の混迷を背景に、こちらも混迷という以外に表現のしようがない2016米国大統領選の報告が、サンフランシスコ在住のレイバーネット会員、和美さんから寄せられた。

米国社会の現状とともに、良くまとまっている報告なので、以下、全文をご紹介する。

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レイバーネット日本より

サンダース出馬で「社会主義」が禁句でなくなる~米大統領選レポート



アメリカでの大統領選挙戦の報告です。こちらでは現在、大統領選の民主党と共和党の予備選挙が2月より始まって6月半ばまで続き、その後はそれぞれの党の代表が11月の大統領選まで選挙運動をしますので、ここ約1年程は毎日そのニュースでいっぱいです。特に今年は前代未聞の選挙で毎日がサーカスの様です。今年の選挙はアメリカの社会の不満層が右はもっと右に、左はもっと左に(左と言ってもいわゆるリベラル派)に動いている現れのようです。

まず共和党ですが、どうやらニューヨークの資産家トランプが指名を受けそうです。共和党はかなりの州が勝者が全delegates(代議員)を勝ち取る仕組みになっていて、これは元々は党の指導者が、主流を行く代表を選びやすくする為に決めた仕組みのようで、予備選の始めの方に南部の保守的な州をさせて、保守派がまず流れを固めてから後半を有利にしようという計算です。

delegates(代議員)の数の一番大きなカリフォルニアなどは最後の6月ですから、ここにくるまでにはいつも既にほとんど決まっています。ところが今回は当てが外れたようで、予想ではトランプが大体どの州も40%かそれ以上の支持を得ているため大差でdelegatesの数をとりそうです。指導層はこれをなんとか阻止しようと、毎日、特にトップ3人(トランプも入れて)の候補者が、子供のガキ大将がお互いを罵倒し合うようになじり合っています。

マルコ・ルビオは「トランプは世界一流の詐欺師だ」といい、「トランプの手は小さいが手の小さいやつは信じる事が出来ない」、また「彼は顔に日焼け色のスプレーをして、日焼けしているように見せている」などなど。

それに対してトランプは「ニューヨークの5番街で誰かをピストルで撃っても皆俺に投票してくれる」と言ったり、ボトルの水を床にまき散らしながら、「小さいマルコは討論の前、のどがひからびていて、付き添いに水、水とどなっていた」と子供のように相手をけなし合っています。

共和党の指導者などは、もしトランプが代表に選ばれたら彼をサポートしない、中には民主党のクリントンに投票すると公に言っている人もいます。このような状態では、多分この秋を待たずにひょっとして1854年以来続いた共和党は分裂するかもしれません。

一方、民主党の方ですがクリントンとサンダーズが競っています。サンダーズは前は無所属で自分は社会主義者だと言っていました。彼はこの大統領選に立つため、直前に民主党に入党し、"democratic socialist”だと言っています。アメリカでは共和党と民主党以外の第3党が選挙に出るのは、最近ではほとんど不可能に近い状況です。彼が立候補した時、最初は党指導部はアメリカでは社会主義者は絶対に支持を得られないとたかをくくっていましたが、最近は彼がかなりの支持を受け出したので少し慌て出したようです。

アメリカではほんの最近まで、普段の会話に社会主義とか共産主義という言葉は禁句でした。ところが若い人達や労働者の間で学校を借金で卒業してもろくな仕事が得られない、また賃金が低すぎてフルタイムで仕事をしていても生活出来ない、それどころかフルタイムすら手に入らないという状況の中で、彼の提案している方針は大変魅力的ですから、「彼は社会主義者だけどいいのか?」という質問に「それがどうした?」と答えが返ってきます。

資本主義の現状が、アメリカ人の考えを内から変える土台があったのですが、サンダーズの出馬により、少なくとも今までの社会主義という禁句を普通に受け入れられるようにしたのです。しかし現在、アメリカの両議会ではどちらとも共和党が支配していますから、サンダーズのfree education(大学迄、ただの教育)、 single payer health care(国が運営する国民全員の健康保険)、 $15 minimum wage(federal)(国の最低賃金-州や市の最低賃金はそれと同等かそれ以上) などが議会を通るのは今の所、ほとんどないと思いますが、若者、労働者にとっては提案してくれるだけでもこの候補者に希望がみえるのでしょう。彼自身、「どのようにして実際これらを実現するのか」という質問に対して、"political revolution” を起こすのだ、という漠然とした答えしか返ってきません。

