人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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【鉄ちゃんのつぶや記 第8号】えちぜん鉄道訪問記

2003-09-07 22:31:52 | 鉄道・公共交通/交通政策
 えちぜん鉄道へ行ってきた。この「つぶや記」第5号で「年内に行く」と公言してしまった以上は行かざるを得ないという事情もあったのだけれど(笑)。何はともあれ新生えちぜん鉄道をレポートしようと思うが、その前にえちぜん鉄道の前身、京福電鉄を2年間運休に追い込むことになった2回の事故のことから振り返ってみる。

 最初の事故は2000年12月17日。ブレーキ故障のため止まれなくなった上り電車が駅を通過し単線上に進入、下り列車と正面衝突。運転士が死亡、乗客20人以上が負傷した。2回目の事故はそれから約半年後の2001年6月24日に発生。今度は越前本線(単線)の運転士が赤信号を見落として列車を発車させ、やはり対向列車と正面衝突。死者こそ出なかったがまたも24人が負傷する惨事となった。

 「国土交通大臣は、鉄道事業者の事業について利用者の利便その他公共の利益を阻害している事実があると認めるときは、鉄道事業者に対し…」列車の運行計画を変更することを「命ずることができる」とする鉄道事業法第23条の規定がある。半年間に2度の正面衝突事故を起こした京福電鉄に対しては、この法律をタテに列車の運行停止命令が出され、以後、京福電鉄は電車の運行を中止してバス代行輸送を行ってきたのである。

 京福電鉄にATS(自動列車停止装置;赤信号を無視した場合に自動的にブレーキがかかり列車を止める装置)がないことは、私自身、1998年に京福電鉄に乗りに行った時に既に気付いていた(鉄道ファンはATSの有無くらい運転席をちょっとのぞき見すればすぐ解る)。今回、国土交通省は、運転再開のためにはATSの設置を条件とする姿勢を崩さなかった。その姿勢は高く評価できるが、問題はATSの設置が非常に多くの手間と経費を必要とすることだ。ATSが有効に機能するためには、赤信号で列車が通過したことを検知できる必要があるが、この通過を検知するための検知装置(「地上子」と呼ばれる)や軌道回路をあちこちに引き回さなければならないからである。もちろん、地元で存廃問題が取り沙汰され、列車を走らせるだけで青息吐息の状態の京福電鉄にそんなカネがあるはずもない。しかしそれでも地元民の7割が存続を望んでいる。京福電鉄を第三セクター鉄道として新生させようという計画の裏にはそのような事情があったのだ。

 福井に5年ぶりに降り立ってみるとなんだか懐かしい。えちぜん鉄道に衣替えしたとはいえ、そこかしこに京福電鉄の匂いが漂っている…と思ったらそれもそのはず。塗り換えられて色こそ変わっているが、車両は京福当時のままである。たまたまちょうどいい時間に発車予定だった三国線(京福時代は三国芦原線という線名だったはずだが)の列車を選び、一路終点、三国港をめざす。

 京福時代の車両は戦前製の古いものだ。マニア的で申し訳ないが、台車の上にモーターを直接載せて駆動する「吊り掛け式」という方式が用いられている。現在では、モーターは台車から離れた場所に取り付け、自動車で言えばシャフトにあたる「推進軸」という機構を通じて動力を車輪に伝える方式になっているが、技術力のなかった当時は吊り掛け方式でなければ不可能だったのだ。

