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高校の同窓会に参加してわかった私の「現在地」

2025-01-08 23:56:33 | 日記

年末年始、帰省していた九州で、県立高校の同窓会(同期生のみ)に初めて出席した。出席の意思は前からあったが、仕事で1998年4月に地元を離れて早くも26年。高校全体の同窓会は毎年、お盆に合わせた8月に開催されるが、同窓会のためだけに帰省するわけにもいかず、これまで出席したくてもできないでいた。それが昨年7月に来た案内によれば、年始に同期生だけの同窓会が開催されるという。

高校を卒業したのは昭和が平成に変わった年だった。その平成もいつの間にか終わり、同級生に会う機会はほとんどないまま、気づけば35年もの長い年月が過ぎていた。

1985年に「卒業」というタイトルの歌が3曲出た。尾崎豊さん、斉藤由貴さん、菊池桃子さんがそれぞれ歌うメロディーも歌詞もまったく別の3曲で、私はどれも気に入っているが、そのうち斉藤由貴さんの「卒業」にこんな一節がある。『卒業しても友だちね/それは嘘では無いけれど/でも 過ぎる季節に流されて/逢えないことも知っている』

この歌詞の持つ意味は、卒業直後には多分、わからない。「みんな地元にいるんだし、会おうと思えばいつでもできる」と、卒業証書を持って最後に校門を出たときは誰もが思っている。だが、それぞれが別の進路を歩み、別の人生を刻んでいくにつれ、この歌詞の内容が徐々にその輪郭を表し、私たちの前で深く重い意味を持つようになる。

   ◇    ◇    ◇

卒業後に会った高校当時の同級生は、たった2人しかいない。ひとりは、高校1年当時、同じクラスにいた個性的な女子・Nさん。おしゃべり好きで、話し始めるととにかく長い。しかも談笑するとき、いつも(椅子ではなく)机に座っていたので強く印象に残っている。話しかける相手はある程度決まっているらしく、私はその中に入っていなかった(要するに相手にされていなかった)。2年になって別のクラスに分かれたが、ある日、たまたまNさんのクラスの前を通りかかると、そこでも机の上に座って談笑していた。

大学進学後のバイト先の店に、メーカーからの試食販売要員として来店したときに偶然会い、セール期間中の2日間だけ一緒に働いた。休憩時間に「高校時代の私、どういう印象だった?」と聞かれたときはどう答えていいかわからず困った。「普通だったけど」と無難に答えたことを思い出す。卒業してまだ数年で、思い出話に浸るには早すぎる時期だった。

もうひとりが、当ブログ2024年3月30日付け記事「路傍の雪が溶け、他人の幸せを祝う春」にご登場いただいた課長補佐の女性、Rさん。高校2~3年で同じクラスだったが、タイプはNさんとは正反対。派手さはないが、みんなでやろうと決めたことは、困難に直面しても最後まできちんとやり遂げる。それだけに、課長補佐への昇進は私から見ても納得の人事といえる。

結局、卒業後の35年で1回でも会えたのはこの2人だけ。これ以外の同級生の消息は、同窓会会員名簿掲載の情報で断片的に知るのみだった。

それなのに、同窓会に参加してみようと思い立ったのにはいくつか理由がある。ひとつは、同級生たちが35年の時を経てどのように変わったのか(あるいは変わっていないのか)を見たいという興味と、怖い物見たさ。もうひとつが、自分がそれなりに精いっぱい生きてきて、一定の立ち位置も得ているので、元同級生たちの前に出ることにあまり恐れを感じなかったことにある。

同窓会に出席するかどうかをめぐっては、大きく3つくらいの立場に分かれると私は思っている。第1は人生に成功している(と自分で思っている)人たち。多くは地元に残って高校時代からの人間関係をも活かしてポジションを確立している。同窓会には毎回のように出席しており、幹事や世話役などを務めるのもたいていこういう人たちである。

第2は、消息は知れているものの、決して参加してこない人たちである。人生に成功していないか、成功しすぎて地元に帰る暇もないかの両極端であることが多い。そして第3は消息不明の人たちである。同窓会に出席することはまずない。

   ◇    ◇    ◇

同窓会には70人ほどが集まった。今の若い世代には信じられないかもしれないが、私の高校時代(昭和末期)は40人×11クラスで同級生が440人もいた。この日、会場に来たのは約6人に1人ということになる。

先生方は4人が参加された。当時の指導法に対しては賛否両論あると思うが、今の時代なら「不適切にもほどがある」と言われるようなことであっても、その指導のおかげで困難に立ち向かう力がついた。あの頃があったから今があることも一面では事実なのだ。親からも教師からも大切に、丁寧にと育てられた今の若者世代は、私たちのような「困難に立ち向かう力」を本当に身につけられているのだろうか--先生方と昔話や近況に花を咲かせながら、ふと、そんなことも思った。

だが、私たちの世代も、上の世代からは「最近の若い者は」と言われながら育ったが、何とか持ちこたえている。私たちが心配するほど若者世代はひ弱ではなく、これからの時代にふさわしい、彼ら彼女らのやり方で道を開いていくのだと信じたい。

先生方からは「社会の第一線で活躍しているみなさんを見て、とても嬉しく思っています」という言葉もいただいた。もちろん、好きこのんでこの会場まで来ているのは、人生に成功している(と自分で思っている)人たちばかりなのだから当然だろう。だがこの会場の外には、第2カテゴリーの人(消息は知れているものの、決して参加してこない人)や第3カテゴリーの人(消息不明)がたくさんいることも、決して忘れるべきではない。