今日のスーパーチューズデー(11の州での予備選挙+3州の共和党のコーカス)でトランプはかなりの州の票を得て、他を大きく離して先頭を走っています。サンダーズもかなり善戦しています。今年の選挙は今までと違っておもしろくなって来ました。

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軍政系与党を下野させた市民の「底力」 歴史でたどるビルマ(ミャンマー)の過去、現在、そして未来

2016-01-25 21:10:44 | その他(海外・日本と世界の関係)
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2016年2月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 「国民は選挙結果についてすでに理解している」。歓声を上げる大勢の市民を前にして、長年、自宅軟禁の身であったアウンサンスーチー氏は高らかに勝利宣言した。スーチー氏率いるNLD(国民民主連盟)の別の幹部も「私たちは政権を担うことができる」と自信を示した。「私は大統領の上に立つ」という、いささか勇み足めいた発言もあり物議を醸したものの、この国の民主化のプロセスが止まることはないだろう。

 国際社会からの圧力の中で、2007年から民政移管の準備作業に当たってきたテインセイン大統領の与党、連邦団結発展党(USDP)は敗北を認めた。軍服を脱いだ元軍人が率いる非軍政政党による暫定政権から、民政移管を前提とした「自由選挙」により選ばれた政党による政権へ――長年の苦難を脱しつつあるこの国・ビルマの今後の展望を、本稿では歴史でたどりながら占ってみたいと思う。

注)本稿筆者は、NLDが圧勝した1990年総選挙の結果を認めず、不当な独裁で政権に居座り続けた軍政当局によるビルマからミャンマーへの国名変更を認めない立場を取っている。民政移管後の新政権による新しい決定があるまで、旧国名「ビルマ」と表記することをご了解いただきたい。

 ●ビルマを扱った2つの映画

 日本人の中でも映画ファンの人々は、ビルマと聞けば「戦場にかける橋」と「ビルマの竪琴」の2作品を真っ先に思い出すのではないだろうか。前者は太平洋戦争中、ビルマを支配していた日本軍が連合国軍の捕虜を使って建設した泰緬鉄道(タイ―ビルマ間の鉄道)を舞台とするものであり、米英合作映画として1957年に公開された。泰緬鉄道の建設では、日本軍によって連合国軍の捕虜が強制労働に駆り立てられ、おびただしい死者を出した。主題歌「クワイ河マーチ」は運動会など今なおいろいろな場面で使われているが、本来ならこのような場面で気安く使うような曲でないことはもちろんである。第30回アカデミー賞受賞作としても知られる。

 「ビルマの竪琴」は竹山道雄が児童向けに執筆した唯一の作品を、市川崑監督が1956年と85年の2回映画化している。日本への引き揚げを拒否し、戦没者の慰霊のため現地に残って竪琴の演奏を続ける日本兵・水島を、本稿筆者も観た85年版では中井貴一が演じている。

 この2作はいずれも戦争の悲劇を捕虜虐待の被害国(戦場にかける橋)、敗戦国(ビルマの竪琴)の側から描いたもので、いずれも視聴者の胸を打つ。だが、日本人のビルマに対する知識と言えばこの程度のもので、戦後のビルマは長らく謎のベールに包まれた国だったというのが実際のところではないだろうか。

 太平洋戦争中、日本軍の後押しでビルマの英国からの独立運動を指揮した人物の中に、スーチー氏の父であり、後に建国の父と称せられることになるアウンサン将軍がいた。アウンサン将軍は日本敗戦後の1947年、英国からの独立を前にして暗殺される。

 ●軍のクーデターからビルマ式社会主義へ

 その後、独立を達成したビルマは政党政治がうまく機能しないばかりか、中国の国共内戦など周辺諸国の戦乱の影響で政治的混乱と経済低迷が続いた。そうした中、政治的発言力を増した軍部が1958年、ネ・ウィン将軍をトップとする暫定政府を成立させる。1962年には軍部がクーデターにより全権を掌握。軍政の基盤となる「革命評議会」を設置した。

 初めは発展途上国では珍しくない、軍事力による強権を背景とした凡庸な軍事独裁政権と思われた。だが「革命評議会」はその後、国際社会が予想もしなかった意外な方向へ進み始める。

