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「チェルノブイリの祈り」原作者のベラルーシ女性作家にノーベル文学賞

2015-10-09 20:50:25 | 原発問題/一般
ノーベル文学賞にベラルーシ人作家 フクシマを積極発言(朝日)

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 スウェーデン・アカデミーは8日、2015年のノーベル文学賞をベラルーシ人の作家スベトラーナ・アレクシエービッチ氏(67)に授与すると発表した。授賞理由を、「私たちの時代における苦難と勇気の記念碑といえる、多様な声からなる彼女の作品に対して」とした。長年、期待されてきた同氏の受賞に、発表会場に詰めかけた報道陣らから拍手と歓声が起きた。女性の文学賞受賞は14人目。

 AFP通信によると、ベラルーシの首都ミンスクで会見したアレクシエービッチ氏は、「私ではなく、私たちの文化、歴史を通して苦しんできたこの小さな国への受賞だ」と語った。

 アカデミーのダニウス事務局長は「彼女は40年にわたり新しい文学のジャンルを築いてきた。チェルノブイリ原発事故やアフガン戦争を単なる歴史的出来事ではなく人々の内面の歴史ととらえ、何千ものインタビューをまるで音楽を作曲するように構成して、我々に人間の感情と魂の歴史を認識させた」とたたえた。

 賞金は800万クローナ(約1億1600万円)。授賞式は12月10日にストックホルムで行われる。(ストックホルム=渡辺志帆)

■「黒沢明監督の『夢』はまさに予言」

 アレクシエービッチ氏は、東京電力福島第一原発事故についても積極的に発言し、高度に発達した技術に依存する現代社会への警告を発している。

 事故直後、仏紙リベラシオンのインタビューに対して「(チェルノブイリ原発事故に続く)2回目の原子力の教訓が、技術が発展した国で今起きています。これは日本にとってだけでなく、人類全体にとっての悲劇です。私たちはもう、ソビエト体制にも全体主義にも、誰に対しても罪を負わせることができないのです」と指摘。「原発の爆発が描かれた黒沢明監督の『夢』はまさに予言でした」と述べた。(モスクワ=駒木明義)

     ◇

 〈スベトラーナ・アレクシエービッチ〉 48年ウクライナ生まれ。ベラルーシ在住。ベラルーシ大学を卒業後、ジャーナリストとして活動を始める。ソ連末期以降、国家の圧力の中、民衆の声を記録する取材を続けてきた。第2次世界大戦の従軍女性たちの証言を掘り起こした「戦争は女の顔をしていない」はベストセラーとなり、映像化もされた。

 97年には、チェルノブイリ事故に遭遇した人々の聞き書き「チェルノブイリの祈り」を発表。日本、スウェーデン、ドイツ、フランスなどで翻訳出版された。ただ、ベラルーシ大統領の非難を受け、国内では出版中止となった。

 96年、「文学における勇気と威厳」がたたえられ、スウェーデン・ペンクラブから賞を受けるなど、国際的な受賞も多い。

 数度来日し、ドキュメンタリー番組の収録や各地で講演をしている。邦訳された主著は5冊ほどある。
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チェルノブイリ原発事故に遭遇した人たちの声を聴き取り、まとめた証言集「チェルノブイリの祈り」を出版したベラルーシ女性作家、スベトラーナ・アレクシエービッチさんに、今年度のノーベル文学賞が贈られた。朝日の記事ではアレクシエービッチさんの肩書きを「作家」としているが、どちらかといえばジャーナリストに近い。日本人で彼女の作風・立場に近い人を挙げよと言われれば、立花隆さんなどがむしろ該当するだろう。

「チェルノブイリの祈り」は1997年に刊行され、98年には邦訳され日本でも刊行された。その中に衝撃的な一節がある。

 『最初はチェルノブイリに勝つことができると思われていた。ところが、それが無意味な試みだとわかると、くちを閉ざしてしまったのです。自分たちが知らないもの、人類が知らないものから身を守ることはむずかしい』

 『ここでは過去の経験はまったく役に立たない。チェルノブイリ後、私たちが住んでいるのは別の世界です。前の世界はなくなりました。でも人はこのことを考えたがらない。このことについて一度も深く考えてみたことがないからです』

原発事故の発生は、多くの人々の価値観をしばしば「転覆」と言っていいほど大きく変える。福島を経験した私たちにも、アレクシエービッチさんの言葉が突き刺さる。「あの日」以降、私たちはそれまでとはまったく違う新しい世界に生きている。食べる物、訪れる場所、なにげない行動、我が子と一緒に織りなすありふれた日常・・・それらすべてにおびえ、不信を抱かなければならない、新しい世界。どんなドラマよりも小説よりも壮絶かつ残酷な現実の中で、どうすれば人は希望を持ち続けられるか、自問自答しなければならないパラレルワールド。もしあの事故がなかったらどんな時代を生きていたかは今や想像の中にしか存在しない。

そして最も恐ろしいのは、事故の後遺症でも健康被害でも放射能汚染でもなく、自分たちが新しい世界に生きなければならないという現実を「自覚している人」と「いない人」との間の絶望的な隔絶と対立だ――3.11後の5年を見ていて私はそう思う。

欧州最後の独裁者といわれたルカシェンコ大統領による強権政治の下で、アレクシエービッチさんの著書は何度も発禁処分を受け、自身も国外での生活を余儀なくされた時期もあった。それでも彼女がノーベル文学賞を受賞した背景に、チェルノブイリに対する長年の、たゆみない洞察があることは間違いない。

そして同時に、ノーベル賞の中でも平和賞と文学賞は、科学分野での賞と違って客観的な「業績」の評価が難しく、しばしば選考は政治的になる。チェルノブイリ原発事故の被害に遭遇したアレクシエービッチさんにノーベル文学賞が贈られたことは、福島原発事故を経験した日本の文壇に対し、「もっと事故の現実と向き合い、闘え」というノーベル財団からのメッセージだと見るべきだろう。当ブログのような弱小ブログが「文壇」の一角を名乗れば、おこがましいとお叱りを受けるだろう。しかし、当ブログでさえ、この面でもっともっと頑張らなければならないと思う。

 『なぜわが国の作家はチェルノブイリについて沈黙し、ほとんど書かないのだろうか。戦争や強制収容所のことは書きつづけているのに、なぜだんまりを決め込んでいるのだろうか? 偶然だとお考えですか?』

「チェルノブイリの祈り」でのアレクシエービッチさんの呼びかけは、チェルノブイリを福島に置き換えればそっくり日本にも当てはまる。私たちには、政府・東電・原子力ムラなどの原発推進派の他に、もうひとつやっかいな敵がいる――「沈黙」という敵が。

福島県いわき市出身の講談師・神田香織さんは、「チェルノブイリの祈り」を元にして、同名の講談で原発事故の恐ろしさを伝える活動を続けてきた。当ブログも原発問題の発信を続けていかなければならないと決意を新たにする。たとえ弱小であっても、このやっかいな敵と戦う一助になれるなら、まだ、当ブログの役割は終わりそうにない。

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