当ブログ2024年2月14日付け記事「年末に見た夢の意味が、少しわかってきた。私にとって「書くこと」の意味」で紹介したT先生は欠席だったが、幹事からメッセージが紹介された。自分でさえ気づいていなかった私の能力を見抜き、開花させてくださったT先生への恩は今なお忘れない。

会場に来ていた人は、高校教師になっている人、S社のトラック運転手をしている人などさまざまな職業の人がいた。地元に残っている女性は、臨床検査技師、看護師など医療系の職業の人が多かった。地方公務員(地元市役所職員)もいた。

総じて、地方では女性が「誰かのケアをする職業や立場」に就くことに期待する暗黙の空気がある。日本国憲法では法の下の平等が謳われ、男女差別はないことになっており、表向き、法制度上の差別は(女性天皇が認められていないことを除けば)すでにない。だが、こうした「特定の役割に対する暗黙の期待」こそが、アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)として日本のジェンダー・ギャップ指数を下げる要因になっていることも、「元クラスメートだった女子」のその後の進路から垣間見えるのである。

私が2~3年生の時に所属していた文系特進クラスからの参加者は少なかったが、世話役の人によれば、今回に限らず毎回のことだという。特進クラスの人でたまたま、同じテーブル付近に集まったわずかな時間に「うちのクラスの卒業生は地元に残っていない人が多いよね」という話が出て、一同納得の様子だった。

私と同じ職場にいるRさんも全国転勤が前提だが、育児のことを考え転勤を緩和してもらっていた時期がある。それでも九州全域で広域転勤をしてきた。首都圏で高校教師をしている人もいて、地元残留組が中心になりやすい同窓会のシステムは、全国や世界を股にかけて活躍している人向けにはできていない。生まれ育った地元で人生を終えるマイルドヤンキーの、マイルドヤンキーによる、マイルドヤンキーのためのシステム--それが同窓会である(同窓会がしばしば選挙で集票マシーンとして機能するのも、結局は「地縁」組織だからである)。

私が卒業後に会った2人の同級生--Rさん、Nさんはこの日は欠席だった。2人とも、同窓会会員名簿で「消息不明」として扱われている。だがRさんは私と同じ職場であり、他にも現状を知っている人がいるため、ここでは第3カテゴリーの人には含めず、第2カテゴリーの人に分類する。Nさんの消息はわからず、この日の会場でも、私の知る限り話題になっていなかった。

3年間、一度も同じクラスになったことのない女子が、初参加の私を見て「あ、特進クラスにいた○○くん(私の本名)だ」と話しかけてきた。「私たちがどんなに頑張っても、特進クラスの人には絶対にかなわなかったんだよね」と言われた。高校生の頃は、特進クラスというだけでそんなに注目されているとは思っていなかった。見られていることの恐ろしさを感じた。

   ◇    ◇    ◇

こうして、私が出席した初の同窓会は幕を閉じた。総じて、この日、会場に来ている人からは、同窓会に来られる人--つまり、人生に成功している(と自分で思っている)人に共通する傾向のようなものも見えた。平たくいえば、学業成績よりもコミュニケーション能力、つまり社交的で他人との意思疎通がきちんとできていた人が多いと感じた。高校時代に寡黙だったり、変人と言われていた人はほとんどおらず、逆に、癖が少なく交友関係の広かった人が多かったのは、自分の予想通りだった。

35年間のブランクはあっという間に埋まり、2時間の会は瞬く間に終わった。まったく話し足りないと感じた。私が聞いている限り、昔話よりは近況を話している人のほうが圧倒的に多かったが、これも人生に成功している(と自分で思っている)人たちの集まる場なのだから仕方ないと思う。

他人と自分を比較することは好きではないし、「自分にはこんな得意分野があるのだから、他人と自分を比べる必要はないと思えるようになり、気持ちが楽」(上でご紹介した当ブログ2024年2月14日付け記事)になって以降、私はあえて他人と自分を「比べない」人生を選択してきた。ここまで人生を無事にやってこられたのがそのおかげであることも間違いない。

だが、いくら他人と自分を比較せず独自の人生を歩んできたとはいえ、どこかで自分の客観的な立ち位置--社会の中で今、自分がどこにいるのかを定点観測しなければ道に迷うことがある。目的地までの地図があっても、自分の現在位置がどこかわからなければ旅を続けられないのと同じだ。同窓会--その中でも、成績も生活態度も同程度の人が集まっていた高校の同窓会はその格好の舞台である。そこで観測した自分の位置が、自分が考えていたほど悪くないということを確認できただけでも、出席した意味があったと思っている。

Rさんほど粘り強くもなく、メンタルも安定していない私が、Rさんのようになれるかはわからない。高校時代、まったくかなわなかったRさんに追いつく自信は持てない。だがこの日、会場に来ていた同級生の立ち位置と自分の立ち位置を照らし合わせると、それ自体、私にとって高望みが過ぎると言うべきだろう。S社のトラック運転手になっていたMくんにRさんの現状を話すと「間違いなく、女子では一番出世してるよ」という答えが返ってきた。

そもそも私たちは就職氷河期まっただ中の世代に当たる。管理職以前に正社員の職にさえ就けない人が多かった。この日の会場を見渡すと、女子はもちろん、男子でもRさん以上の役職に就いている人はいない感じだった。私は、同級生の「出世頭」が特進クラスの人であってほしいと願っていた。結果としてその通りになっていたが、出世頭が女子の中から出るとは意外だった。ジェンダー・ギャップ縮小に向け、時代は私が想像しているより早く進んでいるとの確信を持った。

同窓会には、今後も機会があれば出席したい。特に、T先生が存命のうちにお礼を申し上げることは私にとって義務だと思う。それを実現させることも、私の「中長期目標」に加えておきたい。


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