 『ビルマ連邦革命評議会は、この世に人間が人間を搾取して不当な利益を貪るような有害な経済制度が存在している限り、すべての人間を社会的不幸から永久に解放させることはできないと信じる。わがビルマ連邦においては、人間による人間の搾取をなくし、公正な社会主義経済制度を確立し得たときに初めて、すべての人民が民族、宗教の別なく、衣食住の心配を初めとするあらゆる社会的苦しみから解放され、心身ともに健康で楽しい豊かな新世界に到達し得るものと信じる』。

 これは、革命評議会を設立したビルマ軍の17人の将校たちが起草し、1962年4月2日に発表した綱領的文書「ビルマにおける社会主義の道」からの抜粋である。革命評議会の目指す方向性が明瞭に示されている。

 彼ら軍人たちは、1962年7月にビルマ社会主義計画党を組織。ネ・ウィンを議長とした。1963年1月にビルマ社会主義計画党が発表した文書「人間と環境との相関関係」では、同党の目指す道がより具体的に示されている。

 『新しい公正な社会主義社会では、人間による人間の搾取や弾圧、富の収奪などは存在しない。搾取するものがいない以上、階級間の対立や衝突もない。階級間の矛盾、衝突を解決する唯一の経済制度、それが社会主義経済制度である。社会主義経済制度では、生産活動はみんなの共同で行われる。みんなが共同で行う事業は、みんなで所有するというのが最も理にかなっている。ビルマ式社会主義とは、この社会主義経済制度を実践することにある。……社会主義社会の建設を担うのは、実際に働く労働者である』。

 日本におけるビルマ研究の第一人者、大野徹・大阪外語大名誉教授は、これらの文書に記載されている内容から、ビルマ式社会主義と標榜されていたものが「資本主義を否定し、生産手段を共有し、これを計画的に運用することによって、人間による人間の搾取がない平等な社会の実現を目指していると言う点で、まぎれもなく社会主義の概念を反映した考え方である」としている。ただ、ソ連など他の社会主義国家ではきちんと整理されていた党と国家の関係などは、ビルマではきちんと整理されているとは言いがたい面もあった。例えば、1974年に制定されたビルマ新憲法では、ビルマ社会主義計画党を「国家唯一の指導政党」であるとして、他の社会主義国同様、党の指導性原則を謳いながら、実際の同党は革命評議会によって運営されていた。党と国家のどちらが実質的なビルマ社会の頂点になっているのか判然としがたい、独特の外観を持つシステムだったといえよう。

 1962年以降、革命評議会が実行に移した政策は社会主義そのものであった。石油合弁企業の国による接収、全輸出入企業と米の買い上げ、配給制度の国有化、国内全銀行の接収(62年)など様々な企業の接収と国有化が続いた。その後も国内の全商店の国有化(64年)、繊維工場、石油採掘企業の接収(65年)と続く。製造業の国有化が行われる1968年に至り、主要産業の国有化がほぼ完了したのである。

 同時にこの国有化は、外国資本とりわけインド資本を国内から追放する役割も担っていた。当時のビルマ企業にはインド人所有のものが多く、これらを接収することはインド人の手からビルマ人の手に経済の主権を取り戻すことでもあった。この時代、相次いで社会主義革命を達成した中国、キューバ、ベトナムなどで、社会主義化が実質的に外国人を追い出し、自国民の手に経済を取り戻すための過程であったことを踏まえると、ビルマ式社会主義もまた、こうした時代に規定された「民族主義的社会主義」としての性格を強く持つものであった。

 ビルマ式社会主義は、国営企業部門において企業管理者となるべき有能な人材の不足によって、所期の効果を上げることはできなかったが、それでもビルマ経済にとって最大の桎梏となっていた小作制の全面廃止など大きな歴史的事業を成し遂げた。1963年から65年にかけての農地改革で、小作人の選定権を地主から取り上げ、村落農地委員会に移すとともに、小作料を撤廃することが決められたのだ。地主の個人所有物でなくなり、村落農地委員会に移った農民は、名称こそ小作人のままであっても実質的には共同農場で働く農民労働者という位置づけになる。1988年時点の統計でも労働総人口の62%が農業に従事していた農業国・ビルマにおいて、地主と小作制の廃止は文字通り新時代への入口を意味したのである。

