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【鉄ちゃんのつぶや記 第10号】さようなら新幹線100系

2003-09-16 22:33:53 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
 2003年9月16日…今日、ひとつの車両が引退した。1985(昭和60)年10月1日に登場して以来、東海道新幹線を走り続けてきた新幹線100系である。100系と言われてピンと来ない方でも、「2階建食堂車の付いていた新幹線車両」だといえば、あああれかと思い当たる方も多いと思う。

 1964(昭和39)年に開業した東海道新幹線は、85年当時で開業21年。もともと鉄道は物持ちがいい業界で、在来線の鉄道車両では20年などまだまだ青年、30年でやっと中堅といった調子だ。今年3月に引退した山口県・小野田線の電車のように1933(昭和8)年の登場から70年走り続けた車両もある。ただ、そんな鉄道業界にあっても新幹線車両だけは例外で、高速走行することと、1回の走行距離が長いことから、20年程度で更新の必要が出てくるのである。

 100系は、初代新幹線である0系(あの丸顔の新幹線)が更新時期を迎えたことをひとつのきっかけとして生まれた。新幹線として初めてのモデルチェンジで、210kmから220kmへわずかながらスピードアップも実現したこと、3人掛けの座席が回転しないためその半分が後ろ向きのままだった0系と比べ、全座席が回転するため全員が進行方向に腰掛けられるようになったことなどで当時はずいぶん話題になった(今はどれも当たり前の話ばかりだが)。その100系も登場から18年を迎え、今度は自分が後輩へ道を譲るときを迎えたのだ。

 100系最後の瞬間に立ち会おうと、休暇を取って出かけた。100系で運転される「ひかり309号」は東京駅8時30分の発車なのに、8時には既にファンでホーム上がごった返す。私が確認しただけでも、NHK、日本テレビ、フジテレビ、読売、産経、新潮社などの報道陣が押し掛けている。出発式でJR東海の葛西社長があいさつ。「国鉄時代には100系は7編成しか造られなかった。JR発足後に50編成が造られたので、100系がJR東海の第1世代新幹線である」と紹介。「新幹線の中でも100系が一番好きだというお客様の声も多くいただいていただけに引退は寂しい思いがする」と述べた。

 8時30分、ひかり309号は発車。沿線では平日だというのに多くのファンがカメラを向けている。最近の新幹線車両(300系、700系など)が走行中は結構揺れるのに、この100系はほとんど揺れないのはさすがだと思う。私の鉄道ファンの友人がカメラを持って待ちかまえている小田原を通過。車内改札が終わったので列車内を歩きながら様子を見る。この100系の大きな特徴でもある2階建車両の1階カフェテリアでは、記念グッズを買おうとする人たちで列ができており、JR社員が整理にあたっている。カフェテリアの壁には速度計があり、赤いデジタル表示で「只今の速度 220km」と表示されている。グリーン車に個室があるのもこの車両の特徴で、芸能人やVIPが移動するのに重宝されたと言われるが、私が様子をのぞきに行ったところトラブルが起こっていた。個室の1つで鍵の不具合があり、開かないらしいのだ。この個室の鍵はカードキー方式になっており、車掌が乗客に代わってクレジットカード大のカードを抜き差ししているが、鍵が開く様子はない。仮にこのまま鍵が開かなかった場合、代わりの空室があればいいが、なければ個室料金を払い戻さねばならないので車掌さんも必死だ。最後の最後までお気の毒である。

 「ただいま、列車は定刻通りに三河安城駅を通過いたしました。あと10分少々で名古屋に到着いたします」…東京、新横浜から名古屋までは2時間近くもあり、眠っている乗客も多いため、このようなアナウンスが慣例として流されてきた。名古屋が近づく。

 100系車両には、ファンにとって面白い仕掛けがまだまだある。駅停車の案内が流れると、客室とデッキの仕切扉の上に「○○駅まで あと○km」という表示が出るのだ。一般人で気に留める人は少ないだろうが、この数字が減っていくのを見るのも楽しいものがある。名古屋、京都駅でもホームにはカメラ鉄ちゃんが列をなしている。それにしてもみんな暇だなぁ(失礼)。やがて11時23分に新大阪到着。2時間53分の旅路だった。

 新大阪駅ではJR東海の須田会長があいさつ。「せっかくの車両更新なのだから何か新機軸を打ち出そう」と考えたのが2階建車両だったそうである。しかし時代は変わり、スピードアップによる乗車時間の短縮によって食堂車へのニーズが下がったことでせっかくの2階建食堂車もその役目を終えてしまった。加えて、100系以外の全ての車両が270km運転をできる今日、最高でも240kmでしか走れない100系の存在がパターンダイヤを組む上で大きな障害となっていたのだ。2階建車両、速度計、停車駅までのキロ表示、個室グリーン車などファンにとっても遊び心を満載した車両だった。その後登場したJR型の車両からは、こうした遊び心をくすぐる仕掛けはなくなっている。その結果として機能的だが味気ない車両ばかりになり、旅情という大切なものが失われていった気がするのだ。

 こうして、100系は東海道18年の歴史に終止符を打った。明日から、東京~新大阪間では「のぞみ」の名とともに登場した300系が最も古い車両となり、JR化以降に登場した車両で統一されることになる。国鉄の面影がまたひとつ消えてゆく。鉄道ファンであると同時に国鉄ファンでもある私にとって、そのことがとても寂しい。

 せめてもの救いは、新大阪駅を歩く人たちの表情が明るく見えたことだ。駅の売店では阪神タイガースの18年ぶりの優勝を伝えるスポーツ新聞が並んでおり、優勝セールがそこかしこで始まっている。人々の表情の明るさはそのこととも関係があると思う。阪神タイガースが優勝した1985年に走り始めた100系新幹線が、18年後、再び阪神タイガースが優勝を決めた翌日に引退運転…。偶然とはいえあまりにも出来過ぎていて、なにやら因縁めいたものも感じられる最終運転の日だった。

(2003/9/16・特急たから)

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