(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)
この正月も、例年通り九州の実家に帰省してきた。帰省中の1月4日、地元の有名鉄道模型店を久しぶりに訪ねてみた。九州の鉄道模型ファンの間では「この店を知らない人はモグリ」といわれるほどの有名店だ。現在の店主は2代目であり、博多駅前の一等地で、先代の時代からもう半世紀以上営業を続けている。訪れる客は当然、濃いマニアばかりで、店主と客、あるいは客同士で鉄道(実車、模型の両方)の情報を交換し合うサロンのように機能している。働き方改革の流れなのか、最近は正月三が日は休業するようになったため、正月に帰省してもなかなか訪問できずにいた。
十数年ぶりに訪れた店内は、足の踏み場もないほど並べられていた鉄道模型スペースが減ってずいぶん寂しくなった。2025年の営業初日のせいか客は私1人。「お元気ですか」と話しかけると、30年以上昔の学生時代、頻繁に訪れていたせいか「うっすらですが覚えていますよ」と返ってくる。客商売の人は顧客の顔は忘れないというが、本当らしい。
しばらく鉄道談義をした後「九州の鉄道で私が唯一、心配なのは、西九州新幹線の今後です」とさりげなく切り出す。西九州新幹線は、武雄温泉(佐賀)~長崎間のみ先行開業したものの、鳥栖(佐賀)~武雄温泉間の開業の見通しは立たない。この区間は着工決定(2012年)の段階では、フリーゲージトレイン(軌間可変式電車;新幹線の標準軌(1435mm軌間)と在来線の狭軌(1067mm軌間)の切換区間を走行しながら車輪の幅を変える)を使用することによって在来線をそのまま走行する計画になっていたからである。博多から鳥栖までは九州新幹線(標準軌)、鳥栖から軌間を変えて在来線(狭軌)を武雄温泉まで走った後、再び軌間を変えて武雄温泉から長崎までは西九州新幹線を走る・・・はずだった。
だが、フリーゲージトレインの技術開発に失敗し計画が頓挫。「鳥栖~長崎の全区間を標準軌新幹線にさせてほしい」と政府・自民党が佐賀県に申し入れたものの「同意する、しない以前にそんな話は聞いてもいない」と佐賀県知事が態度を硬化させ、ルートすら決められないでいる。もしこのままの状態が続けば、始発駅発車後わずか30分で全員が降りて乗換という現状が半永久的に続くことになる。1ミリも開業する見込みがないリニアのほうが、引き返せるだけマシではないかと思える。21世紀日本の出来事とは思えない。これほどの惨劇は探してもそうそう見つかるものではない。
「西九州新幹線にデビューしたN700S系車両は、結局、博多駅のレールを一度も踏めないまま老朽廃車になるんじゃないか。九州ではみんなそう噂していますよ」。店主からは何事もなかったかのようにそんな答えが返ってくる。鉄道車両の寿命は、国鉄型車両だと40~50年くらいが多いが、路面電車など速度が遅い車両の中には80年、場合によっては100年走るものもある。しかし、新幹線車両は高速走行し、強い空気抵抗や振動が加わるため、20年くらいでほとんどが寿命を迎える。「僕が生きている間は、博多駅にN700Sは来ないんじゃないですかね」。少なくとも地元・九州では、博多~長崎の全通にもっと期待感があるのではないかと考えていただけに、意外な気がした。
模型店を辞した後は博多南線に乗る。この路線は1990年、博多~博多南駅間8.5kmが開業したが、もともとは山陽新幹線岡山~博多間開業(1975年)に合わせて稼働を始めた博多総合車両所への回送線だった。車両所の敷地の大半が属する福岡県筑紫郡那珂川町(当時。現在の那珂川市)には鉄道がなく、那珂川町民は渋滞する西鉄バスで、福岡市中心部まで1時間かけて通勤通学をしなければならなかった。目の前を走っている新幹線回送車両は博多駅までたったの10分。「あの列車に乗れればいいのに」という町民の願いは国鉄時代からあったが、かなわなかった。
国鉄分割民営化後「あの新幹線に乗せてほしい」と那珂川町民はJR九州に陳情したが「新幹線は当社の管轄ではない。陳情するならJR西日本に」と言われた。陳情を受けたJR西日本は、新幹線として事業免許申請をしようとしたが、最高時速120kmでしか走行しない博多~博多南間が「その主たる区間を列車が二百キロメートル毎時以上の高速度で走行できる幹線鉄道」(全国新幹線鉄道整備法第2条)の要件を満たさないため、在来線としての免許申請に切り替えるよう運輸省から助言を受ける。ところが今度は、九州内の在来線の営業権はJR九州が持つと定めた国鉄改革法第6条に抵触するため、JR西日本は列車運行ができても営業権は持てないことになった。やむを得ず、JR西日本がJR九州に博多南駅の営業を委託する形でスタートする。那珂川町民の「痛勤痛学」が解消され、博多南線は九州内でも有数の路線に成長した(その後、2010年からは駅もJR西日本の直営に変更されている)。
新幹線車両所までの回送線を旅客営業線に転用した同様の路線としては、JR東日本・上越新幹線越後湯沢~ガーラ湯沢間がある(こちらも新幹線ではなく在来線として事業免許が与えられ、形式上は在来線である上越線の枝線扱い)。ただ、こちらは越後湯沢~ガーラ湯沢間が新幹線・在来線ともにJR東日本のため、開業に当たって博多南線ほどの紆余曲折はなかった。しかも、越後湯沢~ガーラ湯沢間はガーラ湯沢スキー場が営業する冬季のみの運行のため「新幹線が法律上、在来線として運行される区間」で、通年で乗れるのは博多南線だけ。その意味ではやはり珍しい路線であることに違いはない。新幹線車両を利用するため全列車が特急扱いだが、乗車券200円、特急券130円のわずか330円で新幹線車両に乗れる。子どもたちを「新幹線デビュー」させるための体験乗車向けの隠れた人気路線だという話もある。
博多南線の地元への定着は結構なことだが、西九州新幹線をJRというより国は今後どうするつもりなのか。「鳥栖~武雄温泉間では在来線をそのまま使うというから同意したのに、今ごろになって新幹線にしてくれなどというのはだまし討ちだ。打診されてもいないものに同意などできるはずがなく、新幹線はタダでも要らない」という佐賀県の怒りが収まる気配はない。たとえ1メートルでも線路が途切れてしまえば、ネットワークとして全体が価値を失ってしまうという鉄道の特性をJR上層部も国交省も誰ひとり理解していないからこんなことになるのだ。乗客が少ないから災害復旧費がもったいないという理由だけで、北海道のど真ん中を走る根室「本線」の一部区間だけ断ち切って平気でいられる国やJRの頭のレベルなどしょせんはその程度ということだろう。
私は最初、本稿のタイトルを「見えてきた新幹線の『墓場』」にするつもりでいた。2025年の新年早々そんなタイトルでは縁起が悪いため「未来」に変えたが、九州でも北陸でも大鹿村でも、見えているのはまさに新幹線という名の「屍の山」である。
(2025年1月5日)