 その後、1974年にビルマは国民投票で90%以上という圧倒的な賛成を得て新憲法を採択する。このときの憲法では「ビルマは、労働者国民が主権を有する自由な社会主義社会である」(第1条)、「国家の最終目標は、社会主義社会にある」(第5条)、「国家の経済制度は、社会主義制度である」(第6条)、「国家の体制は、社会民主主義に基づく」(第7条)とされた。国名もビルマ連邦からビルマ連邦社会主義共和国に変更された。憲法が規定するとおりの社会実態が伴っていたかについては議論の余地があるものの、少なくとも外形的には、社会主義憲法と呼ぶにふさわしいものであった。

 ビルマ政府も、この憲法の承認で、1962年クーデター以来の軍政から民政への移管を達成したと内外に宣伝した。だが実際には、ビルマ社会主義計画党の一党独裁、そしてネ・ウィン党議長を指導者とする基本的部分は変わらないままであった。

 ●ビルマ式社会主義破たんから社会主義なき軍政へ

 ビルマ式社会主義の下で経済は低迷を続けた。温暖で湿潤な気候に恵まれたビルマは稲作に適しており、国民の食料は十分確保されていたが、米の生産量が戦前の水準を超えたのはようやく80年代に入る頃であった。それでも米輸出は戦前の水準には回復せず、ビルマは米輸出の低迷から必要な物資の輸入が滞るようになった。国民経済は徐々に悪化、失業者の増大、インフレの進行で国民の不満が高まった結果、反政府運動が起きるようになった。学生から始まったデモ・集会は各地に飛び火、人権や自由選挙を要求し始めた。学生たちの行動は、1962年のクーデター以来、ビルマ社会主義計画党議長として君臨してきたネ・ウィン将軍による指導体制への明らかな拒絶であった。

 経済がボロボロになり、学生から議長退陣要求を突きつけられたビルマ社会主義計画党は、一党独裁制の放棄と複数政党制の容認、ネ・ウィン議長の辞任などで事態収拾を図ろうとした。だが、社会的尊敬を集めてきた大乗仏教の高僧たちまでが学生側に立って行動し始めたとあってはすでに手遅れに近かった。こうして、追い込まれたビルマ政府が初めて複数政党の参加を得て実施したのが1990年総選挙だった。

 この選挙ではNLDが大勝。誰の目にもスーチー氏とNLDによる新政権が樹立されるものと思われた。だが軍部が政権委譲を拒否。さらに、ソウ・マウン将軍らによって新たな軍政組織「国家法秩序回復評議会」(その後「国家平和発展評議会」に改称)が置かれ、民主化運動は徹底的に武力弾圧された。この民主化運動の過程で、軍部の凶弾に倒れた市民の数ははっきりしないが、3000人に上るとの説もある。スーチー氏もその後、15年以上の長期にわたって自宅軟禁下に置かれるなど、ビルマ民主化への希望は散っていった。

 長い冬の時代を経て、ビルマに転機が訪れたのは2000年代に入ってからである。スーチー氏がノーベル平和賞を受賞するなど、軍事独裁政権への国際社会の目は次第に厳しさを増していった。2007年、軍出身のテインセインの首相就任以降、様々な改革が始まる。2010年、スーチー氏の自宅軟禁を解除。2011年11月にはNLDの政党登録が認められるなど、民政移管に向けた準備も整えられていった。

 ●NLD新政権と今後の課題~そして日本は?

 小選挙区制で行われた総選挙で、NLDは改選全議席の3分の2以上を占める圧勝となった。テインセイン氏率いるUSDPは、この間、順調に経済再建を果たしてきたにもかかわらず、軍政の流れを汲んでいるという理由だけで実績はまったく評価されなかった。50年以上にわたって銃口で国民を支配してきた軍政への拒否反応が、ビルマ社会の隅々にまで浸透していたことを示している。

 スーチー氏を狙い撃ちするために旧政権が盛り込んだ憲法の規定により、外国人の家族を持つ者の大統領就任は禁じられた。英国籍の夫を持つスーチー氏は大統領に就任できず、別の人物を充てる必要がある。憲法を改正するためには国会で4分の3を超える賛成(4分の3「以上」ではない)が必要となる。憲法は軍部に4分の1の議席を非改選で与えることも規定しており、NLD新政権による改憲の道は事実上閉ざされている。

