安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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【鉄ちゃんのつぶや記 第7号】冷夏から見えるニッポン

2003-08-29 22:30:01 | その他(国内)
 天候不順のことしの夏。日照不足と低温の影響が最も深刻な東北の太平洋側や北海道では、すでに「平成の大凶作」「100年に1度」「おじいちゃん、おばあちゃんも知らないほどの冷害」といわれた1993年の気象データさえ塗り替えられるものが出ているというからただ事ではない。震度6強の地震に見舞われた宮城では、被災者の避難場所にストーブが焚かれる日もあったという。実際、私自身、コミケ(同人誌即売会のことで、私の趣味のひとつ)参加のため東京入りしたお盆の3日間、明け方は震えるほど寒く、街では長袖やカーディガン姿の女性を大勢見た。食料調達のため訪れたコンビニでも売れているのはアイスクリームではなくおでん、清涼飲料水ではなくホット缶コーヒーだった。お盆明け後こそ気候は持ち直し、暑さも戻ってきたが、こうなるともはや冷夏を通り越して「寒夏」というべきかもしれない。

 10回以上も「やませ」が吹いた東北の太平洋側では当然のごとく農作物に影響が出ている。やませとは、山を背にして吹く風の意味であり、オホーツク海から流れ込む湿った冷たい空気である。しばしば深刻な冷害に苦しんできた東北の農民は、飢餓風、凶作風などと呼び、恐れてきた。

 稲の生育にとって最も重要なのは、穂が成長する2週間である。「穂ばらみ期」と呼ばれるこの2週間が、稲の生育を決定的に左右する。この期間に日照と高温に恵まれれば、あとは少々天候不順でも構わない。逆にこの期間に日照不足と低温に襲われれば、その後天候が持ち直し、稲の背丈は伸びても穂がつかず、あるいは穂がついても中身は空っぽという状態になることも多い。かくして「実るほど頭を垂れる稲穂」はすっくと立ったまま農民を見下ろし続けることになり、農家に実りの秋は訪れない。

 穂ばらみ期は地域によっても違うし、品種によっても違う。第一「今がわたしの穂ばらみ期です」などと稲が教えてくれるわけもないから、結局各々の農家が経験から判断することになるが、概ね7月下旬から8月中旬あたりの時期であることが多い。今年の夏は、ちょうどこの時期に日照不足、異常低温、そして台風のトリプルパンチに襲われたため、不安が大きくなっているのだ。

 ところで、農家、とりわけ北国の農家にとって冷害は日常茶飯事である。農民たちはいつも為す術を持たず、手を拱いていたわけでは決してなく、むしろ知恵を絞って冷害回避に努めてきたのだ。私が今の職場に入ったとき、労働組合の新入組合員セミナーなる行事で田んぼに入る体験をしたことがあるが、田んぼの水は暖かい。冷たいやませが吹いていても、田んぼの水は別世界のように暖かいのである。農家に充分な人手があった昔なら、冷たい風から稲を守るため、稲が頭まですっぽり覆われるほどに田んぼに暖かい水を引く、きめ細かな水管理をしていたものだ。ところが今はどうか? 農業生産額の対GDP比は3%を割り込み、今やパチンコ産業の総生産額よりも低いという有様である。全国に300万人いる農家のうち200万人が65歳以上で、さすがに70歳になれば続々と引退を迎えるだろう。日本の農業がジイちゃん、バアちゃん、カアちゃんの「3ちゃん農業」と揶揄された時代さえ遠い過去となり、農家は人手不足によって稲をやませから守るための水管理も充分にできなくなりつつある。東京・練馬で野菜を栽培しているある農民は、中学生当時、家業を継ぐために農業高校(東京都内に今でも5校ある)に進学したいと担任の教師に申し出たら、何も「そんなところ」に行かなくても…と言われ絶句したという。「戦後の日本は国を挙げて農業を辱めてきたのだ」と彼は語っている。

 今、私は1993年の大冷害は単なる天災ではなかったと確信している。近年の温暖化傾向に慢心して、冷害に弱く倒伏しやすいササニシキを勧めた関係者にも被害を大きくした責任がある。そこには日本の農業の構造的欠陥に加え、誤った営農指導という人災の側面もかいま見える。それでも、都会に働き手を奪われる中で田舎に残り、「国を挙げての陵辱」に歯を食いしばって耐えてきた篤農こそが日本の米を守ってきたのだ!

 農業の新卒採用に当たる「新規学卒就農者」は今、毎年2000人程度でしかない。統計学上は誤差の範囲として切り捨てられそうな弱々しい数字である。無慈悲なリストラに明け暮れる日本企業によって、切り捨てられるどころか初めから一顧だにされない若い労働力が行き場もなくさまよっているにもかかわらず、農業に就きたいと考える若者は皆無に等しい。それは、「国を挙げての陵辱」と決して無関係ではないだろう。

 社会的に意義のある仕事がしたいと思っている若者諸君!「人はパンのみにて生きるにあらず」と偉い神様はおっしゃった。でも人はパンがなければ生きられないことも事実である。それに、あらゆる産業にとって最も大きな財産は「ひと」つまり人材である。その「ひと」が生きるための食料を作りながら環境保全の役割を果たす農業が、社会的に意義のない仕事だなどということがどうしてあるだろうか? 命を懸け、すべてを犠牲にして会社に尽くしたサラリーマンが、最後はリストラの名の下にごみのようにうち捨てられているそのときに、農村では果実さえ得られるのだ。カネのためにではなく、自らの喜びのために働く。これこそすべての鎖から解放された労働者階級の真の姿なのだ。だから若者諸君、農業に来ないか? もちろんここでも困難は多い。でも、困難に打ち勝って入った企業でリストラと賃下げに苦しむくらいなら、果実の得られる農村で大自然と一緒に仕事をしてみないか?

 農村は、きっと君たちを待っている。

(2003/8/29・特急たから)

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