 ブレーキにしても旧態依然としている。電車のクセに電気ブレーキもなく、ブレーキがかかるたびに「プシュー」という圧縮空気の音に続き、ブレーキシューが車輪に密着して起こる「ザザー」というブレーキ音が、この車両の遅れた技術を伝えてくれる。電気ブレーキとは、平たく言えば自動車のエンジンブレーキにあたるものだ。モーターと車輪を接触させた状態でモーターに電流を流せば当然、動力として働くが、電圧をかけない状態でモーターを車輪と接触させれば、モーター内部で回転力を電気エネルギーに変換しようとする作用が起こり、それが車輪の回転を抑制する力になるのだ。とはいえ、この説明を聞いてもまだよく解らない、という方もいらっしゃるだろうから、もっと端的な例を出そう。自転車に乗っていて、ライトを点けようとしてダイナモ(発電機)を倒し、タイヤと接触させたとたんにタイヤが重くなるという経験は多くの方が持っているだろう。要はあれと同じ原理である。電車も、車輪の力でモーターを回して発電し、そのときに車輪が重くなる原理をブレーキ力として用いているわけだ。昭和30年代以降に作られた電車は大半がこの電気ブレーキで30kmくらいまで減速し、ブレーキシューはそこから列車を止めるときにしか使わないから、普通は「ザザー」というブレーキ音は聞こえない。逆にそれが聞こえるということは、この電車が電気ブレーキを備えていない、古い技術しかない車両であるということだ。自分でいうのもなんだが、鉄道ファンとは怖ろしい。音を聞いただけで、その車両が何ものであるかを瞬時に見破ってしまうからだ。

 途中、農協の建物のガラス窓には「祝! えちぜん鉄道開業」という横断幕が掲げられている。そうかと思えば、鉄道と並行して走る国道に掲げられた看板が「京福大関駅」のままだったりして、看板を書き換えるカネもない地方鉄道の悲哀を感じさせる箇所もある。忘れていた5年前の光景も見事にフラッシュバック、5年前と比較しながら車窓の風景を愛でる、1時間の懐かしい行程だった。

 この鉄道の運命を変えるきっかけとなった2つの痛ましい事故。そして装いを新たにしての復活。同じ場所を走りながら、事故を挟んで違う姿になった2つの鉄道。その両方を私は見た。事故の根底に横たわる問題は解決したのだろうか?
 私は「3分の1は解決、残り3分の2は未解決」と判断する。解決した3分の1は、ATS設置が実現したことだろう。これにより、2回の事故のうち後の方…「信号見落としによる衝突事故」についてはほぼ確実に防げる見通しができたことである。えちぜん鉄道の安全性は格段に向上したのだ。

 未解決の方の2つの問題は、事故前の古い車両がそのまま使われていることと、経営不安が消えないことの2つである。車両の古さについては既に述べたが、電車でありながら電気ブレーキが付いていない車両をいまだに走らせている。前述したとおり、電気ブレーキのない電車は、ブレーキシュー以外に自らを停める術を持たないから、例えばブレーキエアーが瞬時に抜けるなどしてブレーキシューを車輪に密着させる手段がなくなったら終わりである。ATSは、ブレーキを自動でかける装置に過ぎないから、ブレーキそのものが故障した場合には無力である。これが、未解決の3分の2のうちのひとつであり、京福が起こした2つの事故のうちの最初…ブレーキ故障による正面衝突は、結局今の態勢でも防ぐことはできないと思う。

 未解決の3分の2のうちのもうひとつ…経営問題は今さらいうまでもないだろう。第3セクターになったとはいえ鉄道とは金のかかる事業なのだ。今回、えちぜん鉄道の電車には、復活からわずかな日数しか経っていないわりには多くの乗客が戻ってきていると嬉しく思えたが、いつまでその状態を維持できるだろうか。そう遠くない将来に存廃問題が再燃する可能性は今でも残っていることを最後に報告しておこう。

 日帰りのあわただしい日程だったが、以上がえちぜん鉄道のレポートである。2年間という長い期間の運休を経て地方私鉄が復活したという例は、少なくとも私の知る限りでは聞いたことがない。赤字にあえぐ地方私鉄でも復活することができるという良い前例を作ったのだ。地元の人たちと手を取り合って、福井県、そして日本の宝物のこの鉄道を今後も温かく見守っていきたいと思っている。

(2003/9/7・特急たから)

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