 国防相などの重要ポストも自動的に軍に割り当てられることになっている。軍との協調なしにはあらゆることが進まない難しい体制の中、新政権は新しい時代の舵取りを迫られる。戦前の日本では、陸軍大臣、海軍大臣は現役の制服組でなければならないとする「軍部大臣現役武官制」が導入された結果、軍部が気に入らない内閣から閣僚を引き揚げ、倒すなどして発言力を強めたことが、その後の軍事政権につながっていった。ビルマが導入している制度はこれと類似したシステムであり、文民統制の原則を否定するものだ。長期的には改憲により、こうした非民主主義的システムは改める必要がある。ただ当面は新政権安定のためにも、経済再建、少数民族対策、外交関係の再構築などが課題である。日本はNLD新政権にできるだけ助言と援助をしながら、民主化が後退しないよう見守ることが当面の対応の基本となるだろう。

 気になったのは、昨年11月の総選挙期間中、「半世紀にわたった軍事独裁政権の暗闇から、ビルマ国民がようやく脱した」的な、いかにもステレオタイプで「上から目線」の論評が日本のメディアで目についたことだ。確かにそれは事実に違いないが、本稿筆者はビルマに対し、そのような上から目線の論評をする資格が果たして本当に日本にあるのか問いたいと思う。1955年以降、60年もの長期にわたって自民1党支配をのさばらせ、いまだそこからの脱出の糸口もつかめない日本に対し、ビルマ市民は「わずか50年」でトンネルを脱したとの見方もできる。日本はいつ自民1党支配を脱するのか。政権交代可能な政治体制にいつ移行できるのか。ビルマや台湾に対して「上から目線」で論評を続けているうちに、このままでは日本が中国、北朝鮮と並んで「東アジア最後の1党支配国家群」の烙印を押されかねないところまで来ている。問われているのは、案外私たち日本のほうなのではないか――戦争法廃止のための野党共闘が叫ばれながら、遅々として進まない日本の現状を見るたびに、そんな思いにとらわれる。

<参考資料・文献>
 本稿執筆に当たっては、『ビルマ――破綻した「ビルマ式社会主義」』(大野徹)を参考にした。

(黒鉄好・2016年1月17日)

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【訃報】ドイツを代表する指揮者、クルト・マズアさん死去

2015-12-20 18:00:46 | その他(海外・日本と世界の関係)
ドイツを代表する指揮者、クルト・マズアさん死去(朝日)

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 ドイツを代表する指揮者で、日本でも人気の高いクルト・マズアさんが19日、自宅のある米国で死去した。88歳だった。日本にいる家族に連絡が入った。妻は声楽家のマズア偕子(ともこ)さん。

 ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団やライプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団など、ドイツの名門楽団で要職を歴任。ブルックナーやブラームスなどで、重厚さとぬくもりを感じさせる名演を数多く率いた。1991年からニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督に。ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者やフランス国立管弦楽団の音楽監督も務めた。

 社会的活動にも積極的で、東西ドイツ対立の平和的解決を目指して奔走。ベルリンの壁崩壊後も「東ドイツ子供基金」を創設したほか、日本にも支部がある「フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ基金」名誉会長を務めた。
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ドイツを代表する指揮者クルト・マズアさんが死去した。日本でも有名とのことだが、クラシック界に造詣の深くない私は妻が日本人であることも含め、知らなかった。ただ、この人物に関しては、歴史上、どうしても記しておきたいことがある。

旧東ドイツで、ベルリンの壁が崩壊する直前の1989年10月、社会主義統一党(共産党、現在のドイツ左翼党)による一党独裁体制の下で、長く独裁体制を敷いてきたエーリッヒ・ホーネッカー国家評議会議長兼社会主義統一党書記長に対し、東ドイツ第2の都市ライプチヒでの民主化要求デモが7万人規模にふくれあがり、デモ隊と軍・警官隊が衝突直前にまで至った。この際、地元、ライプチヒの党委員会書記らとともに、ホーネッカーらベルリンの党中央委員会とデモ隊の橋渡し役となって7万人デモを成功に導き、その後のホーネッカー失脚とベルリンの壁崩壊につなげた立役者のひとりが、国立ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者のマズアであったことはよく知られている。

なお、マズアが残した功績については、当ブログ2012年7月8日付け記事「官邸前金曜行動が進めた新しい社会への偉大な一歩」を参照いただきたい。

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【転載記事】パリでのテロに関するATTACフランスの声明、他

2015-11-16 20:59:55 | その他(海外・日本と世界の関係)
14日(現地時間13日)、パリで起きたテロ事件に関し、ATTAC(市民支援のために金融取引への課税を求める会)フランスが発表した声明を以下のとおり転載する。また、シリア出身、UAE(アラブ首長国連邦)在住のある女性アナウンサーのツイートが、当ブログ管理人に回ってきたので併せてご紹介する。

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レイバーネット日本より転載

パリでの虐殺を受けて:激しい不安、激高、行動
ATTACフランス、2015年11月14日

 パリでの虐殺の翌日、アタックの会員および共鳴者たちは、フランス社会と共鳴し、殺人的な憎悪に対して、激しい不安と激高を覚える。アタックは、犠牲者と彼らに近しい人々に対して、心の底から連帯を表明する。金曜夜に殺害された人々は、親睦、市民的交流、芸術、自由な生活への権利を行使していたにすぎなかった。しかし、殺人者たちは、極端な宗教観によって、それらすべてを根絶しようとしたのであった。

 動揺と悲しみにもかかわらず、私たちは恐怖に屈することを拒否する。私たちは、恐怖の、烙印の、スケープゴート捜しの社会を拒否する。私たちは、自由に働き、楽しみ、集まり、戦い続ける決意を主張する。

 「フランスは戦争状態にある」と語られている。しかし、それは私たちの戦争ではない。アメリカがイラクとアフガニスタンで引き起こした惨事に引き続き、フランスがおこなっているイラク、リビア、シリア、マリ、ニジェール、中央アフリカ共和国での介入は、これらの地域に不安定をもたらし、難民(migrants)を発生させている。その人々はヨーロッパという要塞に打ち当たり、その遺体が私たちの浜辺に打ち上げられているのだ。不平等と略奪が幾多の社会を引き裂き、社会どうしを互いに対立させている。

 アルカイダやISが、その非人間的な力のすべてを引き出しているのは、これらの不公正からにほかならない。前述の「戦争」は、いかなる平和ももたらすことはないだろう。というのも、公正なくして平和はありえないからだ。この「戦争」を終わらせるために、私たちの社会は陶酔から、力、武器、石油、レアメタル、ウラン等の陶酔から醒めなければならない。

 あらゆる絶望と常軌を逸した行動を培う土壌のかなたにまだ残っているのは、「悪の凡庸さ」である。すなわち、人類は野蛮の回帰や支配からけっして守られていないという事実である。そしてそれは、一部の者たちが、他者に対する、人間としての人間への尊敬を棄てたときに起きる。

 私たちの射程にある事柄についていうなら、いかなる形の帝国主義-たとえそれが「人道的」と自称しようとも-とかつてないほど戦わなければならない。破壊をもたらす生産至上主義に立ちむかい、節度ある、自由で平等な社会を目指して戦わなければならない。

 この腐敗しつつある世界に対して、南と北の民衆が共に掲げるオルタナティヴを目指してデモをし、戦う権利、その権利に対するいかなる制限も私たちは拒否する。11月29日から12月12日にかけて開催されるCOP21の機会に、私たちは、もう一つの世界は可能であり、その到来は緊急の要請であり、かつ必然であることを、市民の結集によって示すだろう。
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シリア出身、UAE在住のある女性アナウンサーのツイート

「敬愛するパリよ、貴女が目にした犯罪を悲しく思います。でもこのようなことは、私たちのアラブ諸国では毎日起こっていることなのです。全世界が貴女の味方になってくれるのを、ただ羨ましく思います。」シリア出身UAE在住の女性アナウンサー
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パリで起きたテロは、確かに悲しむべき出来事であり、テロ自体は憎むべきことである。しかし、そもそもATTACフランスの声明にあるように、今日の事態はフランス含む先進国の軍事行動がもたらしたものである。

テロの原因である<不公正>を放置、温存し、自分たちも先進国のように豊かで文化的な生活をしたいという途上国の人々の願いを軍事行動によって打ち砕いたフランスでのテロに世界中の同情が集まるのに、毎日、それより多くの人々が死亡しているシリアの戦争には同情どころか関心も集まらない――これが世界の現実である。私たちは、テロの被害を受けた人々だけでなく、テロを生み出す根本的原因である「戦争」と「不公正」の被害を受けた人々にも等しく関心を向けなければならない。

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